幕間 母の腕の中(3)
「人心核は人ではない、故に人心核は人の気持ちがわからない」
訥々と語る老人、オルガ・ブラウンはうつむき、影で表情を隠す。人心核アダムの内側、記録が渦巻く台風の目。白い空間でナハトとオルガの対話は続いていた。
ナハトはロサンゼルス基地でヘレナを失った経緯と、ハワードから押された非人間の烙印を話した。
失意の海で溺れるナハトを、師は励まさない。そんな言葉は無意味であることは両人の共通認識だ。
あの日、脚と肩を穿った弾丸。今もその銃創が疼くのだ。無力を噛みしめ、「この人とならば」と微かに生まれた希望さえ、軽く摘み取られた。梶原ヘレナはナハトの隣にはもういない。
紀村ナハトが、アルバ・ニコライが、六分儀学が──無念にも打ちのめされた最悪の日。
「それから、君はどうしたのだね?」
「俺は……」
ナハトはゆっくりと言葉を選んで、続けた。
「ヘレナを助け出そうとしたんだ」
「それは、どうして?」
沈黙は数秒。オルガは質問の意図が理解できないナハトに聞いた。
「君は梶原ヘレナから、助けるなと、言われたはずだが」
「そんなの! 裏の意味に決まっている! 誰が好き好んで人心核なんか飲み込むんだ! 人じゃなくなるんだぞ」
「君はそう思うんだね」
「……なんだよ。先生も、俺がヘレナの気持ちがわからないってそう言うのか?! 人心核だから、人の気持ちがわからないから!」
「…………私も同じだよ。人の気持ちがわからない」
「…………」
ナハトはそれを否定しなかった。ただ、オルガが言いたいことが理解できなかった。
「人が理解できないのは、苦しい。私はずっとそれを理解できないものかと試行錯誤を繰り返していた」
「何が言いたいのですか?」
「今もまだ、検証は続いている。人心核は梶原奈義にもハワード・フィッシャーにも理解されなかったが、それでも私は人心核を信じている。ナハト、私も同じだ。私は人心核イヴを取り戻すために、ハワードと戦うことを選んだのだから」
「イヴと先生には……どんな関係が?」
「イヴと私ではない。人心核と私だ。どうして私は人心核を作り出したのか。それをまだ話していなかったね」
「…………!!」
「その前に」と老人はニヤリと笑った。曰く、オルガ・ブラウンは悪の科学者。逆境を鼻で笑う。
「話の続きを聞こうか」
ナハトは、老人は決して諦めていないことを知った。
この程度の絶望的で諦められるなら、病魔に伏せりハワードから殺されかけたとき、人心核アダムを飲み込まなかったはずだ。
救世の英雄に殺されたはずの背徳の王は、なおも眼光を光らせた。ハワード・フィッシャーに報いるために牙を研いでいたと、宣誓するように──。
「重要なことは、梶原ヘレナの気持ちがわからないと認めることだ、ナハト。わからないまま、抗うのだよ。そんなもの、わからなくていい」
かつて、非人間の烙印を同じく押されたオルガは、今も変わらず曲げず、人の心が理解できない。反省などしない。ただ、梶原奈義から学んだことは──。
「初めから理解できる存在など、いないのだから」
「……!」
では、梶原奈義は? ハワード・フィッシャーは?
読心能力者はなにを読み取っていたのだろう。
ナハトが疑問を口にする前に、オルガは祝詞を口にした。
「さあ、続きを。
臆するな、ナハト。終わりは近い」
道具と人の相克は、人心核アダムの物語は──、クライマックスを迎える。




