愛と惨めさを込めて
「ハワード・フィッシャーは君に対して、<神の代弁者>をどんなものだと説明している?」
「……イヴの機体に積まれた装備だろう。マイクロマシンを放出して通信妨害、光学迷彩、遠隔力場を操る」
「その程度の理解では困るのですよ。私たちと手を組むと言うのなら、最低でもハワード・フィッシャーと同じ情報を持ってもらわないといけない」
「お前らは……ハワードよりもあの技術を知っているような口ぶりだな」
「勿論です。あれはオルガ・ブラウンが発見し、我々に伝えた。ハワードは自分で探索しているようですが、オルガ・ブラウンの持つ知見には及ばない」
「ふうん……。その肝心な技術について、俺は教えてもらえるんだろうな」
「ええ、話しますとも。心して聞いてください」
◆
その日の夜。アルバ・ニコライは視界が歪むほどの情報量を頭に叩き込まれたような衝撃を受けていた。世界の見方が変わるという表現はきっと大げさではない。所詮妄想だと切って捨てるには、現実とリンクしている仮説を無視できずにはいられない。
それはあたかも、推理小説の最後のページを不意に捲ってしまったかのような、予期せぬ種明かしだった。
おそらく野心ある人物が聞いたら、経済や富、好奇心と結びつける内容だっただろう。一歩間違えば、世界の支配者になれる鍵が突然目の前に現れた。
「人体模倣、人心核、読心能力者、<神の代弁者>……宇宙の在り方?」
「信じていただけましたか?」
「……」アルバは<キューティー>の工作員相手に黙るしかない。
この組織と協力する意味をここでようやく理解したのだ。絶望の淵にいるアルバをして危険と断言できる思想。それは脳を脅かす毒として、循環して代謝されない。
「それが……」
アルバは額に滲む汗を拭きとることもなく、絞り出すように言った。
「どうした」
睨む瞳は強い目的意識を手放さない。アルバの願い──ソフィア・ニコライの復活。それがアルバにとって最も重要なことで、それ以外はゴミ屑ですらない。興味もない。頓着しない。
アルバの生き方はそこに終始する。たとえ、自分がどれだけちっぽけな存在でも、世界を足元から揺さぶられようと、つまらない願いだと指を差されようと──アルバには関係がない。
「改めて言うぞ、狂信者。底が浅いんだよ。くだらない」
「ええ、そんなあなただから、私たちは信用できるというもの」
工作員は摩天楼を背負って、にやりと笑った。
◆
ロサンゼルス基地でのナハトの処遇を決める報告会を明日に控えた昼。
ナハトは基地の戦闘機ラボで技術者、福原とモニターを睨んでいた。
六分儀学の許可によって戦闘機開発に協力することで基地での存在を許されている身である以上、ラボにいることは不自然ではない。ナハトの狙いがヘレナを連れて逃げ出すことだとしても、福原と話す時間は嫌いではなかった。
背丈の低い白衣の技術者はズレた眼鏡のまま、ナハトと議論を進めていた。
「同調率を犠牲にして操縦席の耐衝撃性を高めたら、そりゃ上からストップがかかるだろうな」
「ええ、ですから。二つの要素のトレードオフから抜け出す必要があります。そのアイディアはまだないんですけどね」
「材料の検討をしている技術者は基地にいるのか?」
「いえ、すべてヒューマテクニカに委託しています」
ナハトは唸った。福原の目的を叶える考えはあるが、量産性まで結びつかない。実験室スケールで成功したとしても続かない。
「本気で<人が死なない操縦席>を作ろうと思っているなら、材料からの選定が不可欠だ」
「確かに……」
ナハトはモニターの横にあるヘッドセットを盗み見た。本来それは簡易的に同調率を測定するための機器であるが、ナハトにとっては電子の海に飛び込む鍵に他ならない。
「永いスパンで見たら、ヒューマテクニカとの共同開発って線が濃厚だろうな」
「それがですね……以前にそれを上官に提案したら却下されまして……。元々は同調率の向上がプロジェクトの本願だったので、素材の探索は必要ないはずだって」
「あんた露骨に操縦席を頑丈にしたいとか言ってないだろうな」
「いや、その……」福原はナハトから目を背けた。
ナハトは大きくため息をついた。
「そりゃOK出るわけないだろう。もっとうまくやれよ」
もっとうまくやれ。そう言った後に自分の人体模倣研究所での振る舞いを一瞬振り返ってしまった。自分はうまくやっていただろうか。アルバ・ニコライに噛みついた未熟さを今も抱えているナハト。
そして、不意に思い出してしまったことがある。
『もっとちゃんとしろよな、天才少年』
声は鮮明に再生される。ナハトの頭をくしゃくしゃに撫でながら、ハリエット・スミスは笑顔だった。
つい最近までそこにあった日常を仰ぎ見たとして、無駄なことだとわかっている。だから、これはくだらない感傷だ。もう戻らない。不可逆な結末を迎えた先の事件で、ナハトは得たものもあったし、失ったものもあった。
──それだけのこと。
「そう、それだけのことだ」
「何か言いましたか?」
福原は不思議そうにナハトの顔を覗き込んだ。
「なんでもない」ナハトは得意でない笑顔で応じた。
「どうして福原は<人が死なない操縦席>にこだわるんだ?」
ナハトはもっと早く聞いておくべきだった質問を彼にした。
きっと軍人の友人が戦死したとか、惨憺たる過去があるのだろうと思って、ナハトには珍しい気づかいで問えずにいたのだ。
「そりゃあ……」福原は言葉を選んでから──。
「人が死んだら嫌じゃないですか」
と、あっけらかんとした応えを提示した。
「それだけか?」
「えっと……そうですけど……」
「誰か身内が死んだとか、事故にあったとか、そういう経験があるのか?」
「うーん。まあ直接的な身内はいませんね。……私、なにか変なこと言いましたか?」
「いや」ナハトは続く質問を用意していなかった。
極々当たり前に切り替えされてしまったから、それ以上の議論は生まれない。それでも、ナハトはかつてのハリエットとの問答を反芻せずにはいられない。
この手の人種には何を言っても無駄であるとナハト自身が知っている。
オルガ・ブラウンという背徳の技術者をこの身に宿した自分は、ハリエット・スミスに楔を打たれたからだろうか、福原を相手にするとどうも普段の不遜な態度が取れない。
償いとは──おそらく違う。
目的を持って生きる人は眩しい。だから拒絶していたのがヘレナに出会う前のナハトだとしたら、今の自分は少しでも<彼ら>に向き合おうとしているのだろうか。
目的のない生でも胸を張れる自分は未だ遠い。
ヘレナがいなかったらきっと立つことだって困難だ。
──でも。
歩いている道は間違えではない気がするという予感が、少しだけ誇らしかった。
◆
午後三時、ラボを後にしたナハトは通路で見知った人物に出会った。
「やあ、元気かい?」
「またお前か」
マイク・ドノヴァンはナハトを勝手に友人だと認識しているようで、気軽に話しかけてくるようになった。お互い未だ軍から信頼を勝ち得ているわけではないのだから、不自然に立ち話するのは怪しまれるだけだと思う。
ナハトはマイクにいつもの態度を取る。
「早く部屋に戻れよ。独房暮らしも慣れただろう」
「そう言うなって。それで──」
マイク・ドノヴァンは当たり前のように言った。
「彼女にはどうやって気持ちを伝えるんだ?」
この時ナハトは口に何か含んでいたら盛大に噴き出していただろう。あらゆる前提をすっ飛ばして放たれた言葉。動揺するなというほうが無理があるだろう。
「お、お前には関係ないだろ!」
「いやいや、考えろよ少年。こういうのは関係ない奴に聞いたほうがいいんだよ。後腐れも気遣いもないからな」
「それでどうしてお前になるんだよ! それを選ぶのは俺だ」
「……ははは! 気持ちを伝えることを否定し忘れているぞ」
「っ!」
ナハトは頭を掻いた。どうにも分かったことを言う奴だ。鼻につく。ペースを乱されまいと話題を変えようとしてもうまく思い浮かばない。そもそも接点のない相手だ。
マイクはナハトなどお構いなしに続けた。
「好きな娘がいる。考えたら相手のことも実はよく知らない。でも一緒にいたい。物騒な世の中だ。彼女を守れるのか分からない。お荷物になるだけかもしれない。危険に晒すかもしれない。けど──」
「黙れって! なにわけわからないことを」
「いいかい? 少年。別に気張らなくてもいいんだ。守るとか守ってもらうとか。そういうことじゃあないんだ。大切なのは、自分がその人の前で自然体でいられるか、だ」
「ああ、もう! 人の話を聞かないな!」
「おおっと悪い。困っている人を見ると放っておけないんだ」
「わかったよ、それは」
「じゃあ、言い方を変えよう。ぼくが君の相談に乗りたいんだ。ぼくがしたい。それじゃあ駄目かい? 君は君の優しさで僕を相談役として選んでほしい」
「……」
ナハトの正直な内情として、紀村ナハトが梶原ヘレナを好いていることは否定はしない。それでいて、ヘレナが目覚めたときにどんな言葉をかけるか選べない。
今のナハトは、どんな勢力の手の届かない場所へ、ヘレナと行きたいという願いがある。
それはすなわち、ヘレナにとっての帰る場所、明龍をも裏切れと言っているに等しい。
『俺と一緒に来てくれ。そのためなら俺は──』
そんな懇願をいくらシミュレートしたところで成功の兆しはない。
マイク・ドノヴァンが言うほど単純ではない。ナハトは気持ちを伝えるという行為に付随する過酷な未来に二の足を踏んでいるのだ。
簡単に決心など着くわけもない。
「きっと、君が梶原ヘレナに告白したら、もう元には戻れないだろうね」
「……!」
「それでもだ、少年」
マイクはナハトの眼をじっと見つめた。
「何も選ばないという選択が最も愚を犯していることを知ってほしい。どうせ何かは変わってしまう。変化に応じて、失ったものはあるのだろう? 先の事件の折り、避難している最中にハリエット・スミスという女性技術者から聞いたよ」
「……ハリエットが……?」
「彼女は自分を責めていた。君を責めてしまったことを、先輩面をしていて肝心なときに君の力になれなかったことを……。でも、それでもだ。彼女は……それ以外の方法はなかったと言っていた」
──まあ、そうだろうな。
ナハトはあの剣呑な表情が今でも忘れられない。
「彼女は確かに、あの時君を失った。わかるかい? 君もハリエット・スミスとの関係を失ったと同時に、彼女自身も君との関係を失っているんだよ」
「……」
「決断は不可逆。環境がそれを強いてくる場合の方が多い。君とハリエットの場合がそうだ。タイムリミットが来たんだ。その時、人は選ばされる。選ばされたとき、きっと後悔が残る。いい結果にはほとんどならない」
──けれど、とマイクは静かに続けた。
「選んだとき、きっと何かが変わる。環境も戦況も関係なく、自らのタイミングで選んだとき、きっといい方向に変わるんだよ」
「……何を熱くなっていんだよ」
ナハトはマイクに返す言葉がない。人助けが趣味と宣ったこの男に、好き勝手言われて助けられたとは思わない。自己満足もいいところだ。
「でも……多少は考えておくよ」
ナハトは小さくそう言った。




