初恋
「月面防衛戦線の持つ未知の戦闘機、あれを我々国連軍は<SE-X>と呼称することにした。特別敵機(Special Enemy)の非公表番号Xを当て、最重要案件として捉えている」
神妙に言う学の後ろにいるエマも無表情だ。ナハトは思わず聞き返した。
「本気?」
「何がだ?」
「いや、なんでもない」
「<SE-X>に関する情報を提供してもらおう。我々の利害は一致している。<SE-X>の鹵獲。それが無理なら無力化、破壊だ」
「敵の武装……未知の技術を利用していることだけはわかっている……」
「不可視のマイクロマシンですね」
「不可視……だけじゃない。通信妨害、そして遠隔力場。これらを組み合わせると出来上がる化け物は、個にして郡を圧倒する戦闘機だ。個を超える個でないと太刀打ちできない、そんな異次元の戦争が始まってしまうだろう」
「それは……オルガ・ブラウンとしてのコメントか? それとも」
「オルガ・ブラウンだよ……俺は天才じゃない。この推測は俺自身が納得できる内容だ。オルガ・ブラウンはこの技術を予想していたのかもしれない」
──俺自身、まだオルガ・ブラウンの全てを受け継げたわけじゃない。後継者という表現は、咄嗟についた嘘とは言え、現状をまあまあ正しく表しているのかもな。
「待ってください」とエマは切り出した。
「遠隔力場なんてものは可能なのですか? 荒唐無稽に思えてならない……。念じればその通りになる力なんて科学の限界を超えています」
「その突っ込みは尤もだ」
ナハトはオルガの知識を完璧に受け継いだ訳ではない。オルガなら完璧な答えを用意できるだろうが、今のナハトには想像することしかできない。
例えば、磁力を用いたマイクロマシンそのものの物理的衝突。あるいは、別の無人機を不可視として、斥力が発生しているように見せかけているか。
いずれにしても相当な技術課題をクリアしなければ実現不可能な案に思えてならない。ナハトにそのアイデアは未だない。
「しかし、あの力は無敵ではない。不意打ちは効くし、熱に弱い」
「君と梶原ヘレナが<SE-X>と戦えた実績は評価している」と学は言った。
ナハトは目を丸くした。
「いやいや、あんたがそれを言うのか? 六分儀大佐なら一対一でもあの怪物を殺しきれるはずだろう。現に敵を撤退まで追い込んだ」
「それは相手の思うつぼだ」
「まあ……確かに」ナハトは唸った。嘘を付けないと言いつつ、あながちバカでもないようだ。
「どういう意味です? 思うつぼとは……」エマはナハトに解説を仰いだ。
「敵の技術力は俺達の……いや、地球上のどの組織より進んでいることは明白だ。そして、技術には意図があって、やつらは<個が強ければ勝てる戦争>をデザインしようとしている。つまり、そのノリに合わせてしまえば、つまり──個と個をぶつける戦争にこちらも乗ってしまえば、それこそ敵の思惑どおりだ」
「要するに、組織の力を生かして勝たなければ意味がないと?」
「ああ、地球が物量で月に勝っているなら、個をぶつける戦いは望むべきじゃないだろう。それこそ敵のやり方に呑まれている」
「では、どうすればいいのですか?」
ナハトはため息をひとつ。天井を見上げた。
「それをこれから考える」
◆
国連宙軍ロサンゼルス基地における紀村ナハトの立ち位置は、無難なところに落ち着いた。
先の事件の重要参考人という肩書きはそのままに、容疑者から技術アドバイザーという役割に変わったのだと、ナハトは理解した。もちろん客人のような扱いから程遠いのは変わらず、監視の目は常にある。
それでも、六分儀学の権限は存外に強く、独房と取り調べ室から行動範囲は増えた。
ただ、それらの扱いは暫定的なものらしい。
曰く、「二日後に報告会議として、紀村ナハトの処遇を正式に決定するブリーフィングが行われる。俺より位の高い将校たちに説明する準備をしておけ」とのことだ。
ナハトはそれまでにこの基地でできる技術開発の算段を立てなければならない。
そして、現在。ナハトはロサンゼルス基地の戦闘機ラボにいた。
「こちらは我々が開発した新規操縦席ユニットです。現行のものより拡張性が優れ、データリンクに対する応答も良好になっています」
説明をするエンジニアは小柄な若い男、福原という日本人だ。
「ふうん」ナハトはつまらなそうに多くのコードに繋がれた球体を見上げた。
直径二メートル弱の球体は端子が集積された戸口以外に隙間はない。二人の前に白く堅牢な構造物が鎮座している。
戦闘機の操縦席ユニットならナハトの分野でもある。良し悪しは十分に判断できる。ナハトから言ってみればそれは──。
「これ、あなたが考えたのか?」
「どういう意味ですか?」
「君の上司がどんな人が知らないけど、明らかに<拡張性>とか<接続性>に振ったものじゃない。そう説明するよう言われたのか?」
「まあ、それがチームの総意ですから」
「でも作ったのはあなただ」
「…………」
「これ、対衝撃性を改善したんだろう? 形からそう見えるよ」
ナハトは感心したように言った。技術者特有の空気が二人の間で漂っている。
「人の少しでも生き残れるように、頑丈な操縦席を作ろうとしたんだろう? あなたにとってはそれが一番の関心事だ」
「紀村ナハト……と言いましたか?」
ナハトは何も言わずに頷いた。
「君と仕事ができるのを楽しみにしているよ」福原はそう言って、踵を返した。
仕事に戻るのだろう。その背中にハリエットの幻覚を見たのは気のせいでしかない。
──こういう人種はどこにでもいるんだな。
ハリエットほど強い人間ではなさそうだが、根本は同じ。尊い目的が先行している人間。
今のナハトには不思議と彼に対する劣等感を覚えずにいた。
その、自分に起きた小さな変化が少し誇らしかった。
「それはきっと恋の力だね」
突然、背後から声がした。
ナハトは振り向くとそこには見知らぬスーツ姿の男が立っていた。
「誰だ」オルガ先生がいたころは誰かが近づいてきたら、事前に知ることができたが、今のナハトにはそれができない。
「やあ、紀村ナハト君。ぼくはマイク。──マイク・ドノヴァンだ」
「ああ、ヒューマテクニカの……」
マイク・ドノヴァンは例の事件について、ナハト同様重要参考人として基地まで移送されていたらしい。ヒューマテクニカ社の社長側近という立場であるマイクは、今はなきエグバードの代わりとして連行された意味合いがあるのだろう。
名前だけは知っている。佇まいは初めて見た。
「お目にかかれて光栄だ。ぼくらは、君と──」
マイクはラボの入り口を見やった。こことは違う建物、衛生室を意識して続けた。そこに眠る人物。
「……梶原ヘレナのおかげで生き延びることができた。感謝するよ」
「別に大勢を助けようと思って行動したわけじゃない。俺はもっと利己的だ」
「謙遜かい? らしくもない。もっと不遜な少年と聞いていたのだが」
「不遜だから利己的なんだよ」
「それは失礼。ともかく会えて嬉しいよ」
握手を求めてきたマイク。扉の近くにいる兵士は黙ってこちらを見ている。
不審な行動は控えたほうがいい。ナハトは握手を返さなかった。
「どうして歩き回れている? 独房にいなくていいのか?」
「君と同じさ。ぼくもある程度の自由は許された」
ナハトと同じ。それはつまり、軍に「なにか」を差し出した見返りとして自由を得ていることに他ならない。ナハトの場合は<SE-X>を倒すための技術協力。この男の場合は──。
「ヒューマテクニカの内部情報さ。遺憾ながら、今回の事件の主犯はわが社の社員だった。アルバ・ニコライ、他にも彼の協力者がいなかったか、当然ながら軍は捜査したいだろうね」
「あんたはそれでいいのか?」
「ヒューマテクニカへの忠誠心について気にしているのなら、それでいいと答えるね」
マイクは笑った。中年男性が放つ清濁合わせた物言いには少なからず説得力があった。
「大事なことは、──誰かの助けになるかそれだけだよ」
──ああ、こいつもか。
ナハトは最近この手の人種によく出会う。生きる目的に疑いがない人間だ。
嫌悪感こそ薄れたが、直視するにはまだ抵抗のある信念。
「なにか難しいことを考えているって顔だね。例えば、好きな娘ができたとか」
「このタイミングでなに言ってるんだよ、おっさん」
「おや、噂通りの態度になってきた。心を開いてくれたと思っていいのかな」
「俺は帰るぞ」ナハトはラボの扉へ歩いた。自動ドアが開く距離まで近づいたとき、マイクは言った。
「梶原ヘレナ」
──!
「彼女が好きなんだろう? 守ってやりなさい。きっといいパートナーになれる」
「余計なお世話だ」とナハトは頬をかいた。
「悪いが性分でね。困っている人を見過ごせないんだ、おじさん。人助けは趣味なんだ」
「ふん」
ナハトは見張りの兵士を背に戦闘機ラボを後にした。
◆
幸せになる、そのために生きると誓ったあと、次のステップは幸せとはなにか定義することだ。
これまではただ生きることだけを願ってきた。確かにそれは至上命題ではあるが、同時に前提でもある。
生きる以上はなにかに取り組まなければならない。
ただ飯を食らい糞を垂らすだけの生に価値はないと、今のナハトならそう思える。
先生なき現在、取り組むべきなにかを選ぶのはナハト自身だ。
幸せの定義に未だ明確な答えはない。それだも小さなヒントは既に得ていた。
「ヘレナ……」
呟いたナハトの目の前には当の人物がベッドに寝ていた。目を閉じて、すうすうと寝息を立てている。
ヘレナが目覚めるのを待つ身としては、彼女が起きるまでに答えを見つけなければならない。
ナハトはヘレナをどうしたいのだろうか。幸せになるためにはきっと、梶原ヘレナが必要で──。
これからも一緒にいられたら良いな、と安らかな眠りにつくヘレナを見て、思う。
『君は幸せになるために生まれたきた』
その言葉があったから、あの時あの場で人心核アダムは立ち上がることができた。それだけは確かな事実だから。
「そうか」
生まれて初めの感情にナハトは自分でも驚いた。
とても自然に、抵抗なく次の言葉が出たのだ。
「俺はこいつが好きなのか……」
思惑渦巻く武力の園で、少年は小さな恋を自覚した。




