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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
二. 愛と絆のハワード・フィッシャー
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アイ・ラブ・ユーにうってつけの日

 戦場で受けた傷は、身体よりも心に残る。強烈な衝撃は、時に精神に亀裂を入れる。


 あの時確かに我が身は地獄の業火に焼かれていたことをものの一週間で忘れることなどできないだろう。


 生存を脅かす緊急事態を経験して、ナハトの心は一つの指針を見つけていた。幸せになることを夢見た時、彼の考えはくるりと翻った。


 彼が今、正気を保てているのはそのおかげ。苦しみも悲しみも踏破できる精神は、以前のナハトにはなかったものだ。


「だから、なあ。起きろよ」


 人間性を拒むような白さで部屋の照明は、ナハトとベッドに横たわる人物を照らしていた。


 眠る彼女の顔はやけに嬉しそうだった。気のせいかもしれない。ただ、ナハトにはそう見えた。


 静かな寝息と、彼女へ管を伸ばす医療機器の動作音。部屋の静寂は規則的で眠気を誘うようだ。受けた傷の重さと優しさが同居する奇妙な空間で、ナハトは──。


 ベッドで眠る梶原ヘレナを見つめることしかできない。


 一週間前に起きた人体模倣研究所を襲ったテロ。それを迎え打つ形で戦ったナハトとヘレナ。


 そこでストーリーが終わっていれば勇気の物語として幕を引けたことだろう。


 しかし人生は続く。人にも、道具にも、平等に時間は流れていた。


 あれから、ナハトとヘレナは六分儀学に連行される形で、国連宙軍ロサンゼルス基地に軟禁されていた。


 ただ、ナハトは捕らえられたと言えるが、ヘレナは些か事情が違った。


 彼女は深い眠りについていた。先の戦いで起こした同調率の急上昇が原因とされていた。ナハトも概ねそれで間違いないと判断している。


 もちろん、人心核アダムたるナハトはそれを予測できた。


 ヘレナに負担がかかることは明らかな作戦。けれど、生存を果たした現状は、少しの犠牲も払わずにたどり着ける未来ではない。それほヘレナも承知していたはずだった。


 かつて、オルガ・ブラウンを模倣した人心核アダムがヒューマテクニカ社の経営者でいた頃、同調率の上昇と人体への負担を調査していたはナハトも知ってる。アダムに積み重ねられた記録をナハトは閲覧した。


 その結果、ハービィという戦闘機が産み出されたという背景もある。


 ともかく、ヒューマテクニカの研究から察するにヘレナはあと数日で意識を取り戻すだろう。それがナハトの見解だ。


 ならば悲壮感に浸る必要もない。


 ナハトがヘレナを急かす理由は別にあった。


「早く起きてくれ」


──時間がない。


 すると、部屋に軍人が二人入ってきた。


「面会終了時間だ、出ろ。紀村ナハト」


 ナハトは抵抗することなく椅子から立ち上がり、ヘレナの顔を刹那的に眺めて、部屋を出た。


 

        ◆



 国連宙軍ロサンゼルス基地。合衆国西海岸から太平洋の治安を担う地球の警察の一部。近年の海上治安維持、すなわち軌道エレベーターへのテロを対策して同所にあった国連海軍と並列する形で存在している。まさしく巨大戦力が集まる中心と言える。


 その一区画にある頑強なコンクリート建屋にナハトはいた。おそらく捕虜を置いておく部屋のひとつだろう。小さなベッドとカーテンで仕切られたトイレ、小さな机だけがある殺伐とした一室。


「このホテルにも飽きてきたな」


 いくら人心核アダムと言えども完全にオフラインの環境では強みを発揮できない。退屈な時間はこれから起きる面倒の予兆にも思えた。


 事態は決して楽観視できない。


 人心核イヴはヘレナを狙っていることは確かだ。あの時の戦闘でヘレナを一方的に殺さなかったことがなによりの証拠だ。敵にとってヘレナは、梶原奈義の戦闘データとは別の──予想外に見つけてしまった、もうひとつの目的だったのかもしれない。


 あれだけの凶行を迷いなくやってのけた敵は、国連や明龍といった武装勢力を恐れていないとも取れる。ヘレナを奪う計画は今も練られているはずだ。


「あいつ、月面防衛戦線だったんだな」


 月の出身ということは知っていた。テロリストの父親がいることを話していた。けれど、本人が戦士だったのは驚いた。


 かといってヘレナが今も月面防衛戦線と繋がっているわけではない。だからイヴがヘレナを狙っている。


「まあ、そんなところか」


 ここまでが、一週間前に起きた人体模倣研究所の惨劇。


 ナハトはこれからのことを考えなくてはならない。


「そろそろかな」


 呟くと、牢扉のランプが光った。来客を表す知らせだ。ナハトはそれが誰かも予想が付いていた。


「紀村ナハト。俺だ」


 六分儀学の声だ。 



        ◆


 

 3人程度の兵士が付いながら、学とナハトは別室へ移動した。通された部屋は小さな机とそれを挟む向かい合わせのパイプ椅子。暗い部屋は取調室のようであることはきっと気まぐれではないだろう。


 六分儀学と紀村ナハトは正面から向かい合う。ナハトは後頭部に常にレーザーサイトが照射されていることに気が付いていた。いつでも始末できるというメッセージは部屋中に充満しているようだった。


「で、話というのは?」


 ナハトは自身の爪を見ながら言った。不遜な態度を咎めるでもない学は、らしくない前置きを述べた。


「悪いな。もっと早く君と話せていたら良かったのだが、報告書という形で俺自身も取り調べを受けていた」


「そうかい、それは気の毒だったな」


 決して穏やかではない雰囲気のまま、学は切り出した。


「単刀直入に聞く。お前はオルガ・ブラウンの何なんだ」


「……それは」


 言葉に詰まるというより、言葉を選ぶ。情報だけを武器にするナハトにとってはこの場面はまさに生き死にが懸っていた。


 ナハトは一週間前の戦いで、学から助けを乞うとき「オルガ・ブラウンの生まれ変わり」だと自身を形容した。それは実際のところ間違いではないのだが、ナハトの直感によるところが大きい。人心核アダムの深奥で垣間見たオルガの記憶の一部をどう説明したものか。


 さらに言うと、「オルガ・ブラウンの定義」すら複雑な背景がある。


──一口にオルガ、ブラウンと言っても、少なくともそう呼ぶべき存在は三人いる。


 生前の人間、オルガ・ブラウン。


 人心核アダムを取り込んだ怪物、オルガ・ブラウン。


 そして番外として、ナハトが生み出した幻影、オルガ先生


 どちらの生まれ変わりか、と聞かれたらナハトも正直なところは判断がついていない。人心核が生み出す人格の回廊に迷い込んだナハト。


 彼がそれでも見つけた選択肢は──。


「俺は……オルガ・ブラウンの意志を受け継ぐ人間だ」


「意志を受け継ぐというのは、どういう意味だ」


「オルガ・ブラウンは15年前、貴方に会ったと聞いている。あの時はおそらく……」


 ナハトは絡み合った過去の問題を振り返り、オルガと自分の境界をおぼろげにした。その言葉はもしかしたら懺悔のように聞こえたかもしれないし、対岸の火事を無関心に表現する開き直りにように聞こえたかもしれない。


「申し訳ないと思っている」


「それで……? 意志とは」


 学の表情からは読み取れない。彼は言葉をそのまま捉える。含みや裏の意味を察することはしない真っ直ぐな瞳。


「オルガの敵は月面防衛戦線だ。15年前の人体模倣研究所で起きた事件も、オルガにとっては月面防衛戦線を倒すためだった」


「早く結論を言え。俺は察しが悪い」


「……一週間前に起きたテロは、間違いなく月面防衛戦線によるものだ。俺は、オルガの意志を継いで、奴らを倒すために生きている」


「そういう意味か」


 ナハトが話したことのほとんどが嘘だ。

 

 第一に、ナハトはオルガの目的を知らない。なぜ人心核なるものを作ったのか、なぜ15年前に梶原奈義を覚醒させたのか、そこに一貫性はあるのか。人心核アダムに蓄積された記憶から読み取ったのは、生前のオルガが人心核を生み出したことと、怪物オルガが生まれて梶原奈義に殺されるまでの記録のみだ。


 それより、詳しい記憶にアクセスするには<マザー>をどうにかする必要がある。


 だから、これはナハトができる最大限のハッタリである。月面防衛戦線に恨みはあるが、深追いはしたくない。求めるのは平穏だ。


 なにより、ナハトが「ために生きている」などと言ってしまったことが、現状をなによりも皮肉に表現していた。


 大切なことは人心核の所有を隠すこと。そしてナハトの真の目的を悟られないこと。


「俺は、オルガ・ブラウンから直々に技術を教わっている。そしてまだ存命の未知の敵機を撃墜する手助けができる」


「そう売り込んでいるつもりか。俺が、オルガ・ブラウンを許さないとは思わないのか?」


「貴方は……そういう人なのか?」


 ナハトは記憶に残る六分儀少年を回想した。


 学はため息を一つ。


「どうも、こういうのは苦手だ。探り合い、騙し合いにつかう頭は持っていない。これでも昔よりは本音を出さずに話せるようになったが……」


 学は笑った。紆余曲折な思考を辿って話すナハトとは反対に、学は潔さがあった。


「オルガから聞いているよ。あんたは嘘をつけない人だって」


「喜んでおこう」


 学は囚われることく、恨むことなく、話した。



        ◆



 ナハトは軍に対する協力者としての価値を示さなければならない。


「俺の目的は、あの未知の戦闘機を鹵獲して、国連宙軍に渡すことだ」


 未知の戦闘機とは、人心核イヴが駆る赤い機体のこと。月面防衛戦線が有する戦闘機のハイエンド。現代技術を大きく突き放した怪物。


 ナハトの発言はもちろん虚偽だが、あながち本来の目的からズレたものでもない。


 現状では、ナハトは国連軍のネットワークに侵入した罪があるが、それは同時に実績でもある。自分ならこの戦いに協力できるという提案を無視できるほど、国連宙軍に余裕はない。


 問題があるとすれば──。


「なるほど。ただし、俺一人で決められることではない。上と掛け合ってみよう」


 そう言う学が背を向けるドアから、人物が入ってきた。


「それはやめたほうがいいです」若い女性士官だ。ヘレナと同じくらいだろうか。


「シェルベリ軍曹」


 学は振り向いた。


「お話し中、失礼しました」彼女は模範的な敬礼をしてみせた。そしてナハトを一瞥して、再び続けた。


「この男、紀村ナハトの処遇についてですが、六分儀大佐より上に持ち上げるのは危険です」


「それはどういう意味だ」


 学は淡々と聞いた。


「私の父や叔父は軍の重要ポストについておりますが、彼らはヒューマテクニカと繋がっています」


「軍曹……」


 ナハトは部屋の当たりを見渡した。


「ご心配なく。録音は切ってあります」


「国連宙軍とヒューマテクニカ社は強力な連携をとっています。そして一週間前のテロはこうも考えられます。ヒューマテクニカ社が人体模倣研究所を買収してから起きた、と」


「紀村ナハトによると、アルバ・ニコライという人物が主犯らしいな」


 ナハトは、学にだけは事件で見た多くのことを話していた。こと学相手には不必要な嘘はつかないほうがいいと思ったからだ。お互いがお互いを利用するような関係が理想的だ。


「そうだ……。奴はまだ生きている」


 ナハトはすでに欠けている右耳を触りながら言った。


 学に対して隠していることは二つ、人心核の存在ともう一つ──現状のナハトの目的だ。


 ここでアルバ・ニコライへの憎しみを装うことは、月面防衛戦線を倒すモチベーションとしてとらえられる。と言っても、半分は本気でアルバを恨んでいるのだけれど。


「それも調査しています」


──エマ・シェルベリ軍曹か。味方にするには面倒くさい人間だな。


 学はともかく、エマ・シェルベリからナハトの目的を見抜かれたら、それこそ事態の収拾はつかなくなる。


 ナハトは──。


 


 今は眠る梶原ヘレナを連れて、国連宙軍も月面防衛戦線もいないどこかへ逃げようとしているのだ。




「さあ、これからの話をしよう」


 ナハトは切り出した。


 


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