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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
一. 紀村ナハトの生存戦略
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彼と彼女の生存戦略

 人心核には基本プログラムという、存在における絶対指針がある。本来であれば、「どのように生きるか」「どのように存在するか」に対する答えは自ら選び取るものだが、人心核は予めそれが決まっていた。


 基本プログラムは、人心核に蓄えられた人格の中から選ばれた〈主人格〉の性質を反映する。


 オルガ・ブラウンを〈主人格〉としていた時代では「オルガ・ブラウンの模倣」。


 紀村ナハトを〈主人格〉としていた今代では「生存」、となる。


 では、敵対する人心核、イヴの基本プログラムは何か。


 彼女はそれを恥じることなく高らかに歌い上げる。


「私は強くなりたい! 誰にも負けない人類未到達の力が欲しい!」


 そこで次の疑問が生じる。その基本プログラムは「イヴの中にいる誰のもの」なのかである。


 イヴの内側で強くなりたいと絶叫しているのは一体誰か。


 人心核イヴを所有するハワードの工夫はそこにあった。イヴの内部には99人のハワードが月面で育てた少年少女が押し込まれている。ハワードはイヴを埋め込むために100人の子供たちを育成した。ハワード自らが教育した彼らは、「絆の戦士たち」と呼ばれた。


──自分は他の99人のためにある。他の99人は自分のためにある。同じ気持ちを共有する、他者を思う共同体。他の者を助けるための道具であると自らを戒めた絆の究極系。


 ハワードの教育の元、イヴは〈主人格〉は一人という原則を打ち破り、99人を並列することに成功した。


 99人分の強者への羨望という紅炎うねる精神世界。それこそ、その渇望は常人の99倍の強度を持っていた。


 しかし、イヴは強さを求め続ける。まだ足りない。まだ強くなれると信じて、信じて、信じていた。


 そして現在イヴの中には100人いる「絆の戦士たち」の内、99人が最後の一人を吸収すべく、探し求めている。


 その一人が、最後の一ピース。最強に至るための一かけらだ。



        ◆



 格納庫<病院>の側にある第33研究棟から、致命的な火炎が迸るのをナハトとヘレナな見ていた。大きな破裂音が建屋こど揺さぶり、漂う空気は煙の味がした。

 

 おそらくではあるが、人質に取られた所員たちの反撃だろう。テロリストごと巻き込んだ火柱は、彼らの捨て身の抗戦を表していた。自らの反撃で所員の何人かも巻き添えを食らっているはずだ。それほどの規模だと予想される。


 燃える研究所は、日常が不可逆に奪われたことを存在そのもので示しているようだった。もう、終わってしまった、変わってしまった。そう呟くに十分な風景だ。


「俺はオルガ・ブラウンの生まれ変わりだ」


 ナハトの言葉は眼前に広がる絶望に対する怒りに満ちていた。すなわち、それは敗北とは程遠い意志の力が宿っている。


──マザーだと? 人心核のシステムそのものだと? 基本プログラム、なんだそれは。在り方を決められた魂?


「ふざけるな! 俺の生き方は俺が決める! 人間じゃなかろうと、誰かが勝手に決めたルールが脳みそにあろうと、俺のことは俺が決める。オルガ・ブラウンの生きた跡が俺に続いている」


 傲慢な独り言。それは失意に膝を折る人間には絶対に出せない遠吠えだ。紀村ナハトは、負けず嫌いで、プライドが高く、人の気持ちがわからない。だから、それでいい。


「文句があるのか、この野郎」


──やっと得られた「答え」なんだ。手放してたまるか。


 ナハトは憤怒と共に胸を張った。もうすでにいないはずの右耳の悪魔が不適に笑った気がした。


 大気に混ざる熱量。憤怒がナハトの血液を加速させる。


 怒りは絶望に対する応答だ。抗う意志の表明だ。


 敵は遥か上空、おそらく世界最強の機体を操る怪物だ。


「ナハト、私たち勝てるかな」ヘレナはひきつった笑顔で聞いた。


「発破かけといて、お前が弱気になるなよな」呆れるようにナハトは答えた。


 二人のやり取りには出会った時のタクシー車内のような軽快さがあった。しかしそれは、時間の巻き戻しを意味しない。


「機械化歩兵を何人倒しても、空にいるあいつを墜とさないと勝ち目はない」


「そうね。策はあるの?」


 ヘレナの瞳は真っ直ぐナハトを見つめた。ヘレナはナハトに期待する。その視線は、ナハトを道具だと思っている者には向けられないそれだ。


「正直逃げる手もある。独りで生き延びるだけなら、なんとかなるだろう」


「逃げるの!? あれだけ私がナハトを感動的に説得したのに!」


「そういうこと自分で言うのかよ」ナハトはため息を一つ、言葉を続けた。


「俺の目的はこの場から生き延びることだ。逃げるのはその手段の一つ」


 格納庫に刃のように差し込む光は、一機の壊れた戦闘機を照らしていた。飛行ユニットが破損した〈ターミガン〉は無言で膝を折っている。


「そしてここからは最も生存の確率が高い選択肢を選ぶ、賭けになる」


 ナハトは自分の言葉とは裏腹に、これまで「賭け」というものをしたことがなかった。意識無意識に関わらず選んだ選択はすべて正しかったからだ。オルガ先生という超頭脳がいたからこそ、成功率100%の決断をしてきた。そして、ここからはナハトは自分の力で可能性を手繰り寄せなければならない。


「どうするの?」


「ヘレナ……、お前、あいつに勝てるか?」


 遥か上空に浮かぶ、見えない敵影。研究所を支配する絶望の象徴。


「参ったなあ。知ってると思うけど、私、そんなに強くないよ?」ヘレナは自虐的に言う反面、笑っていた。


 信頼の証というにはまだ未熟な、それでもナハトの能力に賭ける勝ち気な笑みだ。あれだけナハトに発破をかけたのはヘレナ自身だ。今、人心核アダムを信じなければ、いつ信じるというのか。そして、ヘレナは人を真似る道具を信じることだけは得意だ。なにせ、これまでそれだけを心に言い聞かせてきたのだから。


「ふんっ」と。


 ナハトは遠い誰かに似た表情で、その逆境を鼻で笑った。


「考えがある」



        ◆



「私の戦闘データ?」


「そうだ。それを『見て』から判断する」ナハトは格納庫の端にある制御盤を指差した。


「判断するってなにを?」


「お前が、あの空にいる怪物に勝てるかどうか、だ」


「それは……」ヘレナは苦笑いのまま暢気に頬を掻いた。


 ヘレナの戦績は軍人として誉められたものではない。


「制御盤から研究所のサーバへアクセスする。モーガンとの戦闘のとき、お前の力がどれほどだったのか。脳活動の動態から分析するんだ」


 ナハトは制御盤まで前まで歩き、起動スイッチを入れた。


 モニターには文字列がところ狭しを写り、ナハトはタッチパネルを操作する。


 ナハトが動かす機械の画面を凝視するヘレナはその動きが尋常でないことが分かった。


────IDもパスワードも暗号も全部、「始めからなかった」みたいにアクセスしていく!


 人体模倣研究所のあらゆる演習データは一介の戦闘機技師には閲覧できないものばかりだ。さらにそれは近々のヒューマテクニカ社のセキュリティシステムの導入に伴い、その堅牢さを増しているはずだった。


 ナハトは手足のように制御盤を動かしているが、どこか不満の様で、舌打ちをついた。


「遅い。あまりに遅い」


「なにが?」


「目で見て、指で操作するのが、だ! なにかもっといいやり方があるはずだ」


 ナハトは数瞬思案した後に。


「ヘレナ、格納庫にあるNM変換ユニットを持ってきてくれ!

お前が乗っていた<ターミガン>の操縦席にあるはずだ。ヘッドセットごと頼む!」


「え? はい!」


 ヘレナは戦闘機まで走って、大急ぎで操縦席に登った。そこから、ヘッドセットとそれに繋がっている「箱」ごと抜き取り、ナハトの元に戻った。


「NM変換ユニットってなに?」


 ナハトはヘッドセットを頭に被り、「箱」と制御盤を端子で繋いだ。


「人間の脳信号を機械がわかる言葉に変換する部品だとでも思っておけ。戦闘機と戦士の同調率をこいつで測ってる」


「なるほど?」


「俺の人心核そのものでサーバにアクセスする。俺は、多分こっちのほうが合ってる」


 ナハトはそして、目を閉じた。



        ◆



 その瞬間、有史以来、ナハトは電脳空間に飛び込んだ二人目の人間となった。もちろん、人心核を人間と定義できればの話であるが──。


 ありとあらゆる暗号を瞬時に解析し、ナハトの頭に駆け抜ける情報の波は、瞬時に咀嚼、分解され、ナハトの地肉になる。食べるように、手をまさぐるように、なめ回すように、記号に刻まれた意味を取り込んでいった。あらゆるセキュリティも妨害も、彼を遮る力を持たない。オルガ・ブラウンがそうだったように、ナハトはこれまで人類が編み出してきた情報技術を退屈そうに制覇していく。


 その感覚は、人間の魂そのものが一つのソフトウェアとして機能しているかのように拡張されている。


 手の動かし方を稚児は習わない。声の出し方を教わらない。


 ただ、見て学ぶ。


 ナハトは電子の海の泳ぎ方を、「オルガ・ブラウンならきっとこうする」という直感から知ったのだ。


 そして、ナハトはヘレナの戦闘データに行き着いた。


「これがあいつの戦い方か」


 モーガン・ゴールドスタインとの戦いで見せた技能の全て、感覚、梶原ヘレナのできること、できないこと、そして。


「これからできるようになること」


 ナハトは一つの確信を持った。自然と頬が緩んだ。これが自分の戦い方だとすとんと腑に落ちた。


 戦士が戦闘機を動かすように、オルガ・ブラウンは情報を操る。ナハトはオルガの全てを知れたわけではなかったが、それでも、超人が見ていた世界の輪郭は掴めたのだ。


 梶原ヘレナの戦闘データを入手したナハトは、今起きているテロの様相を知るため、更なる深部へと潜っていった。


 その過程で、梶原奈義の戦闘データも目にした。そして六分儀学という、梶原奈義に戦いを挑んだ少年のことも知った。


 さらに、オルガ・ブラウンがかつて人体模倣研究所に訪れていたことも──。


 当時のオルガは人心核を使って、ルイス・キャルヴィンという職員のIDを奪ったようだった。


「ああ、やっぱり。オルガ先生も今の俺と同じやり方をしてたんだ」


 外部からIDを奪うなんていう犯罪行為は人心核がなければできない神業だ。その手法もやはり、今ナハトが行っている「接続」に他ならない。だからナハトは、オルガ・ブラウンに続く二人目の電脳空間への訪問者なのだ。


 そして、ナハトは研究所全体の通信履歴にまでアクセスした。ナハトは、今から数分前の内容を理解して──。


「喜べ、ヘレナ。俺たちは勝てるよ。楽勝だ」


 少年は仮想空間に浮かびながら、涙が止まらなかった。


 情報しかない偽物の世界で涙などとは不可思議な表現である。けれど、そう言うしかない機微が確かに存在する。ナハトは機械に接続できるとは言え、「人間」なのだから。


 泣きたいときに泣ける自由がある。幸せを目指す夢がある。


 道具にはできない魂の叫びだ。生存のその先へ至る戦略だ。


「この戦いで──、俺はもう逃げなくていいんだ。もう、戦う前から負けなくていい。立ち向かっていいんだ」


 目的のなかった彼の人生は、不戦敗の連続だった。戦うことを選べなかった。オルガ先生の影に隠れて傲慢な態度をとる少年は、なにより戦うことを恐れていた。


 そして、今。自ら掴み取れる眼前の勝利に──人心核は涙したのだ。



        ◆



「ナハト! ナハト!」


 心配そうにナハトを揺さぶるヘレナ。目を覚ますとナハトの頬は液体で濡れていた。


「どうして泣いてるの?」


「なんでもないさ」


 答えは得た。必勝の前提は既に揃っている。


「結論から言うと、この戦いは勝てる。逃げるのはやめだ」


 ヘレナはその言葉を待っていた。ずっと待っていた。もしかしたら紀村ナハトに出会ったときから待っていたかもしれない。今湧き出る気持ちを、勇気と名付けようと思った。


 偶然のような必然の果てに、遠回りのような近道を経て、ナハトに全てを任せる覚悟が決まった。


「で、どうすればいいの?」


「まず、操縦補助機構を切れ。全てお前だけの力で操縦しろ」


「どうして?」


「お前の場合、アシストシステムとの不和が目立つ。お前のしたい動きにソフトウェアがついていってない」


「だったら、ナハトが今この場でシステムを調律できないの?」


 ヘレナは、ナハトが見せた先の技術を思い出して言った。電脳空間への訪問なら、アシストシステムを変えることができるとヘレナは考えたのだ。


「システムを調律すること自体はできる」


「だったら」


「それでも、お前の目指す動きは再現できない。正確に言うと、お前のはソフトウェアではできない動きをやろうとしてるんだ」


「そんなこと……」


「お前は誰から戦闘機操縦を教わった?」


「ハワードと……」


「もう一人いたはずだ」


「…………母さん!」


「そう、梶原奈義だ。俺は梶原奈義の動きを解析した。かつて、その梶原奈義の超絶技巧は人体模倣研究所で模倣されようとした。ソフトウェアによって梶原奈義を真似る試みだ。しかし、それは絶対に不可能だとオルガ・ブラウンは結論付けた」


「……」ヘレナは合点がいった様だった。


「つまり、お前は梶原奈義の動きに近づこうとしているのにも関わらず、梶原奈義には不要だったアシストシステムを今まで使っていたことになる」


 ヘレナは振り返り、巨人を見つめた。膝をつく戦闘機<ターミガン>が彼女を見下ろす。自分が何ができるのか、ヘレナはまだわからない。それでもこの無機物に魂を吹き込めるのなら──。


「やれるか?」


 ナハトの問いに、ヘレナは答えねばならない。


 梶原ヘレナは、笑った。




「ナハトが言うなら、きっとやれる!」

 


 少年と少女は生きるために戦うことを選んだ。

 

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