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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
一. 紀村ナハトの生存戦略
30/134

いつか夢見る人心核

 強烈な目的を持って生きる人々がいる。


 何かのために、誰かのために、引けない願いを叶えるために。


 それは結構、どうぞそのままでいてくれればいい。けれど、その推進力を他人にまで要求する行為には反吐が出る。


 自分の生きる理由はこれだと瞬き一つなく真っ直ぐ言える人種は、意外にもこの宇宙に大勢いるらしい。生きている熱量をそのまま一つのことへぶつける特攻野郎。大願の前には自分の命さえもかなぐり捨てる覚悟の亡者。


 はっきり言って、理解を超えている。付き合いきれない。


──そう思っていたのに、この身を責める病毒はなんなのか。


『ナハトそっちは駄目だ! 戻りなさい!』


「先生!!! 俺は! 俺はぁぁああ!!!」


 先生の声すら聞こえず、ナハトは劣等感を引き連れて訳も分からず走っていた。


        ◆


「よう、だらしのない顔してんな、なにかあったか?」


 ナハトの眼の前に、怨敵がいた。研究所の廊下で機械化歩兵を連れて立っている同年代の若者。アルバ・ニコライがいた。


 ナハトはアルバの隣にいる殺人者を見て、状況を理解した。


「お前がテロを起こしたのか!」


「そうだ。見てわかるだろ」


「お前が……!! お前が……!!!」


「捕らえろ」


 アルバは短く機械化歩兵に命じた。すると瞬時にナハトの眼の前に奴が移動して、ナハトの首根っこを掴んだ。


「ぐぅ!」


「お前は前から気にくわなかったんだよ」アルバの声は冷たかった。


 薄暗い廊下は不吉な処刑場のようだった。罪人は紀村ナハト。罪状は──これまでの人生すべてだろうか。


「俺が憎いか?」


「……!」ナハトは締め上げられて声を出せない。けれど睨む瞳が雄弁に質問へ答えていた。


「俺は俺の目的があって行動している。正当化するつもりもない。何人死んでも構わない。だがな」


 アルバはアルバで、ナハトを醜悪な汚物を見る目で睨んだ。


「お前のように目的もなく、意味もなく、信念もなく、大切な誰かもいない人間が臭くて臭くて仕方がない。俺も仕事があるからお前に構っている時間は本来ないが……せっかくの機会だ」


「……っく!」


「俺の趣味で──お前を後悔させながら殺してやるよ」


「てめぇ……!」


 いくら凄んでみてもナハトに勝機はなかった。


「なあ、もっと喜べよ。どうせお前みたいな奴は生きていたって意味なんかないんだ。ここで死んだって誰も悲しまない」


 それは半分事実だった。紀村ナハトはただ「生きる」というその一点だけに集約してここまで過ごしてきたのだ。その願望には「どう生きるか」という内容がすっぽりと抜けていた。


 だから、彼には使命も、意味も、目的もない。


 ただ食らい、寝て、糞を垂らす肉の塊と言って差し支えなかった。人の気持ちがわからない出来損ないの魂はここで果てるべきだと、アルバは言っているのだ。


「ところで」とアルバ。


「先生って誰のことだ?」


「……!!」


「さっき、先生だなんだと言いながら走っていただろう? そいつは誰だって聞いてんだよ」


 アルバは宙づりになるナハトの腹部に蹴りを入れた。


「……っはぁ!」


 ナハトの口へ味わったことのない味の体液が流れ込んだ。酸っぱくて金属の味がした。


「大方お前へ指示を出している存在だろう。でなければ、ドウターズの包囲網を走って逃げきれるわけがない」


「てめえはどこまで……!」


「まだしゃべる元気があるならちょうどいい。先生ってのは誰だ?」


 ナハトはアルバに向かって唾を吐いた。鮮血の混じる液体がアルバの頭にかかった。


「いい度胸だ」

 

 とアルバは、手で歩兵に指示をした。


「こういう指示命令のためのデバイスは耳か、こめかみ、それか首に埋め込んであると相場が決まっている。ああ、あと眼球に投影する技術もあるか。なんでもいい。すべて切り開いて調べるだけだ」


「……!!」


「おい、気絶させるなよ。面白くないからな」


 ドウターズの大きな腕がナハトの右耳たぶを掴んだ。


「引きちぎれ」


 ぶちっ──と勢いよく引っ張られた。ナハトの頬に自分の血が多量にかかる。右の視界が赤くそまった。続いて押し寄せる激痛がナハトの意識を連れ去ろうとした。


 そして耳たぶが切り離される直前にした声を確かに覚えている。


『ナハト、ここでさようならだ』


 先生の声が、そこで途絶えた。簡単な道理だ。ナハトは最強の力を奪われようとしていた。


 いままで頼ってきた悪魔の力が引きはがされる。そして残るものなど──。


「念のため、端末も取り上げよう。バックアップがあるかもしれない」

 

 アルバはナハトの右ポケットをまさぐって端末を取り出した。脚で抵抗しようとしても首を絞められてうまくいかなかった。


「さあ、これでお前にはなにもない」とアルバは端末を足で踏みつぶした。バキっとおもちゃが壊れたような音がした。


 そう、紀村ナハトにはもうなにもない。これまでどれだけ先生に頼ってきたのか。信じてきたのか。


 オルガ先生の指示だけで生き延びてきた。弱い自分もからっぽの自分も、オルガ先生を持っているという驕りと依存で隠してきた弱い少年。


 ここで息絶える紀村ナハトという弱者は、小悪党は、人の気持ちがわからない不届き者は、もういない神に向かって祈った。


「先生っ! 先生!」


「紀村ナハト、哀れだな! もうなにもできない! 生きる目的のない虫けらはここで死ぬのがお似合いだ」


 アルバ・ニコライは銃をナハトの心臓へ向けた。


──終わった……。


 終わるべくして、ナハトの人生は終わる。この最後が、ナハトへのツケだというのなら、受け入れる以外に道はないのなら。


 生存を諦める選択しかないのなら──。





「ナハトぉおおおおお!!!!」



 

 廊下に響き渡る聞きなれた声がした。


 すると、黒い大筒を構える梶原ヘレナがいた。持っているものをよく見ると簡易電磁加速銃(レールガン)だった。


「なに!」とアルバ。「おい、俺を守れ!」


 ドウターズはナハトを手から離してアルバを抱きかかえる形になった。地に伏せるナハトは前を向くと、光を放つ大砲をこちらに向けている。


「ナハト! 耳と目をふさいで! しゃがんでて!」


 そして超高速の弾丸が射出された。轟音とプラズマ発光が周囲を一瞬包み込む。ナハトの頭上を熱源が過ぎ去る。状況を確認する暇もなく、アルバと機械化歩兵は吹き飛んで廊下の壁にぶつかっていた。


「くっそ! 梶原ヘレナか!」


 アルバは未だ健在のようだったが、巨体が覆いかぶさりすぐには動けない様子。


「ナハト走るよ! こっち!」


 梶原ヘレナは、紀村ナハトの手を握って廊下を走っていった。



        ◆



 ナハトはヘレナに手を引かれて〈病院〉まで走りついた。


 道中で機械化歩兵に遭遇したが、ヘレナの武装で打ち砕いてきた。


「はぁ……はぁ……」


 二人はここまで来るのに疲弊していた。特にナハトは先のアルバ・ニコライのせいで、体力を奪われすぎていた。耳の止血は済んだが、激痛が彼の集中力を奪った。


 そしてなにより、ナハトの拠り所であるオルガ先生が失ったことが、なによりナハトの気概を折った。


「なあ、ヘレナ」と虚ろな瞳でナハトは口を開いた。巨大な格納庫に二人だけ。声は否応なく空間に響き渡る。


「もう、お前の任務は終わりだ」


「なんで? なに諦めてるのよ」


「もともとお前は人心核〈アダム〉を探していたんだろう? それはもうない。敵に奪われた」


「どういう意味よ」


「俺は初めから持っていたんだよ。人心核を! 人心核とは超高度AIのことだ。梶原奈義の戦闘データなんかじゃない。だまして悪かったな」


 ナハトはもうすべてがどうでも良くなっていた。この戦場から逃げ出してどんな形でも生き延びたいという欲求は変わらない。けれど、先生いない今、それが叶う自信がなかった。それほどまでに、生身のナハトは小さく弱い少年だ。


「それは……間違いよ。オルガ先生のことも私は知っている。依頼主に調べて貰ったわ、君のこと」


「……お前は何を言っているんだ」


「いい、まず前提として人心核とは、人の脳みそに取って代わる人工の脳みそのこと。宿主から宿主へと移り変わるものなの。それはただのAIなんかじゃない」


 ヘレナは諭すように続けた。


「昔、15年前、オルガ・ブラウンという天才科学者は人心核を作り出した。そしてオルガ自身も人心核に寄生された。さらに、オルガ・ブラウンの肉体が死んだその時、人心核は新たな肉体を探していた」


「オルガ……先生のことか?」


「それは違うわ。あなたの先生とオルガ・ブラウンは別物よ」


 ヘレナはルイス・キャルヴィンから聞いた内容をそのまま話す。紀村ナハトの真実を──。


「オルガの死体を回収した奴らは、次の肉体を日本で探していた。そして先代の人格と同調できるよう子供の身体が選ばれた。長い時間をかけて人心核を身体の一部にする考えだったらしい」


「待ってくれ! 奴らって誰だよ!」


「それはまだ確かなことは言えない。でも人心核は新たな所有者の手に渡った。次の宿主が君よ。紀村ナハト」


「いや……そんなことがあるか。じゃあ先生は誰なんだ。俺の先生は……」


 ナハトはこの前に見た夢を思い出していた。診察台にあおむけになり、『埋め込み』を行われる不快な記憶。


「俺は確かに、日本で手術を受けた。でもそれは先生を埋め込むものだったんじゃないのか」


「違うわ。君は人心核を埋め込まれた。きっとその力を使うには自覚が必要なのね」


──では先ほど別れを告げたオルガ先生は誰だ。


 その問いに対してヘレナは言った。







「そんなの簡単よ。君が作り出したのよ、オルガ先生は。オルガ・ブラウンの頭脳を読み込んだ人心核アダムならそれくらいできる。天才科学者の頭脳を持っているのなら。


 オルガ先生は紀村ナハト、君から生まれてきた」


 


 


 ナハトは先生の言葉を思い出す。『私は君から生まれた』『私は初めから君の中にいた』


 結局その言葉の通りだった。


「でも、どうしてそんなこと。俺は自分がそんな……先生を生み出すような頭脳を持っていない。それに今持っている知識だって先生から貰ったものだ」


「これは、推論だけれど──」


 この推論はヘレナではなく、ルイス・キャルヴィンによるものだ。あくまでヘレナは報告された内容を話しているに過ぎない。けれど、ヘレナは目の前の虚ろな少年に火を灯したかった。


「きっと、君は君を守るためにオルガ先生を生み出した。君がオルガ・ブラウンの生まれ変わりだってバレないように。ナハトが人心核を使いこなせるほど成長するまでの時間を稼ぐために」


「バレたらどうなるんだ……」


「わからない。けど、明龍は来る決戦に人心核アダム、君が必要だって思っている!」


「……ふふ」


 ナハトはピンと来ていない様子だけれど、一つ確かなことを見つけたようで、笑った。


「あははははは」



        ◆

 

 

「通りでな。笑えてくるぜ。始めからそういうことだったのかよ」


「どうしたの、ナハト」


「俺が先生以上に頭がいいとか、そんなことはどうでもいい。ここで重要なのは」


 ナハトは反り返るように天井を見た。


「俺は……人間じゃねえってことだ!」


「……」


「人体模倣もここまで来たってことだよな! すげえよ。人間の脳みそまで作っちまうんだからな! だがよ、それは正真正銘の人間じゃねえ。そうだろ!?」


「それは……」


「これで俺はいろーんなことが理解できた。はは、踊らされたよな。今まで諦められなかった自分がばかみたいだ」


「ナハト……」


「俺は……!! 人の気持ちがわからないらしい! 当たり前だよな! だって人間じゃないんだから! はじめから決まっていた!」


 そう叫ぶナハトの瞳には涙がたまっていた。彼の心が死ぬまでの断末魔を聞いているような時間だった。


「人の心を持たないのに、人の気持ちがわかるわけがねえ。人間の成り損ないが、よくもいままでいっちょ前に人間面してきたもんだ! 母さんも、ハリエットも、アルバ・ニコライも! みんな至極真っ当なこと言っていたんだ! はははははは!」

 

 ナハトは狂ったように、泣き顔のまま笑った。


「滑稽だよな……。俺みたいなやつが、今まで自分のことを人間だと勘違いしていたなんて」


「ナハトはそれでどうするの?」


「生きてやるよ。人間じゃないまま、人の気持ちがわからないまま、目的も意味もないまま、生き抜いてやる!!」


「それが答えなのね」


 ヘレナはどうして自分が泣きそうなのか、理解できなかった。それでも紀村ナハトという怪物が絶望の淵に立つのを防ぎたかった。彼に教えてあげたかった。


 道具と人の在り方を──。


「ああ、俺の生涯に、使命も意味も目的もなにもいらない! 空っぽのまま生き延びて生き延びて生き延びて! …………死んでやる。どいつもこいつも勝手にやってろよ、大層な目的とやらのために」


 彼の声は尻すぼみに小さくなった。その顔は悲痛な孤独を感じさせた。


 この断崖に飛び込もうとしている「人」をヘレナは見過ごせない。


 この期に及んでも梶原ヘレナは紀村ナハトを道具と扱いたくなかった。人体模倣は人を目指すものだから。

 

 道具が人への境界線を越えるためのものだから。ヘレナは人心核アダムを信じていた。


 言葉にすることが、ただただ難しいと歯がゆい気持ちだった。


 それでも、ハワード・フィッシャーでも、梶原奈義でさえもたどり着いていない極点の真ん中にヘレナは立っている。


「私は、それでいいと思うよ」ヘレナは傷ついた少年のすべてを癒すように微笑んだ。


「人生に使命も意味も目的もない。立派な考えだと思うよ。だけど──どうして君はそんなに苦しそうなの?」


「……!」


「私もそう思う! 誰かのためとか、何かのためとか、そうじゃない。目的のない人生だっていいじゃないって私も思う」


 道具だけが意味を持つ。人には意味がない──ゆえに人は死なない。目的に縛られない在り方は、人だからこそ許される。

 

「でも、だったら──その答えを誇ってよ! そんな辛そうな顔して言わないで! 胸を張って言えばいい。人生には意味なんてない、使命なんてないって大きな声で言えばいいのに」


 ヘレナの言葉は、これまでの彼女の考えをまとめ上げた内容だった。


「私は君の気持ちがわかるよ。他の誰でもない、君の心だけはわかる。君は自信がないだけ。目的を持って生きる人は眩しいから。劣等感を覚えずにはいられない。


 それでも……その結論を誇れないなら。


 何もない自分が許せないなら。


 生きる目的がない自分がそれでも許せないなら──私があげる。


 眩しく見える人たちに負けないくらいの大きな目的をあげるわ。


 いい? よく聞いて。














 君は、幸せになるために生まれてきた。









 誰かのためにも、何かのためにも生きなくていい。君は君を幸せにするために生まれてきたんだから」



        ◆



 その時、ナハトの身体を縛る敗北感という鎖が軋んだ音がした。


「幸せに……」


 ナハトはこれまで生きることだけを考えてきた。しかし、それは「どう生きるか」という内容が欠如していた。


 それを考えると何もない自分が許せなくなるから。


 多くの人々から人生の意味を見せつけられて。自分の中がからっぽであることを自覚して──。


 彼らの眩しさに目を開けることすらできなかったナハト。


 そんな彼の心象に色彩の風が吹いた。


 自分も生きていいのだと、そう思えたから。


「だから、ここから生き延びるよ。幸せになるために」


 生き延びるという選択肢は苦痛の多い道を進むものから別のものに思えた。


 それはか細く光る、それでも強固ななにかで──。


 こんな自分でもいつか幸せになることを夢見てもいいのだろうか。


 人心核であったとしてもそんな温かい夢を望んでもいいのだろうか。


「だが……」


 ヘレナはナハトの弱気に留めを刺すように力強く、ただ強く、ナハトの頭を両手で掴んで──。


 彼らを覆う地獄に吠えた。




「二人で勝つよ……! この戦い」




 煙舞う静寂の格納庫。


 紀村ナハト、人間の成り損ない。


 梶原ヘレナ、戦士の出来損ない。


 たった二人で挑む、孤独な決戦の幕が上がった。


 

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