本物の戦場
その日の午前中、梶原ヘレナは大規模修繕が必要な戦闘機が収容される格納庫、通称〈病院〉にいた。
ほとんどの普段格納庫にいる技師たち、研究員たちは研究棟のロビーに集まっているという。どうやらヒューマテクニカ社のCEOが訪れているらしい。この場にはヘレナと数人の技師しかいない。格納庫は広く彼女の周りには誰もいなかった。
否。
彼女の眼前には左の飛行ユニットが砕け散っている戦闘機が四つん這いにたたずんでいる。
──人心核は母さんのデータではない。私が選ばれたのは母さんの娘だからじゃない。
それがヘレナの任務を土台から揺さぶったのは間違いない。不安定な彼女は、自分のルーツを探していた。深く深く瞑想のように潜る心。
薄暗い空間。天井から降り注ぐLEDライトが、彼女とその一機だけを照らすスポットライトのようだった。
「あなたはどうしたい?」
今の彼女を遠目に見たら、自問自答する声が漏れているように見えるだろう。
しかし、その実、ヘレナ自身は破損機体と「対話」しようとしていた。一方通行ではない、意思疎通を計っていたのだ。
荒唐無稽に見えるかもしれない。無機物には魂は宿らない。戦闘機は人ではない。ただの道具である。
けれど、梶原ヘレナはそれを否定したかった。
この金属ワイヤーに雁字搦めにされている巨人を自由にしてやりたかった。戦うための道具である戦闘機は、人体模倣の考えの下、人型に作られている。
ならば──と。
人を模倣するという設計思想があるというならば、その道具は自由になるべきだ。
「だって、人は自由だから」
ヘレナは、ハワードと奈義から貰った「これまで」を言葉にしたかった。今までずっと具体化できなかった思いを、鋼鉄の人形に吹き込んでやりたい。
埃が空気の対流を浮き彫りにする光。油臭さと有機ハイドライドの香り。誰もいない。静けさが「二人」を支配する。澄み渡った空間でなら、きっとヘレナの気持ちを形にできると、不思議な確信があった。
人でないけれど人を目指している物体。
人には意味はない。だから死なない。
意味も目的もいらない、ただ生きる、そこにあるだけの──存在しているだけで許されることが、きっと道具の殻を破るカギになる。ヘレナの予感はじわじわと鋭くなる。
「私は貴方を自由にするよ。約束する。誰にも負けない戦士になる」
戦闘機は返事をしない。生々しい破損痕がむき出しになっているだけだ。
誰にも負けない。それは一度敗北したモーガンを意識した言葉ではなく、きっともっと巨大ななにかに対する宣戦布告だった。
──ハワードは人体模倣を信じていた。いつか道具が人の心を癒せるように。
それはハワードの考えであって、ヘレナは少し転じている。
──お母さんは人体模倣を嫌った。それは偽物を作ることだから。本物にどうやっても近づけないから。
それは奈義の答えであって、ヘレナは少し違う。
「私は、人体模倣を信じている。道具はいつか、「人間」になれることを信じている」
偽物として始まったものは、いつだって本物を目指す道理だと、ヘレナは知っていた。
「だから!」
そこで、所内放送が鳴った。ヘレナの深く潜っていた意識が呼び戻された。
『これより、公開演習を行います。所員はロビーに集まってください』
「ああ、もうそんな時間か」
予定では、ヒューマテクニカ社CEOのジェームズ・エグバードに技術デモを行う目的で、戦闘機の公開演習が催される。確か、戦士はモーガン・ゴールドスタインだったはず。
そういえば『俺は君のために乗るから見ていてくれ!』とモーガンに言われた気もする。
「あの人の恋人になったんだっけか、私」
いずれ任務が解かれれば研究所から消える自分。それがモーガンに申し訳ないと思いつつも、今は別のことで恋愛どころではない。
けれど、不安の種を取り除くきっかけはあっけなく来た。
ヘレナの端末にメッセージが届いた。件名には『紀村ナハトの身辺調査結果』と記されていた。
────来た。
震える指でメッセージを開けた。
その瞬間、梶原ヘレナは紀村ナハトの真実を知った。
◆
「あれが最新の索敵システムを搭載した〈ターミガン〉か」
エグバードは興味深そうにマディン副所長へ言った。
「ええ、迫撃砲弾丸に搭載した小型の赤外線センサーを周囲に打ち込むことでデータリンクの起点とする次世代索敵システムです。これを用いることで征圧と偵察を兼ねることができます」
「センサーは我々の揮発性ナノマシンを使っていると聞いた。これが人体模倣研究所とヒューマテクニカの歩み寄りの象徴になればいいのだが」
「きっとその効果はあるでしょう。御社の技術力にもはや疑う職員はいないでしょう」
マディンはにこりともせず、世辞を述べる。その表情を見てエグバードは──。
「感情のこもっていない言い方だとよく言われない?」
「……気にしているんです」
「そうか、君でも冗談は言えたか」
エグバードは再び満足そうに言った。
人体模倣研究所第三十三研究棟のロビーには多くの所員が集まっていた。研究者や技師、事務員に至るまで一堂に集まっていた。一つ高いギャラリーから見下ろす形で、ジェームズ・エグバードとその補佐マイク・ドノヴァン。一歩下がった位置に副所長マディン研究員とヒューマテクニカからの出向者アルバ・ニコライがいた。
エグバードのスピーチを終えて、聴衆の士気には興奮と期待が混ざっている。ざわめきが支配するフロアには巨大なモニターがあり、そこには格納庫の発射台に固定された戦闘機が映っている。
これから行われるのは、モーガン・ゴールドスタインが駆る〈ターミガン〉の公開演習だ。
最新技術の結晶体が空を舞う姿を、多くの人々が目に焼き付けようとしていた。人体模倣はここまで来たと、誰もが未来に生きる現代。エグバードを始めとする誰もが公的機関と民間企業のコラボレーションに希望を抱いていた。
それどころではないアルバ・ニコライを除いては──。
『システム、オールグリーン。〈ターミガン〉発射します』アナウンスが鳴り響くと、ロビーは静まりかえった。
『一、二、三』
機体の飛行ユニットが推進剤を燃焼し出した。轟音の代わりに熱せられた大気が蜃気楼を見せる。
『発射』
大量の水蒸気が煙にとなり辺りを覆った。所内に伝わる微弱な振動。霧が晴れるころには戦闘機は消えていた。
カメラの視点が移ると、人形が上空を飛行する映像に切り替わった。青空を背景とすると戦闘機のサイズ感が掴めない。それでも機体は確かに亜音速で宙を舞う。
射出による慣性が消え、重力に従い落下するとき、演習が始まった。
まず、モーガン操る〈ターミガン〉は演習場の数あるブロックのいくつかに迫撃砲を放った。弾丸は目では追えない。銃撃が構造物を抉った後だけが視認できる。始めに打ち込んだ弾は、衝突と同時にガスを放出するという。それが新しい索敵システムの要である。
少なくともモニターを見ている大勢の所員の一人、ハリエット・スミスはそう理解していた。
彼女は辺りを見渡した。
「そういえば、ナハトがいないな」
と彼女は小さく呟いたが、別段気にすることでもないだろうと、モニターに視線を戻した。
演習は滞りなく進んだ。
索敵システムを活用して、無人機からの奇襲を予知して無力化。続く無人機二機からの挟み撃ちにも対応して見せた。モーガンの卓越した操縦技術も相まって、エグバードを含めた「観客」たちは芸術品を眺めるように感嘆を漏らしていた。
『公開演習を終了します。<ターミガン>を帰投させます。皆様拍手でお迎えください』
ロビーは緩やかな喝采で包まれた。人体模倣研究所とヒューマテクニカが手を取り合ったというメッセージ性は十分であろう。エグバードも満足できる内容だった。
そして────。
研究所を大きく揺さぶる爆轟が響いた。
「────!!!」
一割の所員が瞬時に異常事態だと理解し、二割が演習の続きだと勘違いし、残りは状況を把握できていなかった。
群衆の中ただ一人、アルバ・ニコライだけが不退転の決意を胸に立っていた。
──もう戻れない。作戦開始だ。
◆
梶原ヘレナは<病院>のシャッターを手動で開き、演習場までを隔てるフェンスを掴んでいた。
たった今起きた振動は、地下で核弾頭が爆発したかのような未体験の衝撃を伴っていた。ただ事ではないと瞬時に察した彼女は、屋外へと走ったのだった。
そして今、彼女が目の当たりにしているのは、これもまた経験したことのない地獄だった。
整備済みの格納庫、発射台が建物の形が変わるほどの損傷を受け、炎上している。火炎が空まで伸びる煙を吐き出していた。あたりは脂で粘つくような熱気が漂い、火の粉がゆらゆらと対流している。
何者かによって攻撃を受けていることは確定していた。すぐに出撃できる戦闘機の格納庫、発射台、整備施設を狙って破壊されていることを受け、ヘレナは敵の本気を感じていた。
水平方向の視界は煙で覆われ状況を把握できない。だけれど、空にはわずかに揺らめく影があった。
「……モーガン!」
モーガン機がきのこ雲を縫うように、飛翔している。静止しているわけでない。あわただしく飛行ユニットを操作して、方向を不規則に変えている。
その動きはまるで何かと戦っているようだった。
「戦っている……」
モーガンの武装は迫撃砲二丁。的確に何かを追いかけるように連射していることが観察できた。
──でも。
ヘレナの全身に寒気が走る。超高速の予感が言葉に現れた。
「見えない機体……! あいつだ! 宇宙で戦った、あの戦闘機だっ!!」
レーダーに映らない、目視すらできなステルス性。この未知の技術を有している機体など、他に心当たりなどない。そしてこれは、モーガン機が搭載している最新索敵システムですら察知できないことを意味していた。現に敵の奇襲は半分成功している。
モーガンと敵機の一騎打ちを眺めるしかないヘレナは、煙と熱に覆われてもその場を離れられなかった。
この戦いの結末を見届けたかった。恐怖と悪寒は振り払うために目をそらさない。
けれど、あの記憶がどうしても甦る。
ミック・マクドナルドが宇宙で果てたあの数秒間が、頭にこびりついて離れない。彼を置いて逃げた自分が、まだそこに立っている。
歯の根が合わないまま、戦いを眺めるしかない自分が戦場にいた。
演習でも、ゲームでも、路地裏の喧嘩でもない。本物の戦場に──。
◆
モーガン・ゴールドスタインは、額に湧き出る汗を拭けないまま、彼の人生最大のアクロバット飛行を余儀なくされていた。
事態を飲み込むまで一瞬であったが、それよりも早く敵の砲撃は研究所の施設の数々を撃ち抜いていた。
モーガンでなければ、撃墜されていただろう。現在の人体模倣研究所のエースの意地とスキルだけで不可視のテロリストと対峙していた。
「なんなんだよ! なんなんだよ、これは!」
目まぐるしく変わるマニューバで、射撃を避け続ける。彼は今奇跡の連続で生き延びていた。
モーガンの射撃は、予測と勘によるところが多い。煙の動きと敵の射撃方向から、テロリストの位置を割り出すのはもはや神業と言っていいだろう。
けれど、それは凡庸の中の頂点に過ぎないと、規格外の強敵はあざ笑うかのように手加減しているようだった。
まるでこちらの技能の限界を計っているような──。
「俺が死んだら、研究所はどうなる。今が正念場だ、この野郎ぉぉ!!」
銃弾と推進剤を惜しむ余裕などない。短期決戦。敵の油断を突くしかモーガンが勝てる見込みはない。
集中力の限界を打ち破るように、モーガンの戦闘機との同調率は過去最高の値を示していた。けれど、それを記録する研究者も、演習として残るデータもない。これは紛れもない戦争なのだから。
圧倒的な強者を前に、試されているこの身。
負けず嫌いの彼はこの辺獄において、まだ戦えると奮起する。
しかし──。
『うーん、君じゃないみたいだ』
と突然通信機が鳴った。
戦場において、敵機からの通信がつながることなどない。これは敵からのハッキングによるものだと、頭で理解する暇はない。けれど、その声はモーガンに生きているという感覚を奪い去った。
突如、時間が止まったような、錯覚を覚えた。
『君じゃない。君は私の一部になる資格はない』
死神の声がただただ不吉だった。
動きの止まった世界で、モーガンはたった一人暗闇に放り出された気分だった。
無限に続く苦痛の闇で独り走っているかのような、底知れない不安にぱっくり食べられた自分。
「死にたくない」
驚くほど自然に出た弱音だった。全貌が見えない怪物の瞳に睨まれた想像が、モーガンから生きる気力を奪い去った。
そして、それらの想像が現実であることを、彼は理解した。
実際に、彼は空中で動きが止まっていた。依然、推進剤は燃焼を続けているのにも関わらず。否、飛行ユニットは破壊され、推進剤をタンクから垂れ流しているだけだった。
あっという間に『Empty』の表示が赤く灯った。
彼の機体は脱力している。動かそうとしても動かないのだ。どういうわけか、戦闘機は動かない。
『ごめんね、動けないんでしょ。私の機体に触れられているから』
──なんだそれは。一体何を言っているんだ。触れた相手を制御不能にする戦闘機だと。そんな技術ありえるわけが。
「お前は何者だ……! 一体何がどうなってるんだよ!」
『なにって……』
「あ」
モーガンは理解した。透明だった敵機が揺らいで、視認できる歪みのように見えた。確かにそこにいる。目の前に敵はいる。けれど戦闘機は言うことを聞かない。
脱力し手足をぶらりを垂れ下げたモーガン機は、頭を片手でわしづかみされていた。
それはあたかも首をつっているように見えたかもしれない。わかりやすいほどの敗北の構図。
得体の知れない怪物が期待外れを言わんばかりに、零した。
『さようなら』
モーガン機は操縦席を撃ち抜かれた。戦闘機の中でモーガンの身体は紙切れのように四散した。
◆
ヘレナはモーガン・ゴールドスタインが戦死する一部始終を見ていた。
この日、重力の星、地球の片隅にある人体模倣研究所で、ヘレナは過去最悪の任務を引き受けることとなった。
生きて帰れる見込みすらない火炎の渦の中で、ヘレナは確かにその宣言を聞いた。
研究所全体に響く死神の雄たけびが、戦いの火蓋を切った。
『我々は月面防衛戦線。あなたたちへの要求はただ一つ。
梶原奈義の戦闘データを寄越しなさい』




