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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
一. 紀村ナハトの生存戦略
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作戦開始

 梶原ヘレナが人体模倣研究所で前代未聞の大事故を起こした次の日の午前。研究所の正門には三人の人物と、来客用の自動車があった。


 ヒューマテクニカ社が人体模倣研究所を実質管理する体制に移行するまでに、やらなければならないことは多くある。

 

 予算の配分、秘密保持体制、特許管理……、など仕組みの部分で統一すべきことが山積みだ。そして最も、移行することが難しいのが、人々の帰属意識である。


 人体模倣研究所の職員たちがヒューマテクニカ社に雇われて得をしたと誇らしく言えるようになるには、後どれだけの歳月がいるだろう。無論、すぐさま解雇するわけにもいかない。


 ここ数年は人体模倣研究所とヒューマテクニカ社の歩み寄りが必要になる。


 だから、今日。ヒューマテクニカ社現CEO、ジェームズ・エグバードは人体模倣研究所に訪問し、友好のを込めた視察を執り行うというわけだ。

 

「お待ちしておりました。エグバードCEOと……」


 アルバは高級なスーツを身にまとったエグバードと、彼に付き添っている初老のビジネスマンと向き合っている。


「こいつはマイク・ドノヴァン。私の友人でね。たまーに私のサポートをしている」


「逆ですよ、逆。あなたのサポートが仕事です。ついでみたいに言わないでください」


「ははは、そうだったな」


「よろしくお願いします。ドノヴァンさん」


「ああ、よろしく。アルバくん」


 アルバはエグバードを補佐する老人ドノヴァンと握手をした。その握った手はやけに冷えていた。


「今日は、戦闘機演習の見学と開発主任たちとの懇談会、研究所の見学という予定になっています」ドノヴァンはアルバに確認した。


「存じております。あいにくマディン副主任はこれから行われる演習の最終調整を行っているため、格納庫にいます。私が代わって案内します」


「頼むよ」とエグバード。


 そして三人は来客用の自動車に乗り込んだ。


「ヒューマテクニカは変わろうとしているんだ」とエグバードは車内の静寂をその言葉で破った。


「……変わろうとしている?」


「兵器開発で軍と関わっていると、秘密も多くなる。5年前までのCEOは秘密主義、社内政治を重視しすぎていた。君が働く前の話だが、5年前のCEOの名前を言えるかい?」


「エグバードCEOの前任者ですよね……。名前も聞いたことありません」


「オルガ・ブラウンという技術上がりの老人だ。軍事分野に予算を傾けた以外に特に功績も上げずに失脚した無能な男だ」


「オルガ・ブラウン……」


 助手席に座るアルバからは後部座席のマイク・ドノヴァンの表情はうかがえない。


「おかしいことだとは思わないか? これだけの巨大企業の最高経営者の名前すら明かされなかった秘密主義。社員の士気も下がるというものだ」


 それに、とエグバード。


「あの男は……こういうのは正確かわからないが、人の気持ちがわからなかった」


「……」アルバは何も応えない。


「私は人体模倣研究所のパフォーマンスを最大に引き上げるリーダーになれるか。試されているんだよ。この話はね、若手の君だから話すんだよ。アルバ・ニコライ研究員」


「よく覚えておきます」


 アルバはこのエグバードという人物のことが急に気の毒になってきた。立派な考えの持ち主だと思う。


 だが、それも無駄なこと。


────今日、人体模倣研究所は壊滅する。



        ◆



 たとえ人体模倣研究所が壊滅しようとも、世界が戦乱の渦に飲まれようとも、ナハトには重大ではない。


 紀村ナハトは右耳と端末に宿る悪魔、オルガ先生を手放すことがなにより怖い。


 梶原ヘレナが来てから……だろうか、ナハトは先生を失う予感が拭えない。


 オルガ先生はどこからきて、どこへ行くのか。その問いかけにオルガ先生自身は「私を信じろ」としか答えない。


 正直、ナハトの手に余ると感じていた。きっと明龍が奔走している〈人心核〉が先生である以上、ナハトは台風の眼にいるも同然だ。ナハトを中心に回る乱気流を自身で止めることは不可能な気もしてきた。


「いっそのこと、明龍に自分で赴いてしまおうか」


 ナハトは人体模倣研究所の正門の巨大な扉を開いて、第33研究棟の駐車場へ歩いている途中だ。


 ここ数日、故障したバイクの代わりに交通経費で落とした無人タクシーで出勤しているナハト。正門をくぐった後は歩くしかない。


 この永い散歩道で、ナハトは独りごとを零してしまうほど時間を持て余していた。


『それは駄目だ』

 

 と先生が言った。


「どうしてですか?」


『今の明龍に人心核は扱える人間はいない』


「先生が味方したい人間が明龍にはいないという意味ですか?」


『……そんなところだ。ナハトの元に私はあり続ける。心配はするな』


「はい」


 と、こんな具合に核心に触れる問いは濁されているナハトもそろそろ限界が近い。


「あの、先生っ!」


『ナハト、前を見ろ』


「え?」


 倉庫建屋の角から徐行している大型トラックが顔を出した。危うくナハトは自分から衝突しようとしていた。トラックの乗員もナハトに気づいたようだ。


「危ないよ、君」トラックは静止した。


 声がした。車高のあるトラックから人の顔は見えない。ナハトはあと一歩でトラックに接触する間一髪の位置にいる。


「すいません」とナハトが後ずさろうとしたその時。


「怪我はないかい?」


 トラックの乗員が扉を開けた。ナハトは扉の目の前にいた。扉は外に開いた。


「いってっ!」


 ナハトの鼻にそれはぶつかった。


 怪我はないか、という問いにちょうど今、ノーと答えるべきだった。



        ◆



 どうにも不運続きな最近を、鋭い痛みと共に振り返る。

 

 最近、偶然必然に関わらずなにかと怪我が多いと感じる。アルバ・ニコライや梶原ヘレナに投げ飛ばされたのはナハトから仕掛けたことだから自業自得である。バイクのよそ見運転による転倒も、自らのせいと言えなくもない。


 しかし今回ばかりはナハトに非はなかった。鼻先は擦って血がにじんでいる。


「ったく、気をつけ……ろ……」


 眼前のトラック乗員に怒りをぶつけるのに十分な理不尽だと思ったから、怒鳴りつけようと凄んでみたものの、その言葉は尻すぼみに消えかかった。


「いや、ごめんごめん」とその()()はあまりにも──。


「……」トクンとナハトの小さな心臓が跳ねた。


「どうかした」と覗き込む彼女。


 あまりにもナハトの好みの女子だった。黒い瞳に白髪のミディアムヘア。堀の深い目は綺麗な二重と長いまつげに強調されている。薄い唇は生気の希薄な、まだ青い果実を連想させる未熟さがあった。


 誰かもわからない、他人にくぎ付けになるナハト。珍しい現象だと自分でも思う。


 無視できない魅力の反面、幽霊に出会ったような気分でもあった。


「……」


「とりあえず、治療しようか」


 少女は笑った。


 トラックを舗道の端に止めて、二人は巨大な空の下、立っている。ナハトはこの浮世離れした彼女が、トラックを運転していることがチグハグに思えた。


切創塗り薬(ケアゲル)。動かないでね」とナハトに近づく彼女。近くで見るとまつげが長い。血液で硬化するタイプの塗り薬を指に付け、ナハトの鼻先に触れてくる。


「名前……なんていうんだ」


「なに? ナンパ?」


「……あ、いや、そういうんじゃ……」


 ナハトはまともに彼女の顔を見れないが、少しでも話をしたかった。


「いや、ナンパだ」


「ははは、君面白いね。また会ったら教えるよ、縁ってやつ信じてるんだ、私」


「……わかったよ。次に会ったら俺も名乗らせてくれ」


「そうそう、それくらいの距離感がいいよ、初対面だしね。あんまり気軽に名前教えちゃだめよ。世の中物騒だから」


 ナハトはまたこの少女に会えることを心から期待した。神も仏も信じていないナハトだけど、この時だけは運命は確かにあると思いたかった。いつもなら我ながら都合の良いことだと皮肉る所だが、それすら頭に浮かばない。それほどにナハトは平常心を欠いていた。


「ところで、あんたは研究所でなにをしていたんだ?」


「それは簡単さ、売店に納入するのが仕事だからね。お菓子にパン、生活用品、文房具とか」白髪の少女は自らの乗っていたトラックを指さした。


「じゃあ、また会えるか」


「やけにがっつくじゃない。研究所は広いし売店も七つある。午前中は敷地内にいるから会えるかもね」


「見かけたら声かけるよ」ナハトは人には見せない笑顔を作った。


 少女はなにか思い付いたようにポケットをまさぐった。


「そうだね……。お近づきのしるしに、これ。あげる」 


 手のひらには派手な包み紙のキャンディがあった。


「ランダムキャンディって知ってる? 100種類の味が売られていて、開けてみないとわからないってやつ」


「コマーシャルで見たことはある」


「そう、それ。私これ好きで沢山買ってるんだけど。99種類は食べたんだ」


 別れ際の少女の顔が、やけに印象的だった。


「最後のひとつになかなか当たらないんだよね」


 それだけ言って少女はトラックに乗り込んだ。


 何気ない、それでいて忘れられない午前の出来事だった。



        ◆



「あの人、なんだか強そうだな」とトラック内で少女は呟いた。


 この場合の強いという言葉の意味は本人にしかわからない。否、本人にだって理解できないかもしれない。


 彼女の中の誰かがそう言っているのだ。少女はそれが誰か探し当てるつもりも、多数決をとるつもりもない。人の心が渦巻き、粘りつき、撹拌されて、核を成す。


 ただ、総体として彼女は「強くなりたい」という指向性を持っている。


 それを彼女の育ての親、ハワードは「基本プログラム」と呼んでいるらしい。


 曰く、人心核は、意識無意識に関わらず、必ず基本プログラムに沿った行動を取る。


 彼女の場合は──。


「さて」と少女は端末を取り出し、通話を繋いだ。


『俺だ』


 彼女は少年の聞き慣れた声に応じた。


「アルバお兄ちゃん、我々。イヴよ」


『どうした』


「始めていいかな」


『ああ。<ドウターズ>を配置しろ。お前は<フレズベルク>には搭乗していろ』


 少女イヴはトラック後部、積み荷へ目線を向けた。コンテナの中にはお菓子、パン、生活用品や文房具よりもはるかに高価な機械が積まれている。


「わかった。始めよう」


『…………』少年はなにも応えずに通話を切った。


「つれない」と残念そうなイヴ。


 彼女は胸に手当て、続けた。


「あなたもそう思うでしょう? ソフィア・ニコライ」


 人心核イヴはにんまりと笑った。




「作戦開始よ!」



 崩壊したはずのテロ組織、月面防衛戦線の反抗が始まった。

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