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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
一. 紀村ナハトの生存戦略
23/134

ナハトとヘレナとアルバ・ニコライ

 人体模倣研究所では、破損した戦闘機は特別な格納庫に収容される。


 修理格納庫。研究所の職員は〈病院〉と、通称で呼んでいた。


 そこには先ほど梶原ヘレナが操縦していた〈ターミガン〉が両手をついてワイヤーに固定されている。


 左の飛行ユニットは根こそぎ失われ、部品の換装では済まない傷跡を晒していた。装甲の一部は剥がれ、むき出しの人工筋肉が生々しい。


 ナハトはそれを眺めて、呟いた。


「梶原奈義の娘がこのざまか」


 演習の様子は格納庫からでもモニターで見ることはできた。


 おそらくヘレナは戦闘機での近接格闘が不得手なのだろう。あの突進は一か八かの選択だったはずだ。


 それだけに、技量の底が見えてしまった。戦闘機を扱えない戦士は、未熟だ。


 しかし、未熟というだけで、これだけの被害が生じている現実。


 きっと実戦であれば、ヘレナとそれ以外の仲間も死んでいた可能性がある。


 ナハトにとってはそれはそれで好都合だ。


 梶原ヘレナが死ぬ分にはナハトは全く困らない。むしろ、歓迎するところだ。彼女はナハトにとって障害に他ならない。


 けれど──。


「……もっとうまく操縦できねえのかよ」


 この腹のムカつきを説明できない。


 戦闘機が壊れる、そのことへの生理的な不快感とでもいうのだろうか。


 ヘレナの乗った機体はナハトが整備したものではなかったから「もし、俺の機体だったら」などと誰の得にもならない仮定を想像してしまっている。


 もし、ナハトが整備していた〈ターミガン〉であったならば、結果は違っただろうか。映像を見る限り、機体の整備不良でヘレナがミスをしたわけではないから、ナハトの機体に乗っていたところで同じだった──。


 そう考えるのが自然だ。


 それではナハトのイラつきは消えない。だから、ナハトの自問は次の題材を突き付ける。


──では、()()()()()()()()()()()()()()であれば、どうだっただろうか。


「……馬鹿らしい」


 そこで考えは終わった。そもそもナハトは戦闘機を一から作ったことなどないし、その必要もない。先生の助言があればできるだろうが、それにヘレナを乗せたところでどうにもならない。


 ただ、この気分に区切りをつけたい。


 どうしたらいいかと思ったとき、ハリエットの言葉が浮かんだ。


『いい戦闘機を作ること、それに乗る人が少しでも長く生きられるようにすること、それだけだ』


 戦闘機に乗った人間が長生きできますように――なんて正義感からものを言えないのはわかっている。


 ナハトはそんな殊勝な態度は待ち合わせていない。


 要するに──。


「よくわっかんねえな……」


 〈病院〉でナハトは一人頭を掻いた。



        ◆



 その日の夜、アルバ・ニコライは連日同様、モニター室に籠り、「梶原奈義の戦闘データ」を探していた。


 過去に三年以上在籍していたテストパイロットの戦闘データが見つからない。数日血眼になりながら探しても手掛かりすら掴めない。果たしてそんなことがあり得るだろうか。


 もうすでに確信していることをアルバは呟いた。


「梶原奈義のデータはすべて意図的に隠されている」


 誰かが確固たる目的を持って、「人体模倣研究所には梶原奈義はいなかった」ことにしようと画策している。あるいは、画策していた、か。


――せめて梶原奈義がこの場所にいたという確証さえつかめれば、あとはイヴがなんとかする。


 いずれにしてもこのまま過去の戦闘データを漁るだけでは、埒が明かない。


 現状は手当たり次第にデータを漁り、他のデータと矛盾がないか調べていくしかない。


 半ば諦め気味のアルバは、ここ数週間の演習データを見直していた。月面防衛戦線のスパイとしてのアルバ・ニコライではなく、ヒューマテクニカ社から派遣されている科学者アルバ・ニコライとしての仕事だ。


 それは、彼にとって重要でない。アルバの真の目的に比べればなんの価値もない雑用だ。


 しかし、今は打つ手がない。モニターの表示を指と眼球でスクロールしていく。


「ん──」


 一つ不可解な記録を見つけた。


 第二格納庫の〈ターミガン〉の整備記録の時間が合わない。具体的にいうと、記録に空白の数秒間があることがわかった。それは機体内のシステム上、一見辻褄があっているように見せかけているが、同時に平行して行われていた推進剤充填作業とのログデータと秒数がかみ合っていない。


 すなわち、このターミガンは数値を書き換えられている。


 それで特段、演習に問題があるわけではない。しかし――。


「この機体の担当は……」


 表示された名前は。


「紀村…………ナハト」


 アルバの知る人物のものだった。


 そして、アルバは直ぐ察しが付いた。この数値の食い違いの意味が。


「データの抜き取りか」


 なぜなら、アルバ自身も月面防衛戦線のスパイであり、同じ手口でデータを抜き取ったことがあったからだ。


 それから、アルバは数値データの食い違いが起きている日と、戦闘機システムの更新日とを照らし合わせるとよく一致していることがわかった。


 つまり、紀村ナハトは戦闘機システムのデータを第三者に流出させている。


 その上でアルバは「だから、なんだっていうんだ」と言った。


 アルバが欲しいものは、梶原奈義の戦闘データであって、紀村ナハトが人体模倣研究所を裏切った証拠ではない。アルバがナハトを好きなタイミングで解雇できるようになっただけではないか。


 だが。


「そうか……」


 そこで閃いた。


──過去の違反記録を見ればいい。梶原奈義の戦闘データを消した人物も、「梶原奈義の違反記録」まで消していない可能性がある。


 アルバは一縷の望みを持って、人体模倣研究所のテストパイロットが犯した違反行為のライブラリを開いた。


 当然、最も最近に表示されるのが「梶原ヘレナの戦闘機損壊」である。そこから過去に遡る。


 そこからは、ただ集中している時間が続いた。アルバはモニターから目を逸らさない。


 そして、十五年は遡っただろうか。


 ついに、その名を見つけた。


「ビンゴだ」


 アルバは額の汗を拭わずに、笑みをこぼした。


「ルイス・キャルヴィンによる所外戦闘機の実践訓練中、当所外戦闘機を大破させたこと。違反者、梶原奈義。使われた警告解除コードは〈greenflash〉」



        ◆


 

 ナハトは梶原ヘレナの死に顔を思い浮かべる。


 瞳孔は開き、顎は閉じる力を失っている。弛緩した身体は、口と肛門から胃液と血液の混ざった液体をじわじわと吐き出す。


 腐臭を放つ前の新鮮な肉の塊からはわずかにまだ温かい。生きていた頃の名残が多くあるその物体。


 ナハトはその醜くくもありのままの死体を見下ろして、どんな感情を抱くだろうか。


 嘘偽りない等身大の死にざまを見て、どんな反応をするだろうか。


 ヘレナは弱い。軍人であり続けるならば、遠くない未来で死ぬだろう。


 もしかすると想像するよりも原型を留めていない死体かもしれない。戦闘機に乗って死ねば身体は四散して、焼けるに違いない。


 ナハトはヘレナの死をどう受け止めるだろうか――。


 いずれ来る現実に前もって弔いを捧げるように、ナハトは薄暗い通路の扉をノックした。


「やあ、待ってたよ」


 扉を開けて出てきたのは梶原ヘレナだった。



       ◆



 ここはナハトがヘレナに用意した住処だ。任務中、ヘレナはそこに住むことになっている。


「こっち」


 ヘレナに付いて歩くナハト。


 部屋に通されたとき目に付いたものは、サンドイッチの包み紙や食べかけの携帯食料、それと床に放り投げられた衣類。


 それとは裏腹に電波傍受用の小型アンテナが設置されていた。


「満喫しているようで何よりだ」


「そう見える?」


「……冗談だ」


 ヘレナはどこかいつもの明るさがない。ナハトから話しかけることなど稀である。そうせざるを得ないような微妙な空気が部屋にあった。


「今日の演習、見たよね」


「ああ、壊れた機体も見た」


「……」


 ヘレナはため息をついて、伏し目がちにナハトを見た。


「負けてごめんね」


「やめろ! シリアスな感じにするな! 俺とお前が本当に恋人同士みたいに言うな! 破局目前だけどそれを受け入れるいい女ヅラするな! 全部茶番だ!」


「セリフが長いから聞き取れなかったわ。日本人訛りの英語聞き取りづらいのよ、もう一度言って」


「ふざけんな!」


「まあまあ、君に実害は加えてないから許してよ。モーガンに君の名前を出したのも謝る」


「ただでさえ最近変なやつに絡まれることが多いんだ。勘弁してくれ」


「……アルバ・ニコライとか?」


────!!


「ハリエットさんから聞いたよ。派手に喧嘩したって」


「…………すべてあいつが悪い気がしてきた」


「ハハハ」


 ヘレナはそこで笑った。


 思惑や殺意、彼らの背負う事情、ナハトの内ポケットにある毒薬とは裏腹に、どうにも明るい雰囲気のある夜だった。



        ◆



「紀村ナハトって変な名前よね」


 唐突にヘレナは窓を見て言った。


「急にどうした」

 

「日本人の名字と、ナハト。ドイツ語よね、ナハトって。なんか二つ組み合わせるととっても違和感ある」


「ほっとけ、ばか野郎」


「聞いちゃいけなかったかしら?」


「お前もそうだろうがよ、梶原とヘレナ、日本とヘレナは……ドイツの名前だろ」


「おそろいね、ハハハ」


「何が面白いんだ。酔ってんのか」


「私は、育ての親が二人いるだけ。片方からヘレナをもらって、もう片方から梶原をもらった」


「梶原奈義と……誰だ?」


「あんまり言いたくないんだけど、犯罪者なのよね。私月で生まれたから……」


「ああ、そういう」


 月で生まれた犯罪者といえば、それは月面防衛戦線に関係した人物だろう。今の時代珍しくない。合衆国が逮捕した月面防衛戦線のメンバーはそれこそ1000人を超える。戦争中に殺害されたテロリストも含めるとそれこそ膨大な人数になる。


 その中の一人。誰か特定することはできない。


「じゃあ、ナハトも話してよ。どうして変な名前なの?」


「……俺は日本で生まれた」


「……」


「俺に父親はいない。どこにいるかもわからない。母親一人に俺は育てられた」


「お母さんは今なにしているの?」


「刑務所にいる」


 ヘレナはなにも言わない。


「お前のもう一人の親と同じで犯罪者。おそろいだな」


「……お母さんはなにをしたの?」


「詐欺、不正アクセス、強盗、いくつかあるけど……主には、他人が所有する人型ロボットをハッキングして、遠隔操作していろいろ悪事を働いていたらしい」


「お母さんは技術者だったの?」


「いや、職業はただの作家さ」


「でもそれだけのことが一般人ができるとは思えない」


「技術的な手助けをしたのは全部俺だ」


「……!」


「俺は母親が捕まったとき10歳だった。当時は何に使うかわからないシステムだった。だが、母親が求めるものを与えていた。次第にそれは犯罪だと分かった。だから、俺は母親を通報することにした」


「聞いちゃいけなかったかな」


「いや、いい」


──もうすぐお前は死ぬ。俺が殺す。


「母親はもともと作家だったから、俺に自作小説の主人公の名前を付けた。ナハト。それが俺の名前の由来。臭いだろう? 創作物からとった名前だ」


「ナハトは母さんを愛している?」


「どうだろうな。愛している気もする……ナハトって名前も改名するほど嫌いでもない。だけど、母親とはもう二度と会いたくない。もう人生で関わることのない人だ」


「ナハトも人を好きになったりするの?」


「わからない……わからねえよ、そんなことは。ただ、なんとなく……俺は人を好きになっていい人間じゃないことはわかる」


「何よそれ」ヘレナは怪訝な表情を浮かべた。


「『お前は人の気持ちがわからない』。母親が俺に言った最後の言葉だ」


「…………」


「俺は母親を通報した。犯罪だって知ったから。それが正しいと思ったんだ。それでどうなった。残ったのは……」


────記憶に残ったのは、連れ去られる母親のヒステリックに叫ぶ声。表情。


『お前は人の気持ちがわからない』


 その言葉が、ナハトの正義感と倫理観を粉々に砕いたのか。それとも、そんなもの初めから持っていないから、母親を陥れたのか。いずれにしても遠い過去に起きたことを、今更解釈を改めたところで何になる。


 紀村ナハト。


 母がつけた名前だけがナハトに残った自分のルーツだ。自分の名に誇りを持つヘレナが眩しく見えた。きっとヘレナの同情も慰めも、ナハトには届かない。いくら言葉を尽くしても、今のナハトは変えようがない。


「いや、待ってよ」


「なんだよ」


「ナハトがお母さんを通報したことはわかった。でもそれとこれとは話が別でしょ」


「それとこれ? なんの話だよ」


「どうしてナハトがお母さんを裏切ったことが、ナハトが人の気持ちがわからないことになるの?」


────それは……。


「人の気持ちがわかるって、そもそも何?」


 ヘレナはきょとんとした顔で当たり前のことを説くように続けた。


「相手の考えていることが伝われば気持ちがわかったことになるの? 考えていることに賛同できなかったら? 言葉で交わして伝わって、それでも同じ道を選べないことだってある。本当に気持ちがわかるってどういう状態か」


 ナハトはヘレナの言葉を待つことしかできない。


「簡単よ。人の気持ちは本人にしかわからない。誰にも人の気持ちなんかわからない」


「それもお前の母親の言葉か?」


「うん、母さんは人の考えを感じ取ることが人一倍得意だった。そんな母さんが言うんだから間違いないわ。そう……人の気持ちはだれにもわからない。わからなくていい。誰もナハトに偉そうに人の気持ちがどうだとか言えないのよ」


「……お前の母親は……梶原奈義は何者なんだ」


「普通の人だよ。変わったところは寝るときに目を開けて寝るくらい」



 ナハトは胸ポケットの毒薬のことなどすっかり忘れていた。







 


 

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