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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
一. 紀村ナハトの生存戦略
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もう一つの人心核

 誰かが弱肉強食の世は終わったと言った。


 人類の進化が、技術の発展が、人々の理性が、野蛮な世界は終わらせたと言ったのだ。


 その発言者はおそらくよほどの幸せ者なのだろう。それが間違いであることは、稚児でもわかる。


 少なくとも、武装組織〈明龍〉に関わる二人には言葉にするまでもなく、それが誤りだと理解できている。


 明龍の工作員である梶原ヘレナ。


 明龍の協力者である紀村ナハト。


 現在二人は、力による衝突の世界に空隙にいた。


 二人の殺意が停止した。


 きっと二人とも、この人物を殺すには知ってしまっていたのだろう。


 たとえ、数十分の会話だったとしても、二人は振り下ろす拳を見失ったのである。


 けれど二人がここで殺し合いを止めたとしても、最初の言葉を否定しきれない。


 弱肉強食の世は終わった、は間違いだと。


 けれど、こう考えることもできる。この発言者はよほどの幸せ者であると同時に、この言葉が間違いだと知っていた。知っていてなお、言い切った。


 おそらくであるが、梶原奈義ならば──。


 こんな言葉を「祈り」と呼んだだろう。


 

        ◆


 

「梶原ヘレナ……」


 ナハトは〈スピーディ〉の顔を見て、自然とそう呟いた。


 目を疑った。明龍の工作員に昼間に会っていたこと、それが自分と同年代の女性であること、そしてなにより二人で殺意を交えた事実に、驚きを隠せない。


『君は……』


 ヘレナは薄汚い裏路地でナハトに跨っていた。後一瞬、認知が遅れたらナハトに振り下ろされた拳を収めて、彼女は立ち上がる。


 喉に張り付けたボイスチェンジャーを外して、フードを脱いだ。


「紀村……ナハト」


 その声色はあの時聞いたものであると確信する。やはりこの人物は梶原ヘレナである。


「一つ質問していいかな」


 ヘレナは状況を把握しようと毅然とナハトを見下ろした。


「どうして君がここにいる?」


──それはこっちの台詞だ、などとあの時と同じような態度はとれない。ナハトは反抗せずに応えた。


「俺が、明龍の協力者だからだ」


「そう、それともう一つ。どうしてあなたは私を殺そうとしたの?」


「……」


 見下ろされる瞳には、友愛は含まれていない。ただただ尋問するための威圧的な表情だ。


 驚いた。ヘレナにもそんな表情ができるのか。そんな不適切な感想を覚えつつ、ナハトは絶対絶命の窮地に立っている。最悪、この明龍のエージェントに殺されてしまうだろう。虫けらのように口封じされる未来が頭をよぎった。


「それは……危険な橋だと思ったから、逃げ出そうとしたんだ」


「……なるほど。なぜ危険な橋だと思ったの?」


『──────』オルガがナハトに命令した。


「俺は……」


 ナハトの耳元で囁いた悪魔。どんな窮地だってナハトは彼の助言に従ってきた。それでなんとかなってきた。だから、この場面も同じ。


 ナハトはオルガに言われるがままに────。




「俺は……人心核〈アダム〉がなにかを知っている」




 自分が生き残るためのカードを切った。




        ◆




 時を同じくして、アルバ・ニコライは苦悶の表情を浮かべていた。


 深夜1時。夜だというのに、その部屋は昼夜問わずにまったく変わらない無機質さを持っていた。窓はなく出口は一つ。モニターが煌々と光り、彼の顔を青白く照らしていた。


 人体模倣研究所第33研究棟、人型戦闘機演習場モニタールームにアルバ・ニコライはいる。


「どこだ……どこにある」


 彼に額には焦りをうかがわせる汗がにじみ出ていた。


 モニターには、過去の演習内容が映し出されている。しかし、それは膨大な数に上る。アルバだけの労力で目当てのデータに行き着くのには、何年かかるだろうか。


 探している演習データを検索エンジンで見つけようとしても、当然のごとく何も表示されない。


 研究所に来て一ヶ月も経っていないアルバを拒絶しているように、データログは無表情である。


 日付、演習内容、機体番号、操縦者、どの項目を埋めても目的のデータにたどり着けない。


「どこだ……」


 アルバは――。


「梶原奈義の演習データはどこだ」


 そう言った。


 かつて、人体模倣研究所第33研究棟には梶原奈義がいたらしい。救世の英雄の少女時代とでも言うのか。アルバは梶原奈義のデータを探していた。ただの梶原奈義の戦闘データというだけでない。


 特定の日時の演習。そこでなにが起きたのか調査しているのだ。


 梶原奈義は世界最強の戦士になる前に、ここ、人体模倣研究所で臨界突破ボーダーブレイクという現象を経験しているはずである。


 その仮説のもと、彼はモニタールームのデータを漁る。


「仕事熱心ですね」


 突然の後ろからの声かけに、なるべく動じずにアルバは回転椅子で振り返った。


「……マディンさん、あなたも夜遅くまでいるじゃないですか」


「研究所なんて所で働いていると、感覚が狂いますからね。残業という概念がない。給料は一律で決まっている。その点、会社員の君は違うでしょう」


 マディンは手を後ろに組みながら、意味の読み取れない笑顔でアルバを見下ろす。


「俺もフレックスを利用しているので、夜遅くまで残っていても問題ありませんよ」


「それは結構、で」


 マディンは右手で眼鏡を上げた。


「君はここで何をしているのかな?」


「過去の演習の記録を見ていました」


「それはなぜ?」


「仕事だからですよ。……あんまり胸を張って言えませんが、ほら、この間俺は貴方に叱られてしまったでしょう」


「そのことですか」


 アルバ・ニコライは一週間前に、格納庫で戦闘機技師に暴行を振るったとして、マディンに厳重注意を受けていた。


「紀村ナハトは君を怒っていますかね」マディンはそう言って腕組をした。


「……仲直りはしましたよ。今ではもう親友です」


 アルバはそう言って、笑って見せた。一目で嘘だとわかるようなぎこちない笑みだった。


「それならよろしい。けれど、なぜそれと過去の演習データを閲覧することとが関係あるのです?」


「俺は彼に言われてしまった。過去に試した機器を試すのは無駄だと。だからこの研究所の過去の研究を漁っているところですよ。失敗したという結果ですら、今の俺には必要です」


「それはそれは、感心です」


 マディンは踵を返して、背を向けた。


「タバコに行きませんか?」


「まだ未成年です」


 マディンはモニター室から出て行った。


 訪れる静寂に、部屋の暗闇が良く似合っていた。


 アルバ・ニコライは来年二十歳になる。少年だ。


 しかしその実彼は、少年一人が背負うには重すぎる使命を背負っている。


 使命、目的、脅迫観念。言い方は好きにすればいい。


 この気持ちをどんな言葉で表現したとしてもアルバ・ニコライには関係ない。


 成すべきことがある、それだけだ。他のことには興味がない。


「早く来い。イヴ」


 もはや彼以外いないモニター室で一人呟く。その言葉は地球上にはない訛りがある英語で話された。


 それが彼の素なのだろう。


 イヴとは、なにか。事情を知る人間はこの研究所にはいない。


 ただアルバ・ニコライについて明かせる秘密は一つだけ。


 彼はすでに滅んだとされるテロ組織、月面防衛戦線の工作員ということだけである。


「イヴさえ……、人心核イヴさえなければ……」


 彼はまたその名詞を口にする。


 願いと悲痛を滲ませる表情は、誰からも見られることはない。


 アルバ・ニコライは、大きな運命に抗う少年である。



        ◆



「人心核アダムがなにかを知っているの?」


 ヘレナとナハトは相変わらず裏路地にいた。


「ああ、あんたの、明龍はそれがほしいんだろう?」


 ナハトはヘレナを睨んだ。彼はヘレナの殺害に失敗し、そして自身の死を回避した。この先にある展開は、彼らの協力だろうか。任務をこなすならそれは必然であるが、一度殺し合った彼らにそれができるとは、お互い思っていない。


 敵意は依然として警戒心という形で残っている。


「ええ」


「俺を殺すのは、俺から情報を引き出したあとでもいいはずだ」


「……」


「そして俺は、口の中に毒薬を含んでいる。唾液では解けないが、容易く噛み潰せるカプセルだ。お前の拷問より先に死ぬことができる」


 これは今浮かんだハッタリだが、良いアイディアに感じた。今後は命の危険がある場合はそうしようと、ナハトは思った。


「……なんだか君は、昼間話した時と印象が変わらないね。裏表のない、小悪党だ」


「そりゃどーも。あんたは随分雰囲気違うな。さすが軍人。いや武装組織の工作員か」


「私も変わらないつもりよ。私は別に聖人じゃないし、戦うべき時は戦うし、殺すべき相手に躊躇できるほど強くもない。普通の軍人」


 ヘレナはため息を一つ。ナハトを見据えた。


「で、人心核アダムはなにで、どこにあるの?」


「説明してやる」


『――』オルガはナハトに文字通り耳打ちをした。


 悪魔は小悪党に知恵を与える。すべてはナハトの神の手中にあると、含み笑うその表情を悟られないように──。


 彼は背を向けた。


「ついてこい」


 ヘレナは小さく頷いた。


 二人は無人タクシーでナハトの住む町まで移動した。道中は十数時間前の触れ合いとはかけ離れた沈黙が支配した凍り付いた空間だった。欺瞞と疑いが蔓延した空気を、ナハトは不思議と心地よく感じた。


──もともと、俺はこういうのが合っている。


 これからナハトが話すことは、すべて先生から指示された内容である。


 時々入り込む街灯の光が彼らを照らす、夜二時の車内。


「十五年前。人体模倣研究所には梶原奈義がいた」


「え――」


「救世の英雄、世界最強の戦士、人体模倣の到達点、どう呼んでもいいが、あの梶原奈義だ」


「ちょっと待って。ちょっと……!」


「どうした」


「梶原奈義って……母さん!?」


「母さんって……あ、だから梶原ヘレナ」


「母さんがなんで人体模倣研究所に?」


「知らされてないのか? まあ当時の英雄はまだ十四歳かそこらの子供だろう。昔話はしなかったのか?」


「うん」


「話を戻すぞ。で、人体模倣研究所はその頃から常軌を逸した性能の戦士、梶原奈義の技能を模倣しようとした」


「……」ヘレナの瞳はナハトに釘付けにされた。


「そしてその試みは頓挫した。梶原奈義は強くなる一方だったが、その強さを模倣することはついに出来なかった」


「それと人心核とどう関係あるの?」


「人体模倣研究所は、人型戦闘機を体に、パイロットを心に喩えた。つまり、梶原奈義は戦闘機にとっての最高級の「心」というわけだ」


「……」


「戦闘機にとって最高の心、そしてその核となるのが梶原奈義だ」


「……!」


「つまり人心核とは……当時の梶原奈義の模倣を試みた戦闘データに他ならない」


「……そうか、だから」


 ヘレナはどこか合点がいったような様子だった。しかし、もちろん嘘である。


 それをみたナハトは内心安堵する。


 この言葉はどこまで本当か、ナハト本人でさえ、わからない。


 ただ真実ではないことはわかる。


──人心核とは、先生のことなのだから。これはヘレナが先生の存在にたどり着かないためのカムフラージュ。


 それと同時に、先生が「人心核の偽りの正体をヘレナに言うこと」をナハトに命令したことに大きな意味がある。


 先生はナハトを守るために自ら明龍に捕まるつもりはない。それが分かったことがなにより重要だ。


 先生自身が、明龍から身を守ろうとしている。オルガ先生が諦めなければ、この後の展開はどうとでもなる。


 ヘレナは、何かを納得したようにナハトに言った。


「教えてくれてありがとう。任務が終わるまで付き合ってもらうわよ」


「ああ……よろしくな」


 ナハトは微笑を浮かべた。



        ◆



 時を同じくして、とある月面基地。一人の少女が、戦闘機格納庫内に立っていた。


「そろそろ我々の出番かな?」


 撤回する。少女というには、大いに語弊がある。その人物は見た目は少女であるが、その内面は全くの別物と言わざるを得なかった。


 例えるなら、怪物とでも言うべきか。


 所作や表情の一つひとつに、底知れない不安定さを感じさせる。


 彼女自身、組織の同僚たちからそういう印象を抱かれていた。


 ある一人の同僚は言った。


「まるで、人生を百回繰り返している化け物ような、底の知れない深さがある。対面しているだけで終わりのない洞窟にいるような気分だ」と。


「失礼しちゃうよね。我々はまだ子供なのに」


 少女は笑った。


 彼女の眼前には、一機の人型戦闘機が四つん這いになり、格納されている。


 その機体はその世界のどの機体とも似ていない。全く別のコンセプトで設計されたような違和感がある。


 世界の中で、彼女とその一機だけが特別で、他の全てに価値は微塵もない。そう錯覚させるような、魅力的な唯一性が、彼らにはあった。


 そこで、彼女の左ポケットから着信音が鳴った。


 彼女はうれしそうにそれを取り出し、通話を始めた。


「なに? ハワード」


『そろそろ、地球に行きなさい。アルバ君が君を待っている』


「やった! それを待っていたの! 我々、頑張るわ!」


『期待している。では、手はず通りに』


――ええ、と彼女は祝詞を上げるように言った。









「我々、人心核イヴはこれより作戦を開始します!!」








 もう一人の怪物が、地球に降り立つ。目的地は人体模倣研究所。




 

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