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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
零. 不合理なハービィ
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少年少女

 無人タクシーに乗る少女、梶原奈義はラジオを聞いていた。


『本当にきれいなもの、心惹かれるものは自然の中にあるのです。動物、昆虫、植物、それらの生物の体をよく調べてみると、驚くべき発見が小さなものから大きなものまで様々にあるの。その発見に共通して言えることは、とても機能に優れている、無駄のなさなのよね』


 無人タクシーに備え付けてあるラジオからは、女性の声が聞こえていた。乗客である彼女はそれに興味なさげに、外の景色を眺めていた。


『私はそういう本当の美しさを愛しているし、人間による被造物もそれに近づくべきだと思っているわ』


 彼女の目には、時代遅れの太陽光パネルの広がる平野が写っていた。確かに人間による被造物はとても醜いと、ネガティブな感想を持った。太陽光パネルの黒い表面は、空に映る青すら吸収して、人工物らしさを恥じていないようだった。


『今日は、生物学者であり材料科学者でもあるの……さんにお越しいただきました』とラジオのパーソナリティが慣れた口調でゲストを紹介した。彼女はその名前を聴き逃した。パーソナリティは矢継ぎ早に次の人生相談コーナーを始めてしまった。


「このおばさん誰だったかなあ」

 

携帯端末をポケットに入れてはいたが、調べる気にはならなかった。別段興味もなかったのかもしれない。ただ、話の一部分だけはよく覚えていた。


――人間による被造物は、美しくない。


「まあ、たしかになあ」と、話の核とはズレた印象だけを大切に彼女は仕舞った。

 

        ◆


 タクシーの後部座席の彼女のうたた寝を遮ったのは、『声』だった。


「お願い、道を引き返して。男の子がいるはずだから、拾ってあげて」

 

 無人タクシーは音声から命令を理解し、Uターンをした。道路はまっすぐな一本道。


 太陽光パネルとその管理棟さえなければ地平線が見られたかもしれない。そんななにもない道を少し進むと、制服姿の男子が、バイクから降りて、頭をかいていた。そのとなりに彼女のタクシーはゆっくりと停車した。

 

 バイクの彼は、目の前で止まった車をきょとんとして見ていたが、誰が乗っているかを察したようだ。彼女は座席の窓を空けて彼を見た。


「お、おはよう。学くん」


「おはよう、梶原。見ての通り……」と学と呼ばれた彼は、傍らに止めてあるバイクを指した。


「壊れたんだ。おそらくエンジンのトラブルだろう」 


 彼は無表情で状況を語ったが、その内心はひどく狼狽えていた。それは奈義だけがわかる心のさざめきだ。


「とりあえず、私の車に乗って? バイクは残念だけど……まずは保険会社に連絡しよう」


 奈義はなだめるように言い、彼も頷いた。携帯端末に番号を打ち込む。ほどなくして繋がった電話口に彼は淡々と状況を伝えた。


「はい、バイクの故障です。車両登録番号は……」


 奈義は電話するその横顔を見ていた。


 先ほどのまで奈義はタクシー内で微睡んでいた。けれど眠い目をこすって車を引き返させたのは、彼の『声』を聞いたからだ。助けを求める気持ちを彼女は敏感にすくい上げた。


 理屈は彼女にもわからない。ただ、昔から彼女は――。


「助かった。感謝する」


 と電話を終えた彼は車に乗り込んできた。


「俺のことが遠くから見えたのか? よく見つけて引き返してくれた、ありがとう」


 無表情な言葉。そう、彼は感情が顔に出づらい質なのだ。けれど、奈義には十分その気持ちが届く。

 六分儀学、彼の無邪気な感謝の言葉が、奈義の本質を射抜いた。


「梶原はまるで――遠くにいる人の心が読めるようだ」


          ◆


 故障したバイクが保険会社の車に回収されるまで、三十分を要した。


 二人はその間、車内でラジオを聞いたり、短くおしゃべりをしたりと、無駄で穏やかな時間を共有していた。


 保険会社のスタッフが車両を格納できる大きさのトラックで駆けつけた。慣れた手順でバイクの故障個所を大まかに点検。その後バイクの修理には三日は要すると言い、バイクを回収し去っていった。

 

 奈義の無人タクシーの中、学と奈義の二人きり。


 なにを話していいかわからない、けれどなにか話したい。そんな奈義にとって重要なせめぎ合いの一方で、学は難しい顔をしていた。


『三日間、研究所までなにで通えばいいんだ』


 学の思案を奈義は読み取った。彼はもともと口数の多い男の子ではない。黙って考える、その頭の中では『駅から施設までの距離、移動手段、徒歩、難しい、無人タクシー、申請まで三日以上かかる、電動自転車、時間がかかりすぎる』といった雑多な試行錯誤が行われていた。


 だからこそ、奈義はそこにこの沈黙を脱する切っ掛けを見つけた。


「通学の手段がないなら……その……明日から私のタクシーで一緒に通わない?」


 大きく目を開いた学。棚から牡丹餅、渡りに船――否、この気遣いは偶然ではない。奈義は彼の気持ちを読み取った。


「いいのか?」


「ええっと……困ったときはお互い様だし……それから」


 奈義は自然な提案をしたつもりだった。


 自分は無人タクシーの定期利用者で、車には何人乗り込んでも料金は変わらないし、通学中誰かいたほうが安心するし、だからむしろ私のほうこそラッキーというか――。


 そんな言葉を矢継ぎ早に言い、もう彼女自身なにを言っているかわからなくなったところで。


「要するに、明日から世話になる。恩に着る」


 と学が短くまとめた。


 生真面目な彼は、儀式的に奈義に握手を求めてきた。


 混乱している彼女はなんの握手かわからないまま手を握った。


 ラジオから流れるクラシック音楽が、彼と彼女の触れ合いを壮大な何かに仕立てあげようと演出していた。


 実際、奈義にとっては大ごとだ。

 

 彼らの目的地まであと十分ほどだ。

 

 車は二人を乗せて走る。太陽光パネルが避けるように一本の道が続く。


 二人の間に話題は尽きた。


 それでもラジオは饒舌だ。


 音楽が彼らの関係を、微妙な距離感を、ささやかに彩った。


「そろそろ着くな」


「そうだね」


 一拍置いて――「なあ」と学は改まった問を投げた。


「気遣いは嬉しいが、梶原はどうして俺を助ける?」


 控え目に言ってもこれまでの彼らの関係は、友達ではなかった。同じ施設に通う、数少ない同年代。けれども知り合い以上友人未満。その程度のつながりだった。ましてや――恋人などでは、断じてない。


 だから、彼女は本心を隠した。


「だって、私に戦闘機の操縦を初めに教えてくれたのは学くんだし……そのお礼。それじゃダメかな」


「今となってはお前のほうが全然強い」


 その指摘に奈義の胸はキュッと締め付けられた。罪悪感という小さな針に、内側から刺された。

 

 人の気持ちを暴くくせに、自分の本心を語らない不誠実。それに彼女の強さの一端は、その特殊な体質に支えられていた。


「これは内緒なんだけどね、困っている人がいると口に出されなくてもすぐわかるの、私」

 

 笑って言った。だからこれは冗談で処理される。けれど何より真実に近かった。


「じゃあ、梶原はヒーローみたいだな」


「ふふ、そうかも」


 しかし、彼女はヒーローにはなれない。それは何より彼女自身がわかっていた。ヒーローは助けるべき人を選ばない。彼女はそんな聖人ではない。


 彼女は――困っている人が彼だったから、あの時車を引き返させたのだ。


 彼女の名は、梶原奈義。隣の男の子に静かな好意を向ける、どこにでもいる女の子。


――人の心が読める、その一点を除けば、どこにでもいる女の子だ。

 

        ◆


 道を進むと、いつの間にか太陽光パネルの群れは消えていた。


 代わりに、景観を損ねるという意味ではより目に付く門が現れた。十メートルはあるかという背丈。打ちっぱなしのコンクリートで象られた巨大な入口だ。


 奈義は車を門の前に止めて、備え付けられたタッチパネルの前に立った。IDとパスワードを要求する文言が映し出されている。奈義は自身のそれを打ち込んだ。


 ただの通学というには重々しい大げさな音を立てて、門が開いた。


 奈義は車に戻り、そのまま門をくぐった。


「このタクシー、自動運転のまま施設内を走れるのか」


 学は不思議そうに言った。自動運転が走れる道は公共の道路であり、目的地周辺になるとマニュアル操作に切り替わり、自らの手で駐車しなければならないのが一般的だ。通常の無人タクシーなら施設の手前で止まり、二人を下ろしてから去っていくはずだった。


「これ、特別製なの。施設内の駐車場まで運んでくれるわ」


「ほう」


 それは便利だと感心した様子の学。


「俺もそうしようかな。バイクは気持ちがいいから好きだったんだが、今回のようなことも起きかねん」


「もうこの時世、手動運転のほうが少ないくらいだからね」


「確かにな」


 その会話の内容は、この施設における彼らの存在意義に関わるものだった。自動と手動。人間の営みをどこまで機械に委託できるかという試みはなにも自動車に限った話ではない。


 例えば、それが兵器であったとしても不思議ではない。


 少年少女は無骨な施設を移動する。


 なぜ、梶原奈義と六分儀学がこの大仰な研究施設に出入りしているのか。


 彼らは学生という身分のまま、ここでなにをしているのか。


 その答えは――空にあった。


 タクシーの窓を開けなくとも、二人は確かに轟音を聞いた。それは彼らにとって日常だ。


 見上げるまでもない。聞き慣れた、戦いの雄たけび。


 人型戦闘機が空にあった。


「もう始まってるね」


「そうだろうな。付き合わせて申し訳ないが俺たちは遅刻だ」


 彼らを乗せた車は第三十三研究棟の駐車場に止まった。


 降りると、空気を震わせる低音がより鮮明に耳に届く。


 推進剤の使用回数、目で追うとわかる姿勢制御のブレのなさ、合理的すぎる軌跡を眺める二人。


「あの機体は無人機だな」


 そこに奈義は異論はない。戦闘機の動きのみで、人が操縦しているのか、そうでないのか、判別できるのは熟練者の勘だ。若手の研究者や技術者には一部を除いて見破るのは難しいだろう。


 けれど、最も欺きたい相手、敵も戦闘機のプロであることを考えると、技術の限界にぶち当たる。


「俺は、一生あんな木偶に落とされる気がしないな」


「そんなこと言わないほうがいいよ、博士たちも一生懸命なんだから」


「それよりも、俺は――」


 学の瞳は、空を浮遊する機体から目の前の少女に移った。奈義を見つめる眼光は鋭く、挑発的で、魅力的だった。


「お前に勝ちたい、梶原」


「……」


 彼女はため息をつくことを必死に我慢した。ここでそれをしたら、それこそ挑発ととられかねない。「お前に私を倒すことはできない」という意味のため息に捉えられかねない。


 彼女の真意は別にある。


 今日こそはと口角を歪める彼の表情との齟齬は、なにより痛い。


 例えば単純に考えてみてほしい。


 自分がひそかに好意を寄せる男の子が近くにいる。邪魔者は誰もいない。


 愛を告げるべきだ。さっさと伝えてしまえばそれでハッピーエンド。


 しかし、そうはならない。


 当然だ。


 六分儀学は、恋する乙女、梶原奈義を超えるべき壁としか捉えていないのだ。


 奈義は聞こえない振りをしていた彼の心を覗くように感じてみた。


『梶原奈義に勝ちたい』


 その声は、絶叫のようだった。


 要するに、告白は玉砕に終わると――他ならぬ心が読める彼女自身が良く分かっているというジレンマがあるのだ。


 だから、我慢していたそれを、我慢できなかった。


「はあ……」


 それを見た彼が露骨に笑みを浮かべ、「上等だ」と言う。


 ままならない、と奈義は思った。


        ◆


 ここは国立研究機関、人体模倣研究所、第三十三研究棟。


 施設内に数ある研究棟の中でも、人型戦闘機用無人操縦システムの開発を目的としている、機械、情報、材料のスペシャリストが集まる研究棟である。


 併設されている戦闘機格納庫と演習場が特徴的で、敷地面積で言うなら、人体模倣研究所の中で最も大規模なセクションだ。


 戦闘機を人間の体に喩えるならば、操縦システムはその魂だ。


 状況判断と適切な駆動。最も損害を少なく、敵を無力化できるか。人工の魂がどれだけ、人に近づけるか。

 

 それらの問題を解決するための手法として、人体模倣研究所が選んだものは、無論――人の模倣である。


 研究者たちは優れた無人操縦システムを開発するための模範として、優れたパイロットを募った。


 年齢や性別、軍人、文民の区別なく、合衆国中から選ばれたテストパイロットは現在三十四人。


 本物の戦場を知る元空軍の大ベテランや、月面開発初期の人型モジュールを手足のように駆った元宇宙飛行士。


 誰もかれもが世界的な実力者だ。


 その中で頂点に君臨する最強の戦士が梶原奈義であり、次いで優秀なパイロットが六分儀学である。

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