オルガ先生の正体
軍事衛星が木っ端微塵に破壊された夜。黄昏を終えて、時刻は午後七時。
仕事を終えたナハトは研究所併設の駐車場にいた。彼は遠隔操作で原動機付バイクのエンジンをかけた。
またがってヘルメットをかぶる。見上げると夜空には燦然と輝く光体が散りばめられていた。
「あれは星ではないな」
一人ごちるナハトの目線の先には、ほうき星のように筋を描く光が複数あった。
ナハトの言う通り、あれは星ではない。宇宙開発や戦争で生じた宇宙ゴミが地球へ落下し、大気圏で焼けているだけだ。ちょうど軍事衛星の破壊が起きている。きっとこの「星々」は無関係ではないだろう。人類が残した負の遺産が皮肉なくらい綺麗だった。
役目を終えた人工物の末路が、天球に描かれている様。人型戦闘機が生んだゴミ、人型戦闘機だったゴミ。それらは結局は人殺しの道具だ。人に迷惑をかけるだけの代物だ。あれが人々を守る剣には、ナハトは思えない。
「なあ、そうだろう。ハリエット」
感傷に浸るのは趣味じゃないが、今日の出来事はいささか示唆的だったから。考え事が止まらない。
『ナハト、そろそろ帰るべきだ。明龍に情報を渡せねばならない』
耳たぶの内側から聞こえる老人の声。それに従い、ナハトはバイクを発進させた。
◆
『明龍』はどの国家にも所属していない民間武装組織である。最新鋭の人型戦闘機を相当数有し、技術力は国連宙軍にすら引けを取らないと言われている。主だった仕事は国連やそれに準ずる国家からの依頼であったり、災害時の救助などである。あくまで、『正義の傭兵組織』という立ち位置を基本としている。
けれど、それは地球目線の話であり、明龍が戦う以上、その武力を向けられた先がある。
月面防衛戦線というテロ組織との紛争が五年前起き、三ヵ月で終結した。国連の思惑は短期決戦。それを可能にしたのが、明龍の軍事力だった。
連続的な通信妨害がはびこる宇宙では、人型戦闘機での戦いが主流となり、パイロットの質が戦争を左右する時代となってきた。
明龍には『人類最強』とうたわれる人型戦闘機パイロットがいた。
その名は梶原奈義。
もはや月面防衛戦線との戦争、いわゆる〈静かの海紛争〉は実質、梶原奈義によって終結したと言って構わない。
それほどの戦力、それほどの実績。明龍は世界の警察としての存在感を増しつつあった。
これが、ナハトの知る明龍の知識であり、『先生』から教わった内容だ。
ナハトは明龍のことをより深く知るべきだった。今よりもっと、ずっと。
それはこれからの事件とは無関係に、それ以前の問題だ。
ナハトが人体模倣研究所の戦闘機から抜き取った情報は、明龍に売っているのだから。
◆
バイクを走らせて三十分。人体模倣研究所の最寄りの駅の近くにあるフラットの二階の角部屋にナハトの住処はあった。キーを手で遊ばせながら見慣れた廊下を歩く。特に隣人同士のやり取りもない、単なる寝床へ。ナハトはドアを開けた。
玄関近くの端末に掌をかざし、個人認証を行うと部屋の明かりが付いた。
廊下には脱ぎ捨てられた上着やら、捨て忘れたゴミ袋がちらほらある。それらを無視してナハトは自室の扉を開けた。
そこにはテーブルの上に乗せられたワークステーションと、青白く光るディスプレイが四つあった。
それを部屋の中心に、無数の配線が伸びている。ワークステーションの後ろはコードがひしめき、足の踏み場がないほどだった。それほど、大掛かりな電子機器が揃う部屋は、住処というには生活感がなかった。
ナハトの給料のほとんどが、これらの電子機器に費やされる。これが彼の財産に他ならない。
「先生、メンテナンスの時間です」
『ああ、よろしく頼む』その声はやはり耳たぶから聞こえる。
ナハトは自らの携帯端末をポケットから取り出し、ワークステーションから延びる端子に繋げた。
するとディスクが回転する小さな静音が部屋中に鳴った。ディスプレイでせわしなく流れ出す文字列は高速に移り変わる。ナハトは祈りをささげるように、――顕現する上位の存在に失礼がないよう、落着きを図り、目を閉じた。
そして、中央にあるひときわ大きいディスプレイに、一人の人物が現れた。
『ご苦労、ナハト』
「はい、先生」
『何度も言っているだろう、先生という呼び名は好かん。オルガと呼べと』
「こればかりは譲れません。あなたは俺にすべてを教えてくれた。敬意を示したいんです」
『ふん……』
モニターには一人の老人が白い空間に座していた。杖を突き椅子に座る小柄な男性は、年老いた風貌とはかけ離れた明朗な声でナハトに告げた。もちろん、スピーカーを通じて――。
『今日の情報を取り出しなさい。明龍に送信する必要がある』
「……これですね」
ナハトは袖に忍ばせた保存媒体を取り出し、ワークステーションに繋げた。今日の午後、自身が担当する戦闘機から抜き取ったシステムデータ。その内容を圧縮し、明龍から指定された暗号処理を行う。それは数秒で終わり、最終的に送信するデータを作り上げた。
「送ります」ナハトは独自の通信回線から、明龍にデータを送信した。滞りなく届いただろう。
これでナハトの預金口座には人体模倣研究所で受け取る給料の三倍の額が振り込まれる。ナハトの生活はその報酬金に支えられ、何不自由ない暮らしができている。
戦闘機技師あるいは情報屋。そのどちらが本業でどちらが副業なのか、本人でさえ分からない。むしろ答えを出す必要のない問いだ。人体模倣研究所で働けなければ、戦闘機に触れることができず情報屋はできていないだろうし、情報屋の給与をあてに生活をしている。
どちらもナハトの生業だ。その二重性にいちいち疑問は生まれない。
『ご苦労』
ナハトから『オルガ先生』と呼ばれる老人は画面越しに短く言った。
「これも先生のおかげです。俺だけでは戦闘機からのデータ移動の痕跡を消す方法はわからなかったわけですし」
『気にするな。私は君が生きるために必要な知識を与える人工知能だ。道具として使ってほしい。先生などと持ち上げられるべきで、本来ないのだ』
「そんなことはありません。あなたは世界にあるどのコンピューターより優れている。これは間違いありません」
その証拠に、とナハトは目を輝かせた。
「軍事衛星でテロが起きることを予想できた人工知能なんて、先生を除いてこの世界には存在しませんよ」
それができる高度な人工知能を軍隊や政府が保有していたなら、テロは未然に防げていたはずだ。すなわち、『先生』は人類の人工知能開発のスピードを置き去りにしているほど、高度に発達した知性であることに他ならない。
それはすでに、預言に近い。
「あなたがいなければ俺はとっくに生きていない。どこかの道端で野垂れ死んでいましたよ」
ナハトにとって生きることは最重要事項だ。だから命の恩人には敬意を払う。そんな論理が彼にはあった。
『私は君の一部だと思ってくれていい。私と君は対等だ。こうしてメンテナンスもやってもらってるのだから』
「それは見返りとして、釣り合っていません。だからせめて、俺はあなたにお願いする立場にある」
『頑固だな』老人は少し笑って見せた。
人工知能というにはあまりに精巧で、『オルガ』という人物が本当にこの世に存在しているかのようだ。
「今の私に、目的などない。ナハト、君がこれから少しでも長く生きられるように手助けする機構。それが私なのだから」
画面の向こう側、老人は顔を伏して付け足した。
「これまでも、これからも」
◆
これまで、が――つまり、ナハトが今の生活を構築するまでが、簡単な道程だったとは言えない。
しかしながら、『先生』という超高度人工知能のおかげでナハトは生きながらえてきた。
まず、八才の頃、生みの親を捨てることで、日本という科学技術後進国から抜け出した。
次に、「子供」という、法により庇護される立場を利用して、例外的に合衆国の国籍を取得した。
通信教育で義務教育を終えて、十四歳でスタンフォード大学の情報工学科に入学、人型戦闘機にまつわる通信系の学術雑誌に三報の論文を投稿し、二回の飛び級を経て修士号を取得した。
そして、十六才で人体模倣研究所の職員として働き始めた。異例の若さで技師として雇われたナハトは、それでも技能の面では申し分ない腕があった。
ここまでの道のりの全てが、『先生』という最強の助言者がいたからだと言えば、どれだけの人が信じるだろうか。
『先生』はあらゆる法的手続きにおいて、最善のタイミングで最適解を指示した。だから、ナハトは詐欺師に狙われても逃げることができたし、邪魔をする人間はその都度排除することができた。
なによりナハトの能力、すなわち戦闘機の通信系に関する知識、技能を教えたのが他ならぬ『先生』である。
今のナハトを構成するすべてが、超高度人工知能による助言である。
ナハトにとって『オルガ先生』は、助言者であり、相談相手であり、親であり、そして神ですらあった。
これまでの人生、ナハトは『先生』に支えられてきた。それこそ、日本に住んでいた子供のころから。
『先生』がインストールされている携帯端末と右耳たぶのスピーカー。それらを幼いころから、扱っていた。
では、いつからか。
いつから、どこで、だれが、そんな超常の知性をナハトに与えたのか。
その問いには、ナハトは「わからない」と答えるよりない。
実際問題、ナハトですら覚えていないのだ。いつからナハトの身元に全能者が住まわっていたのか。それが判別できないまま、物心がついた時から、『先生』はそばにいた。
彼にとっては世界の開闢に近いその疑問は、しかしてそれほど重要なものではなかったりする。
要するに、『先生』が何者かに頓着するつもりはない、『先生』が自身の信仰する神であればいいと、ナハトは考えている。
これまでもこれからも、『オルガ先生』がいる。その安心感が、ナハトが生きる上でなにより大切なことである。
◆
その日の夜、ナハトはベッドに入りながら、寝付けずにいた。眠気に抗うように走り続ける考え事を押さえつけるのは困難だった。
月面防衛戦線。アルバ・ニコライ。ハリエットのように大真面目に信念とやらを信じている変態ども。
どうしてそんな狂信的になれるのか、疑問でならない。生きているだけではだめなのか。意味を持たなければだめなのか。目的がなければ息をすることすらできないのか。
それは依存性と何が違う。生きている、ただそれでけで自分はすべてを手に入れていると誇れないのは、なぜなのか。
では、ナハト自身は現状に満足しているだろうか。『先生』の導きに従って生きてきた彼は、幸せなのか。
――どうだかな。
それすらイエスと言えない自分が少し嫌になった。こうなっては始末におけない。
あれはダメ。これは嫌いと、結局のところ全部を否定するだけの、幼い感情性が浮き彫りになっただけだった。目的のある人生を嫌悪しつつも、それ以外の答えがない。それが今のナハトの結論だ。
暗澹とした内心を振り払うにはどうすればいい。
そんなときは仕事のことを考えるのが一番だ。目を閉じる。瞼の先に見えてくるのは、まだ見ぬ未来の戦闘機の設計図。より滑らかに駆動する巨人を作るには――その命題を探るとき、ナハトは瞬間的に天才になれた。
NM変換ユニットにより脳の電気信号を、アクチュエータに伝えて、身体を動かすように戦闘機を動かす機構。その発展形。それが人体模倣。同調率の向上を目指して――――。
作られた操縦機構。ナハトのアイディアは鮮明な具体性をもって、戦闘機として想像できた、
――パイロットの『心』を先読みする機体……名前は……ハー……・
そこでナハトは眠りに落ちた。
◆
次の日の朝、ナハトは『先生』の声で目が覚めた。
『ナハト、起きろ。明龍からメッセージが来ている』
ナハトはベッドから飛び起き、ワークステーションの電源を押した。
『暗号の解読をしてある。文章の読み上げをするか?』
「いえ、自分で目を通します」
ナハトは、緊急の案件であることを予想していた。普段『先生』から起こされることはめったにない。それだけでも異常事態を察することができた。
驚きはない。
「……平時において組織への情報提供感謝する。今回、新たな仕事を依頼したく連絡した」
――戦闘機のシステムデータの抜き取りと別の新しい仕事。
「一週間後、明龍のエージェントが人体模倣研究所に潜入する。そのバックアップを頼みたい。エージェントの任務は、人体模倣研究所が保有していると予想される高度コンピューターを探すことである。
我々は、それを人心核『アダム』と呼称している。
なお、依頼報酬は既に貴方の口座に振り込んである。確認していただきたい」
「先生……引き受けるべきですか」
『報酬額は、普段の収入の十倍以上ある。私は重要なのは金だと思うが、どうだろう』
「確かに、先生の助言があれば、大抵の仕事は難なく終えられるでしょう。……引き受けます」
こうして、ナハトは『先生』の助言の元、意思決定をしていく。それで失敗したことなどほとんどないし、あったとしてもナハト自身のミスであることが多い。
あらかじめ、『先生』からの預言があるおかげで回避できる危険がほとんどだ。
だから、どんな緊急事態になったとしても、ナハトは強く驚くということがなくなっていった。
冷静を保つことが全ての成功のカギだと、ナハトは知っている。
「ところで、先生。『人心核』ですか……? これは一体どういったものなんでしょう。人体模倣研究所にそんなものあるんですか?」
『人心核とは――』
ナハトは静かに、落着きを保ったまま、続く言葉を待った。
『私だ』
「えええええええええええええええええええっっ!!!!!?????」
『ナハト、うるさい』
ナハトは『先生』のおかげで強く驚いたことなどない。――わけではなかった。
メッセージの最後に、ナハトがバックアップする手はずになっている明龍のエージェントの名が記されていた。
その名は、〈スピーディ〉。




