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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
零. 不合理なハービィ
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エピローグ 意味のない人生

2164年  L2宙域 民間武装組織『明龍』所属小型艦 操縦席


「心が読めるロボット……ハービィ」


 ピンでページを止めた文庫本をめくりながら、彼女は小さく呟いた。


「ハービィ、ハービィねえ……どっかで聞いたことあるような……ないような……」


 彼女の名は梶原奈義。どの国家にも属さない軍隊、民間武装組織『明龍』で雇われた人型戦闘機パイロットである。今年で二十六歳を迎える若手でありながら、最終決戦に備えた組織の切り札として位置づけられている、敵兵曰く、怪人のような女である。


 彼女はこれから戦場に赴くため、小型艦で護送されている最中だ。戦いはすでに終盤。今回の任務は、月面防衛戦線というテロ組織への基地襲撃だ。


 奈義の戦う前、過度な緊張を防ぐために、読書に耽ることが多い。それも紙の本であることが多く、部下や同僚たちの間では、ちょっとした話題になっている。


「ほんとなんですね……紙の本だ……」


 小型艦の操縦士のアーノルドは感心するように、言った。


「なにか言ったかしら?」


 奈義は本から顔を上げて、アーノルドを見た。


「いえ……世界最強の兵士がどんな人か……案外普通なんだな、と意外に思いまして」


「本ぐらい読むわよ、そりゃ」奈義は小さく笑った。


「何を読んでらして?」


「アイザック・アシモフの『私はロボット』って知ってる? もう200年以上昔の古典……。読んだことある?」


「いえ、自分は読書はさっぱりで、どんな話なんですか?」


「貸してあげるから、自分で読みなさい」


「りょ、了解しました!」


 そこで一度二人の会話は途切れた。小型艦には、仕事上初めて出会った二人の自然な沈黙だけがあった。

 

 彼女はラジオでも聞きたかったが、あいにくここは宇宙の戦場に近い。電磁パルスによる通信妨害が民間の電波を遮られている。読書をするのもいいが、誰かと話したい気分でもあった。


「ねえ、緑の太陽って知っている?」


「緑の……? それも小説のタイトルでしょうか?」


「違うわよ。太陽が一瞬だけ緑になる瞬間があるって言ったら、信じる?」


「……もしかして、緑閃光のことですか?」


「知ってるの?」


「ええ、私はハワイの出身で、地元では少し有名なんですよ。光の波長、レイリー散乱だの面倒な説明は抜きにしてただ、綺麗だと。観光客にも人気ですよ」


「貴方は見たことあるの?」


「一度ありますよ。なんていうか……嘘みたいに綺麗だったんですよ。実感がわかない感じでした」


「そう」


 と奈義はなぜか満足そうに背もたれを倒して、目を閉じた。アーノルドも話は終わったと判断し、再び操縦に集中した。


 作戦開始まであと七時間。


 奈義は眠りについた。


        ◆


 梶原奈義は、十年前の人体模倣研究所をどう処理していいか、いまだに意味付けを怠っていた。だから、未整理な記憶はたびたび彼女の脳裏に映し出される。


 オルガ・ブラウン。ルイス・キャルヴィン。――六分儀学。


「……い」


 甘いような、苦いような、熱したガラス細工のように柔らかく壊れやすい、そんな夢をみていた気がした。


 十年前、彼女がまだ少女だった頃の記憶。

 

 幼い抵抗だったが、その全てが命がけだったと、彼女は言い切れる。


「……い。梶原中尉」


 操縦席から奈義に向けて声をかける声は、


「そろそろ、時間ですよ」と心配げなアーノルド。


「ごめん、少しうとうとしていたわ」


「目薬使います? 目を開けたまま寝ていたので、疲れていませんか?」


「え!? 私、そんなことしてた?」


「ええ」


「言ってよー!」


 奈義は遠い昔、同じ寝方をする人を知っていた。それは傍から見たら、グロテクスなほど面白い顔をしていたことを思い出した。


「私、全然彼のこと笑えなかったじゃない!」


「え、なんのことすか?」


「気にしないでこっちの話」


 アーノルドは『まあ、いいか』と仕事に戻る。


 奈義は、小型艦の窓から宇宙を眺める。連続的な通信妨害によって皆、誰かとの繋がりを断っている暗黒の空。宇宙開発と戦争によって発生したおびただしい数のデブリは、そろそろ国連のデータベースで確認できない量に達しつつある。熱と大気のない超真空は、あらゆる「弱き者」を許さない、生存しがたい無情の闇だ。


 月と地球の戦争はすでに、地球側に軍配が上がろうとしていた。短期決戦を望んだ国連軍の狙い通りの展開となりつつある。


 これから奈義はそんな戦場に終わりを告げる、宣告官のような仕事を担う。 


 それはオルガ・ブラウンの臨んだ結果なのだろうか。


 ここまで予想された展開なのだろうか。


――笑えないわ。


 戦いは最終局面へと流れ込む。


 雑多な思考がまとまらない。これから悲鳴と怒号が舞う地獄へ、すべてを糾しにいくのだから。彼女に与えられた役割は、終戦の女神。今際の際の感情をくみ取る能力を有するがゆえに、あらゆる悲しみに直視しなければならない。


 だから、今だけは肩の力を抜いてしまいたい。


 しかし、そんな彼女を休ませまいと、『声』がした。


『助けて』


「――え」


「ん? どうかしましたか」


「ちょっと、出るわ。格納庫のハッチあけてね」


「ええ、ちょっと! 待って作戦が! ちょっと!」


 彼女は扉を開けて、無重力の浮遊感を利用して、最短距離で、格納庫まで流れる。慣れた身体使いでパイロットスーツに着替え、機体に乗り込み、システムを立ち上げた。


「今いくからね」


        ◆


「助けて」


 少女は、脱出機構の壊れた戦闘機に一人、閉じ込められていた。飛行ユニットは破損、推進剤も武装もなく、移動すらままならない。その場にある幾千ものデブリの一つとなって漂い続けていた。

 

 弱音も出る。ここで死ぬことは確定していた。


 結末はふたつ。デブリの直撃に遭い体ごと粉々にされる か、このまま宇宙を漂い寒さと空腹で息絶えるか、だ。もう、彼女一人の力では、どうすることもできなかった。


 彼女は月面防衛戦線の末端にいる工作員だった。月面で生まれ、組織に引き取られ、訓練を叩き込まれた。彼女の人生はそれだけだった。


 戦う道具として生き、国連軍からの襲撃で、あっけなく命を落とすのだ。彼女の人生の主導権は、あらゆる場面で彼女になかった。


 せめて、外に出たい。この二億ドルの棺桶で最後と 遂げたくない。

 

 なんのために生まれたのか。そんなことを少しでも考えようものなら、涙で前がみえなくなった。道具として彼女は戦った。だから――なんだというのだ。


「助けて、ハワード……」


 彼女は自らの育ての親の名を呼んだ。


 けれどもそう都合よく返事などない。


 脱出機構のレバーを引く。しかし、赤いランプが灯るだけだ。機構のエラーである。後はもう、外部からこじ開けてもらうしかない。この場面でも、彼女の命は彼女自身に委ねられていない。少女は、諦められない自分が苦しかった。


 でも、生きたくて仕方ないのだ。外に出たくて仕方ないのだ。


 誰か。


 助けてくれる誰かなど、ここにはいない。


 外から救出を要請したとしても、デブリの雨の中で、彼女を見つけることなど不可能だ。熱源を持つデブリも山ほどあるため、サーモカメラで 見つからないし、救難信号を送っても、デブリの嵐を避けながら彼女のもとに来られる程の技能を持つパイロットなど存在しない。


 彼女は息をはいた。冷たい息だ。パイロットスーツには、パニック防止薬剤が注入できるスイッチがあった。それは上官が遠隔で操作できる仕組みだが、テロ組織の使うそれは、規格から外れた外注品だったため、自分で薬剤を投与できた。


「もう、死ぬなら、幸せな夢をみて、死にたい」


 パニック防止薬剤は、有り体に言ってしまえばドラッグだった。悲観的な考えが生まれないように、薬で矯正する外部からの感情操作。彼女はせめて楽天的な気持ちでこの世を去りたかった。


 嘘でもいい、優しい夢を。甘い嘘が、ほしい。


 でも投与してしまえば、判断力は著しく低下する。助かる見込みはゼロになる。


「幸せになりたかった」


 漏れた言葉は、誰もがもつ本音だった。彼女以外の誰もが持っていると錯覚した。彼女を仲間はずれにして、世界は回る。誰も彼女を覚えていない。


 幸せになる。それを手っ取り早く叶えてくれるスイッチは、首の後ろにある。幸せを模倣した夢を提供する甘い毒。


 目を閉じ、スイッチに触れた時。


 それは起きた。


 脱出機構の赤いランプが。


 緑に灯ったのだ。


 その光が、彼女には嘘のように見えた。


 嘘のような本当の光。


 緑の光だ。


 脱出機構は外側から起動され、コクピットは開かれた。無音の暗闇の中で、一人の女性が手を伸ばしていた。


『よく頑張ったわね。もう大丈夫よ』


「嘘……」


『あなた、月面防衛戦線の生き残りね。ほら、掴める? 手』


「……」


『ほら早く!』


 少女は、その手を取った。その感触に温度は伝わらない。


『アーノルド、捕虜を捕まえたわ。基地まで拾ってく。そういうことでよろしく!』


『―――!』と女性の通信機には騒ぐ声がしていたが、女性は意に介さぬまま、少女を見つめた。


『月面防衛戦線の兵士はみんな子供だって聞いて、頭がおかしくなりそうだった。本当だったのね。戦うための子供なんて』


「私は……道具だから」少女は今まで叩き込まれてきた常識を、彼女に伝えようとした。捕まった場合は、道具であることを主張し、捕虜のとして価値がないことを言え、と。


『じゃあ、道具としてのあなたを殺すわ。もう戦うために生きなくていいわよ』


『名前は?』と奈義は短く聞いた。


「ヘレナ・フィッシャー……」


 月で生まれた彼女に本来の名前はなかった。これは彼女の指導者、ハワードが付けた名だった。


「……! どうして助けてくれるの?」


 彼女は、笑いながら言う。その笑顔には、今まで失ったすべてを優しく包むなにかがあった。意味も、目的も、なにもない。ただ生きて幸せになるだけの生き物である彼女たちは――無明の宙で手を取った。


 ことこの瞬間に至っては、優しい嘘も、苦しい真実もない。


 人は誰かに思ってもらうだけで生きていけると、奈義は知っていた。


 もし、この少女がここで息絶えようとしているならば、奈義は彼女のことを思おうと決めたのだ。


 意味のない、目的もない、ただの人生に祝福を添えて――。








「どうしてって、それはあなたの『声』を聞いたからよ」





Harvey, the liar. The end.

これにてひとまず『いつか夢見る人心核』一章『不合理なハービィ』終了です。


一章といっても零章というのが正しいような気もします。次章から主人公が変わります。


奈義とは違い、彼は心身共に弱くて卑怯ですが、どうにか頑張ってくれそうです。


彼はハワード・フィッシャーの野望を止めることができるでしょうか。お楽しみに。

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