After the Goddess (5)
『これで最後よ!』
エルザ・ハーバードのライブはクライマックスを迎えようとしていた。ナハトは飛び跳ねる彼女を見て、ドウターズにはなかった生身の感情を空想した。人の気持ちがわからない。それを前提としているから、ナハトの想像でしかない。
きっと、エルザはハワードを救いたかったのだろうと、思った。
彼女は歌という手段を選んだというだけのこと。同じ願いの上にある。
『ああ、ソフィアが歌ってる。歌うまかったもんなあ……』と文脈違いの涙をながしているアルバ・ニコライを他所に、ナハトは鼻を鳴らした。
月面防衛戦線の生き残りを滅ぼせと命令されたコンピューターウィルス<ピース>。
敵はレーザー砲のハッキング、核ミサイルの発射、ライブ会場のシステムへ直接侵入を試みた。
それぞれが決死の覚悟で食い止めたが、これで終わりだろうか。
まだ隠し玉があるに決まっている。
ナハトは自分の仕事を再認識した。
ステージ上で踊るエルザの顔を眺めた。
エルザが死んだらヘレナが悲しむ。
今回はその程度の動機でいいか。と、ため息をついた。
『最後の曲はこれ! Without the goddess 』
戦いの前奏が鳴った。
◆
『エリザ・ハーバード。月面防衛戦線、ドウターズの生き残りを殺害します』
〈ピース〉が操る〈マシン〉が動き出した。無人機の周りに量子が旋回し、渦を成す。
偽りの女神が平和を高らかに歌う。
誰も乗っていないから当然同調率は0パーセント。
量子は誰の想いにも反応していないため、ひどく散逸している。けれどその量は異常だ。決壊したダムのように量子があふれ出している。この空間に赤い光が拡散されていく。
梶原奈義はレーザーを食い止めるために意識を割いている。六分儀学は核ミサイルと戦闘機の対応に追われている。
〈マシン〉を止められる戦士はいない。並みの兵器では太刀打ちできない強敵。梶原奈義ならば勝てるだろうが、不可能を言っても仕方がない。
だから彼女なのだ。
「私の妹に、なにする気?」
彼女はドウターズを妹と呼んだ。ハワードの娘であり、後から生まれたと考えるとそう言えなくもないが、少し無理があるような気もするが、そこは問題ない。全くの他人を母親にした彼女だから、この宣誓は彼女にとって正しい。
梶原ヘレナは誰かのためのその力を振るったことがなかった。その時は主人格ではなかったから。
けれど今は違う。
自分の意思で臨界の扉を破る。
基本プログラムは──幸せに生きること。
ならば全く問題ない。妹を守ることが彼女の幸せだからだ。
ヘレナはライブで流れている最後の曲を口ずさみながら、月面基地の格納庫から出撃した。
彼女が乗る機体は──〈コンバーター〉。けれど奈義の機体とは異なり赤いカラーリングがされている。
〈コンバーター〉と〈マシン〉の戦い。二年前のそれの再現であるかもしれない。
けれど、事情は少し違う。臨界突破者としての彼女はこれが初陣だった。
「梶原ヘレナ、出ます!」
同調率──オーバーハンドレッド。
妹を守るため、梶原ヘレナは出撃した。
◆
エルザの歌声が宇宙に響いた。
どこにでもいる、貴方ただ一人のためにそれは歌われる。歌詞は凡庸だが、それだけに広くパーソナルに人々の心に届いた。
何がしたい? どう生きる? 自分で選んで。誰からも言われる必要のない当たり前を、彼女だからこそ言葉にした。
メロディーが、ハーモニーが、会場の心を束ねていく。
呼応するように、梶原奈義は力を振り絞り。
六分儀学は限界を超え。
梶原ヘレナは心を燃やす。
誰もおいていかない。誰でもなかった彼女だから歌える歌がある。
そして、エルザ本人にも向けた隠れたメッセージがあった。
見ていて、お父さん。あなたの願いは間違ってはいなかったから。
誰より優しい人──どうかお休みなさい。
◆
『月面防衛戦線の生き残り、ヘレナ・フィッシャー。殺害する。殺害する』
赤い二つの恒星が激しくぶつかる。梶原ヘレナは願いを量子に乗せた。これが無人機との違いと言わんばかりに、量子を槍の形に象った。繰り出された一撃は、象りもしなかったただ厚みのある量子の壁に阻まれた。敵機は量子を圧縮する術を持たないが、ただ質量にものを言わせて攻撃と防御を行う。
ただただ巨大な量子の球となって、ヘレナに突進する。
ヘレナは躱して、再び攻撃の形を作り出す。彼女は人心核イヴの内側に蓄えた熱量を解き放つ。
月面防衛戦線を滅ぼすというのなら、相手になる。よく吠えた。ヘレナ、手を貸すわ。
それは、これまで対話を繰り返してきた仲間たちの声。愛と絆はここに結実する。
「あなたが相手にしているのは、私ひとりじゃないわ」
梶原ヘレナと絆の戦士たちがイヴの中で強く同調する。この二年間、ヘレナはナハトから人心核の扱いを学んできた。人格と対話することで、強く感応し、それぞれの人格の力を借りる怪物の技術。彼女は二年間もの間、主人格としての器を絶え間なく評価され続けてきた。
情けない真似をしたら──少しでも基本プログラムに背くことがあれば、紀村ナハトを殺して、梶原奈義に挑むと脅されれば、頑張らなければ嘘になる。
厳しい友人たちは、今こうしてヘレナの敵と共に戦ってくれる。そうでなければ──きっとあなた達は私を見過ごせないでしょう? いたずらに笑うヘレナ。
そして100人分の力が具現する。形成されたのは100本の剣。それぞれが装飾が異なる多種多様の心の形。対話を重ねたからこそできる、魂の解像度。
遠くで歌姫と同じ顔の少女が笑った。
『彼女を守るためだもの。ヘレナ、頑張って!』
「うん、ありがとう。ソフィア! 私頑張るよ!」
歌は続く。色彩の剣の雨は、魂のない<マシン>を貫いた。
◆
『勝負はついたみたいだな』
ナハトは無表情でそう言った。
『まだやるか?』
フェンはナハトに消されては再び挑むことを繰り返していた。肉体は滅んでいるため、ありえないことだが、フェンの声は疲れているように聞こえた。
『できれば、ここで終わりたいのですが。命令は終わらないようです』
『そうか。だったらフェン、いいことを教えてやる』
『なんでしょうか?』
『もう、月面防衛戦線はいない』
『…………!』
『平和かどうかは、知らねえけどな』
『今は、それでもいいですよ。ありがとう、オルガ・ブラウン』
『ふん、礼を言われる筋合いなんかねえよ』
フェンは今度こそ、消滅した。
◆
『みんな! ありがとう!』
歌姫は2時間のコンサートを終えて、観客席に向かって手を振った。
『生まれてきてよかったー! って感じです!』
今はいない父親に聞かせてやりたいセリフを目いっぱい叫んだ。孤独を破壊するとはなんと馬鹿げたことか。しかし、何も残らないのはさすがに気が引けた。彼女は親孝行な娘でありたいと思った。
歌なら少しは届くかな。全然自信はない。それでも続けていこうと思う。
何もなかった自分だけれど、友人ができた。
名前をくれた人がいる。
今はそれで充分だった。人生は続く。
『って終わりかと思ったか! アンコールいっくぞー!』
彼女は花束のような笑顔で叫んだ。




