After the Goddess (4)
国連宙軍軍事衛星〈アテナ〉では、月軌道外から現れた巨大ミサイルの迎撃準備を進めていた。
目視および各センサー群の分析では、国連が所有する核弾頭〈トライデント〉と類似しており、その用途、威力も同等であると仮定して、作戦が立てられている。約八十分後に月面に着弾すると予想され、最悪の場合、月面民五千万人の命が宇宙に散ることが予測された。戦術予測AIが算出した作戦は、レーザーによる迎撃であり、着弾の前に破壊することだが、エネルギー充填に十五分要する。衛星密度が高い宙域に侵入される前に、破壊することがベストだったが、ミサイル発見後、十分でミサイルの加速を確認。着弾予測が大幅に変更された。レーザーによる破壊とは別アプローチとして戦闘機による接近と破壊が進められたが、編成段階で本作戦に従事できる技量の戦士が限られ、決死の重大任務となった。国連はAIによる作戦立案後、その厳しい状況を明龍に報告。梶原奈義およびその他戦士の出撃を要請した。梶原奈義はつい二十分前に別件の対応のため、戦闘機に乗っており、すぐに迎撃態勢をとることができた。安堵する国連軍部はその後、別の報告を受ける。軍事衛星〈アテナ〉に搭載されたレーザー兵器に不具合が発生したとのこと。レーザー兵器はエネルギー充填率三十パーセントのところで、照準を月に合わせだした。情報部の解析によるとコンピューターウィルスによる攻撃を受けていると報告があった。直ちにエネルギー解放が求められたが、技術、戦士の両方の対応は間に合っておらず、目下レーザー兵器の誤発射の予防線として、梶原奈義へ作戦変更を告げた。すなわち、核弾頭ミサイルへの対応は後回しにしてレーザーを防ぐ任務に切り替わった。刻一刻と状況は変化して、ついに──。
『同調率──オーバーハンドレッド』
レーザーは発射された。
月への射線に割って入る青い炎。コンバーターは〈神の代弁者〉を解放し、光の束を受け止めた。
◆
国連宙軍の戦闘機部隊は迫りくる核弾頭へ直進していた。背後には光の束が青い盾にぶつかり、激しい散乱を繰り返した。彼らは国連宙軍でも最高峰の技量を持つが、今回ばかりは寝耳に水である。その場にいた出撃可能の戦士だけでも二十は超えない中、本作戦を達成できる者はその半数以下に限られた。迫撃砲による物理的破壊を試みるが、核の炎を受けない距離で正確に射撃する必要があり、自動化された照準合わせをミリ単位で調整して、迫りくるミサイルを撃ち落とさなければならない。
そこで、彼らは異変に気が付いた。ミサイルが一つの格納ユニットを切り離した。初めは空になった燃料タンクかに思えたが、次の瞬間、ユニットから戦闘機が十三機現れた。彼らはミサイルの速度に乗りながら、また自身の飛行ユニットを使い、速度を上げて迎撃部隊へ突進する。この任務はミサイル迎撃作戦から戦闘機同士の接近戦へと内容を変えた。敵機も同じく第四世代機の機動力を有しているようで、俊敏な動きで部隊を攪乱している。敵の運用から考えて、無人機であることは推測できたが、その技能はやけに高い。まるで成長過程にある若い戦士のようだった。生身の人間を相手に学び強くなる、無感動の戦士たち。部隊の中には錯乱し、刺し違えてでもミサイルを破壊するため、突進した戦士がいたが、虚しくも辿り着く来なく無人機に撃ち落とされた。一人また一人と散っていく歴戦の戦士たち。梶原奈義の不在を呪う暇などなく、彼らは軍人として戦った。
だから、彼は彼らの奮闘に敬意を払う。
いつも遅刻してばかり。そう罵られても、何もしないよりかはいい。
彼は、どんな時も、誰かのために現れる。
『久しぶりだな。フリット。アーナム。ロナウド。ハキム』
この声は──。かつての国連宙軍大佐。今は明龍の戦士。
六分儀学がミサイル迎撃に合流した。
◆
『梶原奈義と六分儀学の出撃を確認』
『で、俺のところにも来た、と』
紀村ナハトは電脳世界で王のように座していた。
『あなたは……随分と変わったようだ』
『何も変わっちゃいないさ。ただ視点が増えただけ』
コンピューターウィルスは一人の男を模倣した。散逸していた情報が収束し、フェンの容姿を象った。彼の願いそのものがウィルスの本質だと見抜いたナハトは、ここで待ち構えていたのだ。
ルイスへの言葉は正確ではなかった。梶原奈義と六分儀学がいれば、この事件は十分だ。自身の出る幕ではない。真実は異なる。ここが──エルザのライブの地下室で待ち構えることが、紀村ナハトの役割であり、コンピューターウィルスにとっての最大の防壁となった。
『視点というのは、人格という意味ですか?』
『…………』ナハトは答えない。ナハトはこの空間における覇者だった。傲慢な態度で、ナハトは質問を質問で返した。
『お前の目的は、エルザ・ハーバードの殺害だな』
『ええ』
『わかった。失せろ』
ナハトが指で弾くと、〈ピース〉は霧散して空間から消えた。
◆
私には名前がなかった。
あったのは激しい怒りと、知らないはずの家族の思い出。
幸せに暮らすはずだった少女の記憶。両親と兄がいる日だまりのような暮らし。
けれど、私にとっては他人事だった。なぜなら、それは私の思い出ではなかったから。
私はハワード・フィッシャーに生み出された。一人の兵士。一人の戦士。敵を殺すために生まれた量産型の殺人鬼。
始まりの記憶は、培養液の中だった。私の身体は十六歳程度まで成長してから、この世に誕生する。だから、それまでの自我はない。生まれた時に感じたのは、床が冷たいこと、そして私を見つめるハワードという男がひどく、やつれて見えたことだ。私は──私たちはハワードを父親として、母親をソフィア・ニコライという知らない少女として生まれた。きっと誕生する前に見ていた記憶はソフィアのものだろう。
愛に溢れた記憶。だから私の仲間たちは口を揃えて言った。
可哀そうなお兄ちゃん。もうソフィアには会えないのに。
人心核イヴ。原理や仕組みはわからない。けれどソフィア・ニコライは決定的に終わっていて、その事実とイコールでアルバ・ニコライも終わっていることはわかっていた。
誰も彼も救われない。
無情だ。
宇宙は冷たい。
こんな世界では死んでいることも、生きていることも変わらない。ソフィアが抱いていた絶望が、私たちに諦観を植え付けた。だから素直にハワードの言うことを聞いたし、自我がない振りをした。私の仲間たちは死ぬとき悲鳴を上げないことを特技としていた。
つまらない。だから、せめて生きている間は仕事が欲しい。何も考えなくて済むから。
けれど、ここからが一番不幸なところ。
私が生まれてすぐに、ハワードは殺されてしまった。
紀村ナハトに殺されたらしい。私に下された命令は紀村ナハトの殺害だったから、丁度いいと思った。
もっともらしい理由ができた。彼を殺せばいい。
私は父親のいない世界で、紀村ナハトを探し歩いた。
月で見つけた。
正確に言えば、私が隠れるのが下手だったから、向こうから会いに来た。
彼は私に言った。お前では俺を殺せないと。
殺せる殺せないではないのだ。命令を守ることが──復讐を果たすことが重要で、そうしている方が、なんか人間っぽかったから。
挑んでみると、これが不思議なことに、本当に勝てないのだ。とびかかってもあっという間にボコボコにされてしまう。私は気を失って、どこかに連行された。
そこで待っていたのは、ヘレナだった。
ヘレナは私を抱きしめた。意味がわからなかった。
なぜだろう。ヘレナの内側には誰かがいた。本当はもっと強く感じられるはずの誰かがいた。
「聞こえないでしょう? 私、人心核イヴだから」
ヘレナは言った。
どんな理屈だろう。私はこの時、悲しいと思った。
そして何より悲しかったことは、私の父親──ハワード・フィッシャーがいかに愚かな人間であったかを知ったからだ。
◆
精神感応という現象がある。
一卵性双生児などがごく稀に有する、離れた位置にいても理解し合えたり、行動がシンクロしたりする、共鳴現象である。二十一世紀では眉唾もの、あるいは遺伝的ではなく環境依存の現象だと考えられた古い概念である。確かに、夫婦は行動が似てくるだとか、双子でも育った環境が違えば精神感応は起きないだとか、超能力めいた仮説の反例は多く上がった。先天的に人間のすべてが規定されるのではなく、エピジェネティクスの観点も合わさり、時間と共に変化するのが人間だと──科学は優しくも厳しい結論を導き出した。
しかし、人体模倣の黎明期である2050年代、僅かにではあるが、精神感応に関する研究の小さな芽が萌えた。
ムーブメントこそ起こさないが、世界各地でポツリポツリと遺伝的に同一の人間のシンクロ現象が見受けられ出した。
ある研究者は、人間以外の動物では起こらないと報告し、人体模倣となんらかの関係があると示唆した。現在でも、精神感応はオカルト的な見方が根強く残っている。
それでも、人類は言い逃れできないほどの例を、目の当たりにしてしまった。
ハワード・フィッシャー。
梶原奈義。
二人は精神感応を、遺伝子の隔たりを越えて実現する怪人である。厳密には仕組が異なるが、人体模倣の流れを汲む異能力であることには違いない。
精神感応は読心能力と同じ文脈で語られる。
本来、ドウターズはソフィア・ニコライの心が読めたし、ソフィア・ニコライはドウターズの心が読めたはずであった。
けれど現実は違う。
ヘレナは私に謝った。
ごめんなさい、わからない、と。
こんなおかしなことがあるだろうか。
私の父親は、梶原奈義に人心核を宿して人類救済を目指したという。
それは不可能だ。
本来心が通じ合う者同士が、人心核を媒介すると何もわからなくなってしまうではないか。
なんと愚かなことか、ハワード・フィッシャー。
あれほど、恋焦がれた人類孤独の撲滅は不可能だった。読心能力と人心核は水と油だった。
なぜこんな簡単なエラーに気が付けなかった。人生そのものを間違えたような愚者だ。
ここである仮説が思い浮かぶ。私以外のドウターズもその点については気が付いていたのではないか。けれどあえて言わなかった。無駄なことだと知っていながら止めなかった。
私はハワードと長く時間を共にしたわけではないけれど、少し納得できる。
あの男に、そんなことを言ったら、可哀そうすぎる、と。
結局のところ、私は自身の父親がいかに馬鹿か理解するために、紀村ナハトを襲ったことになってしまった。
◆
そして私は路頭に迷った。生きる目的を失った。紀村ナハトを殺すことも、ハワードを救うこともできない。
私には何が残っているのか。
そこで私はある可能性を思いついた。
私の経験を伝えたい人がいる。
この世界にきっといる。
同じ運命を背負った人がいるはずだ。
私は、ハワード・フィッシャーのクローンを探すことにした。
◆
紀村ナハトによりあっさり見つかった。七人いるらしく、最も近い人に会いにいくことにした。
それがきっかけ、私の彼、あるいは彼女との出会い。
とりあえず、父親にそっくりだったから、便宜上「彼」と呼ぶことにする。
私は彼の家に押しかけて、無理やり家に上がった。
ハワード・フィッシャーという男がいた、そんな切り出して話し始めたが、すぐに理解してくれた。
というのも、彼はクローンの中でも最も精神感応が強い個体だったらしく。ハワード・フィッシャーの呪いにも似た怨念が痛いほど流れ込んでいたというのだ。孤独を恐れる心。人類の救済。それは彼にとって知らない記憶だったから、不気味に思えた。
だから、というのは不自然かもしれないが、元々あった本人の気質も合わさり、彼は彼女になったという。
曰く、ハワードとは違うことを証明したかったらしい。
えらくひどい言われようで、思わず笑ってしまった。生まれて初めての笑顔だったかもしれない。
私と彼はオリジナルのいないクローンだ。同じ運命の下にいた。彼は自分の筋書きは自分で決めた。
そして私に問うた。貴女はどうするの、と。
どう生きたい? 誰も縛られることはない。愚かな親も──復讐するべき誰かもいない。
まっさらな白紙に、インクの一滴を垂らして見せろ。挑発的な笑みに、私は負けじと高らかに言った。
父親は願いは正しく、やり方を間違えた。
だったら私は、どっちも上手くやってみせる。
「人々の孤独を消すようなことをしたい」
私は歌手になった。
ドウターズと呼ばれていた私は、名前がなかった。
だから彼がくれた。
エルザ・ハーバード。
苗字は彼のものだった。そして名前は──彼が女性に生まれたらつけたかったものらしい。




