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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
零. 不合理なハービィ
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青春の終わり

 ハービィと梶原奈義との激突から一週間が過ぎた。


 この一週間、ルイスはなにをしていたかというと、研究所に入れなかったため、町でホテルを借りて過ごしていた。


 戻ってみるとオルガが消え、自分は犯罪者のようになっていた。


「まいったわね……」と乾いた笑いが込み上げてきた。


 ルイス・キャルヴィンの職員IDによって行われた施設破壊行為および越権行為の一つの顛末として、ルイス・キャルヴィンは研究所を去るととなった。


 もちろんそれがオルガ・ブラウンによるものであると気づいた職員がいなかったわけではない。けれど、オルガ・ブラウンを糾弾することでヒューマテクニカ社との関係悪化を懸念した、それが人体模倣研究所の上層部の判断だった。


 一方で、ヒューマテクニカ社にとっても今回の一件でオルガ・ブラウンが人体模倣研究所へのしこりとなることを危惧した。つまり――オルガ・ブラウンはCEOから退任する運びとなった。


 あくまで穏便に火中の人物たちは退場した。組織の体質として膿を吐き出したと――だれもが納得した結果だった。


 ルイス・キャルヴィン博士は引っ越し業者に荷物の全てを託して、発車するトラックを見送っている。


 トラックは小さく砂埃を上げて、ゆっくりと進んでいった。未練がましく振り返りなどしない。だから、彼女もそうありたいと思っていた。


 しかし、背後から掛けられた声にその願いは砕かれた。


「博士っ!」


 振り返るまでもない。背中で応じるように、小さく返事をした。


「梶原さん……」


「本当に……研究所、やめちゃうんですか?」


「そうよ、ごめんなさいね」


「私はいやです! 行かないでください!」


 その直接的すぎる説得を聞き、思わずルイスは奈義へ顔を向けた。


 気付いた。梶原奈義は以前とは違う。それは臨界突破者となったからか、人体模倣の限界を踏破した超人だからか、否どちらでもない。彼女は成し遂げたのではない。


――むしろ、失ったのだ。


 愛に生きるも、真実を信じるも、両者を手に入れることなどできない。現実と戦い、戦い、戦い続けると誓った。さながら挑戦者のような瞳をしていた。


 泣き腫れた瞼も、すこし痩せた頬も、今の梶原奈義には皮肉なほど似合っている。


「それは無理よ。私はもう研究員ではないの」


「じゃあ、私もテストパイロットを辞めます!」


 奈義はその言葉を用意してきたようだ。別れと決意に満ちた宣言は、ルイスの内心を揺さぶった。驚くという反応には、焦りが混ざる。彼女の立場はすでに研究者ではないけれど、その発言を翻させたほうがいいと、判断した。


「駄目よ。それだけは駄目……」


 研究者は皆、そう言うだろう。梶原奈義を手放すという愚行は犯せない。


「それはどうしてですか! 博士はいなくなるのに!」


「私なんて比較にならない。あなたの価値は、私を引き合いに出すことすらおこがましい、人類が束になっても到達できるかわかない領域にあるの! それを研究所から引き離すことは、絶対にやっちゃいけないことよ!」


「博士は本当はそんな風には思ってない」


「……思っているわ、あなたは特別なのよ、だれにも真似できない宝石」


「博士は違う! 私の価値がどうこうなんて本当はどうでもいいって思っている! 思ってくれている! だから信じてるの、私はこの施設の大人の中であなただけは信じていた!」


「……それは……!」


「博士は言ったわ。人には意味がないって。だから死なないって。私はオルガ・ブラウンとは違う! 私には使命や役割、目的なんてない。ただ生きて、幸せになるだけの……それだけの動物よ! あなたもそうでしょう、オルガ・ブラウンとは違うって」


「……!」


 道具には意味があり、人には意味がない。意味があるものには死が付きまとう。


 ルイスは、だれよりも奈義に人たらんと願った人物であった。


「そうね……私とあの人は違う」


 ルイスの瞳に気炎が宿る。


 その通り、ルイスはオルガ・ブラウンとは違う。彼女はこれまで、オルガ・ブラウンを支えたいと願ったことはあっても、彼のようになりたいと憧れたことは一度もなかった。それはさながら、断崖へ飛び込む者を引き留めたい気持ちに近い。オルガ・ブラウンの愚かさを許してやれるのは、自分だけだと――その自負があったからこそ、五年前の彼女は失意に飲まれた。


 そして、今回はどうだ。同じ結末をたどっただろうか。ルイス・キャルヴィンはオルガ・ブラウンのなに一つを理解できずに幕を閉じただろうか。


 確かに、ルイスはオルガを理解できない。これからもできないだろう。


 けれど、この度の結末は違うと、彼女の自身が断言できる。


 なぜなら、あの時は諦めたから。あの床に臥せる小さな老人を残して、彼女は背を向けたから、悲しみは悲しみのまま澱となった。


 今回の彼女は――諦めていない。あの間違いだらけの老人を導く光になると、決意した。


「私は研究所を去るけど、なにも終わらせてなんかないわ」


 そこで、ルイスは他愛もない記憶を思い出す。それはあてもなく車を走らせた学生時代の旅であったり、無理難題に近い研究テーマに挑みことごとくを失敗し、悩み果てた研究室生活であったり。


 目的も手段もない。それをまず自ら選んで駆け抜ける。迷い、疲れ、それでも歩き出す。混沌とした若さの夢だった。


 ゆえに、その時でた言葉もそれと同じ。無鉄砲、構わない。恥知らず、知らないわ。誰に何を言われても、そうしたいと感じたときに一歩目は自然と踏み出るのだ。


「あなたもこない? 梶原さん」


「それは……!」


 奈義は心底驚いたようだった。目が見開き、空いた口がふさがらない。呆れ果てた笑いを数秒、奈義は居直り、答えた。


「もちろん!」


        ◆


 二人は研究所敷地内の出口門まで徒歩で移動していた。普段は車に乗っていたから、道程は長い。それでも話が尽きず、時間は早く過ぎていった。 


 ところで、とルイスは切り出した。


「さっき、博士はそんなこと思ってないって言っていたけど……あれはどういう意味なの?」


「――え?」


「そんなに私、顔に出やすいかな。こう本心とか本音とか……隠すの苦手かもしれないわ」


「それは……」


 奈義はなにやら申し訳なさそうに、歯切れ悪く答えた


「信じてもらわなくていいんですけど……私、人の心が読めるんです」


「は?」


「いや、本当に、嘘みたいですよね。気持ち悪いですよね」


 奈義はルイスの内心から、様々な考えが巡っていることに気づいていた。ルイスは一つの答えにたどり着いたようだった。


「もしかして、対人戦で負けたことがないのってその能力のせい?」


「……はい」


「そんな……!」


 ルイスはうなだれるように、膝に手をついた。種明かしを受けてルイスは冷汗が止まらない。


「じゃあ、今まであなたの模倣を試みてきた研究は成功するはずがなかったということ? 機械に心は読めないから……」


「そうです、ごめんなさい」


「……今私がなにを考えてるかわかる?」


「えっと……『面白い』、ですか?」


「そう、面白いわ。それはそれで研究のし甲斐があるわ。読める精度は? 範囲は? 人は選ぶの? 記憶は探れるの? その伝達の速度は? 光より速いかもしれない? すごいわ!」


「私が分かる範囲でなら、後で答えますね」


「うれしい! ありがとう!」


 ルイスは奈義の手を強く握った。手や顔の皺とは裏腹にルイスの好奇心は衰えていない。好奇心には意味がない。だから、ルイスは好奇心が好きだった。好きでいるという気持ちが、好き。


「それにしても……心が読める、ねえ」


 ルイスは考えこむように顎に手を当てた。


「私の知り合いの生物学者の一人がこんな話をしていたわ。鳥の群れが陣形を保ちながら飛ぶとき、どの一羽だって形を乱さずに飛ぶことができるの。そんな離れ業をするために何らかのコミュニケーションをとっているはずなんだけど、それがどんな方法か全く説明がついていないんですって」


「はあ……」奈義は話の趣旨が掴めない様子だ。


「つまり、梶原さんみたいに、遠くに離れている人の気持ちを言葉なしで伝える方法を使っているのかもしれない。そんな感じで自然界には言葉を使わないコミュニケーションがあって、その方法がまだわかってないものも多くあるの」


「そんな風に説明されたのは初めてです」


「だから、あなたは人類の一つの進化なのかもしれないわね」


「また、大げさなんですから」


「そうかしら。もしかしたら、あなたみたいに読心能力を持った人が、あなたとは別に存在するかもしれないわね。そうなったときの対話が気になるわ」


「そんな人いるのかな……」


 世界中を探し回れば見つかるかもしれない。今や世界は地球だけではない。人類は月すらも住処に変えた。世界の人口は今や110億人を超える。


 梶原奈義という人類の至宝は、これから始まる時代の幕開けを予感させるものか――それとも。


「あなたはまだ、学生よ。卒業するまではここにいなさい。そうしたら、私を訪ねに来てほしい」


――もちろん、気が変わらなければ、でいいのだけれど。そう言ってルイスは天を見上げた。午前中の天気模様は快晴だ。


 空は高い。


 演習場の修理のため先一ヶ月は、戦闘機を動かせないらしい。だから今は宙に人工物はない。


 空には鳥が一羽。すべてを見下ろし、他人事のように飛んでいた。


 しばらくして、二人は施設敷地と外部の田舎道を隔てる巨大な門にたどり着いた。


「見送りありがとう。それじゃあ、待ってる」


 ルイスはそれだけ言って、人体模倣研究所を後にした。


        ◆


 奈義はこれまで三度別れを経験してきた。


 一度目は父の死。軍人だった父からもらったのは、戦いの考え方と理不尽を飲み込み立ち向かう情熱だったように思う。奈義はこれまで、父ほど鮮烈に激しく生きた人物を知らない。彼は死の淵にあっても、生きることを諦めず、諦めないまま、病に倒れた。


 奈義は父の内心が怒りに支配されていたことを知っていた。


 だからこそ、輝いて眩しく見えた。あがく姿を哀れだと思ったことはなかった。


 父は奈義に戦う意思と情熱を与えた。


 二度目は六分儀学との別離。恋焦がれた同年代の少年は、奈義に具体的な戦闘力と、人間の心を与えた。そして、学と奈義の一騎打ちにより、恋は砕けた。奈義は、これを表現するのに、別れ以外の言葉を知らない。

 

 奈義は、学の心が常に上昇を願っていたことを知っていた。嘘をつかずにただ高みへのみ望む姿勢こそを真実のあり方だと、思えてならない。


 学は奈義に人を好きになる意味と戦闘力を与えた。


 三度が今回、ルイス・キャルヴィンとの別れである。


 彼女は人と道具の違いを奈義に説いた。人である梶原奈義に死は訪れないと――強く背中を押してくれたからこそ、未来に待つ奈義とルイスの再会には大きな意義がある。


 今回の事件を経て、多くのものが変わってしまった。


 オルガ・ブラウンの引退。ルイス・キャルヴィンの解雇。六分儀学との決別。


 梶原奈義は人体模倣研究所を去るまでの間、六分儀学にとっての絶対強者であり続けた。


 元の知り合い以上友達未満の付き合いと比べたら、いくらか楽にな関係になったと奈義は思う。


 挑戦者と覇者という、色恋とはかけ離れた、無機質で暑苦しい間柄になってしまったが、その分彼女はためらいなく力を振るえた。


 学の成長も著しい。二人の強さは今後、伝説の域にまで達するだろう。


――まあ、そんなことはどうでもいいのよね。


 奈義は今回のエピソードからあらゆる意味をはぎ取った。意味など、目的など、初めからなにもなかった。


 あえて、陳腐にまとめてしまうならば。


――奈義は少し、大人になった。


        ◆


 ルイスは人体模倣研究所から街までの道中、無人タクシーに乗っていた。


 疲れと安堵からか、眠気に耐えるのが難しい。車が放つ周期的で小さな揺れは、彼女を睡眠へ誘う。瞼が重く、意識が途切れかかる。

 

 それでも、考えたいことは山程あった。真実に近づく布石は着実に集まりつつあるという直感が彼女にはあった。まだ彼女は答えを出していない。今回の件における最大の疑問がまだある。


 なぜ、オルガ・ブラウンはハワード・フィッシャーを恐れているのか。


 ハワード・フィッシャーはなにを成そうとしているのか。


 此度の事件が彼女の記憶をくすぐった。


 それはどれだけ前だったか、ヒューマテクニカ社で働くハワードとルイスの何気ない会話。仕事終わり、会社のエレベーターで二人は下る。


 疲れ顔のルイスと、目を閉じ時を待つハワード。二人の間に沈黙は付き物で、特段気にするべきことはない日常の一幕だった。


『ハワード、あなたには助けられたわ。交渉にはあなたが必要ね』


『あのグループはぼくたちの会社を疎ましく思っているからね、利害関係を考えるとああするのが一番だ』


 その日にあった株主との会合。競争会社との駆け引きに、権利と技術が絡み合う。最善の選択を取ることの難しさはルイスの立場になれば、否応なく経験する。


『あなたは、人の心が手に取るようにわかるようね』


『……』その言葉にハワードは目をまるくした。


『……どうしたの?』


『ふふ、あはははは。これは冗談と思ってもらっていいのだけれど、そう――ぼくは』


 ハワードは、ルイスの瞳を覗き込んだ。男の白い風貌がやけに眩しかった。












『ぼくは、人の心が読めるんだ』

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