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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
最終章. アダムとイヴ
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エピローグ 彼と彼女のエンドロール

 どれだけの時間、俺は夢を彷徨っただろうか。目的を達成したからだろうか、身体は意思の制御を離れ、意思は魂の器であることを忘れた。死人のような状態だが、完全な無とは少し違った。なぜなら、俺は夢を見ていた。


 温かい。そう感じた。なぜなら、それは青春の続きだったからだ。力と愛の相克の物語、それが延々と脳内をめぐり続ける。俺はそれを他人行儀に眺めている。さながら広い映画館に一人、スクリーンを見つめているような、孤独な楽しみだった。


 俺はそれでよかった。


 彼女が救われたなら、それで問題なかった。俺は彼女に挑み、敗北した。その後、彼女を敵から守ることで本懐に達した。安心して逝ける。この世界に未練はなかった。知っていたのだ。この後の物語に自身の席はないのだと──。


 けれど、どうしてだろうか。俺はまだ死ねていないらしい。


 永遠と映画を眺め続ける。観客は自身以外誰もいない。お気に入りのシーンを何度も何度も再生する。


 俺はたった一人の観客。彼女を守るためだけに、生まれた。直観の獣。


 目的は既に終わった。俺は終わった道具だった。



         ◆


 ハワード・フィッシャーの死亡、<SE-X>の破壊、それに伴う事実上の月面防衛戦線の崩壊から一年が経過した。ヒューマテクニカ社は、宇宙事業、素材事業、兵器事業の三本柱として分社した。巨大な権力は形を変えて、今も世界に影響を与え続ける。ただ、一年前のヒューマテクニカとは明らかに異なる点がある。

 

 それは、狂信者たちがいなくなったからに他ならない。ハワードによる狂信者狩りは、続く世に益を齎した。国連軍、ヒューマテクニカ、明龍に潜んでいた彼らを殺したことで、人体模倣の信仰という異質な物差しが力をなくした。残ったのは、願いと経済。世界を少しずつ良くしようという細やかな綺麗事と利害関係の綱引き。それは誰もが思い描く普通の世界だった。


 孤独は消えない。悲しみも消えない。血は流れ、戦場は移ろいゆく。技術の発展と大儀の賛歌が、怒号に混ざり合う、愚者たちの踊り。ハワード・フィッシャーが変えたかった不条理は依然として残り続ける。


 なぜか。彼女は戦うことを辞めたからだ。


「六分儀君……」


 梶原奈義は、人体模倣研究所の第三十三研究棟の一室にいた。義体研究の最前線。医療と機械の坩堝で、彼女は椅子でうなだれていた。奈義は週に一回、この場所に来て目を閉じるだけの時間を過ごす。彼女の隣には大きな扉があり、その向こうには彼女にとって大切な人がいる。


 彼が、今も眠っている。


 1年前、梶原奈義と六分儀学は月面防衛戦線と戦った。その際、六分儀学は瀕死の身体を無理やりに動かして、戦場に駆け付けた。身体の半分以上を義体に変えて、奈義を助けにきた学は、<ハービィ>を駆り、敵を圧倒した。


 戦いは苛烈を極めたが、その実、青春の欠片を拾い集めるような穏やかな営みだった。


 しかし、彼の身体は限界を通り越していた。既に死を迎えた彼は、オルガ・ブラウンによって再生され、少年時代に乗った最強の機体で推参した。その代償は、奈義が思う以上に大きかった。ハービィによって脳を破壊された学は、あの戦い以来目覚めることなく、人体模倣研究所で治療を受けている。


 奈義は今も彼を忘れることができない。死んだ人間だと割り切ることなど不可能だった。


 今も彼は夢を見ている。生命の維持を続けるだけの植物状態だと医者は言うが、彼女にはわかる。


 奈義は心が読めた。眠る学の夢を見に、奈義は研究所に足しげく通っていた。


「そうだね、楽しかったね」


 学の頭には、過去の日々が再生され続ける。映画館に一人、大人しく席に座る男の子。奈義は隣に席座っているのにも関わらず、学はそれに気が付かない。


 戦闘機に乗る二人。奈義と学は少年少女のまま、演習所で切磋琢磨する若さの幻。学は笑いながら挑み続ける。思い出は美化されている。今の彼は本来の願いを思い出していた。「梶原奈義を助けたい」という原点に至った学は、青春の日々が間違いではなかったと再認識する。奈義はその上映内容を一緒に見て、嬉しくも悲しい気持ちを抱いていた。


 六分儀学の時間は、止まっている。


 身体の限界を超えて、精神だけになった今、彼は少年時代の間違いを正していく作業に夢中だった。


「うれしいよ。本当は」


 挑むことは目的ではない。梶原奈義のピンチに駆け付ける最強のヒーローになりたい。笑ってしまうような、子供らしさが詰まった願い。現に彼は助けてくれたし、奈義は女神の鎖から解放された。


 だからこそ、今の六分儀学は歪だった。


「もういいよ。充分助けてくれたよ」


 奈義は閉じた瞳から涙をこぼした。目覚めてほしい。なぜならそれは──。


「まるで、人心核のようだと。そう思うのか?」


 一人の人物が部屋に入ってきた。奈義は声が聞こえるまで、その存在感に気付くことができなかった。不意を突かれた段階で、人物は限られる。奈義に心を読ませない存在など、この世界に二人しかいない。


 奈義は顔を上げた。そこにはアルバ・ニコライ──否、紀村ナハトがいた。



        ◆



「なによ」奈義は素っ気なく言った。


「俺の研究所で俺が何をしてようと、勝手だろう」白衣に身を包み、ポケットに手を入れる態度は不遜。奈義の機微を察する素振りはない。オルガ・ブラウンの生まれ変わりという形容が皮肉なほど似合っている。


「ヘレナと一緒じゃなくていいの?」


「あいつは仕事中だ」


 ナハトはハワード・フィッシャーを殺害した後、ヒューマテクニカから分社した兵器事業の一つ、フクオカ重工の研究員となった。人体模倣研究所第三十三研究棟はヒューマテクニカに買収されていたことから、ナハトは主任研究員として管理を任されている。


 六分儀学は人体模倣研究所で開発された義体で復活したことから、眠りについた彼は同じく人体模倣研究所で治療を受ける運びとなった。六分儀学に関するバイタルデータが蓄積されており、なおかつ今は、オルガ・ブラウンの超頭脳がある。六分儀学の復活に関して最も可能性がある場所だと言っていい。けれど彼は目覚めない。長い夢を見続けている。


「用事があるなら手短にお願い」


「肉体的には十分回復したとの判断も下ったそうだ。六分儀学は既に復活可能というわけだ。けれど目覚めない。その理由を単刀直入に言うと、六分儀学は自ら目覚めないことを選んでいることがわかった」


「──!」奈義の表情は固まった。一年もの間、強く願った結末は彼の方から拒まれている。それは一体どういう了見か。心が読める怪人には新鮮な問題だった。


 ただ実際、奈義は怪人であっても完璧ではない。かつてハワードが挫けた人類の持つ潜在的孤独が、彼女の前に壁として存在している。六分儀学は、理解されたいわけではないのだ。


 だから、とナハトは言った。


「話してみる必要がある」


「話?」


 六分儀学が目覚めない理由を、奈義は知らなければならない。理解できないことが人の常ならば、あとは言葉を交わすしか、方法がない。それでも分かり合えないのは変わりがないが──それでも。


 ルイス・キャルヴィンはそれでも惹かれる感情を、一方的な動詞と表現したのだから。


「人心核とオルガ・ブラウンの組み合わせは、電脳世界へのダイヴを可能にした。NM変換ユニットによって電子の海へ精神を飛ばす技術。既にこの世界には、人間の精神を数字で記述する技術がある。人心核は人間の脳をデータに変換できるならば──、六分儀学の脳に直接言葉投げかけることも可能だ」


「それはつまり」


「借りを返す以上の意味はない。英雄。俺を殺したいほど憎むなら、利用してやるくらいの狡猾さを見せてみろ」


「ヘレナに頼まれたのね」


「それもある。まあ選べよ。俺はどちらでも構わない」


 ナハトは──人心核アダムは背を向けて部屋を後にした。


 梶原奈義に、選択の余地などなかった。



        ◆



「準備はいいか」


 巨大なカプセルには液体が満ちており、中には四肢を機械と結合している六分儀学が眠っていた。その瞳は穏やかで、まるで死人のようだった。


 その近くにはNM変換ユニットを被る梶原奈義と紀村ナハトがいる。彼らは目を閉じて精神を鎮め、タイミングを見計らっていた。梶原奈義は学の心を読むことができる。その逆は本来不可能だ。六分儀学は奈義の声に耳を傾けることはできない。けれど、その仲介として人心核アダムを利用する。


 人心核は、脳と電子の変換に関する終着点。奈義の言葉を、電子に翻訳し、六分儀学に届ける術がある。それには現在の六分儀学の状態によるところも大きいが──ともかく、彼と彼女の対話は今、可能となった。技術と精神、様々な条件がかみ合った大戦からの一年後というタイミング。眠りにつく彼を、再び会うために梶原奈義は電脳世界にダイヴした。


 身体が溶けて分解されるような感覚に襲われた。嵐の夜を進む自動車のように、奈義は抵抗を無視して邁進する。彼が待っている。駆け付けなければならないのだ。


 そして視界が開ける。


『ここからは自分でやれ。俺は知らん』と紀村ナハトとオルガ・ブラウンの二人の声が、奈義の背中を乱暴に押した。


 すると、彼女は──映画館の座席に座っていた。


 スクリーンを見ると、戦闘機が動き、ペイント弾を撃ちあっている。動きでわかる。あれは自分と六分儀学の機体だと──。


 隣を見ると、彼がいた。


「六分儀くん」


 彼は成長した姿だった。沢山苦労したのだろう。国連宙軍大佐に似合う歴戦の戦士の風格があった。けれど、今の彼は見た目とは反して、どこか呆けている様子だった。


「ああ、梶原」とぼんやりとこちらを向いた。


 懐かしい映画が上映されている。これこれ、十六年は前になるだろうか。奈義と学が戦闘機で戦っている。戦い続けている。それを彼は──幸せそうな目で見ているのだ。


「見ろよ。俺たち、あそこにいたんだ」


「そうだね」


「お前は強かったなあ」


「うん。六分儀くんも強かったよ」


「お世辞か?」


「ううん、だって、助けに来てくれたから。私に勝つことは手段だった。本当の目的は」


「お前を守りたい」


「うん、嬉しかった」


「俺はお前を守りたかったんだ」


「ありがとう」


「守りたかったんだよ」


「それだけで、よかったんだよ」


「俺は、お前を守れたのかな」


「うん、私がハワードにならなかったのは君のおかげ」


「だったら──もう、俺は終わってもいい」


「──!」


「基本プログラムって言葉を知っているか? 人心核にはそれがあった。生きるための絶対指針。魂に刻まれた願望だ。それを達成できた俺はもう、用済みだ。俺自身がもう俺を必要ないと理解してしまった。お前は既に立派に生きている」


「そんなの!」


「お前は送り出せた。それだけで良かったんだ。俺はそういう男だ。つまらない男だよ。これから──どう生きていいかわからない」


「だから、ここにいるの?」


「ああ。だけど、オルガ・ブラウンは俺を終わらせてくれないらしい」


「────」


 彼は不器用だった。梶原奈義と同じくらい不器用だった。適当に生きてしまえばいいのに、目的を果たした自身は既に用済みだと、魂に終止符を打っているのだ。だから彼は目覚めない。


 奈義は彼にかける言葉を探している。


 目の間に移る映像は、輝かしい青春の日々。彼はまだ、幼い少年のまま、梶原奈義を助けるという指針をなぞり続けている。それは感謝すべきことだし、愛だった。


 どうしてこうもうまくいかないのだ。なぜ、愛はこうも嚙み合わない。六分儀学は道具だった。


「だったら」と奈義は彼の横顔を見た。スクリーンにはもう目を向けない。思い出は綺麗だから、奈義は眩しさから目を閉じる。


 これは単純な話──六分儀学は人間ではない。どこにも行けない人形だった。さぞ人心核との適合しやすいだろう。彼は願望を叶えた後に、滅びることを是とする潔さがあった。


「そんなのだめ」


 奈義は立ち上がり、彼の正面に移動した。スクリーンを遮るように立つ彼女の顔を、ぼんやりと見上げる学。どうか適当に生きてほしい。目的に縛られず、不真面目に生きてほしい。そんな思いがまずあった。だけど、彼は六分儀学。ハワード・フィッシャーに負けないほどの異常者だ。彼の生き方は危うく、まっすぐで──そんな彼を奈義は好きになった。


 だから、この回答は時間を巻き戻す内容に他ならない。


「私、だめだもん」


「え?」


「私は掃除ができません」


「……」


「人込みが苦手です」


「…………はあ」


「戦闘機の操縦以外なにもできないの」


「…………うん?」


「そんな女、この先大変よ。きっと生きるのに苦労する。まともにお仕事できるかしら、不安よ」


「そう……か?」


「あなたは私の強さを同調率でしか、判断していない」


「…………」


「私は全然強くない」


「…………………」


「だから」


 奈義は一世一代の決心をする。壊れた欠片をかき集める。すべて終わってハッピーエンド? そんなのは許さない。戦闘機を動かすだけが人生ではない。こんな女一人残して何を満足そうに死のうとしているのか。不甲斐ない。その程度なの、六分儀学。魂に刻まれた願いが真実ならば最後まで続けてほしいものだった。奈義は──顔を真っ赤にして言った。



「君がいないと、ダメだよ。まだ、守ってよ」



「────!」


 学の瞳に光が宿った。ふっ、と笑った。こぼれた笑いはあの日の頼もしい彼のまま。


「自信満々に何を言っているんだ。英雄殿」


「そういう冗談は私、嫌い」


「俺はお前を守りたい」


「じゃあ、最後までよろしくね」


「理屈は通る。賢いな。オルガ・ブラウンの入れ知恵か?」


「こんなこと、愛に疎い怪物に思いつくと思う?」


「そろそろ仲直りしたらどうだ? この会話も彼のおかげだろう」


「それとこれとは話が別」


「子供なのか大人なのか」


「お互い様でしょ?」


「そう。そうだな」


 二人は手を握った。映画館は崩壊する。彼らは夢から覚めた。


 六分儀学は人心核のような道具らしい、非人間と言えた。あまりに突き抜けた異常者だ。今更人間らしく生きろなんて言えない。だからこそ、奈義は彼の歪みを利用する。助けたいなら最後まで──二人は現実に意識を戻した。


 

        ◆



「ここは?」


 暗い視界が横に開く。目に新鮮な光が学の顔を照らす。そこには紀村ナハトと──彼女がいた。


 ベッドに横たわる自身の腕はひどく細くなっている。大半は機械となったから生きながらえているのだろう。わかることは、学を生かそうとした大勢の人がいたこと。彼は彼のわがままで眠っていた。彼は、彼女にたたき起こされた。死ねない理由を作られてしまったからには生きなければならない。


「六分儀くん…………!」


 目覚めた彼に、奈義は抱き着いた。それを興味なさげに紀村ナハトは見ている。つまらない映画の様だろう。その通りこれは、犬も食わない痴話喧嘩。長い年月引っ張り続けた、間延びしたドラマにほかならない。この辺で、描写は終わりにするべきだと学自身が考える。


 学は抱き着く奈義を両手で引き離した。顔を見る。少女は成長していた。


 頼りない。だから、俺は──生きるのだ。


 学は奈義に口づけをした。


 そうしたいと思ったからだ。


「────!」奈義は顔を真っ赤に染めた。


 彼は気持ちに正直だ。


 六分儀学は、奈義に終わりを奪われた。


 その道具の目的は、達成されるまでまだ少しかかるようだった。


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