二人の科学者の極めて個人的な戦い
「どういうつもりだ!」
ナハトは、戦艦に直進してくるハワード機を確認した。ミサイルで迎撃するも、周囲に残存する<神の代弁者>のせいで、追尾機能が上手く作動していない。ここまで接近されてしまっては、ICPレーザーも当たる見込みがない。ナハトは何とかしてハワードを撃墜するための武装を開放していく。白兵戦用の小型小銃や着港用アンカーまで使っている。それでもその一機は止まらない。
六分儀学はナハトを助けるつもりはなく、また、梶原奈義はヘレナを自身の機体に収容している最中だ。
ナハトはゆっくりと考えた。きっと自分の順番が回ってきたのだ、と。
「殺してやる! ハワード!」
ここまで多くの人々が全力を出してきた。ハリエット、福原、エマ、ルイス、人体模倣研究所、六分儀学、梶原奈義。誰もが全霊をかけて挑み、絶望を体験しながら進んできたのだ。誰が欠けてもたどり着けなかった最終局面に、ナハトは立っていた。
送り出されたのだ。
針の穴を通すような、小さな小さな可能性に、ようやく到達した。
皆、力を振り絞った。ならば今は、最期は、自分の順番が回ってきただけのこと。
ナハトは遭難時に光を捕集、反射するプリズムを前方に切り離した。めったに使わないが、宇宙構造物の標準装備の一つである。ナハトはそれをアンカーで割った。プリズムが割れた鏡のようにきらめいて浮遊する。
そこに──ICPレーザーを撃った。
レーザーはプリズムを焼き払いながらも、一部の光線を反射。次々と枝分かれし、無数に折れ曲がる光の糸は、ハワードの機体にも届いた。
ナハトの即席拡散レーザーは、敵機の装甲を剥がしていく。避けきれずハワードの機体は右腕を切断されたようだ。当然ナハトの操る戦艦も被害を受けている。これは価値のある痛み分けだと判断して、ナハトは次のレーザー照射に向けてエネルギーを充填する。
「なんとしてでも墜とす!」
多くの犠牲を払ってここまで来た。ナハトの肉体とアルバの人生を、復讐の炎にくべた。
ナハトは今、ハワードを殺す。
思えば、手段と目的が入れ替わっているような気もしていた。
元々はヘレナを救うために、ハワードを殺す作戦だったはずだ。しかし、今、梶原奈義と六分儀学によってヘレナは救出された。すると、ナハトはもうハワードを殺す理由はないのかもしれない。
ただし、人類の孤独を憎んだ狂人の最期に足掻きにおいて、男はナハトを指名した。
迷いなく向かってくるハワード。
「どういうつもりだ……!」
『ああ、なるほど』
オルガはポツリと呟いた。
「先生、何かわかるのか?」
『奴の狙いは、人心核アダムだ。イヴがハワードの制御下から離れたからだろう。奴の計画には人心核が必要だから、アダムでいい、そう判断したというわけだ』
「見境なしか!」
『ところで、ナハト』
「なんだ!」ナハトは汗をにじませながら、ハワードを撃ち落とそうとする。
『ハワードは、我々を取り込もうとするだろう。それで、なにか不都合はあるかね』
「…………何を言って……いるんだ」
『いいから、答えなさい。何、儀式みたいなものだ。ハワードがアダムを取り込んだとして、何か問題はあるか?』
「…………ダメだろ、それは」
『なぜ?』
「俺は絶対に主人格を譲らない。俺より優先される基本プログラムなんか、誰も持ちえない」
『であれば、ハワードがアダムに蓄積されるだけだ。差し支えあるまい』
「だけどな…………やっぱりダメなんだよ」
『…………』
ナハトは、その身体に魂を宿していた。
「俺はあいつに送り出された。この身体は、なくしちゃいけない」
『…………はっ』
「なんだよ、先生」
『それでいい。それでいいのだよ。この宇宙はそういうエゴを好む。ハワードはエゴがなさ過ぎた。二言目には人類がどうのと、大きな話をしようとする。奴は小さな声に気が付かない』
「小さな声?」
『曰く、愛されたいからこそ愛したい気持ち、全力で向かってくる相手に全力で応える気持ち、などを言うそうだ』
「なんの話を…………?」
『気にするな、独り言だ』
ナハトと同じ宇宙に存在している完全な読心能力者、梶原奈義。彼女が見ている世界を想像しながら、オルガはナハトに発破をかけた。
『さあ、最終局面だ』
◆
心臓の鼓動が速い。
血液が沸騰している。
この感覚を、身体が、脳が覚えている。
宇宙に蔓延る怒りが自身に集まっているようだ。
器に注がれる、致死量の悲しみ。ギリギリの表面張力。溢れそうに揺れている。
亡者と形容されたその精神。確かに愚かで、罪に汚れているだろう。穢れた瞳で世界を見る。
当の昔に引き返せなくなった男。
けれど、どうだろう。この世界に──男を裁ける者などいるのだろうか。
ハワード・フィッシャーを裁ける人間などいない。
悲しみを抱いたことがない人間だけが、男に石を投げる権利がある。
いるはずがない。孤独から逃げきった人間など、いるはずがない。
オルガ・ブラウンの人形劇に発生した深刻なバグが、ハワード・フィッシャーである。
故に、最終決戦は二人の科学者の対峙によって完結する。
ハワードは言語にならない叫びと共に、ナハトの戦艦に突進した。
ナハトはハワードの侵攻を防ぎきることはできなかった。
◆
「────!!」
激しい振動が戦艦を揺らした。
『到達されたな』
「くそっ!」
『どうする?』
「隔壁を全て閉じ、ハワードのいる区画のみ解放する。減圧で意識を失わせて、宇宙に放り出す!」
ナハトは戦艦のシステムを握っている。身体に細菌が侵入してきたのだ。迎え撃つ防衛システムをフル稼働させる。
◆
「人心核アダムで戦艦内部を掌握しているのだろう」
ハワードはそう言って、戦闘機の操縦席から出た。辺りは壊れた隔壁と、破損した電子盤、漂う瓦礫に覆われている。戦士服にヘルメットをかぶり、ハワードを床に降り立った。酸素は十分。
「今、行くよ。主任」
隔壁に爆弾を設置して、破壊。爆風で吹き飛ばないようにフックで身体を固定している。
耳を澄ませば、隔壁の開閉によって目まぐるしく変わる空気が風切り音を立てている。敵も必死というわけだ。ハワードは血の涙を流しながら、戦艦の前方、メインコントロール室へ向かう。
睨みつけた先にある、最後の希望。人心核アダム。
止まる術など、もうないのだから。
◆
『ハワードも用意がいいな。爆弾を持ってきているようだ。隔壁を破りながらこちらに来るぞ』
他人事のようにオルガは言った。
「迎撃ドローンを向かわせる」
戦う理由は既に、すげ変わっている。紀村ナハトという個人が、ハワード・フィッシャーという個人に抱く感情が、この戦艦内の争いの火種となっている。自衛、みんなのため、正義感、戦う理由は何とでも言えたが、どれも違う。復讐ではあるけれど、しっくりこない。
ナハトは、一人の人間として、ハワードを迎え撃つ。
◆
「ドローンか」
隔壁を破った先の通路で待ち伏せに遭ったハワード。射撃を瓦礫の影に隠れて凌いだ。
射撃によって、ドローンのカメラを破壊。続く爆弾の投擲によって半数を無力化した。
ハワードの心は熱く燃えている。
女神と見た景色を思い出していた。
天上の座で見下ろす、人類の嘆き。六分儀学によって砕かれた情景だが、今も目の前に広がっていると信じている。あんなものを見せられて、「どうにかしないと」と思わない方が狂っている。あれだけの嘆きを知っていながら、個人としての幸せを追求できる、その図太さが理解できない。
与えられた力には、それに見合った責務が与えられるのだ。
それを放棄した時点で、英雄ではない。ハワードはもう、梶原奈義に固執していない。
その身で世界を変える。
当初の計画のまま、男は進む。
ハワードは最後の隔壁を開けた。
◆
ナハトは近づいてくる爆音と振動を感じ、覚悟を決めていた。ハワードが破壊した扉の中で作動できるものを抽出し、即席の閉鎖系を作成、そこに空気を充満させた。
ヘッドセットを外して、ナハトは床に足をつけた。
モニターを切る。戦艦は今、何の制御もされていない宇宙を漂う構造物となった。その中には二人の男がいた。
両者とも、愚か者。英雄などには程遠い、劣悪な亡者に違いない。
足音がしている。
煙の中から人影がゆっくりと現れる。光に照らされて男は登場した。
「酸素を用意してくれたのは、どういう気遣いかな」
ハワードは血塗られた眼球とは裏腹に、気さくにナハトに訊いた。ヘルメットを脱いで深呼吸している。
「話せた方が、なにかといいだろう」
「どちらかがどちらかを説得できると思っているのかい?」
「まさか」
ナハトはハワードを見下ろした。
ハワードはナハトを睨んでいる。
二人だけがそこにいた。
「驚いたよ。次の肉体はアルバ君だったか」
「そうだ」
「彼も、救ってあげたかったんだけどな」
「できるわけがないだろう」
「彼が救えないほどの馬鹿だと言いたいのかい?」
「そうだ」
「ひどいこと言う。主人格にそんな言われようをするようでは、彼も浮かばれない」
「……話し合いで解決できるとは思っていないと、言ったはずだ」
「そうだね」
ハワードは構えた。人体を破壊することに特化した体術である。
「…………おう」
ナハトは構えた。アルバ・ニコライの身体には今も洗練された殺人術が刻まれている。
二人は向かい合っている。戦艦の遠心重力により、地球と同じ構えができる。
宇宙の片隅。
オルガ・ブラウンとハワード・フィッシャー。二人の科学者の極めて個人的な戦いの、最終局面。
ハワードの瞳から赤い雫が頬を伝った。
ナハトの額には汗がにじんでいる。
二つの雫が顎に達し──同時に落ちた。
二人は駆けだし、間合いを詰め──お互いの拳が、交差した。




