共同戦線
「そろそろ行こうか」学は奈義に言った。
優しい時間は奈義と学の夢そのもの。理屈はない。ゆえに現実時間にすれば数秒程度の、戦場の空隙だ。
けれど、二人は確かに時間を巻き戻した。あの15年前に砕け散った欠片を修復したのだ。一方的な感情を、理解のいらないまま、交し合う。それは「動詞」なのだから。
「うん」
二人は手を握り合いながら、空を見た。崩壊した神の世界に生じた隙間。そこに差し込む穏やかな光。
そして二人は<静かの海戦争>を終結に導いた戦士の顔つきに戻った。
「あの子が待ってる」
◆
『梶原奈義を助けたい』
六分儀学の願いはハービィを拡声器として、この宙域、否、さらなる遠方、太陽系の外まで届いていた。宇宙に轟く優しい絶叫は、梶原奈義から女神という役割を剥ぎ取る。その大声は、この世界に存在している二人の読心能力者の内、一方にしか聞こえない。正しく言えば、梶原奈義にしか届かない。彼女に向けた彼女のための、彼女にだけ聞こえる思い。
人は誰かに想ってもらうだけで、生きていける。
そう感じた時点で、梶原奈義はあの日の少女に戻された。
激痛の止まない少女時代だったけれど、確かに奈義は幸せだった。
彼が隣にいたのだから──。
こうして、女神、梶原奈義は消失した。
その影響は梶原奈義の戦闘機<コンバーター>の姿を変えていく。
「ああ、なんてことを────」
ハワードは大粒の涙を流している。今にも癇癪を起しそうな幼児のような泣き顔で、現状を憂いている。
「君は何をやっているのかわかっているのか、六分儀学」
頭をかきむしりたくなるような不条理に、気が触れていた。ハワードの計画はすでに瓦解したと言っていい。
なぜなら、もう奈義は女神ではないのだから。
<コンバーター>が纏っていた人型の量子が消えていく。曰く最強の形。人体模倣を超えた神の具現は、恋する少女に似合わない。<神の代弁者>は同調の到達点から離れる。奈義は臨界突破の向こう側を一度経験しながら、光の巨人を消滅させ、ただの臨界突破者に戻っていた。
それを見ているハワードは、学のハービィの攻撃を間一髪でかわし続けながら、不合理を嘆いた。
「ああ、取返しがつかない! 梶原奈義が死んでしまう! 逃げてくれ、英雄!」
青い量子を散逸させている<コンバーター>の前に在る、もう一柱の神。赤い光は依然として奔流し、自身の波動で宇宙を染め上げようとしている。
奈義の前にそびえたつ紅炎が、この戦争の第二局面に入ったことを告げていた。
◆
かつて獣が叫んだ願い。梶原奈義の打倒。
六分儀学少年が抱いた望みは欺瞞であったけれど、同一の内容を今、世界最大の暴力が唄っている。
臨界突破の向こう側。人の形が意味をなす宇宙で、無尽蔵の殺意をその鋳型へと流し込む。
梶原奈義がその力を手放した以上、この怪物と対等な存在は最早ありえない。
「────ヘレナ」奈義は赤い巨人に向かって呟いた。
すると、光の速さに追い付かんとする一撃が<コンバーター>目掛けて振り下ろされた。理外の力。法則の外側から殴り付ける。これまでの戦争をお遊びと錯覚させるほどの破壊力が、ただの蹴りに込められている。
「!!!───」
奈義はそれを形成した盾で受け止める。一枚程度では衝撃は殺せない。十四枚の防壁を瞬時に作り出し、貫通される。追加の三十七枚にて攻撃を防ぎきる。この一瞬で奈義は多くの量子を消費した。けれど、赤い巨人にとってはそれも連打における一撃でしかない。次の刹那には、再度神速の殺意が撃ち込まれる。
女神は六分儀学によって少女に戻ったが、それは対する神との対等関係を失う結果を招いた。
奈義はおよそ人間が対応できない速度に追随する。彼女は初めての経験をしていた。
瞳孔の開いた眼球で愛娘が乗る機体を見つめる。梶原奈義の打倒を唄い上げる怪物、梶原ヘレナ。
奈義は──生まれて初めて、同調率が格上の敵と対峙する。
奇跡は起きない。
故に、ハワードは泣いていた。
◆
ハワード・フィッシャーの計画の中心は、梶原奈義を人類の理解者に据えること。ハワード自身よりも上位の読心能力。戦士としての最強を手放したとしても、その重要性は変わらない。彼は、梶原奈義を失えない。
既に制御下を離れた絶対暴力、人心核イヴ。
故に、ハワードは六分儀学からの攻撃を受けながら、理性なき獣に懇願した。
「攻撃を止めろ! 六分儀学! それどころではないだろう!」
このままでは全て水泡に帰す。ハワードの思惑も、学の願いも──梶原奈義の死によって無駄になる。
「協力しよう! 英雄の代理! 力を合わせてイヴを倒すんだ!」
ハワードはここにいる戦士たちに、共闘を申し出る。その提案は『梶原奈義を助けたい』という願望と矛盾しない。利害は一致していた。
梶原奈義、六分儀学、ハワード・フィッシャーによる共同戦線。対するは月の守護神。臨界突破の向こう側。赤い怪物。
「人類は試されている。絆の力で、奴を倒そう!」
ハービィには届かない。<神の代弁者>の散布。太陽フレアの影響。六分儀学の理性蒸発。それらにより、学へハワードの通信は入らない。
しかし、その選択がこの場の最適解だと、ハワードは信じていた。
◆
「ハワードの様子がおかしい……」
ナハトは戦艦から、二つの戦場を見つめていた。一つは臨界突破者同士の戦い。赤と青の殺意の火花が宇宙を美しく彩っている。もう一つは、ハワードと六分儀学の戦い。梶原奈義にとっての在り方を競い合う欺瞞まみれの戦争だ。
梶原奈義はイヴに押され始めている。その打開策を講じる必要がある。ナハトは必死に考える一方で、既に敗色濃厚なハワードの動きが変わったことに気が付いた。
徐々にハワードは臨界突破者の戦域に近づいていく。ハービィはその誘導に気づかず、獲物を追いかけ続ける。
『ハワード……。また小癪な思いつきをしたようだな』
「何をしようとしているんだ?」
『イヴを倒そうとしているのだろう。梶原奈義、六分儀学、ハワードによる共闘』
ナハトは頭を掻いた。
「また複雑になってきたな」
『ふん、シンプルだよ。奴に小細工など通用せん』
「イヴは確かに今、最強だろう」
『……? ナハト、誰の話をしているのだ』
「奴って……イヴのことだろう?」
『ふふふ、あはははは』オルガは心底楽しそうに笑った。
痛快なのだ。自身はその強さに焦がれ、打ち負かされたのだから。
◆
「通信障害め。六分儀学に呼びかけが届かない」
梶原奈義を助けたいという思いは同じ。彼女を失えない。
であるならば────。
ハワードを『声』を送る相手を変えた。
「梶原奈義、一緒に戦おう! 一人じゃ勝てない!」
相手もまた読心能力者。あの戦争で通じ合った者同士。一度奈義はハワードの思いを一身に浴びた。その思念を流し込んだ経路は、今も二人の絆のように残っている。
故に、返答もまた、早かった。
絶体絶命。圧倒的な敵を前に、防戦を強いられる英雄は言った。
『黙っていなさい』
奈義からハワードに返された言葉は、SOSなどではなかった。
ハワードは袖にされたのだ。




