無粋な獣
二人の光の巨人がいた。
青い炎を纏った一方は、力を散らさず形の輪郭をはっきりと保ちながら、静かに煌めている。ゆっくりと放つ攻撃は、一打一打が戦いを終わらせるには十分すぎる威力を帯びている。余裕を崩さない荘厳な態度は、宇宙の支配者は誰かを雄弁に語る。傲慢な振る舞いだが、その実、過剰な説得力を持って、その神はただただ強かった。攻撃を避けず、全てその身に受けながらも、少しの揺らぎも見せない風格はまさに神話の具現と言って差し支えない。
対する赤い炎を纏った一方は、激しく燃え盛るように量子を生み出し続けていた。及ばない、勝てない、届かない。そんな諦観など、身を焼く紅炎に既にくべている。加速度的に膨れ上がる殺意に身を任せ、物理法則を捻じ曲げた速度で連打を繰り出す。一度叩いた扉が開かなくても、もう一度、もう一度と、叩き続けて、止まらない。試行錯誤と成長速度。挑戦者としての基質。自身の敗北など露ほども信じていない。まさに限界を超え続ける烈火のような激しい魂。
『お前を殺す。脳だけ私に寄越せ』
あまりに美しい暴力。青の巨人は拳を振った。高速で動く赤の巨人は、先読みされた軌道でその破滅の一撃を右腕に受けた。
「────っは!」腕は赤い光と共に霧散した。イヴは欠損した部位を一瞥し、居直った。
生成される量子は無尽蔵。恐れを知らない挑戦者。一撃を食らったとしても瞬く間に再生する。そのトライアンドエラーが、成長を加速させる。
二人はあらゆる限界を超えた対話をしていた。
どちらかがどちらかを滅ぼすまで、神々の戦は終わらない。
妥協案などあり得ない。
人類史上、最大にして最高の美しき殺し合い。
止まらない。止まる理由がない。
彼女たちは既に自身が誰であったか忘れている。人間としての個人など置いてきた。
梶原奈義は人類を導く女神であり、梶原ヘレナはそれを打ち落とす挑戦者だ。
他に、彼女たちが生まれた理由など、初めからなかった。
殺し合い、殺し合い、殺し合い、殺し合う。
純粋な敵意と殺意だけが、この親子を繋ぐ絆なのだ。
◆
ハワードは神々のぶつかり合いの余波を受けながら、自身を狙った戦艦へ飛ぶ。
あるのは激しい怒り。遂にたどり着いた梶原奈義のあるべき形をゆっくりと拝みたいのにも関わらず、邪魔をする無粋な蠅をここで駆逐するべきだ。
無価値な人形。人心核という怪物はいつも読心能力者に敗れる。梶原奈義がオルガ・ブラウンを殺したように──そしてこれから女神がイヴを殺すにように、またハワード・フィッシャーも人心核アダムをこの手で屠るのだ。
「死にたいって言ったのに、どうして生きているんだよ。ぼくに嘘をついたのか?」
心を持たない、絆を持たない人の劣化模倣。偽りの魂がまだ恥ずかしげもなく生存していることが我慢ならなかった。
ハワードは二機の護衛機を連れながら加速する。戦艦から放たれたミサイルを次々を打ち落としながら進軍する三つの彗星。紀村ナハトの命を再び刈り取るべく駆ける人類救世主の出涸らしである。
「女神を連れてきたことだけは誉めてあげよう」
だが──。
「ここから先の新世界で、君は絶対に報われない。慈悲だ。死んでおきなさい」
ハワードは戦艦へと進む。
◆
「──!」
ナハトが立てた作戦において、最も重要視されたのが、太陽フレアのタイミングだった。
国連軍を始めとする外部介入を許せば、臨界突破者同士の戦いに巻き込まれ多くの命が散る。さらにはハワードは多くの憎しみをくみ取り、読心能力による高度な索敵網を築き上げるだろう。味方が多い方が有利な戦争は既に旧世代の営みとなった。
ゆえに通信機器が使えなくなるタイミングが好ましかった。
けれど逆を言えば、太陽フレアのタイミングが作戦の主軸になる。
あらゆる準備をその一時に間に合わせなければならない。不完全な仕込みも多くあった。けれど、梶原奈義の精神力の強さを信じて、完璧とは言えない作戦を実行に移した。
その結果がこれである。
ナハトはレーザー減衰スモーク弾を発射させて、ハワードたちの狙撃を凌いでいた。ミサイルを迎撃する手際は、戦士の中でも高水準の技術の表れだ。こと此処に至り、半端な者などいない。
ハワードは読心能力やその特殊な思想に関わらず、基礎的に戦士として成熟している。でなければ、孤児を拾い集めて戦士へと教育できるはずがなかった。
現実は非情だ。何の変哲もないただの戦闘機操縦技術によって、ナハトの命は終わらせられようとしていた。人心核のルールでもなく、読心能力でもなく、ただの暴力でナハトは死ぬ。
全ては梶原奈義の精神が負けた時点で、取り返しがつかないほど敗北していた。
ルイスに送り出されたことも、もう一度ヘレナに会いたいと願ったことも全てが無駄になる。
結局のところ、臨界突破者同士の──神々の戦いを見届けて、狂信者よろしくその美しさを目に焼き付けながら、死ぬのだ。
迫りくる三機の戦闘機は、遂に一キロメートル圏内に接近してきた。
「ちくしょう! どうして──」
戦艦の機動力では戦闘機を振り切ることはできない。接近された段階で勝敗は決している。
「どうして、目覚めないんだ!」
◆
同時刻、ハリエット・スミスは夜空を見上げていた。通信障害によって機能しない端末を手に持ちながら、月とその隣に光る二つの天体を眺めていた。
「あれは──」
赤と青が混ざり合った花が宇宙に咲き誇っていた。キラキラと瞬く二色の流れ星が、シャワーのように降り注ぐ。おとぎ話のような星空が、彼女の眼下に広がっていた。
「梶原奈義……なのか?」
戦争であることはわかった。自分とは何の関係もない遠い出来事。失意と希望の果てに、ハリエットには正しさが何かわからない。
けれど、わからないことが、わかったのだ。
人の気持ちが理解できないのはナハトだけではない。自分もなにも知らなかったのだ。
結局のところ、信じたいものを信じ、やりたいことやるしかない。ただ、それだけの動物なのだから。
研究所の一角で帰宅途中に見つめた夜空の美しさ。それが暴力のやり取りの結果であることを理解した彼女は──昨日まで背後にあった建造物に思いを馳せた。
人体模倣研究所から射出されたスペースロケット。
ハリエットは事情はなにも知らない。
けれど、彼女なりの祈りを託していた。
ロケットの名は、オルガ・ブラウン。
◆
国連宙軍ロサンゼルス基地で、福原は夜空を眺めていた。
一か月前に<SE-X>の光を間近で見ている彼は、宇宙に浮かぶ赤と青の超新星爆発が、臨界突破者同士の戦いであることを察していた。
「綺麗だ」
そう、呆けてしまうほどの美しき破滅。突き詰めればただの武力の結晶体であるにも関わらず、どうしてこうも美麗に輝くのだ。
それだけに、福原はその輝きを睨みつけた。
空気が読めないと言われても構わない。無粋だと謗られても関係ない。彼は彼の美意識に反するその二柱の光が許せなかった。
彼は拳を空に掲げて、静かに吠えた。
「ぶっこわしてやる」
◆
アーサーは泣いていた。
空港のロビーは通信障害によってすべての便が出発延期となった。人々は臨時対応を空港に求め、ロビーはごった返していた。先ほどまでは──。
突如として月の隣に輝く赤と青の天体が出現したのだ。旅客たちは予定を狂わされた怒りや不満を忘れて天に目を奪われていた。
神話の一ページのような天体ショーは、せわしない人間の営みを一時的に停止させた。誰も彼もがその神々に釘付けになっている。
アーサー・ガルシアを除いて。
「…………父さん」
アーサーは感動的な宙には目もくれず、膝を抱えて泣いていた。
原因は昨日の連絡だった。祖母からの通信が入った。不吉な内容であることは察しがついた。
「ジョンソンの死体が見つかった。麦畑の崖の下に転落していた。戻ってきなさい」とのことだ。
アーサーは父の死を知り、泣いていたのだ。
帰国するための飛行機は運航停止だ。アーサーは俯きながら泣くことしかできない。
もう母も父もいない。少年は悲しみに暮れていた。
けれど、誰もが見上げる極星を見向きもしなかった。
アーサーは泣いていた。
◆
ルイス・キャルヴィンは紅茶を飲みながら、かつての人体模倣研究所を思い出していた。
テストパイロットの中にいた数少ない子供。優秀だったけれど手のかかる少年と少女だった。
彼らは大人になっただろうが、本質はなにも変わらない。心配だったのだ。不器用な彼らだから。
言葉にしないと伝わらない。それでも人は理解できない。
「梶原さん、貴女、彼のこと理解できていたかしら?」
ルイスは笑った。
◆
「ん? なんだあれは?」ハワードはナハトの戦艦を墜とす、後一歩のところで異変に気が付いた。
見覚えのない物体が近づいて来ている。レーダーは機能しない。故に、目に映ったとき、初めて認識した。
──ロケット?
兵器や戦闘機ならばハワードは気が付くはず。人間が乗っていてば、戦士が乗っていれば、──敵意を抱いて入れば、ハワードの耳に『声』が届くはずであるから、アレには人間は乗っていない。
したがって、無人機である可能性が高い。しかし、妙だ。このタイミングで一体何ができるというのだ。
モニターに移った飛翔体を拡大すると、やはり細長いロケットだ。
軌道と速度を計算し、射出場所を予測した。
「人体模倣……研究所?」
何が起きた。
「オルガ・ブラウン…………」
一体、何が──。
◆
ナハトは背後から近づいてくるスペースロケットを認識した。
「間に合ったのか……?」
そして──。
◆
ロケットがブースターを切り離し、隔壁を解き放った。
中にからは一機の戦闘機が入っていた。
そして──。
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────!!!!!!!!!』
宇宙に絶叫が轟いた。
ハワードは耳を塞ぎたくなるような叫びに、怯んだ。
目を開ける。そこには──。
◆
「目覚めたか!」
ナハトは額に汗を浮かばせながら、声を上げた。通信障害で誰にも聞こえない独り言だが、ナハトは確かに彼に呼びかけたのだ。
長い間眠っていた、最後の切り札。
打倒ハワードの中心点。
ナハトは梶原奈義に言われた。「ハワードが最も嫌がる作戦」を立てろと。
これが応えだった。
それは──あの日、オルガ・ブラウンが砕いた青春そのもの。少女と少年の初恋を破壊した元凶に他ならない。
故に、だからこそ──。
この怪人の毒となる。
オルガ・ブラウンは彼に託したのだ。
ここに読心の怪人を打ち倒す、直感の獣が復活する。
◆
ハワードはその機体に見覚えがあった。
人体模倣研究所で梶原奈義の戦闘データを手に入れた時に閲覧した戦闘機の記録。
しかし、解せない。誰が乗っている。何者だ。無粋の極みのようなタイミングで姿を現したのは誰だと言うのだ。
通信ではない。心の声だ。ハワードの疑問に答えるように、淡白な声がしたのだ。
『俺は──六分儀学。
梶原奈義にとって────何者でもない男だ』
ここに読心能力者の死神がハワードに立ちはだかる。
◆
ナハトはにやりと笑った。オルガ・ブラウンのような笑みだった。
呟く呪詛はハワードの野望を打ち砕く、獣の名。
「いけ、ハービィ」
あの日、少女の初恋を砕いた獣が、ハワードの夢を葬ろうとしていた。




