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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
最終章. アダムとイヴ
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奈義とヘレナ(5)

 それからは、強くなる精神汚染と戦う日々だった。


「ダメね。それではただの的よ」


 ルイスの家の地下室でシミュレーターに乗るヘレナ。私は正に軍学校の教官のような厳しさで、彼女に操縦技術を叩き込んでいった。


 私は「ヘレナがどんな戦士になりたいか」を明確にしなかった。彼女は私のようになりたいようだったが、それは極論不可能だ。努力で辿り着ける領域をはるかに越えた、さらにその先の強さ。それでも、梶原奈義に並び立つという絵空事を信じているヘレナに、私は私が知りうる限りの教えを施した。


──なんで、そんな簡単なことができないの。


 本来の戦士の教育は、操縦技術から習わない。始めに戦術から学ぶのがセオリーである。本番でどんな動きをするべきかを意識することで、全体としての勝利を掴む方針。ゆえに、近接格闘技術や、一対一の立ち回りは優先度が低い。そもそもとして団体戦である戦争において、一騎の強さを求められる時点で敗色濃厚である。そのため、私の教育は軍のトレンドから外れていた。


 それでも、私は一騎で戦うための操縦技術を鍛えようとした。


 単独で強い戦士。まさに終着点は梶原奈義そのもの。


 その姿は、ハワードがこれまで教え込んできた群体としての戦い方とは対極だった。


 絆の戦士たち。


 ある意味でヘレナは、戦術に関する基本は取得済みだ。けれど、それは過剰であった。近接格闘が苦手だったヘレナは、それが得意なエースを支援する戦い方しか知らなかったのである。


 梶原奈義になりたい。それは孤独で険しい選択だ。


 私はその点で妥協しなかった。操縦支援機構(アシストシステム)を使わないアクロバットを仕込んだが、飲み込みは非常に遅かった。怒鳴り付けるときもあった。


 その頃には、私はすっかり初心を忘却していた。


 「梶原ヘレナをどんな戦士にするか」を突き詰める一方で、「梶原ヘレナを戦士にするべきか」を全く検討していなかった。


 初めは、あの子が戦わなくていいように守るはずだったのに──。



        ◆



 それから四年が経った。


 ヘレナは通信教育を卒業し、進路を決めようという段階に移っていた。18歳の彼女は、私が出会った頃よりも成長し、背丈も私くらいまで伸びている。自身の可能性に期待する希望に満ちた表情で、彼女は──。


「私、明龍に入る」と言った。


「ええ」私は嬉しかった。


「これで母さんも戦士に戻れるね」


「────」


 無邪気に言うヘレナに対して、私は戸惑いを隠せなかった。ヘレナの心は知っていた。


 ヘレナは私が地球に降りている理由を、私がヘレナを育てるためだけだと考えていた。ハワードからの逃亡が第一優先であることなど、知る由もない。


 故に、ヘレナは自分が戦士として成長した今、梶原奈義はもう一度戦士に戻れると考えていたのである。


「どうしたの? 母さん」


 私の顔を覗き込むヘレナ。この時、私はどんな顔をしていたのだろうか。


 私の内側で囁きが聞こえた。


『娘が宇宙に行くと言ってるなら、貴女が守ってあげないと。また戦闘機に乗って、一緒に戦場へ』


 視界に罅が入った。私はまだ致命的な間違いに気が付かない。


 私は顔を手で覆ってから、深呼吸した。

 

「ええ、そうね」と答えた。それが本心だったのか、今となってはわからない。



        ◆


 その夜、私はすやすやと眠るヘレナの枕元まで行き、彼女の寝顔を見つめていた。


 明かりは付けない。真っ暗な部屋に私は直立して、愛娘を見下ろす。


『そもそも、絆の戦士たちは、私と戦うための存在よね。イヴで束ねられた幼い戦士たちは、きっとヘレナを探しているわ。それがハワードの計画』


 耳元で鳴る誘惑は、私の声そのものだ。


『ヘレナが戦場に出れば、月面防衛戦線に狙われる』


 話がおかしい。戦士として育て、戦場に送り出そうとしたのは私だったはずなのに──それを問題にするなんて、マッチポンプも甚だしい。


『絆の戦士たちがイヴによって完成するなら──梶原ヘレナが最後のピースであるならば』


 あまりに理不尽な選択が、脳裏を過る。


『今ここで──いっそのこと』


 私はヘレナの細首を見た。


 手が伸びる。


 そして──。









「ん? なに? 母さん」


 私は彼女の額を優しく撫でた。


 寝ぼけた声のまま、ヘレナは目を擦った。


「寝ないの?」


「寝れなくて──少しヘレナの顔が見たくなったの」


 私はヘレナを撫でながら、微笑んだ。


「えへへ」とヘレナは嬉しそうだ。


「起こしてごめんなさいね」


 ごめんなさい。本当は別に謝るべきことがあるのに、私は言葉にしなかった。



        ◆



 正気と狂気の狭間で、私は限界を迎えようとしていた。


 戦争のニュースを見ると人類を救いたくて堪らない。戦闘機で全てを終わらせたくなる。英雄とはそういうものだと思ったし、梶原奈義にはそれが求められていると疑わなかった。


 ただ、底無しの恐怖が私を正気に戻す。ハワード・フィッシャーという嘆きの塊が、私を塗り潰していく恐怖。本当に自身が女神であるような錯覚が、脳を蝕んでいく。


 その日、ヘレナは島を出る。


 軌道エレベーターまで船で移動する。旅立ちの日に、島中は祝福ムードだった。


 漁港の皆は笑顔でヘレナにプレゼントを送った。ヘレナを好きな男の子が、そっぽを向きながら泣いている。誰も彼もがヘレナの成長を見守ってきたのだ。寂しい気持ちを抑えて、祭りのように送り出す。


 私も潮風に吹かれる港で、船を見ていた。


「母さん! 私先に行ってるね! 待ってるから!」


 ヘレナは出港する船から手を振って叫んでいた。


 私も手を振り返す。自分は最早、ヘレナと一緒にいられない。


 恐ろしいことが起こる前に、ヘレナを遠ざけなければならない。


「行ってきます!」


 ヘレナは、これまで繰り返してきたように、そう言った。私は「行ってらっしゃい」と言った。次に合うときは笑って「ただいま」を言ってくれるだろうか。私はまだ彼女の母親で在れるだろうか。


 ズキズキと頭痛がしている。


 私は母親失格だ。



        ◆



 私はヘレナを騙した。後から追い付くから宇宙で待っていてほしいと、嘘をついた。本当はヘレナから離れたくて、突き放しただけの精神異常者だ。


 最悪の結末を迎えるより良いと、ルイスも私に協力した。


 ヘレナを守りたいという気持ちは本当だった。だから私たちは遠くからヘレナを守ろうとした。フェンに相談して──時には脅して──ヘレナになるべく安全な任務が回るように裏工作をした。


 私とルイスは共犯者。

 

 梶原ヘレナを身勝手な理由で、戦場に送り出した罪人だ。


 ヘレナから送られてくるメッセージは全て無視した。フェンとルイスにお願いして、梶原奈義は行方不明という情報を流してもらった。ヘレナが帰ってこないように──。


 私はもう二度と会えなくてもいいと覚悟していた。


 ハワードの精神汚染は今も私を女神にしようとする。


 女神の私はヘレナをなんとも思っていない。むしろ私を「人間」に縛る鎖だと認識していた。


 あの手この手で、理屈を生み出し、私はヘレナを殺そうとする。


 人間として大切なものなど、女神には不要だから。個人としての梶原奈義など、新世界には邪魔なのだ。


 そして、私は島に引きこもり、英雄「梶原奈義」を封印した。


 一年後、月面防衛戦線により国連の軍事衛星マルスが破壊された。

 

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