65話 「老竜ゲオルニクス」
今の話の主題になっている逃亡者サイドのお話。
王都より100キロは離れた場所にある森の中。
そこに、お尋ね者として多くの者より狙われている存在が、静かに羽を休めていた。
『ここがエメルディア王国か……のどかでいい土地だな』
「それに関しては同感じゃが、あのじゃじゃ馬姫め! こんな辺境の国に居を構えんでもいいじゃろうに。全く、ここに来るまで相当な時間を労してしまった」
深緑の鱗を持つ巨大な竜が、エメルディア王国に降り立ったのは、この異世界エヴォレリアにおいて初夏に差し掛かろうとした時期だった。
巨大な体躯であるドラゴンではあるが、その体色のおかげで森の中に身を隠せば、視覚においてまず見つかる事は無い。
この方法によって、神聖ゴルディクス帝国からの追手も幾度となく撒いてきたのだった。
「さて、やっとこの国に到達したはいいが、この厄介な聖騎士めもこの国に入った頃であろう。翼の傷が癒えたらば、早々にあのじゃじゃ馬を見つけねばなるまいて」
『ごめんな爺ちゃん。そもそも、俺の意識が邪魔なぞしなければ、あの聖騎士とも渡り合えたのに』
「謝るな。それも、儂が選んだ道じゃ。お主を助けた事も、封印指定された蘇生魔法に手を染めた事も、こうしてお主をエメルディアまで運んできた事も、なんら後悔はしておらん」
巨大な体躯ではあるが、その身は一つしか存在しない。
だというのに、その口からは二通りの声が発せられた。
一つはどこか老齢さを感じさせる声。
そして一つはまだ若々しさを感じさせる声。
このドラゴンの名は、ゲオルニクス。
齢500歳を超える老竜と呼ばれる存在だ。かつての魔神との戦争にも参加し、数々の武勲を上げた英雄の一人でもある。
だが、今は己の存在の中に別の存在の魂が混在していた。
魂の共有化。
それは、竜族が持つ特殊な秘儀の一つ。
しかしそれは本来、番になるべき存在が出来た場合、永遠に離れたりしないように使う力。
彼ら二人は、当然そういった仲ではなく、関係性もどちらかと言えば親子に近かった。
そのゲオルニクスと魂を共有している存在が出会ったのは、今からおよそ20年程前になる。
ゲオルニクスの住処としていた森の中に、彼は突然現れた。
まだ10歳にも満たない子供。
一糸纏わぬ姿、それも死にかけの状態で彼は突然現れたのだった。
見た目は人間の子供に見えた。
だが、何故人間の子供が竜王国に? いや、竜の国だからといって竜だけが暮らしている訳では無い。数は僅かではあるが人間もちゃんと存在している。現に、この森から少し離れた場所にも、人間の集落は存在するのだ。
それでも、子供が一人でこんな場所に来るはずもない。
最初は魔族かと疑ったものの、そのような片鱗は見えなかった。それに、刻一刻とその子供は死へと誘われていたのだ。
それは、戯れだった。
竜族の寿命はおよそ500年。ゲオルニクスにしてみれば、残りせいぜい数十年程度の寿命。十分長く生きたし、これから先の短い余生で伴侶が現れるとも思えない。
ならば死ぬ間際のほんの戯れか……と、その死にかけの子供と魂を共有化し、竜族の圧倒的生命力を分け与えたのだった。
それによって子供は何とか生きながらえ、命を紡ぐ事が出来た。
生き延びたのなら後は好きにしろ……というスタンスだったゲオルニクスだったが、ここで想定外の出来事が起こる。
「坊主……お前いったい何処から来たのだ?」
「え……どこ……から?」
「親はどこに居る? 面倒だが、連れて行ってやっても構わんぞ」
「お、親……おれ……全然思い出せない」
「なんじゃと!?」
子供には、記憶が無かった。
いや、ぼんやりとはあるらしいが、どうやってここに来たのか、元いた場所が何処なのかさっぱり思い出せなかったのだ。
そうなれば仕方ない。人並みの道徳観は持ち合わせているゲオルニクスだ。後は好きにしろ……と放り出す訳にもいかなくなった。
であれば、これまた戯れで、残り僅かな寿命……このまま育ててみるのも面白いやもしれん……と思うようになったのだ。
それから、妻も子も出来た事のない老竜と、右も左もさっぱりわからない少年の共同生活が始まったのだった。
「ふむ! 人族というものは食事という行為が必要だったのだったな!! がはは、竜族は大気に含まれる魔力さえ摂取していれば生きていけるからのぅ。すっかり忘れていたわ!!」
その事実に気づいたのは、子供が三日間何も食べ物を与えられずにほったらかにしにされ、空腹でぶっ倒れた後だった。
「ほう、それをお前一人で狩ってきたというのか」
「そうだよ。爺ちゃんも食べる?」
「いやいや儂はいらん。お主の初めての獲物じゃ。堪能するが好い」
まぁ幸いだったのは、子供が年の割にはしっかりしており、老竜が特に何もせずとも生きて行けるだけの力は持っていたという事だ。
特に、視力と聴覚が優れており、その力は狩りによって発揮された。
竜王国の森の中に魔獣は存在せず、ごく普通の動物たちが多く存在していた。少年はどこで覚えたのか、手作りの簡素な弓矢を作り上げ、自ら食べるだけの食材程度ならいとも簡単に獲って見せたのだった。
一応それでも500年生きて人生(竜生?)経験だけは豊富な老竜である。子供に生きる上でのルールを教え込み、たまに他の集落に連れて行ってやるなどして、それなりに子育てというものをしていたのだった。
だが……時には種族間の価値観の違いと言うか、そういったトラブルもあった。
「ええい、こんな時間までどこをほっつき歩いていたのだ!」
「い、いや……集落まで買い出しを頼んだのは爺ちゃんじゃないか」
「あんな距離、往復に一時間も掛からんであろう! さては、どこかで遊んでいたか!?」
とんだ濡れ衣である。ドラゴンのスピードと人間のスピード、その差というものを老竜は自覚できていなかった。いや、ある程度は理解していたが、老竜が知るのは人間と言っても熟練の戦士の脚力。それと子供の足には圧倒的な違いがあるのだと気づけなかった。
このような形で老竜が大体の事を竜基準で考えるせいか、かなり厳しく育て上げられ、精神面でも生真面目で優しい心根を持つに至った。
だが、子供がある程度成長してからは、立場はほぼ逆転。
もはや、老人介護をする少年と言った所だ。
「今日も動かないのか? たまには翼を動かさないと関節が固まってしまうよ」
「いいんじゃ。どうせ儂はこのまま死ぬんじゃ」
「またそんなネガティブな事を……。死ぬ死ぬって言っていて、もう10年経ったよ。多分まだ死ぬなっていう神様のお達しさ」
「ふん。神なぞ、あのじゃじゃ馬であろう。あの小娘が儂に死ぬなと言う筈があるまい。いいからさっさと死ね糞ジジイとか言いよるな」
「あ、爺ちゃん神様と知り合いなんだ」
「ふむ……。しかし、それはそれで腹が立つな。確かに、早々に天に召されたらあの小娘に馬鹿にされる。もう少し頑張ってみようかの」
「うん。その意気だよ」
が、そんな安穏とした日々も突然終わる。
少年が青年へと姿を変えた頃、青年は突然倒れたのだ。
「坊主! どうした坊主!?」
「わ、分からない……身体が……突然動かなくなった」
老竜は集落へ急ぎ、人間の医者に青年を診せた。
すると、驚くべきことが分かった。
病名は、魔力欠乏症。
体内の魔力が欠乏し、身体の各機能が著しく低下する病気。本来なら、体内の魔臓がまだ未熟な小さな子供や、機能の不全を起こしやすい老人に起きやすい病気だ。成人した大人が発症する事はまずない病気だった。
何故、青年がそんな病気になってしまったのか……。
その理由……信じがたいことではあるが、青年の体内に、魔臓は存在していなかったのだ。
そう。青年は、この世界の人間では無かった。
「では、何故今まで生きてこられた? いや、そもそも魔臓が無いのなら魔力欠乏症になるまい!」
「恐らく彼は、この世界と同じく魔法や魔力の存在する世界から来たのでしょう。ただしその世界では、魔力の概念そのものがこの世界と違うのです。
推測ですが、体内で魔力を生成するのではなく、外から取り込んで身体に循環させるのではないかと思われます。
そして、これまでは子供だった事もあってか、この竜王国の大気に含まれる魔力でもなんとか生活できたのだと思われますが、大人になった事でそれだけでは間に合わなくなったのだと思われます」
「ならば、もっと魔力の濃い所へ連れて行けばいい!」
「無理ですよ。このエヴォレリアで、最も大気に濃く魔力が含まれるのは、この竜王国です。それ以外の場所に連れて行けば、彼はすぐに死んでしまいますよ。
この歳まで彼が生きられたのは、この地で生きてきたからに他なりません」
「なんという……」
医者の言葉に、老竜は嘆いた。そして、同時に自らを恥じた。
まさか、20年近く共に暮らしていて、そんな事に気づかなかったとは……。もっと早く、幼い子供の頃にその事実に気づいてやれば、他の方法もあったのだろう。
最早意識の無い青年に向かって、老竜はすまない……すまない……と謝り続けた。
そして決意する。
自分と青年の魂は共有化によって結びついている。ならば、完全に魂を己の肉体に移す事も可能なのではないか? それによって自分の魂が消えてしまっても、別に後悔はない。喜んで肉体を青年に明け渡すとしよう。
結果として、老竜は肉体に二つの魂を宿す事になった。
最も、そうなったが為に身体が上手く動かせないというハンデも背負う事になった。
だが、なんとか青年の命……というか魂は救ったものの、肉体の方は死を迎えてしまった。
また、青年の魂自体も竜の身体に上手く馴染まなかった為か、約二年ほど眠りについたままであった。
その間、老竜は竜王国では禁忌とされ、封印されている魔法……蘇生魔法へと手を伸ばしていた。最も、この蘇生魔法は生命活動の停止した肉体を元に戻す事が出来るのだが、魂までは戻す事が出来ない。よって、死者を蘇らせるというよりは、魂の存在しないアンデッドを作り出すと言う側面が強かった。
しかし、魂ならば老竜の中にきちんと保存されている。ならば、本当の意味で青年を肉体と共に蘇らせる事が出来るのではないか?
老竜は期待し、遂に実行した。
―――が、残念な事に青年は蘇らなかった。
何故か、再び生命活動を取り戻した肉体は、青年の魂を受け付けないのだ。
生きている筈なのに、魂の無い肉体。
『そこに己の身体があるというのに、指一本動かす事が出来ないとは……』
意識を取り戻した青年は、己の惨状を知って嘆いた。
そして、自分の為に禁忌を犯してしまった老竜のこれまでを知り、深く悲しんだ。
とは言え、竜王国の法を犯してしまった老竜達は、このまま国内には居られない。
なんとか外の世界へと逃げ出すが、お尋ね者として手配されてしまう事になってしまった。
途方に暮れる二人。考えた末、国外で唯一頼れる存在に会うべく、こうしてはるばるエメルディア王国までやって来たという訳だ。
その存在とは、竜族の神……ファティマ。
老竜は彼女が幼い頃から知る存在であり、魔法も並の竜族よりも深く精通している。こんな状況になった今、手を貸してくれるかは疑問ではあるが、何も頼るものが無い今は仕方ない。
協力を拒否されればそれまでだと、二人は考えている。
さて、いよいよ旅路を再開するか……と身体を持ち上げた時、老竜よりも感覚の優れた青年の魂は、周囲の異変を察知した。
『近くに誰か来た……』
「なんじゃと? 敵意があればすぐに分かる筈なんじゃが……」
『いや、敵意は存在しない。それに、変な感覚だそいつからは魔力を感じない』
「何?」
するとガサガサ……と、木々を掻き分けて、一人の少年が姿を現した。
全身が真っ赤に彩られた派手な格好の少年だった。
「うわ! 本当に居た!」
少年はドラゴンを見てまず驚愕に目を見開く。
ハンターか? 一体何を目的にここへ来た!?
と、警戒していると、少年の目が老竜の足元に横たわっている、今は魂の存在しない青年の肉体に注がれる。
やがて、この世界において青年しか知らない筈のある言葉を発する。
「――――――エルフ?」
それは、今は青年の記憶の片隅にしか存在しない筈の言葉。
異世界において、自らの種族を指す言葉だった。
詳しくは次話で説明しますが、ケイ達がやって来た異世界に、エルフと呼ばれる種族は存在しません。
こんな形で別世界の人間と知り合ってしまったケイ達。
さて、ルクスとの競争は一体どうなってしまうのか……。




