206話 「ノエル」
その後、アルドラゴを元の場所へ着陸させてみたらば、意外な展開が待っていた。
「ふ、ふにゃあ……」
アルカの隣で必死にアルドラゴの魔力動力源として頑張っていたクロによく似た謎の猫が、へなへなと力を失って倒れてしまったのだ。
「おいおい、いきなりどうした!?」
『と、とにかくナイアの医務室へ!』
俺とアルカは猫の身体を抱えると、急いで医務室へと駆けた。
『あ、あの艦長、ルークたちから連絡が―――』
残念な事に、その時の俺たちには背後からのフェイの声は耳に入っていなかった。
医務室へ入ると、普段のボールモードからホログラムの姿となったナイアが俺たちを迎え入れた。
この島に来てからはかなり出番の多いナイアであるが、基本的に医務室に待機している間は暇の筈なのだ。なのにホログラム投影をしていたという事は、何か作業でもしていたのだろうか?
ナイアは、何やらせわしなく動いていたマジックアームの動きを止め、にっこり笑顔でこちらへと振り返った。
『はいはーい。ナイアさんの素敵な医務室へようこそ~~。今回はどんなご用件で―――って、なんですかその小動物!?』
「詳しい説明は後だ! とくかく診てやってくれ。今まで元気だったのに、急にぐったりして倒れたんだ」
『お願いしますナイア!』
俺とアルカは共に抱えてきた謎の猫を、診察台の上へとゆっくり下ろす。
『わ、分かりました。人間以外の診療は専門外ですけど、一応知識はありますから問題は無いでしょう。さぁさぁ小動物さん、お身体を拝見しますよー』
そうして診療が始まる。
俺とアルカは手を取り合って、ドキドキしながら様子を見守っていたのだが、ものの一分も経たないうちにナイアの手が止まる。
『あぁ……これはナイアさんの手には負えませぬ』
『「ヒィッ!」』
と、俺とアルカの悲鳴が重なった。
まさか、もう手遅れだとでもいうのか? この猫っぽい生物には散々助けてもらったんだ。そんな何も分からないままお別れなんて厳しすぎるぞ!
「た、頼むナイア! 俺にできる事はなんでもするから、なんとしてでも治してくれ!」
『わ、私も……私からもお願いします!』
それこそ土下座でもするかの如き勢いでペコペコと頭を下げる俺とアルカ。
その様子を見て、ナイアは慌てて首を振った。
『い、いえいえいえ、艦長もアルカさんも落ち着いてくださいませ。ナイアさんの手には負えないというだけで、手遅れという意味ではありません』
「し、しかし……アルドラゴの治療技術で治せないなんて、どうしようもないんじゃないのか?」
アルドラゴの医療設備はこの世界でも最高峰のものだろう。
何せ、どんな怪我であっても、たちどころに治してしまう謎の治療薬があるし、地球では治療が困難な病気であっても投薬や手術によって回復が可能と説明を受けている。
それなのに匙を投げてしまうという事は、手遅れとかそういう事ではないのか?
『えーと……まずですねぇ、ナイアさんは確かに主に人型生命体の治療専門ですが、あらゆる動物のデータも入っていますので、専門ではないにしろ治療自体は十分できます』
「ふんふん」
『そのデータを頼りにこの小動物……見た目で言うと一番近い猫と呼ばれる生物のデータを参考にして診療をしたのですが……診療そのものが出来ません』
「と、という事は……やはり猫ではないのか?」
『はい。一番近いのは……アルカさんです』
『は? わ、私ですか?』
突然名前を呼ばれたアルカは目を白黒させている。
『この小動物には内臓器官と呼ばれるものが見当たりません。スキャンした所、超高濃度な魔力によって構成された……魔法生物です』
『「んな……」』
不可思議なの生物だとは思っていたが、内臓も何もない魔法生物っすか。
俺とアルカは思わず顔を見合わせていた。
確かに、ある意味ではアルカに身体の構造は似ているか。アルカも魔晶を核として魔力と水によって構成された肉体だものな。内臓どころか筋肉も骨もない。
そして、それはこの世界の別の生物に近い身体の構造をしているとも言える。
「そ、それは……コイツは魔獣という事か?」
魔力によって肉体が構成されているのは、魔獣も同様だ。
という事は、コイツは魔獣の一種……そういう捉え方も出来る。
『いえ、この生物には魔獣化ウィルスによる毒素が全く見当たりません。加えて言うと、この生物の内包魔力は桁違いです。通常の魔獣を10~100とするなら、アルカさんたちは1000以上。この生物のタンク容量は、それよりもさらに上の10万……いえ、100万クラスはあるでしょうか』
『「んな……」』
んなアホなと言いかけたが、同時に納得もしてしまった。
コイツがアルドラゴにエネルギーを分け与えられたのも、その膨大な魔力を持っていたおかげか。
「そ、それがなんでこんなにぐったりしているんだ?」
問いはしたが、自分の中でなんとなく答えは分かっていた。
膨大な魔力をアルドラゴのエネルギーとして使ったせいだ。アルカたちが過去にやったように、そのせいで魔力が枯渇し、こうして苦しんでいるのだ。
『えーと、仮説ではあるのですが、アルドラゴにエネルギーを過剰供給したことで、魔力を消耗してしまい……』
やはり、結局は俺たちのせいという訳か。俺が、アルドラゴでフェネクスと戦うなんて言わなければこんな事にはならなかったのに……。
『……ただ疲れて寝ているだけだと思われます』
『「は?」』
『ほら、人間だっていくら体力がある方でも、長時間全力疾走したら疲れるでしょう? こうしている間にも魔力は徐々に回復しているようですから、数時間もすれば元に戻るのではないでしょうか?』
「ね、寝ているだけ?」
試しにその口元に耳を近づけると、小さくスゥースゥーという寝息が聞こえてきた。
確かに、ちゃんと胸も上下していて呼吸もしている。……内臓もない筈なのに呼吸する意味はあるのかと問いたいが、魔法生物なのだから仕方がないのかもしれない。
……便利な言葉だ、魔法。
「そ、そうか……良かったぁ……」
『そうですね。私たちに力を貸したせいで、この方に何かあったらと思うと胸が張り裂けそうでした』
「じゃあ、コイツに関してはしばらくナイアに預けてもいいか? ゆっくり休ませてやってくれ」
『はいはい。それは構わないのですが……』
「どうした? 言っておくけど、解剖しちゃダメだからな」
『いくらナイアさんでも当人に無断でそんな事はしませんとも! いえ、この魔法生物さんの呼称はなんとすれば良いのでしょうかと思いまして……』
「んん?」
名前……名前か。
確かに、今まではコイツを直接呼んだことはなく、心の中でクロによく似た猫としか呼んでいなかったよな。
野良猫に勝手に名前付けて呼ぶと、愛着が出てしまって別れるのが辛くなるからさ、わざと名前を付けないようにしていたんだけども……。
「……いや」
猫だとかペットだとかそういうくくりでコイツを認識するのは間違いだな。
コイツにはこの島に来てからずっと助けられてきた恩人だ。普通の知的生物だと思って接するようにしよう。
とは言え名前か……。
コイツ自身が喋って、自分の名前を言えれば一番いいんだけど、未だに「ふにゃあ」以外の言葉喋ってないものな。つーか、喋れるのかな?
『確か、ケイが昔飼っていたというクロさんという猫にそっくりなのでしたっけ?』
「いや、流石にコイツをクロとは呼びたくない」
クロはあくまでクロだ。
似てはいるが、コイツとは全くの別物。だから、その呼称はアウトだな。
となると……クロを別の呼び方にすると……パッと思いつくのは英語でブラック、ドイツ語でシュヴァルツ、中国語でヘイ、フランス語でノワール……。
ん……ノワールか。それを少しもじって……
「ノエル」
「ふにゃ!」
俺が何気なく口にしたその単語に、まるで「それで!」と応えるような返事が届いた。慌てて寝ている様子の魔法生物に目を向けると、まだスースーと眠り続けている様子。
いや、寝ているように見えて実は起きている可能性もあるな。何せ、色々常識が通用しない生物のようだし。
ともあれ、本人がそれで良いというのならば呼称は決定だ。
「じゃあ、コイツの事は今後“ノエル”と呼称することにしよう」
『分かりました。ノエルさんですね』
『了解です。では、ノエルさんの様子はナイアさんが見ておきますので、艦長たちは元の場所に戻ってください』
「おっとそうだった!」
アルドラゴが着陸したのなら、急いで確認しなくてはならないことがある。
ルークたちが今どうなっているのかの確認だ!
『あとそれと―――』
医務室を出ようとした俺たちの背中に、ナイアからの声が飛ぶ。
今度は、その声を聞き逃すことは無かった。
◆◆◆
俺とアルカは二人でアルドラゴより降り、元の渓谷へとやって来た。
そこに居たのは、シェシェル……の肉体を借りたオフェリル様。
続いて何故かプンプンした態度のフェイ、何故か申し訳なさそうにしているゲイル、何処かつまんなさそうなヴィオとウキウキした様子のルークの姿だった。
そう、ルークである。別行動をとったのはちょっと前のことなのに、もう何日も前の事のように感じるぞ。
「ルーク! ルークじゃないか!!」
『あ、リーダーだ! やっほー!!』
俺が声を掛けると、ルークは嬉しそうにピョンピョン跳ねて俺たちを迎えた。
「お前がここに居るってことは……」
『うん! 重力コントロール装置……修理完了しましたー!!』
ビシッと敬礼をしてこちらに報告するルーク。
よがっだー!
本気で心配していたもの!
これが失敗していたら、この島が地上に落ちて大惨事になっていたからな。それじゃなくても今オフェリル様が身体を借りているシェシェルが犠牲になっていた。
「えらいぞえらいぞ! よくやった!!」
『えへへー』
とりあえず髪がくしゃくしゃになるまで頭を撫でてやった。この行為も実に久しぶりだ。
「だがな、修理が完了したのならちゃんと俺に連絡しろ。こちとらずっとヒヤヒヤしっぱなしだったぞ」
『え?』
そう言うと、ルークはキョトンとした顔となり、その隣に立つフェイが冷ややかな言葉を投げつけてきた。
『艦長……着陸した際にその報告を受けたのですが、それを聞かずに医務室へと直行したのは一体どちら様でしょうか……』
「ハッ!?」
そういや、そんな言葉を背中で聞いた気がする。いや、あの時はノエルの事でいっぱいいっぱいだったもんでな。
『姉さんも姉さんです! こういう時こそ副艦長の姉さんがしっかりするべきなのに、二人で暴走してどうするんですか!』
『はうっ!』
俺たちは二人して、すまんすまんと必死に謝りました。確かに、二人揃っていっぱいいっぱいだったのは、反省するところです。
すると、こちらの会話がひと段落すのを待っていたオフェリル様が口を開いた。
『さて……約束をしっかり守ってくれたようじゃの』
「ええ、なんとか何も失わずに終わる事が出来ました」
『何も失わずに……か。いや、確かに民の命を思えば些細な事じゃな』
オフェリル様の言いたい事は分かる。
何も失っていないというのは、あくまでも俺たちの立場としての言葉だ。
オフェリル様は、失っているのだ。
彼女の友だという存在……あのフェネルという名の不死鳥を。
「その事なんですが、オフェリル様……貴女に渡したいものがあります」
『渡したいものじゃと?』
『……こちらを』
隣に立つアルカが、オフェリル様に向けて毛布に包まれた小さなものを手渡す。
その毛布の中に居たものは……
「ピィ……ピィ……」
『な! こ……これは……』
毛布の中に居たのは、赤い炎のような羽毛を持つ、小さな雛だった。
そう。俺たちが倒した、あの不死鳥の雛である。
『な、何故じゃ? フェネルはお前たちに倒されて消し飛んだはずじゃ』
「確かに、あの魔獣に変化してしまった不死鳥は消滅させました。でも、知っているでしょう。不死鳥は、ほんの少しの火の粉からでも、その肉体を復活出来る事を」
と、さも想定内の事のように言ったが、これはあくまでも狙ってやった事ではない。
戦闘中の俺たちにそこまでの余裕は無かったし、こうして生きた不死鳥の雛を取り戻せたのは、偶然というか……色んなものが重なり合った奇跡のようなものだ。
あの時、アルドラゴの爪によってフェネクスの肉体を掴み上げた際、その爪にフェネクスの肉片の欠片が残されていたのだ。
放置しておけば再びフェネクスが復活した可能性もあったが、最後の戦場となったあの場が空気の薄い場所であり、細胞の活性化が弱まった事。即座に再生するには肉片が小さすぎた事で、戦闘後であってもフェネクスが復活する事は無かった。
肉片が残っているという報告を受けた俺は、そのまま処分する事も当然考えたが、ちょっと思う事があったので肉片を密封容器に入れ、ナイアへと預けたのだ。
ブラウがナイアの目の前で倒れた時のことだ。
彼女はその身体を診療した訳だが、特殊な魔獣化ウィルスによって侵された身体は、いくらナイアであっても治療することが不可能な状態だった。
が、医師としてのプライドで時間さえあれば必ず治して見せると奮起した彼女は、その細胞のサンプルを医務室へと持ち帰り、俺たちがフェネクスと戦っている最中治療薬の開発に専念していたという訳だ。
そして、遂に完成……した訳ではないが、魔獣化ウィルスを弱らせるワクチンのサンプルは開発できた。
だが、残念な事にそれを試すべきブラウは既に居ない。なので、テストはこの不死鳥の肉片でする事となった。
その結果、この不死鳥の異常なまでの再生力と相互作用して、見事に魔獣化ウィルスを封じ込めるに至ったのだ。
正直、この短期間でワクチンが出来るとは思っていなかったため、先程報告を受けた時はそら驚いた。いやいや、うちのメディカルを侮っていたなぁ。
こういう経緯があって、僅かな肉片から再生した不死鳥は魔獣化ウィルスに侵されることのない……元々の姿へと戻ったのである。
僅かな肉片が俺たちの手元に残った事、ナイアがワクチンの開発をしていた事、ワクチンを試した対象が異常なまでの再生力を持った不死鳥だった事。
この三つが揃った事で、この奇跡は実現したのだ。
ただ、肉片があまりにも小さかった事と、ワクチンの副作用によって魔力自体が弱まり、このような雛のような姿となってしまった。
『そんな事……妾にとって微々たる問題じゃ。あぁ、フェネルよ……良かった。良かったのぅ……』
「ぴぃぴぃ」
見た目幼女と戯れる小鳥というのも、実に微笑ましい光景だ。
なんか、この島に来てから良く無い事ばっかりだったけど、今回は初めて良い事に貢献できた気がするな。
遅れましたが、どうか本年もよろしくお願いします。




