182話 アリエス
ここで視点をゲイルとクリエイターサイドに戻そう。
魔獣がどうやったら生まれるのかという説明を受け、その後の事である。
「ふう、久しぶりに喋って口が疲れたよ。ああ、喉が渇いたな。全く、君も気が利かないね。ここはスッと水でも差しだすのが礼儀なんじゃないのかね。……あぁ、そう言えば死にかけていたんだね。いや、もう死んでいるのかな? チッまだか。……そう言えば、なんで知らない人間が僕の研究所に居るのかね。用がないのなら出て行ってくれないだろうか。……あぁ、研究用に僕が運び込んだんだった。うむ、君の着ていた服は実に素晴らしいものだ。是非とも、もう3セットくらいくれないかね。……少しは何とか言ったらどうなんだい? あぁ、そうか死にかけていたのか。……で、何の話をしていたのだったかな」
クリエイターは、魔獣に対する説明が終わった後、このような調子でまとまりのない言葉をずっと喋り続けていた。
恐らくは元々はお喋りな体質なのだろうが、その会話をするべき存在が彼の近くに居なかったのだろう。だから、まるで意味のない言葉をまるでラジオのように発信し続けている。
正直言って、少しでも気を抜けば意識を失ってしまいそうな状況において、この男の無駄話に延々と付き合っているのは過酷……というか、もう限界に近かった。
おかげで有意義な情報は得られたが、この情報をアルドラゴへ持ち帰らねば無駄死にとなってしまう。
死ぬ事は別に構わない。本来の仕事から外れて、好き勝手にやった結果が死なのだとしたら、それは甘んじて受け入れるべきだ。
それでも、無駄に死ぬことだけは受け入れられない。
死ぬのならば……せめて、満足のいく行動をとってからだ。
少しでも回復して、ここから脱出を試みるか……それとも他の誰かに情報を託すか……回復と言っても、このボロボロの肉体を癒してくれる者なぞ、目の前にいるこのマッドサイエンティストしか存在しない。
果たして、他人なんぞどうでもいいという人格破綻者に、どうやってこの身体を癒させるか。
また、他者に情報を託すといっても、この室内には他に誰もいない……一体どうすれば……
「!!」
そうして室内を見渡していて、ゲイルは気づく。
身の丈以上もある一つのカプセルのような容器……そのカプセルの中にプカプカと浮かぶ一つの影……。
それは、自分が仕留めたはずの男……聖騎士ルクスだった。
そんな馬鹿な。
何故、この男がここに居る?
確かにあの時仕留めた筈だ。相討ちのような状態だったが、確実に手応えはあった事をゲイルは確信している。
やがて、そんなゲイルの様子に気づいたのか、クリエイターはクククと笑いながら解説するのだった。
「ああ、気づいたかね、それに。そいつは君と同じく拾い物でねぇ。もう肉体の生命反応は失われているが、なかなか面白いものだったので“使う”事にしたのだよ。
んふふ……人間と魔獣を融合させるなんて、これを考えたやつはなかなかにイカレているな」
と、自分を棚に上げてそんな事を宣った。
だが、生体反応は無いという事は死んでいるという事なのだろう。
そうか……死んでいるのか……。だが、死んでいてくれて良かったと感じる気持ちは、ゲイルには無かった。同時に殺してしまった事を悔やむつもりもない。
……何というか、複雑な心境である。
しかし、クリエイターは気になる言葉を使っていた。“使う”とはいったいどういう事なのか……。
あの死体を、まだ何かに利用するつもりなのか?
そう訝しんでいると、何やらピピピピと室内に、アラーム音のようなものが鳴り響いた。
その発信音源は、クリエイターの背後にある謎の機械だ。
……もし、ここにレイジが居たのなら驚いたことだろう。その機械は、地球では比較的簡単に手に入る機器……普通のデスクトップ型パソコンだったからだ。しかも、かなり古いブラウン管タイプ。
「おっと結果が出たか。……ふむふむ、おやおや、これは予想以上の拾い物だったなぁ」
クリエイターは何やらPCモニターを睨みつけ、コンソールをカタカタと叩いている。やがて、ゲイルの元へ近寄ると、とんでもない行動に出た。
何の前触れもなく、身動きの取れない彼の首筋に、いきなり注射を打ち込んだのだ。
「う……ぐあぁぁっ!」
ゲイルの血管の中を熱いものが駆け回り、全身が沸騰しそうになった。
それこそ死を感じるほどの熱さだったが、その熱が収まると、不思議と全身の痛みが和らいでいた。
「悪いね。人を治すことに慣れていないんだ。まぁ、結果的に死ななかったのならそれで良い」
痛みは和らいだが、傷自体は治ったわけではない。
だが、これでひとまずの窮地は脱出できたと言っていいだろう。
助かった事は助かったが、素直に喜べる事ではない。この男が突然こんな行動に出たのだ。当然裏があるに決まっている。
「なぜ……拙者を……?」
なんとか声を絞り出すと、クリエイターはゲイルに顔を近づけ、にんまりとした笑顔を見せた。
「決まっている。その身体……僕が貰うからだ」
「……何?」
クリエイターは一旦ゲイルから離れると、その場をくるりと回転する。
「この身体で生きてきて、およそ200年の時が経過した。もうそろそろガタがきていてねぇ。代わりの身体を探していたんだよ。最初はあの死体を使うつもりだったのだけど……試しに調べてみたら、君の身体は素晴らしいな」
くるくると回転しながらも、クリエイターはPCのコンソールを叩き続けている。
「君は実年齢はおよそ28歳。……だが、肉体年齢は大体18歳程度といったところか。ある程度の年齢になったら老化が止まるのか。計算では、300年以上生きるらしいじゃないか。
そして視力、聴力……通常の人族のおよそ10倍。よもや、こんな種族がこの世界に居たとはね! 多くの人間が君の事を知れば、その秘密を知りたがるだろう。
難点は生殖能力が低い事だが、まあそれは僕には必要ない機能だ。ともあれ、新しいボディとして君以上の逸材を僕は見た事が無いな!」
さらさらっと自分の身体の秘密を暴露され、最後にはとんでもない事を言ってきやがった。
「……ふざけるな。拙者の身体は拙者のもの……誰にも渡せるものではない」
「うんうん。そう思うよねぇ。でも、出来るんだよね。その為に僕は長い間研究を続けてきたんだから!」
そう言うと、クリエイターはゲイルの襟首を掴み、床を引きずったまま別の部屋へと連れていく。とても非力な翼族とは思えない力だった。
ゲイルが連れていかれた部屋……。そこは、壁に透明なガラスの筒が多数敷き詰められた部屋だった。
筒……カプセルの中には、あらゆる種族の男、女、子供の姿が収められていた。人族、獣族、翼族、海族、樹族……果ては竜族の姿まで確認出来る。
だが、そのどれもが生きているとは思えない。まるで、標本のようだ。
「獣族と海族と竜族は体に合わない。元の種族だけあって翼族は合うが、やはり魔力を使えない。樹族は魔力は凄いが肉体が貧弱すぎる。人族は可もなく不可もなくだったが、寿命が短すぎるのが難点だった。
そこへ現れたのが、君だ。人族に近い存在でありながら、そのスペックは竜族以外の他の種族全てを上回る。素晴らしい肉体だ!」
身動きが未だにとれないゲイルの身体を無理やり起き上がらせ、どこかうっとりとした瞳でゲイルの全身を上から下まで見つめていた。
やがて、折れているゲイルの腕を掴み、手を握ってきやがった。
「今日この日、君が僕の前に現れたのは運命だ! さぁ、僕と一つになろう! 君の身体は僕のものだ!!」
うぞぞ……と鳥肌が立つのをゲイルは感じた。
このクリエイターなる男が、決して“そういう意味”で今の言葉を吐いているのではないと分かってはいるが、怖気が走るのはどうしても避けられない。
だが、このままではマズいという事はゲイルにも理解出来る。
首筋に撃ち込まれたのは、鎮痛剤のようなものなのだろう。痛みはなんとか和らいだが、手足は依然として動く気配がない。かろうじて指先が動く程度……そんな状態で、この場から逃げ出せるはずもない。
それでも、何か……何かしなくては! このままでは、本当にこの男に身体を乗っ取られてしまう。
散々アルドラゴの超科学に触れて来た立場としては、そんな事不可能だなんて断定できない。あの男は、確実にその力を持っている。……そう確信出来る圧力を持っていた。
ならば、逃げ出す前に自分の身体をなんとか動けるレベルまで回復させねばならない。
とは言え、治療薬の類はこの男が持っている筈だ。つまりは、やはりこの男に自分の治療をさせなくてはならない。
ただ、こんなボロボロの肉体のまま身体を乗り移るもないから、そのうち治療は施す予定なのだろう。それがいつなのかは分からないし、完全に身体を固定されてからでは遅いのだ。
……しばし考えこんだ後、ゲイルは決心した。
―――この手しかない。
クリエイターは未だに自分の言葉に酔っているのか、さっきから訳の分からない言葉を羅列している。
意識はこちらから逸れている。
ならば、今がチャンスだ。
ゲイルは折れている筈の右腕を強引に動かし、その指先を……腹部にある裂傷に添え……強引に傷の中に指をねじ込んだのだ。
「ぐああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
自分で自分の傷口を抉るという行為に、ゲイルの口から絶叫が鳴り響いた。
傷口より、血がドボドボと溢れ出る。
なるべく臓器は傷つけないようにしているつもりだが、正直痛みでそれどころではない。
だが、これでこの男は自分の身体を治療せざる得ない筈だ。
さぁ……どうする?
すると、クリエイターはさほど慌ててもいない様子でこんな事を言ってきた。
「おいおい、馬鹿な真似はしないでおくれよ。あれかな、自分の身体を奪われるくらいならって事で、先に死んでしまおうとかそういう考えなのかい?
言っておくけども、死んでいると後々面倒なだけで、別に生きてないとダメって訳でもないからね。
まぁ脳みそさえ無事ならそれでいいかな。万が一損傷していても修復は可能だ。
あーでも、まだ装置の準備が出来てないから、まだもうちょっと待ってね。えーと、3時間ぐらい」
「!!!」
さ、3時間!?
そもそも、別に死んでいても身体を乗っ取れるというのはどういう事なのか。
だとするならば、ゲイルのやった事は完全なる無駄骨……いや、単に死期を早めただけに過ぎない。
まずい拙いマズい!
このままだと本当に死ぬ。そして、その死体をこの男に勝手に使われることになる。
とは言え、自分ではもうどうしようもない。身体の力は抜けて、指先にすら力が入らなくなってきた。
他力本願は好きではない……というか、養父である老竜ゲオルニクスと生活していた時は誰かに頼るという行為をしてこなかった。ゲオルニクスはゲイルを可愛がってはいたが、基本的に放任主義だった為、ゲイルは食事を含めた日々の生活を、ほぼ一人でやってきたのだ。
彼には、誰かに頼るという方法が分からなかった。
此処に来る理由も、かつての自分の行動のツケを払う為だ。だから誰にも相談せずに一人でやって来た。その結末がこれだ。
だが、もう自分一人で何とか出来る状況は脱した。ゲイルが命を繋ぐためには、第三者に頼るしかなくなったのだ。
(主、アルカ殿、ルーク殿、フェイ殿、ヴィオ殿!! 誰か……誰か助けてくれ!!)
そうやって生まれて初めて心の底から念じた時だった。
ズガガァンと、激しい衝撃と振動が彼らの居場所であるこの室内を襲ったのだ。
ゲイルの身体は傍にあったカプセル容器に打ち付けられ、新たな痛みに再び意識が飛びそうになる。
それでも、ゲイルは既に白みががった視界の中、必死に状況を確認する。その結果、室内を襲った衝撃の正体を知ったのだった。
それは、この謎の部屋の壁をぶち抜いて現れた……“何か”だった。
いや、本当に何なのか分からないのだから仕方ない。
強いて言うなら、とんでもなくでかい球体の鉄の塊……?
だが、それが何であっても、その中より現れた者の姿を確認して、ゲイルは心底ホッとしてしまった。
願いが通じたのだ。
「あ、居た。おーい、生きてっかぁ?」
そうやってのんびりした声を掛けてきたのは、半日前に別行動をとった筈の、ヴィオであったからだ。
ヴィオは白煙が支配する室内を見渡し、やがてゲイルを発見する。
「……って、うぉう! なんじゃこりゃあ! つーか、死にかけてんじゃん!!」
「ヴィオ……殿……」
「やべーやべー! つーか喋るな!」
ヴイオはゲイルの状態を確認すると、慌ててその身体を抱きかかえた。
それを見て慌てたのは、自身も衝撃でカプセルに身体をぶつけて目を回していたクリエイターだ。
「ちょ、待てよ……それは僕のだ!」
「うっせー! 知るかアホ」
目の前に立ちふさがろうとするクリエイターを、とりあえずぶん殴って退かせるヴィオ。
問答無用。実にスカッとした。
だがクリエイターとしては、殴られた事よりもアホと言われたことの方がショックであったらしい。
「ア……アホ? 僕が……? 至高の天才である僕が……アホ?」
殴られた顔を抑えながら、茫然自失の状態で、何やらうわ言のようにその言葉を繰り返している。
当のヴィオは知った事じゃないという感じで、自分が降りてきた球体の中へとゲイルを運び込んだのだった。
「ナイア! ゲイルがピンチだ。急いで治療頼む!」
『あらあら! 何やらとんでもない事になってますね! でわでわ、急いで治療します!』
「え……ナイア……殿?」
ここに居る筈のない声を聞いて、ゲイルはまず驚いた。見れば、球体内部の壁に、ナイアのボディでもある金属ボールが埋め込まれているではないか。
ヴィオが現れた事自体も驚きではあるが、メディカル担当のナイアはサポートAIである。サポートAIはアルドラゴの艦内から外に出る事は叶わなかったのではなかったか?
当然それは烈火吹雪と同じ遠隔操作技術の恩恵によるものなのだが、ゲイルがそれを知る由もない。
ゲイルの身体はカプセルのようなものに入れられ、ナイアの身体よりいくつもの金属アームが飛び出す。
『治療薬の節約のため、まずは原始的な方法で傷口を修復しますね。うわー、腹部の傷が特に酷いですね。拷問でもされたんですか?』
まさか自分で抉りましたとも言えず、ゲイルは苦笑するだけに止めた。
金属アームが細かく動き回り、ゲイルの身体にある裂傷等を縫い合わせていく。
全ての外傷が縫い合わされたと判断されたら、カプセル内部に液体が流し込まれていく。これは、アルドラゴに常備されている治療薬を薄めたものであり、急激な修復ではなく時間をかけてゆっくりと肉体を修復するものだ。
実際、骨折等に治療薬を使用すると、骨が変な風にくっついてしまう危険性もあるから、この方が安全なのである。
やがて、液体より顔を半分だけ出した状態のゲイルが。隣で様子を見守るヴィオに懇願する。
「あ……主に伝えねばならない事がある。拙者を主の元に……」
「わーってらい。アルドラゴの方では、なんとかレージの奴と連絡付いたって話だ」
「……良かった。無事でござったか」
「おお、アルっちの方も無事だとよ。……見た感じ、アンタが一番重症だわな」
だろうな……と、ゲイルは苦笑する。
「ところで……これは一体……?」
「あぁ、そういや此処って敵地だったな。おーいナイア、《アリエス》起動だ。逃げるぞ」
「《アリエス》?」
『了解です!』
ナイアがそう言うと、ドゴンという音がして球体が壁から離れる感覚がする。
だが、不思議と球体内部は振動や衝撃を一切感じず、平地に立っている状態と一緒であった。これは、アルドラゴ内部と同様に重力コントロール装置によって球体内部の重力場が制御されているのだろう。
「ヴィオ殿……これは一体なんなのでござるか?」
「おう、ロールアウトしたばっかし、新型のゴゥレムだってよ。その名は《アリエス》だ」
黄道十二星座の一つ……白羊宮の名を持つ新型ゴゥレム《アリエス》。
だが、その外見はぱっと見では羊に見えないものだった。
外見としては、まず羊ではなく亀とかアルマジロを連想していただくと分かりやすい。
巨大なドーム型の本体に、短い手足と小さな頭部を持ち、四足歩行で移動出来る。これが、ビーストモード。
これがビークルモードとなると、手足、首を本体に収納し、身体をボール状に丸めて完全なる球体となる。この球体となった状態で転がる事で長距離の移動が可能となるのだ。
最も、この機体の最大の特徴は内部に人間を最大5人まで収納出来る所にある。内部には治療機器が常備されており、怪我人を収納して傷を癒す事が出来る。
それに加えてナイアの艦外活動が可能となった為、治療機器だけでは補えきれなかった専門的な治療まで施せるようになったのだ。
言ってしまえば、アルドラゴ版救急車みたいなものだ。
「そう言えば……此処は一体どこなのでござるか?」
「あん? 谷底」
ヴィオの説明によると、森の中にポッカリと開いた深い穴があり、その奥よりゲイルのユニフォームに取り付けられていたGPSの反応があったらしい。魔力切れで今まで一切反応が無かったGPSであるが、何故だか助け出す少し前に反応が復活したのだとか。
……考えられる可能性は、クリエイターがゲイルからユニフォームを脱がし、素材の耐久性を確かめるために色々やったせいか……。ある意味、それで助かったという事だ。
穴の奥を突き進むと、謎の通路へとぶち当たり、その通路を通った先に、あの謎の部屋があった。
あの部屋が何なのかは分からないままだったが、偶然にもゲイルは重大な情報を手に入れた事になる。
となれば、後は可能な限り早くレイジにこの情報を伝える事が急務と言えよう。
正直、会うのが少し怖くもあるが、会って話をしなければならない。
「あの男……早く何とかしなくては……」
なのだが、ここでゲイルの体力は限界に達し、そのまま意識を失ってしまったのだった。
念願だった助けが到着し、危機的状況は脱することが出来た。張りつめていた気が霧散し、一気に眠気が押し寄せたのだ。その欲求たるや、いくらゲイルであっても堪えきれるものではなく、そのまま深い眠りに落ちてしまった。
この時のゲイルは知る由もなかったが、クリエイターの存在は既にレイジ達にも伝えられていた。
だが、その情報ではクリエイターは島の北側で軟禁状態となっている筈だったのだ。それが、ゲイルが出会ったクリエイターは新たな研究を行うなど、比較的自由に動き回っていた。
これは一体どういう事なのか……。
もし、この情報をすぐにレイジ達に伝えられていたとしたら、これから起こる悲劇の一つを回避出来たのかもしれない。