178話 ジェミニ
「だったら……その化け物を倒してみろよ。……英雄」
そう言うと、ブラットは肥大化していない方の左腕をこちらに向ける。
そして、その腕より触手の槍をまた10本飛ばしてきた。
が、そのスピードは速くはない。アルカの肩を抱きながらでも十分に避けることが出来た。
……そう、例え今の俺であってもだ。
すると今の攻撃で何かを感じたのか、ブラットは苦い顔を作る。
「あっちゃあ、まだ駄目だなぁ。全っ然言う事聞きやしねぇ。悪いな、まともに相手するにはもうちょい時間掛かるわ」
その言葉が真実なら、奴はまだ身体を十全に使えないという事だ。それも当然と言えば当然か。他人の身体を乗っ取っておいて、いきなり自由自在に使える筈もない。
だが……
「悪いなアルカ、ここは逃げるしかねぇ」
俺は隣に立つアルカに小さくそう言った。
さっきまでならまだ勝機はあった。
だが、完全復活した挙句に巨大化しやがったブラット相手に、今の俺たちが勝てる要素が見当たらない。
幸い翼族たちはシェシェルに連れられて先の重力コントロール室に繋がるトンネルを抜けて脱出済み。あの通路は非常用通路にもなっているらしいから、無事に別の場所に抜ける事が出来るらしい。それに、あの金庫みたいな入り口ならば簡単に開くこともないだろう。十分に時間は稼げる。
だとするならば、後はもうここでこいつ等を相手にする必要性もない。
コイツの動きが鈍いうちに逃げるが勝ちだ。
俺はチラリと視線を地上へと繋がる通路へと向ける。
シェシェルにあのトンネルの通路は封鎖しろと伝えてあるから、俺たちが逃げられるのはあそこしかない。
そう思ってアルカの手を引こうとしたら、その手はぐにょんと感触を失った。
そして、そんな俺にバサリとジャケットが掛けられる。……赤いジャケット。俺が戦闘開始前にアルカに渡したジャケットだ。
「アルカ!!」
気付いた時にはもう遅かった。
既にアルカは飛び出していて、真っすぐにブラットへと駆け出している。
その最中にこちらに一度だけ視線を向けた。
声は聞こえない。
だが口の動きで何を言っているのかは理解出来た。
「あの馬鹿―――!!」
俺はすぐにその後を追おうとしたが、動こうとした途端につんのめって倒れてしまった。
見れば、俺の片足が粘着上のスライムによって地面に接着されている。
「おお、またやるかお嬢ちゃん!!」
アルカを迎え撃つべく触手を飛ばすブラット。
だが、そんなものがいくら身体を貫こうと、アルカは無視して駆ける。
……駆ける。
馬鹿!
やめろ!!
俺の想像通り、アルカはブラットの目前で自らの身体を液体化させ、巨大な水の塊となってブラットを覆いつくす。
「ぬおお?」
『今度は……逃げる隙間を与えません!』
水球の中、ブラットの巨体が持ち上がる。単純に計算すれば人間二人分の重さ。せいぜい150㎏程度あるが、今の魔力が低下したアルカにとっては相当な重さの筈。
「こんなもんで俺を閉じ込めたつもりか!」
水球の中から脱出すべくブラットはもがく。肥大化した右の拳で水の膜を殴りつけるが、その拳はまるで水を殴っているかのように感触がない。……筈だ。
それもその筈、これは対ブラット戦法の一つ……水牢である。
脱出不能な水の牢の中に敵を封じ込めてしまう戦法。水とはいってもスライムのようなものなので、牢の中に入れられた者が暴れると、その動きに応じて形を変えてしまうのだ。
事実ブラットは脱出するべく触手を伸ばすのだが、その触手を伸ばした長さだけ水の牢も伸びる。それに、アルカの言葉通りにブラットが触手を伸ばせるのは自分の体積の量だけ。その程度の質量ではアルカの牢を脱出する事は出来ない。
他にも、閉じ込められたブラットは、身体を風船のように膨らませて牢をぶち破ろうとするが、やはり牢を破る事は叶わなかった。
流石のブラットであっても脱出は不可能! これで勝利は確定―――
―――とは俺は言えなかった。
何故ならば、この戦法を何故先程使わなかったのかという答えに繋がる。
この方法は、あまりにも魔力消費が激しいのだ。
アルカが万全の状態なら問題はないだろうが、今の魔力で果たしてこの方法が何処まで持つというのか……。
「なら……この手はどうだ!」
次にブラットが実行したのは、攻撃対象を俺へ変更した事だ。
俺に向かって触手の槍を飛ばす。
だが、その槍の矛先は水の膜に覆われたまま、俺の数歩手前で停止した。奴の体積から考えて、まだ触手は伸びるにもかかわらずだ。
見れば、ブラット自身は触手を伸ばそうとしているが、苦悶の表情を浮かべているのが分かる。
アルカが抵抗しているのだ。
これ以上は進ませまいと、ブラットの動きを阻害している。身体を十分に使いこなせない今のブラットであるならば、アルカの干渉も通じるという事なのか。
だが、この行動によってさらにアルカの魔力が消費されていくというのは分かる。
くっそ……アルカの魔力はあとどれぐらいなんだ?
あと何分、アイツを閉じ込めておけるんだよ。
「このまま俺を窒息させようって腹か? 残念ながら今の俺には呼吸器官は存在しねえ。つまり、体内の魔力が尽きない限り俺が死ぬことはねぇぞ。それもさっきの薬のおかげで数時間は持つ! 果たしてお嬢ちゃんが俺を閉じ込めておける時間はどれぐらいかな?
それに、俺はレイジへの攻撃を止めないぞ! 必死に止めてみろ!!」
それがはったりなのか本当なのかは分からない。
だが、アルカの心を動かすには十分だった。
水の塊が次第に白く染まっていったのだ。
つまり、凍り付き始めた。
アイツ、ブラットを凍り付かせて完全に動きを封じるつもりだな。
「へぇ、そんな事も出来るって訳かい。いよいよ我慢比べになってきたなぁ。さぁ、勝負と行こうぜお嬢ちゃん!」
馬鹿野郎! 少ない魔力をさらに消費するつもりか!
まずい……まずいぞ。
このままだと、アイツは完全に魔力を失ってしまう。
魔晶に精神を移している状態で魔力が空になったらどうなっちまうんだ? 危険だから検証したことは無かったが、推論ではそのままデータそのものが消えてしまうという危険性があった筈だ。
それに……アルカはさっきこう言いやがった。
『―――これまで、ありがとうございました』
なんだよ、その言葉は!
いくら鈍感な俺でも、その言葉の意味は分かるんだ!
おいおい……こんな別れ方ってあるかよ!
こんな状態で、しかも相手がそんな奴で!!
なんで今に限って俺は何も出来ない!? 動けない!?
今までアルカに頼りっぱなしだった上に、最後の最後までアルカに頼り切ったままなのかよ!!
「やめろ……やめろよアルカ。お前と別れるなんて、俺は想像すらしてないんだよ……」
元の世界に戻っても付いていくって言ってたじゃねぇか。
そんな日々を俺は楽しみにしていたんだぞ。
流石に人型は無理だろうから、魔晶モードのお前を連れて学校に行ったりとか、お前だけだと不公平になるから日替わりでルークやフェイも連れて行ったりとか……。
大きな町に行ったらどんな反応するかとか、いろんな楽しみがあったんだ。
「ここでお前が欠けたら、どうしようもねぇだろうが!!」
ガチャン
そんな時、俺の目の前に何かが落とされる音がした。
思わず目を向けると、そこには俺が地上から持ってきた帝国軍のバズーカがあった。
「ふにゃあ」
その横に、今まですっかり忘れていた黒い影が四本足で立っているではないか。
「クロ!?」
正確にはクロではないが、この島にやってきてからずっと一緒だった猫だ。
なんでお前がここに? というか、今まで何処に居た?
それに、このバズーカはお前が持ってきたのか?
色々な疑問が湧くが、とにかくクロ……いやクロによく似た猫は、しきりに前足で足元のバズーカを叩いている。
「これで撃てってのか?」
だが今アイツを撃ったところで意味はない。確かに絶好の的ではあるのだが、アイツにこれを撃っても効きはしない。それに、これではアルカの行動を邪魔してしまう結果になる。
……いや、いいのか? アルカを止めるにはその手もあるんじゃ……いやいやいや、今のアルカを撃ったらアイツも傷つけちまうじゃねぇか。何考えてんだ!!
「ふぎゃあ!」
「うおっ!?」
何か怒られた?
クロによく似た猫は「違う違う」と言うように首を振り、前足を天に向けて突き出している。
「は? 空?」
空を見上げる。
そこには何もない。
ただ、ドームの天井があるだけだ。
「ふにゃあ!」
それでもクロに似た猫は前足で必死にバズーカと天井を指示している。
天井を撃てというのか?
悪いが全く意味が分からない。
「今それどころじゃ―――」
「ふぎゃーご!!」
「!!」
(うるせー! ガタガタ言ってねぇでサッサと言うとおりにしやがれ!!)
まるで、そう言っているかの如き勢いで怒鳴られた。
思わず仰け反ったぞ、オイ。
「分かったよ。やればいいんだな」
謎の強制力によって俺はバズーカを手に取り、天井に向けて構えた。だが、ただ引き金を引くだけじゃダメだろ? うちの装備と違ってマニュアルが何もねぇんだよ。どうすりゃいいのか分かんねぇぞ。
するとクロによく似た猫がピョンと俺の肩に乗り、前足で器用にポンポンとバズーカの横にあるボタンやダイアルをいじっている。やがて―――
「ふにゃ」
撃ってオーケーという事らしい。
ここに来て、俺には迷いは無くなっていた。
この猫が何者かなのかとか、この行動に何の意味があるのかとか……疑問は山ほどあったけど……
(あの子助けたいんなら素直に言う事聞きやがれ!!)
まるで猫がそんな事を言っているような錯覚を受け、俺はバズーカのスコープを覗く。
スーツの力なしにこんなものを撃って、反動がどれだけあるのか分かんねぇ。だが、今はとにかく撃つだけだ。
―――もう縋る相手が神様でも悪魔でも何でもいい! 奇跡よ起きろ!!
俺は引き金を引いた。
ドゴォンと耳元に雷が落ちたかのような轟音と衝撃が俺を襲い、俺は反動で吹き飛ばされてしまった。
その際に足を固定していたスライムが取れたのは幸いだった。
俺は意識が落ちそうになるのを必死で堪え、バズーカを撃ったことによる結果を見届ける。
バズーカより放たれたエネルギー弾は、見事に天井に命中。ただの一撃で天井の壁を破壊してしまったようだ。どうも、帝国の技術も侮れないようだ。
太陽の光がドーム内に降り注ぐ。
が、そこに何の意味があったのか、俺には理解出来ないでいた。
そんな俺の耳に、ブォォンと……聞きなれたエンジン音が聞こえてくる。
―――嘘だろ……まさか、本当にこのタイミングで!?
俺は目を見開いた。
天井に開けた穴より、正しく救いの神が舞い降りたのだ。
「あれは……《ジェミニ》!?」
ブォォンとエンジン音を響かせて天井からこのドーム内に飛び込んできたのは、ひし形を二つ組み合わせたような奇怪な形のマシンだった。
あの形……確かに俺たちがアルドラゴで開発中だった筈の新型ゴゥレム……《ジェミニ》である!!
だが《ジェミニ》より降り立ったのは、ルークでもゲイルでもなく、フェイでもヴィオでもなかった。
「―――誰?」
それは見たことのない奴らだった。
そう……“奴ら”である。
《ジェミニ》より降り立ったのは二人だ。一人は男で、もう一人はシルエットからして女。
そのどちらも俺は見たことがない。
……いや、見たことが無い筈なのに、何処なく見覚えがあるような気がする。
だが、俺があった奴らの中に、こんな水色とピンクの髪をした男と女なんか居なかった筈だぞ!?
『……これは、想像以上にピンチの状況だったみたいだな』
『うむ。見れば、先生……いや艦長もボロボロじゃないか』
ピンク色の髪をした女がこちらを見てそう言う。
先生?
俺を見て確かに先生と言ったぞ。
オイオイ、俺のことを先生と呼ぶ奴なんてこの世界で一人だけだぞ。
そして水色の髪をした……まるでヤンキーのような顔立ちの男は俺を見るとニカッと笑みを浮かべた。
『オッス。レイジ……いや艦長か。助っ人に来たぜ!』
その口調……何処となく面影のある顔立ち……まさか……まさかとは思うけど……
「ジェイド……それにミカ……」
俺はこんな場所にいる筈のない二人の名を口にした。




