152話 「クロ」
あれは俺が小学2年の頃だったと思う。
学校から家に帰ると、庭に珍しい訪問者が居た。
2匹の子猫である。
1匹は白黒が混ざった柄の猫で、1匹は真っ黒の猫だった。
捨て猫なのかどうかは不明だが、野良猫である事は間違いないようだ。
また、親猫が居るのかどうかも分からない。
そのまま放置するか遠くへ捨てに行くという選択肢を選ぶような薄情な家族ではなかった我が家は、飼うまではいかないまでも定期的に餌をやったりして、面倒をそれなりに見る事になった。
特によく面倒を見ていたのが、やはり子供である姉貴と俺だっただろう。
その当時の我が家では犬を飼っていた事があるが、俺の物心がついたぐらいの頃に亡くなってしまった。
だから、俺にとっては最初の小さな家族という事になるんだろうか。
家の中で世話をしていなかったため、朝から晩までずーっと遊ぶという事は無かったが、それなりに楽しく日々を過ごしていた。
が、その中途半端な接し方が悪かったのだろう。
ある日、学校から帰ってきたら、白黒の方の猫が……車にはねられて死んだのだと言う。
その時の泣きじゃくる姉の姿や、兄弟を失って寂しそうにしている黒猫の姿は、俺の目にしっかりと焼きついていた。
実際、俺もわんわんと泣いた。
それを反省してか、黒猫の方は我が家できっちりと面倒を見る事になった。
いつしかその猫が家に居る事は当たり前となり、約12年間の間……その猫は家族の一員となっていた。
名前?
そりゃあ忘れもしないさ。
“クロ”である。
見た目そのまんま?
仕方ない。子供だからそう呼んで過ごしていたら、すっかりそれが定着してしまったのだ。今の歳だったらもっと凝った名前考えるだろうよ。
とにかく、クロは俺にとって大事な家族である。
言う事聞かなかったり、大事な物をぐちゃぐちゃにされたりして時々憎たらしくなったりする事もあったが、子供だったらそういうもんだろ?
こうして異世界にやって来たとしても、アイツの事は他の家族同様にしっかりと記憶に残っていた。
「ふにゃー」
うん。
歳の割にやけに高い声も良く覚えているぞ。
「ふなー」
うん。
なんか不満があるような時は、そんな感じの声で鳴いていたよな。
「なー」
ぺしぺしと顔を叩かれる感触も懐かしい。
何か用がある時は、そうやって俺の顔を叩いて寝ている俺を起こしたよな。
……ん?
確か、クロは2年前に他界したんじゃなかったか?
それにここは異世界の筈、じゃあこの声と感触って―――
「ぬあっ!!」
慌てて飛び起きた俺の視界に映ったのは、緑と茶色に彩られた世界だった。
視界が安定し、ここが森の中だという事に気づくまで10秒ほど掛かってしまった。
そして次に自分の傍にまとわりつく影に視線を向ける。
艶のある黒い毛並。
ふりふりと揺れる長い尻尾。
ピンと立った大きな耳。
そして、真っ直ぐにこちらを見据える黄色……いや金色の双眸。
「う、嘘だろ……」
「ふにゃー」
俺の目に映っているのは、確かに……確かにクロであった。
それも、出会った頃の子猫のサイズのまんまの姿である。
うわ……こりゃあマジで死んだのか、俺。
ここは天国で、クロが俺を迎えにきたとかってオチなのかよ……。
「ふなー」
ぺし……と柔らかな肉球が俺の頬を叩く。
◆◆◆
あれから数分が経過したが、どうやらここは死後の世界ではないっぽい。
アルドラゴを必死で支え、なんとか墜落を阻止したと思うのだが……正直、必死だったので記憶が曖昧である。
此処は……見た感じ何の変哲もない森の中という感じだな。多分、俺達の目的地であった天空の島……サフォー王国とやらの筈。
とにかく、身体は少し痛いが問題なく動く。軽く見た限りだと、大きな怪我はしていないみたいだな。どうも、森の中に落ちたけど木々がクッションになって助かったのかなと思っている。
ただ、身に着けていた装備の数々は全部魔力切れだ。ジャンプブーツで跳ぶ事も出来ないし、スーツもバリアも反応が全く無い。
アイテムボックスに限っては、蓋すら開かない。こちらはエネルギー切れになったらどうなるのかと思っていたが、こういう結果になるのね。
うーむ。
はっきり言ってマズイ状況である。
アイテムコレクターだなんだと世間に名が広がっているが、俺の力というものはアルドラゴのアイテムに頼る所が大きい……というか、9割方そうなのだ。
その装備が全滅……せいぜい、ブレイズブレードを普通の剣として扱えるぐらいか。ものすっごく不安であるが、此処にこうしている訳にも行くまい。
天空に浮かぶ島と言っても、エヴォレリアの世界には違いない。という事は、魔獣が存在するかもしれないのだ。
あ、魔獣ならもう遭遇していたか。
あのフェニックス……最初に攻撃を加えてきて以降は遠巻きにこちらを見ているのみで何もしてこなかったが、善い者であるという保証は何処にもない。
というか、こちらの魔力エネルギーを根こそぎ奪い取ったのはアイツという可能性が高い。
ならばやはり敵か……。少なくともそう思っていた方が良さそうだ。
ともあれ、すぐにここを離れた方が良いのは確かだ。
仲間達が助けに来るという期待もあるけど、そもそもアルドラゴはエネルギー切れで墜落したのである。こちらを助けに来ると言う余裕があっちにあるかどうか、疑問が残る。
むしろ、五体満足である俺の方があちらへ向かった方が早そうだ。
となると、問題が一つ。
「ふなー」
俺の足元にじゃれついているこの黒い小動物の問題だ。
とりあえず小さな身体を持ち上げて抱えてじっくりと見てみる。
うーん、どう見ても猫だ。考えてみれば、この世界って猫とか居るのか?
ちょっと変わった小動物なら見た事はあったし、どちらかと言えば哺乳類系よりは爬虫類系が多く存在しているような気がした。まぁ、この世界は人間よりは竜種が頂点のようだから、生態系もそちらに偏っているのかもな。
話はそれたが、ここまでThe猫という存在には出会ったことが無い。
獣族は人型になった猫という感じであったが、あれはもう別物だろう。
それに、なんでか知らんがクロにそっくりだ。
最も、俺の記憶にあるクロはもうちょっと大きく、顔立ちも大人っぽかった。これではまるで、子猫の姿に戻ったクロである。
果たして、他猫の空似で済ましていい問題なんだろうか……。
「おう、お前喋ったりできるのか?」
とりあえず尋ねてみる。
まぁここで「おう、喋れるぞ」とか言い出したらおっかねぇけど。
が、猫はきょとんとしてつぶらな瞳でこちらを見ているだけだ。
うぐ……そのキラキラした目でこっち見ないでくんない?
「はぁ、この土地で最初に出会う生物が猫って……それでいいのかよ」
肩すかしではあるが、ホッとしたのも事実ではある。
ただ、コイツを本当に猫と認めていいのかどうか……。
「ふなー」
うぐ……記憶にあるその声で鳴くな。
半年程この世界で過ごしてきたレイジとしては、この猫っぽい生物とはここで離れるべきだろう。ここがどういう場所か分からない以上、この土地の生物と触れ合う事は危険だ。
下手をしたら姿を変える事の出来る魔獣……ミミックとかそういう存在の可能性もある。
なんだけど……
「なー」
正直言って、コイツと離れる事は今の俺には出来かねる。
姿がクロに似ている為に情が移ったというのもあるが、これから長い道のりをたった一人で歩かなくてはならない。
この世界に来てからずっと誰かと一緒に行動してきたため、完全なる一人旅というのが何気に初めてなのだ。
……まぁはっきり言おう。
寂しいのだ。
一人は嫌なのだ。
共に行ってくれる道連れが欲しいのである。
「すいません、しばらくの間……俺と一緒に来てもらえませんか」
遂に猫に向けて頭を下げた。
まぁ、誰も見てないので恥ずかしくないっすよ。
「ふにゃー」
猫語はなんとなくのニュアンスでしか分からんが、どうもオッケーと言ったような気がするぞ。
ええい、旅は道連れ、世は情けである。
どう見ても子猫っぽく見えるから、ついでにコイツの親も探してやろう。
と、無理やり理由を付けてこの子猫を同行させることにした。
とは言えこのまま抱えて歩くのは両手が塞がるので危なっかしい。なので、とりあえずユニフォームの胸元部分に入れておくことにした。
うむ、これで安心である。
「さぁ、アルドラゴへ向けてレッツゴー」
「ふにゃー」
こんな感じで、一人と一匹の短い旅が始まったのである。
そういや、いまいち実感が薄いけど、ここって空に浮かぶ島なのよね。
この時点では、そういう認識はあっても深く考えては居ませんでした。