109話 「聖女ルミナ」
雄大に広がる砂漠。
ルーベリー王国が領土とするこの大砂漠は、国土の8割を占めていた。王宮のある第一都市は、砂漠のほぼ中心部に位置している。よって、彼の国を攻める場合はこの広大な砂漠を乗り越えて進まなければならない訳で、その工程は困難であろうと予測されていた。
……最も、ルーベリー王国には魔石を採掘する為の鉱山はあるものの、特別豊かな資源がある訳でもない。その為、彼の国を攻め落として手に入れるメリットはさほどないというのが、各国の認識である。
また、砂漠が脅威という認識も、ただ過酷な環境というだけでなく、そこに住む強大な魔獣達によるところが大きい。
サンドウォームに代表される巨大魔獣が砂の中に潜み、明確な道がある訳でも無い為、何処から何処までが魔獣の縄張りだという判断がつきにくい。よって、安全の確認されない砂の上をそのまま歩くなど、自殺行為と言えるものだった。
……ならば、砂の上を歩かなければそれほど過酷な地という訳でもない。過酷は過酷ではあるが、脅威は格段に減ると言っていいだろう。
その広大な砂漠の上空を、一つの巨大な物体が突き進んでいた。
空艦。
神聖ゴルディクス帝国が開発し、世界に誇る空を飛ぶ船である。
船の造形としては、地球の飛行船に近い。より詳しく説明するなら、普通の船の上にさらにもう一つ巨大な船を逆さまにしたような物体を釣り上げているような造形だ。
飛行船のようにガスで空に浮かんでいる訳では無く、帝国が開発した魔力を利用した動力機関、浮力を作り出すための機械が詰まりに詰まっているのである。よって、スピードも飛行船とは比べ物にならないほどに速く飛べる。
だが、機械に利用する部品が高額かつ安易に量産できない代物であるので、帝国内でも10数機揃えるのが現時点では限界であった。
よって、用途は主に国外への移動。それも、それなりの地位を持つ者が二人以上揃わないと動かせないという状況である。
また、万が一他国に奪われてしまっては大問題であるので、腕の立つ者が艦の護衛として同行するというのも仕方の無い事であった。
この空艦の船体部分にはそれほど多くは無いが船室があり、上質な造りとなっている為に快適にくつろげる空間となっていた。上流階級の者を乗せる為に造られたのだから当然ではある。
その一室から、一人の男が姿を現した。
「全く、あっちー国だなぁこりゃあ。ったく、エギルのヤツもとっとと空艦にクーラー付けてくれよな。まだ外で風浴びていた方が涼しいぜ」
と、ぼやくように呟きながら船室から出て来たのは、目元に傷を残し、黒い長髪をポニーテール……所謂侍風にした青年だった。青年は風を浴びながら、
すると、甲板の端に見覚えのある少年と、更に見覚えのある少女が蹲っているのが見える。
より正確に説明するなら、少女が甲板の手すりに寄りかかるように座っていて、少年がその背中をゆっくりと擦っているのだ。
「おっとルミナちゃん発見! なんだい部屋に居ないと思ったら、こんな場所に居たかよ」
青年が声を掛けると、少女はハンカチで口元を抑えながらも顔を上げた。その顔は青く、とても大丈夫と言えないものだった。
「……あぁ、大助さん。おはようございます」
とりあえず青い顔ながらも挨拶をすると、大介と呼ばれた青年は烈火の如く怒りの声を上げる。
「その名前で呼ぶんじゃねぇ! 今の俺はジークだって言ってんだろ!!」
「ごめんなさい。つい……」
怒られてシュンとなった少女だったが、やがて吐き気が復活したのか再び船外へと顔を向ける。所謂、遠くを見て気を紛らわせる作戦である。
「ったくよぉ。情けないもんだな、天下の聖女さまが船酔い……この場合は飛行機酔いなんてよ」
「ほっといてください。私は昔から乗り物に弱いんです」
「ハッハッハッ! だから俺の部屋で一緒に待機していれば酔う暇なんぞ与えずに楽しませてやったってのに」
大助……もといジークの品の無い言葉に、少女は露骨に嫌な顔をする。ジークは見た目だけならば、精悍なイケメンの類ではあるのだが、残念ながら少女の趣味ではなかった。
少女の好みは、もっと安心できる顔つきなのである。
「それにしても……」
再びジークはジロジロと少女を上から下まで眺めている。その視線を受け、少女はますます顔をしかめた。
「なんですか?」
「あの地味だった女がよくもまぁここまで化けたもんだ」
「……セクハラです」
確かに、鮮やかな銀色の長い髪、今は多少青ざめているとしても整った顔立ち。そこににっこりとした微笑が加われば、大抵の男はコロリと行くだろう。
「いやいや、褒めてんだぜ。色気の欠片もなかった地味女が、男どもを魅了する聖女様になったんだからな。立派なもんだぜ」
「……はぁ。聖女ですか」
聖女ルミナ。
それが彼女の名だ。
神聖ゴルディクス帝国に12人存在する聖人の称号を持つ者の一人である。
そして、軽薄に語りかける男の名は、剣聖ジーク。
同じく聖人の一人である。
また、ここには居ないがかつてエメルディア王国にてケイやゲイルと激闘を繰り広げた聖騎士ルクスもその聖人の一人である。
「あん、不満か? 地味な女で終わるより、男どもからエロい目で見られる方が良くないか?」
「それは個人の好みの問題です。……あと、私はエロくありません!」
服装だってきちんと真っ白いローブを着込んでいるし、生足すら見せていない。この格好の何処がエロいというのだ。
「ハッハッハ。男なんてのはな、そのローブの下にどんなダイナマイトボディがあるのかって想像するだけでイケるもんなんだぜ」
「な! わ、私は胸なんてありません!!」
悲しい言葉ではあるが、確かにその胸部は起伏が少ない。人前に出る際は詰め物で膨らませるという案もあったのだが、彼女は断固として拒否したのである。
もしばれた際、とんでもなくみじめな気持になるだろう事は目に見えているからだ。
「まあ、貧相なボディだとしても、それはそれで……とイケる奴も居るしな」
「……って事は、どうしたらいいんですか」
「諦めろ。お前が注目を集める立場な以上、それは仕方ない事だ」
「うぅ……男なんて……」
ガックリと項垂れるルミナの肩を、今まで黙って傍に立っていた少年が優しくさする。
今まで存在感を発揮していなかったが、その少年もまた特殊な姿をしていた。
年齢は10歳前後。綺麗にそり上げた頭に入れ墨のようなものがある。また、その瞳に宿る光はとても薄く、まるでぼんやりとした夢でも見ているかのような顔つきである。
少年の名はミド。
立場としては、聖女ルミナの護衛となっている。
とりあえず項垂れるルミナをまたもジロジロと眺めていたジークは質問を再開する。
「それで? ルミナちゃんは初体験とかいつなわけよ」
「だからセクハラです。いつも思うのですが、ジークさんは節操が無さすぎです」
それほど付き合いは無いが、彼がほぼ毎夜のように女性を部屋に連れ込んでいるのはルミナも知っている。
この船にも、女性の船員は居るが、既に彼の餌食になっているとのことだ。
「いいじゃねぇか。こっち来てから特に娯楽みたいなもんもねぇんだし。大体、向こうから来るんだから、拒むのも失礼ってもんだろ」
「男と女の関係って、もっと綺麗なものだと思っていました」
「あらら。こりゃあ、昔の恋愛をこじらせて引きずっちゃってるタイプ? あれかい、初恋の人が忘れられないとか?」
「……初恋では無いですけど、思い出を引きずっているとは言えますね」
「おお! なんか面白そう。お兄さん聞いちゃうぜ」
「やーです。男の人になんて話せるわけないがしょう」
「えー? 知らない間だからこそ、気軽に話せるってのもあるぜ。ほらほら、なんなら俺の部屋でゆっくり聞くぜ」
「下心丸出しでしょう。だから貴方と一緒に行動するのは―――」
そこでバタバタと甲板を走る音が聞こえてきたので、ルミナは言葉を止めた。
ジークも人の気配に気づいたのか、振り返ってこちらに向かってくる船員の方を向く。
「剣聖様、ここにおられましたか!!」
「あん。どした?」
ジークが気だるげに尋ねると、船員はオロオロとした様子で答える。
「2キロ程先に、サンドウォームらしき影を発見しました。迂回されますか?」
「なんだよ、魔獣の領域を避けるルートを通っていたんじゃねぇのかよ」
いくら空を飛んでいると言っても、空を飛ぶ魔獣や巨大な魔獣と遭遇すればそのアドバンテージも意味は無くなる。地球の飛行機等と違い、現時点では空艦はあまり高く飛べないのだ。今の帝国の技術では、せいぜい50メートルが限界と言った所である。
砂漠の横断もかつては当然陸路を使っていた訳で、その時に魔獣に遭遇しにくい道は既に調べ上げられている。最も、その領域を支配していた魔獣達を全滅させたりすれば、新たな魔獣達がその領域に侵入し、領域事態を広げてしまうという事もある。……めったに起きない事ではあるが、その付近の魔獣達は、一年ほど前にとあるハンター二人組が全滅させてしまったのである。それを彼等は当然知る事は無かった。
「まぁいい。針路を変えるのも面倒だ。俺がチャッチャッと行って仕留めてくるさ」
そう言ってジークは自室へと戻り、己の愛用の武器である大太刀を手に取って現れた。
「ミドも行かせましょうか?」
そう言ってルミナは隣に立つ少年を指すが、ジークは笑って首を振る。そして、背負った大剣を鞘から抜き放ち、正眼に構えて見せる。
「必要ねぇさ。……たまにはこの大蛇にも相手をしてやんねぇとな。糞ガキには自分の護衛でもさせていろ」
「出た厨二病」
「う、うるせぇ!」
ルミナの言葉にジークは顔を真っ赤にして反論した。あえて言葉で説明すると、大蛇というのはジークの持つ大剣の名前なのだ。最も、剣自体に銘は無いので、当人が勝手に名付けているだけなのだが。
ルミナの言葉を振り切るように、ジークは勢いよく甲板から飛び降りる。
当然無事に着地し、船員の言う2キロ先へと猛然と砂の上を駆け出す。
人間が上空50メートルから素直に飛び降りれば、いくら下が砂であろうと無事で済むはずがないし、あんな足場の悪い砂地を自動車並みのスピードで走るなんて不可能である。
……なのだが、そんな非日常の光景にもすっかりと慣れてしまった。
遠くでは早くもジークとサンドウォームの激突が始まったらしい。「おらおらおら!!」という掛け声や「ギシェェェッ!!」というサンドウォームの声らしきものも聞こえてくるが、ルミナは極力そっちを見ないようにしているので、戦況がどうなっているかは不明だ。
何故ならば、サンドウォームとはつまり砂ミミズである。そんな馬鹿でかいミミズの姿など、出来る事なら見たくないのである。
やがて音が収まり、勝負は決したらしい。
ハラハラとその勝負を見守っていた船員たちの顔から察するに、ジークは無事に勝ったみたいだ。……特に心配はしていなかったけど、ミミズを見ずに済んだことは素直に嬉しい。
それでも、帰ってきたら自慢話を長々と聞かされるんだろうな……と思うと、陰鬱した気分になる。
ルミナからすれば、武器に名前を付けたり、目元にわざと傷を残したり、侍風のファッションをしたりというジークの感性はよく分からなかった。いや、彼女もそういった知識はあるので、ある程度は理解できる。それでも、こういったロールプレイというのはどうも受け入れにくかった。
むしろ、そう思えるのならば今の聖女という立場も受け入れられるのだろうが、やはり無理だ。
自分はどこまで言っても自分。
柳久美那から、名をルミナと改めた所で別人になった訳でも無い。
それと同時に、彼も葛山大助から剣聖ジークと名を改めた所でこの世界の人間になった訳でも無いのだ。……そもそも、侍風なファッションをしているのになんで名前がジークなんだと思うのだが。
……ここまでの事でお分かりかと思うが、聖女ルミナと剣聖ジーク……彼等は共にこの世界の人間では無い。
ケイ達と同じように別世界からやって来た異邦人である。
そして、そのルミナという少女……本当の名前は柳久美那。
ケイこと彰山慶次と深く関わり合いのある人物であった。
「……はあ、慶次さん。私、こんな所で何やってんだろ」
眼下に広がる広大な砂漠を眺め、思わずかつて告白はしたが振られてしまった少年の名を呟くのだった。
新キャラ……と思いきや、プロローグにて登場済みの柳さんが遂に本格登場です。
初期プロットから登場は予定していましたが、よもや登場まで丸一年近くかかるとは……。
なんで帝国に居るのかとか、そういった事情は後々明らかになっていきます。