第6話
「よし」
ひとまず事実だけを受け取って、考えを切り替える。
細かい整理は、ひとまず後回しである。ここまではあくまでも他人の事情なのだ。
ある意味、本当に聞くべきは次の事であった。
「二つ目の質問に移りたい」
「どうぞ」
「――俺は、どうなってる?」
一つ目の質問の意図は、ジャブだった。前置きだった。
時系列に聞くという考えもあったが、状況に整理がついてしまうことへの準備もあった。
智式のどこか臆病な部分が顔をのぞかせていたという話でもある。
だがいつまでも本命を避けてはいられない。
「昨日、俺は死にかけた。いや、ひょっとすると死んだのかもしれない」
「はい。一度は死んでいました。心肺は使い物にならなく停止。脳髄など神経系も、重要な機能がごっそりイカれていました」
「……ッ」
己に関する事実には、一瞬息が止まった。
ぼやかしていたが、察していた部分。
「じゃあ」
「それも……本来は聞くまでもないのでしょう? あなたは差という部分があるようなので。先の闘いで、自身の状況も整理がついているはずです」
「……大いなる鍵の魔導書、か」
絞り出すような声。
二つ目の質問の答えは、戦いの中で見つけていた。
「ソロモン王の大いなる鍵」が俺の肉体の内にあるってことですね。物理的にではなく、霊的に。しかも、魔術の力を行使するための知識だけじゃない。術式発動に必要な護符を、瞬時に作り出す補助機能付き、です」
「はい。……《レメゲトン》は錬金術部や、一般企業ともつながりがあります。顔をしかめる魔術師も多いですが……科学と魔術の兼ね合いは、一部ではそれなりに活発です」
ヘリアンテスは、そう言って、少し大きめのUSBメモリを取り出す。
智式に用いたのと同じものだ。
「その結果のひとつが――このグリモア・メモリです……これはデザイン用のモデルで、使えませんけれども」
魔導書とは情報である。
魔導書が力を持つのは、その情報が集合し、意味を持つからである。
だから、無謀な連中が極論を唱えて、データ化の可能性を考えた。
そして実現した。術式を的確に行使できる補助機能をつけたうえで。
「これを使えば、少ない魔力で魔導書に収められている魔術を用いることが出来ます。あなたに渡したのはご存知「ソロモン王の大いなる鍵」をデータ化して納めたメモリです」
「……まあ、そこまでは分かるんですが。いくら魔導書でも死にかけ……死んだ直後に人間を何事もなかったかのようにはできません」
あくまでも魔導書は魔導書である。
本を心臓代わりに突っ込んでも心臓は動かないし、手足が生えてくるわけでもない。
「その先も、推測はできているのでしょう? 自己の状態を認識できなければ魔術は使えませんので」
「……」
そう。
その答えまで、行きついていた。
他人の口から確認を……あるいは、違うと否定されたかったために、この質問をしたようなものである。
「……心臓には水星の二の護符に似たものが使われていますね。本当にまずいときに状況を変えさせる護符。心臓が動いていないという、状況を無理やり反転させて動いているように見せかけている。全身も似たような感じです。俺の体の大半は、誤魔化されています。実体のある幻覚……霊体に、物理干渉能力を持たせて、かつ魂の欠損部分を補いつつ感覚とリンクさせてあります。只の魔導書でなく、データ化された魔導書だから、応用も効かせられるということですか……。全身を肉体が在るように認識させることも可能と言えば可能なんでしょう。現に、実際に使うまで、違和感は在れど体は本物だと思っていました。――まとめると、霊体をつなぎ合わせて、それっぽく見せているだけであり、その接着剤に「大いなる鍵」の記述そのものが使われている、ということですか?」
「正解です。知っているなら、わざわざ聞かないこと。理解と認識を一致させる手間を、惜しみませんように。他人に頼り切るのは、愚策にして不適切です」
不適切。
先に不適切な質問は控える旨をヘリアンテスは言っていたが、踏ん切りがつかずに、質問を続けていたらどうなっていたことか。
「そういえば、昨日俺が意識を失う前にヘリアンテスさんが使っていた魔神は、確かマルバスでした。彼が司るもののひとつは機械技術……残っていた俺の肉体とグリモア・メモリをつなげたのは、マルバスの力によるものですね」
「ゴエティア・メモリの欠点は、それがまだ生体に対して使えないことでした。肉体と電子的な情報を媒介し結びつける手段が、なかったのです。昨日は思い付きで試したわけですが……うまくいってよかったです」
「……つまり、グリモア・メモリの適切な使用方法ではない、と」
「そういうことです。本来は……単純な魔術補佐の呪物でした。才の無い者でも、魔術の行使がある程度可能にすることを目的として、私は注文をしました。技術を持った変態連中が、想像以上のものをこしらえてしまったわけですが」
「それは――」
恐らくはローリエのために考案したのだろう。
「ゴエティア・メモリを受け取りに行ったのは、儀式の当日でした。すべてを、ほかの徒弟に任せたうえで……。彼女の努力は私も見ていましたから、ベリアル契約の一助をになった彼女には、成功の暁にゴエティア・メモリを差し上げるつもりでした。受け取ってみれば、その時点では使い物にならない出来ではありましたけれども」
こちらも、智式の想像以上に重い話となってしまった。
今、自分を生かしているのは、本来自分の手に渡ることのなかった道具。いまだ名前しか知らない女性が死んだから、自分は生きながらえた。
「使い心地は、最高でしたよ。特例みたいだから、参考になるか分かりませんでしたけれども。良ければ、レポートにまとめておきましょうか?」
「ええ。そうしてもらえると、錬金術部にも伝えやすいです。ほぼ試作品みたいな段階ですから……いずれ通常の魔術師にも使いこなせる仕組みに作り上げてもらわねばなりません」
彼女の意地も混じっているのかもしれない。
「大切に使わせてもらいます」
「そう、願います」
落ち着いたところで、次の質問に移ろうとしたが、まだ聞いていないことを智式は思い出した。
「あ、ところで、俺の体このままでも大丈夫ですかね?」
「……さぁ?」
智式はちょっと自分の今の顔が見たかった。表情の筋肉が、どう動いたか意識しないままに感情を顔に出してしまったのだ。
「なんですかその顔は。下品極まりないですよ」
「失礼。でも、グリモア・メモリで命を助けてくださったのは貴女ですよね? マルバスを使って腐った肉体と魂を何とかしてくれたんですよね?」
「応急処置です。その場で思いついた方法を実践したまでです。施術をする前、あなたは確かに危険な状態でした。ただ、そこから現在どうなって、今後どうなっていくのかは把握できません。何しろ、グリモア・メモリを作ったのは私ではありませんし、先の話でもしたように、本来の使い方とは大きく異なるわけですから。人間の持つ機能までも補うことは想定していません」
「……さいですか」
「ただ……個人の見解を述べさせてもらいますと、あまり長くは持たないと思います。無理の上に無茶を重ねていますから。理論的に問題なかったのは、処置そのものまで。長期的な問題の解決は考えておりません」
「でしょうねぇ……ひとまず生き延びただけマシ、とポジティブにテンションを保ってはいますけれど」
声だけは明るいが、表情はちょっと死んでいる。
「さて。そのまま最後の質問に移りましょう」
「……まだ納得はできていないんですが。仕方ねぇな」
「言葉が乱れてますよ。――もっとも、最後の質問は、あなたの進退にも絡めてお話ししたいので」
「何を聞くか、分かっていると?」
「もちろん」
智式の見る限り、ヘリアンテスは聡明な女性である。自分よりは年上だと思うが、それでも十分に若い。それでも、話から察するに、彼女の組織内での地位は高いのだろう。
ともすれば、状況から次の質問は予測出来て当然か。
「敵の目的」
一言。
それで十分に言い表されていた。
「分かっておいでで?」
「大まかには。アロンガスは逃げに逃げて、この極東まで来ました。でも、それも限界です」
確かに、アロンガスは追い詰められているのだろう。ソロモン王の魔術は、先述の通り土地の関係から西洋では強く、東洋では力をあまり発揮できない。
だというのに、神道や陰陽道に仏教が根付いているこの国に来たのは、残る手段が少なかったのだろう。
「ここ二、三か月ほど近辺で通り魔事件が相次いでおり、加えて日を追うごとに間隔が短くなってきています。被害者は干からびたり、腐ったり、多少の差は在れどいずれも魔力を奪われています。警察が犯人を追っていますが……」
「見つからない。なぜなら、下手人は魔王を従える魔術師だから」
「そうです。警察は被害者の共通点を見つけられないでいますが、調べてみたところ、有力な魔術の家系の傍流か、少なからず魔術の才があった者らです」
「少しでも、多く良質な魔力を、奪おうというわけ、か」
「大きな家の人間は狙っていません。おそらくはそこまでの力は無いのでしょう。ただ、その分、狡猾に確実に、力が弱く、しかし魔力を持つ人間を狙っています。力をつけるために……」
「だが、それこそ限りがありますよね? ペースがどんどん短くなってるってのは、魔王の維持のための魔力が追いついていない、ということでは?」
魔神は、一人で従えられればそれで十分に一流と数えられる。
それだけ、制御・維持が難しい魔術であり、通常は智式のようにごく限定的な契約を結びつつ、護符などを介して短期的に力を行使する。
「欧州でなら、そこまでする必要もなかったのでしょう。アロンガスは6=5に近い、5=6……小達人でしたから、魔王でも格を落とし、調整を重ねれば扱いきれないこともないレベルでした」
西洋の多くの結社では、魔術師の実力を位階で表される。
イコールを挟んだ数字で表されるこの位階は、最低が見習いの0=0より始まって、1=10から10=1まで存在する。つまり、基本的には前の数字が上がり、後ろの数字が下がっていくほど熟練の魔術師となる。
だが、8=3以降は、肉体を持っては上がれぬ階位であり、また到達例も少なく、魔術師としての単純な最高位は7=4なのだが、これはこれで大きな結社の首領が名乗る名誉階位となる。なので、肉体を持つ魔術師の実力としての最高位は6=5となる。
「ちなみに私は6=5です」
「アッ、ハイ」
魔神を複数従えているのだから、順当である。
「ともあれ、アロンガスは当面の目的は魔力集めでしょう。ただ、それも我々に露見した現在、次の手を考えているかもしれません」
「次の手、とは?」
「どうにかして《レメゲトン》の追跡を振り切る手、策です。そしてそれは大規模かつ、下準備が必要でしょう。現在のようにちまちまと集めていては、自転車操業でしょうから」
(自転車操業なんて日本語良く知っているな)
「そこで、です。ミスター・ノウレッジ」
「あっ、は、はい」
不意打ちである。
やっぱり耐えづらいので、訂正しようと思ったが、すぐに話は切り出された。
「今のあなたは、上手く動けば一般的な魔術師よりも多少は立ちまわれるレベルです。その力を見込んで、お願いします。――魔術師として、私に協力していただけませんか?」
「……諒解しても構いませんが、条件は聞いておきましょう」
「ありがとうございます。条件について、細かい部分は指示をしますが、主な作業としてはアロンガスの追跡と調査の補佐になります。クラヴィクラ・サロモニスを活用し、私の手となり足となり活動してもらいます。なにしろ極東にまで人員は割けず、魔神ばかりに頼ってはコストがかさみますので」
「戦闘は?」
「無理には要求しませんが、おそらく状況が許しません。メモリの使い方はお渡ししますので、想定を願います」
「分かりました。それで報酬は?」
ざっくりと切り込んでいく。
智式は、ここまでの情報を飲んで自分も動かざるを得ない事態だというのは理解している。巻き込まれたのだ、無視はできない。
だからこそ、立ち位置をはっきりさせておきたいと思ったのである。
「まずは、その体です。すぐには難しいですが、今回の一件は終局に近づいています。実際に解決しだい、ミスター・ノウレッジの肉体と魂を我々の出来得る限り、調査し、健全な状態になるように尽力します。結果までは保証できませんが……」
「大丈夫です。拾われた命です。アフターケアの対応さえ丁寧なら、それ以上の結果には拘りません。当然、元に戻れるなら、それに越したことはないですがね」
言葉とは裏腹に、ここは少し虚勢を張った。
正直な話をすれば、施術者自身が、どうなるかわからないと言っている現状は、怖い。
何しろ、一分後にも自分の体が使い物にならなくなるかもしれないのだ。もしくは、今後の重要な展開部分で、何もできなくなる可能性だってある。
ヘリアンテスとてそれは承知なのである。承知の上で、自身を使うと言ってきた。
これは彼女なりの慈悲なのだろう。
彼女のもとで活動するならば、万が一の時に彼女は何かが出来る。実際に何ができるかはわからないが、行動へのタイムラグは少なくて済むだろう。
だから、そういう意味では、智式が協力すること自体が報酬の一つでもあると言える。
智式は、ヘリアンテスの弱さにもつながりかねない甘さを感じていた。
性根はしっかりしており、実力もあるのだろう。思考の展開に、意義を挟める部分も見当たらない。
だが、米粒ほどの危うさを智式は感じていた。
「いずれにしても、どうなろうが文句は言えません」
もっと、それらしくばれぬように、虚勢を張っておく。
なんとなく、どんな目を向けられているのか見れない。
「わかりました。そこまで覚悟があるのならば、余計な気配りはいたしません」
声に冷徹さが戻ってきている。アロンガスと対峙したときの、声。
ひょっとすれば、過去の話をしたことで感傷的になって、それで彼女の一側面を垣間見れたのかもしれない。
「あと、成功報酬は別途に五十万円ほどさしあげます」
「やったぜ」
いや。
五十万?
「ん?」
「何しろ、個人での協力依頼となりますので、ポケットマネーからしか出せないのが心苦しいのですが……」
「え、なに。金貰えるの? ポケットマネー?」
「格がいくら下がろうとも、魔神を扱う魔術師が敵対するのです。本来なら、《レメゲトン》からお出しするのですが、手続きの余裕がありませんので」
「じゃなくて」
違うくて。
「俺はその、成り行きで参加するようなものですよ。それこそ結果は保証できません。金銭での報酬は……受け取れません」
「勘違いなさらないように。あくまでも成功報酬です。仕事をした者には、適切な対価が支払われて当然です。先に言った報酬は、半分はあなたを助けた私の義務のようなものですし」
……金持ちってすごい。
智式はそう思った。
「うん。ここで断るのも失礼だろうし、モチベーション的にもプラスになるからな……自暴自棄になる可能性が抑えられる。おっけ。んじゃあ、それで引き受けましょう」
「ありがとうございます」
お礼を言いたいのはこちらです。と智式は言わなかった。
彼女にも、メンツがある。彼女が施すというのならば、それに変なケチはつけられない。
あちらが尽くすというのなら、それに応えるだけである。
言葉よりも行動で。
お礼は、全部終わってからまとめて言ってしまえばいい。
だから、全部終わったときに、口は動かせるようにしておこう。
あとなるべくお金を使えるだけの、自由な体も残しておくこと。
「さて……それでは質問は以上でしたか? 最初には三つと言っておりましたが」
「……最後に、聞きたいことが一つ増えまして」
「なんでしょう」
これまた、口に出して確認しておきたい事項であった。
「ヘリアンテスさんは、《レメゲトン》でどういう立場なんですか? かなり首領に近い立ち位置だったり?」
「ご察しの通り、現首領であるウェリア・メイザースの娘で、次期首領です」
そらポケットマネーで五十万ぐらいポンと出ますわ。
「ああ、それと、ミスター・ノウレッジ」
「いちいち面倒でしょうから、適当に略してもらって結構です」
「じゃあレッジ」
「あ、はい」
また、新しいあだ名の誕生である。
「私の事も、アンとでも呼んでください。いちいち面倒でしょうから」
「あいあいまむ、アン殿」
智式は、ここで久しぶりに時計を確認した。
日付は、いつの間にか変わっていた。