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第5話

 居眠りを除けば、日常で意識を失うといった体験はなかなかしない。心身によほど大きな衝撃がなければ、気絶はしないように人間の体はできている。ちなみに気絶とは、脳の方へ廻る血液が一時的に遮断されたときに起こる現象の事を言う。

実は、湯船に浸かってうとうとと寝てしまった場合、睡眠よりも気絶に分類される場合があるらしい。だからそれらを含めれば、気絶というのも身近な現象になるのかもしれない。

立て続けに二日も、ぶっ倒れた黒秦智式は、そんな風に頭で整理をしている自分に気づいて、そこから自分の目が覚めつつあることにも気づいた。

「起きたか? 少年」

 瞼を何とか開けて、ぼやける視界は白い騎士を捉えた。

 戻ってきた感覚が、自分の体が柔らかなベッドに沈んでいることを教えてくれた。

 低反発なんてチャチなものではない、最高の寝心地が再び眠りの世界への誘いをかけてきたがちょっと気張って無視をする。下手に精神が弱ったときに、このベッドで寝込んだら、二度と起きられなさそうだ。

 そんな高級ベッドから身を起こし、傍に控えていた白い騎士を見やる。

「グッドモーニング」

「貧民街の肥溜めで生まれた新生児でも、もっとましな発音をする」

 起き抜けに罵られた。

 海外の人間は、日本人が思っているほど外国語の発音を馬鹿にしない、から恐れずコミュニケーションしていこう、と聞いていた智式であったが、顔に冷水をぶちまけられた気分になる。だが、お陰で目は完全に覚めた。

「そっちの椅子に掛けて待ってなさい。ヘリアンテス様を呼んでくる」

 言って、白い騎士は部屋の外へ出ていく。

 ちなみにその外へ出るまでに、十数歩はかかっていた。

 広い。

 周りを見渡す余裕が出来、自分の居場所を理解する。

 ベッドから察せられるように、凄まじいブルジョア感あふれる部屋であった。

 黄金に煌く、わけではない。ただ調度品や壁に床、カーペットやカーテンなどは一見すると何の変哲もないが、その全体でのデザインが一体感と調和を醸し出して、部屋の中にいる人間の心をリラックスさせる。

 高級品、というと思わず尻込みしてしまうレベルには金持ち慣れしていない智式であったが、そのような威圧感は全くなく、部屋全体で一つの絵を描いて、自分がその中の登場人物になったかのように思えた。

 心の奥底の冷静な部分では、よくよく置時計や棚の材質の値段を勝手に想像して勝手に肝を冷やしているのだが。

 ベッドの上でぼうっとしてるのも気が引けたので意を決してベッドから降りる。

近くにあった椅子に掛けてみると、自然と背筋が心地よい姿勢へと導かれた。

高級なのは材質だけでない。見た目から座り心地まで緻密な計算のもと、職人の手で一つ一つ丁寧に作られていることが、尻を下ろした瞬間に感じて取れた。

机もアンティークで、品のある佇まいから、自然と利用する人々の、食事や作業、会話のいずれも弾むに違いない。

魔術師の闘いよりもある意味人生に縁がなかった光景に圧倒されていると、ノックの音が聞こえた。

白い騎士とヘリアンテスが部屋に入ってきた。

「待たせた、少年」

「……ご苦労、アンドロマリウス。もう下がって結構です」

 軽くうなずいて、白い騎士――アンドロマリウスは姿を消した。実体化を解いて、待機状態に移行したのだ。

「現在は夜の二十一時過ぎです。疲れはとれましたか」

「……お話ができる程度には」

 智式は自分の体調を把握していた。

 全身をめぐる魔力には乱れは有るものの、元に戻りつつある。

 手りゅう弾の傷も、一通り塞がっており、大事は無い。

「どうぞ……ローズマリーに少しレモンを足したものです」

 ヘリアンテスも、智式の向かいに掛けて、紅茶を差し出す。

 寝起きで、少し喉も乾いていたので智式はありがたく受け取り、一口飲んだ。

「ほう、すっきりする。……普段はコーヒーばかりなもので、実は紅茶を出されてちょいと腰が引けたんですがね。こいつは好きな味と香りだ、気分がよくなる。お気遣い感謝いたします」

「いえ、この程度はたしなみです」

 智式がもう一口飲み、一息ついたところでヘリアンテスが切り出す。

「改めて自己紹介いたします。私はヘリアンテス・メイザース。ソロモン王の魔術を扱う結社レメゲトンより参りました」

 す、と頭を軽く下げる。

その何気ない所作ひとつとっても、上流階級の出身であることを言外に語っている。

「ご丁寧にどうも。正直、言いたいこと聞きたいことは満載ですが、まず名乗られたからには、こちらもお返ししましょう。と言っても、肩書は『高校生』ぐらいしかないですがね。黒秦智式、って言います。近しいものにはミスター・ノウレッジと呼ばれています」

 別に呼ばれてはいない。

「ではミスター・ノウレッジ」

「あっ、はい。あっ」

 呼ばれてしまった。

 心が落ち着いたからと言って、軽口が捗るのはいただけない。

 智式は気を引き締めるためにも、戒めとしてあえて訂正はしないでおいた。

「あなたも魔術の心得程度は身に着けているようですから、状況のおおよその輪郭は見えているでしょう。同時に、耐え難い困惑もまた隣に居座っているのもわかります、順に疑問を解消していきましょう。答えられることは答えていきますので、この状況について気になることがあれば何なりとお尋ねください」

 智式を慮る、穏やかな口調であった。

「ただし、あまりにも不適切な質問をした場合は、切りますので」

 そして口調は変わらぬまま、不穏なことを発言する。

 気づけば智式は腹の底に力を込めていた。背もたれに預けていた背筋は、ピンと伸びる。

 「不適切」についての閾値とか、何を「切る」つもりなのか気になったが、とりあえずこの場に即した順当な質問をしろ、ということだと受け取った。

「質問は……三つありますね」

 何をどう聞くべきか、逡巡はしたがすぐにまとまった。

 ただの興味で聞くよりも、前後を分かりやすく、時系列順で聞く。

「一つ目は、いかにも西洋の魔術結社って感じの《レメゲトン》のお方が極東まで何をしに来たのか。アロンガス? でしたっけ。赤毛の男。彼が原因なのは、推察できますが……ここまできたら自分も一応、キチンと背景は知っておくべきかと思いまして。話せる範囲で良いので、お願いしたいです」

「分かりました。我が組織の恥を晒すことになってしまいますが……やむをえません。まずは、我が《レメゲトン》について――」

 《レメゲトン》。

 拠点を英国に置く魔術結社である。

 所属する徒弟たちはソロモン王に連なる魔術……すなわち、天使、精霊、魔神を含む悪魔の数々を物質世界に呼び出して従える術や、惑星の力を引き出す護符を操る術を多かれ少なかれ修めている。運営の中心は名実ともに有力な貴族が運営しており、現在の首領もその当主を兼ねているという。

 組織としての歴史は千年には満たないものの、前身となる魔術師たちの幾多の積み重ねを濃く受け継いでいるため、周囲からの評価は非常に高い。

 神秘を俗人から隠匿し、秘術の継承を活動の指針とする魔道連盟においても、《レメゲトン》の首領は役員の一人として名を連ねていることもあり、強いコネクションを持っている。

「魔道連盟……小耳には挟んでいたが、そういう組織が実在するのか」

「ええ。魔術という世界の一側面は、個人が好き勝手に扱えるほど簡単な仕組みではありません。いくつかの有力な結社・貴族の互助・協力によって、世界における魔術の在り方を管理しています」

「あまり今回の一件とは関係ないのかもしれない、のですが連盟とやらに関して、気になる点をひとつ聞いておきたいんですが」

「どうぞ」

「連盟の日本における影響力です。欧州に母体を持ち、魔術という歴史におんぶ抱っこするモノを扱っているからには、こちらでの活動は難しいのでは?」

「確かに。一応、連盟の歴史の中では何度か日本の結社との交流を試みて、受け入れようと尽力した魔術師も居たそうですが……本格的に日本の結社が参入し始めたのは、ここ数十年ほどの事です。ふたつかみっつほど日本の結社が傘下に入り、宮内庁の系列とも多少の話がついているそうですが、まだ、この国ではこの国の魔術師の方がはるかに強いです」

「で、しょうな」

 宮内庁とサラッと出てきたが、智式は触れないでおく。本職に関わっている人間から、おおまかでも実情について聞けるのが嬉しかったのである。ひとまずはこのあたりで十分と察して、《レメゲトン》についての続きを促す。

「事の発端は、今年の始め。我々がベリアルとの契約を結ぶために喚起をしようとした日の事でした」

 魔神の使役は上級の精霊との契約が不可欠である。

 《レメゲトン》においては、まず上位の精霊たちと大まかに契約を結び、下位の魔神たちを仮の形で従えておく。そこから必要に応じて、各魔神との契約を結んで個別に使役が出来るようにしていくのである。

 そしてこれらは常に複数人で行うことが多い。魔神の持つ力は強大であるため、通常の魔術師は数人がかりでの制御しかできない。一人の人間が召喚から契約までを執り行うのにはかなりの才能を必要とするし、出来たところで負担も激しい。

 そんな中、星の配置と徒弟たちの実力が合致したということで、ベリアルとの契約が計画された。

 ベリアルは王位を持つ。

 即ち魔王。

 ソロモンの魔術に疎い魔術師であっても、その名は聖書から語られているため、知らぬものはほとんどいない。

 そんな存在を、使役できる組織があればそれだけで評価は高くなる。

 ゆえに《レメゲトン》の首領は、組織拡大の一環としてベリアルとの契約を画策したのである。

「そして、契約は失敗しました」

「……ベリアルが暴走でもしたか?」

「半分正解です」

「残りの半分は?」

「……」

 ここまで淀みなく説明を続けていたヘリアンテスだったが、ここで沈黙を挟んだ。

 悟られない程度に唇の端を噛み、眉根に小さなしわを寄せる。

 智式は、その細かな表情は捉えられなかったが、空気の温度の変化は感じることが出来た。

「徒弟が、裏切りました」

 裏切った徒弟の名はアロンガス。

 名門の出ではないが、実力とカリスマがあり、同じく名の知られていない家々の徒弟たちからは親しくされていたという。首領からは働きが認められ、近々何らかの役職を与えることが約束されていたという。

「先代までは割と名門・名家主義なところがあったそうですが、現在の首領は実力があったり、また魔術以外にも取り立てる部分があれば、評価するお方なのです」

「名門ほど伝統を重んじそうですが、首領殿は革新的な人なんですね。しかしここまで聞く限り、アロンガスが下手をやらかすような人には聞こえませんが」

「……皆がそう信じていました。そのためにベリアルとの契約を結ぶ儀式も、半分近くが彼の管理にありました」

 だから、ベリアルを奪って逃げることは手間はあっても、難しくはなかったのだ。

 そうヘリアンテスは続けた。

 儀式の当日。

 《レメゲトン》の屋敷の地下は凄惨に包まれた。

 後の調査でわかったことだが、ベリアルを制御する魔法陣には僅かだが綻びがあったらしい。

 ベリアルはその綻びを目ざとく発見し、力任せに己への枷を破壊した。

 暴走する魔神は、儀式を粉砕した。

 部屋は物理的に、破壊されて、儀式に関わった魔術師たちは多くが魔力を強引に奪われて、ミイラ寸前になっていたという。

 事の終わりまで、見届けていた者の言うことには、アロンガスは部屋中に高笑いを響かせながら、一人ベリアルに近づいていったという。そしてベリアルはアロンガスと共にどこへともなく消えてしまった。

「そいつはまた派手な……」

「死人も出ました」

「……」

「儀式に参加した魔術師たちは、逃亡するための魔力を奪われるだけでした。後遺症が酷いものもありますが、それでも彼らは一命だけはとりとめました」

「……じゃあ、その不幸にも命を奪われたってのは?」

「彼女は……ローリエは一応魔術師ではありますが、儀式には魔術師として参加していませんでした」

 一種のなぞかけめいた言葉に、智式は考えた。

「……才能が、無かったんだな。魔術の」

「全く、というほどではありませんでしたが……きちんとした訓練を積んだにもかかわらず、行使できる魔術はおまじないの域を超えませんでした」

 なんとなく、智式は自分と照らし合わせた。

 自分は独学という言い訳が効くが、ローリエの場合はさぞ難しい立場にいたのだろう。

「そのローリエさんが、儀式に居合わせたのは……ああ、魔術以外の才能で、っていうことか」

「はい。手先が器用で、作業の要領も良かったので、儀式の下準備などは彼女が任せられることが多かったです。そして、アロンガスとは割と古い馴染で、慕っておりました。ベリアルとの契約の儀式の際も、彼女は雑務などを担当する役を自ら買って出たのです。彼女への首領の覚えも良かったので、立候補は通りました。当日の儀式のタイミングでは、彼女にすることはありませんでしたが最後まで見届けると言って立ち合いを希望していました」

「ここまでの話から察するに、ベリアルの契約は、アロンガス昇進のための花ってところだったんでしょうね。ローリエさんが慕っていたというのなら、その手伝いをしたかったというところですか」

「ええ。そんな旨の話を漏らしていました」

「アロンガスは……多くを裏切ったということか」

「――そうです」

 ぎりりと、こぶしを握る音か、奥歯をかみしめる音か、聞こえてきた気がした。

 話が進むにつれてヘリアンテスは表情こそ大きく変えなかったものの、気配は厳しいものに変わっていった。

「ひょっとして、だが……ローリエはヘリアンテスさんにとっても、大事な人だったのですか?」

「徒弟は、皆大事です。競争し、研鑽を重ねあう貴重な存在です。ただ……ローリエは魔術が出来ないがゆえに、独自の価値観を築いていました。私も、そしてあるいは首領も……そういった点で、一目置いており、何度か話をしました」

 そこで、ヘリアンテスは紅茶を飲む。

 少し時間をかけて、カップに残っていた冷めかけの茶をすべて飲み干す。

 お代わりの紅茶をティーポットから注ぎつつ、話をつづけた。

「彼女は、お茶を淹れるのが上手でした……。このローズマリーを使ったブレンドも、彼女から教わったものです」

「……俺も、もう一杯もらえますか?」

 智式は、いつの間にか空になっていたカップを差し出す。

 ヘリアンテスは、乱れのない所作で、紅茶を注いだ。

「おそらくは、ローリエはアロンガスの逃亡の妨害をしたのでしょう。何らかの魔術を発動しようとした痕跡がありました。――おかげでほとんどが吹き飛ばされたようです。あとには、大量の血と、ボロボロの右腕だけが残っていました。」

「魔力を奪うより、殺害を優先された状況だったわけか」

「そもそも、彼女からは奪う魔力もなかったはずですから……それでも、彼女は失われて良い徒弟では決してありませんでした」

 魔術師は、魔術を歩む上での死は覚悟済みである。半端者の智式でさえ、そうなのだ。だが、裏切られ殺されるとなれば、話は違う。雪がれるべき罪が、そこにはある。

「それで、……日本へ来たのは、アロンガスを捕まえるため?」

「あくまでも、第一の目的はベリアルの奪還です。我らの手を離れた魔神を、野放しにはしておけません。ですが、アロンガスに魔術師として我らの徒弟の一人として、罪を償わせることも、重要な目的です」

「事情は……大体把握できた」

 智式は、大きく一呼吸した。

 思った以上に、重い話であった。

 話を聞く前は、改めて魔術の世界の深い部分に片足を突っ込めたことに、心の一部が小躍りをしていた。

 だが、そんな浮ついた気分は、どこかへ去っていった。

 敵には、悪意がある。

 その事実を、確認した。


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