教授と助手
ある晴れた日。
とある大学の教授と、その助手の一コマ。
「先生!!」
バンッ、
と勢いよく開く扉。教授、驚くわけでもなくチョコをコーヒーに混ぜる。
「林田君、私の記憶が正しければ、ドアというものはノックをしてから開けるものだったと思うのですが」
「あ、すいません!いや、っていうかそんな事より今朝のニュース見ました!?」
助手の林田、己の師とも言うべき人間の話を流す。中々肝は据わっている。一方教授、チョコ入りコーヒーを美味しそうに口に運ぶ。流されたことを気にしない、教授の心は大海原のようだ。
そして助手の話を続けてあげる。
「今朝ですか……そうですね、警察の方に職務質問をされたぐらいでしょうか……」
「警さ、はいっ!?」
「林田君はないんですか?」
さも助手のほうが普通から外れているかのように聞き返す教授。何も悪気は無い。教授はいつでもまじめである。
「一応言いますけど、普通ありませんよ?統計をとらずとも周知の事です」
助手のこの言葉に教授は驚き、そんな教授に助手は驚いた。といってもとてもささやかな驚きなので、何となく沈黙が流れる。
「……ファインマン先生だって経験あるって言っていました……」
教授、コーヒーを握っていた手に力をいれ、目はウルウルと助手をにらみ付けた。
「あなたは子どもですか!というかファインマン先生も!?あーやはりあなた方は僕らとは違う次元を生きているんですね……」
助手、駆け込んでくるほどの今朝のニュースをすっかり忘れ、この部屋唯一の窓の外を遠い目で眺めた。天気は快晴。生徒達が昼間っから数学や物理学、天文学に哲学と様々な分野を真剣に、そしてそれを楽しんでいるように議論している。
「次元ですか。林田君がファンタジー好きとは知りませんでした」
「え?」
「本来、次元というのは空間の広がりの度合いをあらわします。ですが、この意味で先ほどのあなたのセリフを処理した場合まったくおかしな文になってしまいます。ですから、よく一般的に広まっているSFだとかファンタジーの『別世界』『別天地』という……」
「あーあー!生麦生米生卵ーー!!」
助手、教授からのまったく悪気の無い理屈攻撃に低レベルなフィールドをはる。
「……受けて立ちます。東京特許許きゃッッ!」
低レベルなフィールドはそれなりに効果があったようだ。しかも教授にダメージまで与えた。
「……」
「……」
「……さ、今日はポアンカレ予想でもやってみますか」
教授、手に持っていたチョコ入りコーヒーを机におき、山積みにされている資料をあさり始める。
「自由ですね……いや、というかなんでそんな『今日の夕食はラーメンでいいかしら』みたいな軽い感じで言っちゃってるんですか?それミレニアム問題ですよ?そしてポアンカレ予想は解決済みです」
バサバサッ。
教授、驚きのあまり硬直。先ほど圧迫空間から救い出したポアンカレの資料たちが力なく床に落ちる。
「知らなかったんですか……」
「し、知っていました!もちろんですとも!」
人間、虚を突かれると普通でない言動を行ってしまう傾向がある。教授も例に漏れず、必死に見苦しいほどの弁明を開始。
「私が知らないわけないじゃないですか。まったく、林田君は失礼ですね。そう、ポアンカレ予想は解決済みなんです。ただ私は、これの解き方、つまり答えへの過程をじっくりゆっくり検証したいと、そう言ったのです……言ったのです!」
「わ、わかりました!僕が悪かったですよ!もう、そんなムキにならないでくださいよ」
まったく、といった感じの助手。ふと、必死な教授で少し遊んでみたいという邪念を抱く。彼はいつでもチャレンジャーだ。
「それにしてもロシアのゴルバチョフ先生はすごいですね。100年も未解決だったあのポアンカレ予想を一人で解いてしまったんですから。まさに天才ですね」
助手、ゴルバチョフなどと、嘘という名のエサを教授の前に差し出す。
教授、まったく関係ないと知りつつも、ゴルビーの愛称で親しまれていたソ連最初で最後の大統領を思い浮かべながら、その名がエサとは知らずにかぶりつく。
「本当に、ゴルバチョフ先生はすばらしいですね。その100年という間に一体どれだけの数学者が頭を悩ませていたことか……」
今まさに感動に浸っている教授。そんな教授を、ほんの一握りの哀れみと、多大なる笑いの渦でみている助手は体を震わせている。そしてさらなる邪念がうごめく。
「先生、たしか今日は特別講義が入っていましたよ。僕が資料など集めて準備しておきますから、それまでポアンカレ予想の検証をしていてかまわないですよ」
ニッコリ微笑む助手の林田。つまり、本当の事を教えてやる気は毛頭ないようだ。
一方の教授。講義の準備をしてくれるし、その間問題検証してていいですよ、なんて言われたので心底ありがたそうに礼を言ってポアンカレ予想に取り掛かる。
「じゃあ僕はちょっと席をはずしますね」
「えぇ、ありがとう林田君。あなたの様な助手がいてくれてとても嬉しく、ありがたいです」
教授の無垢な笑顔に少しばかり心を痛めた助手だが、それよりも真実を知った時の教授の顔を見てみたいと、そのまま部屋をでた。
ある晴れた日。
とある大学の教授と、その助手の一コマ。
リチャード・P・ファインマン――アメリカの物理学者。いたずら好きでユーモア溢れるノーベル物理学賞受賞者。
ポアンカレ予想――フランスの数学者、アンリ・ポアンカレによって提出。地球のある場所から長いロープを結んだロケットが宇宙を一周して戻ってきて、ロープの両端を引っ張ってロープを全て回収できた場合、宇宙の形は概ね球体(=ドーナツ型のような穴のある形、ではない)と言えるのか、という問題。
ミレニアム問題――100万ドルの懸賞がかけられている、7つの数学上のもっとも重要な未解決問題。内一つ(ポアンカレ予想)は解決済み。裕福な数学愛好家のランドン・クレイによって委託された。
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「先生!」
「林田君!」
「な、何ですか!?」
「いえいえ、そちらからどうぞ」
「あ、どうも。いや、っていうか『次元』ってちゃんと『物事を考えたり行ったりするときの立場。また、その程度や水準』、って意味もあるんじゃないですか!!よくも人が言葉を知らないふうに言ってくれましたね!?」
「そんな事言ったら林田君だって、ポアンカレ予想を解いたのはゴルバチョフなんて人じゃないじゃないですか!!ペレルマンじゃないですか!!!嘘つきは泥棒の始まりです!!」
「そんなの、教授という立場のあなたが知らないのが悪いんじゃないですか?!だいたいアマチュアでも知ってる事ですよ!知らないなんて論外です!」
「そうですか、そういう事を言うんですね。もういいです。あなたが今書いている論文なんて読んであげません!」
「職権乱用かよ!」
思わずタメ口をはく助手。それでも、教授>助手、は変わらない。




