オフィスの女幽霊
もしも僕が幻覚を見ているのでなければ、僕の職場には女の幽霊が出る。その女幽霊は直接は見る事ができない。ただし、何か反射物を介せば見る事が可能で、例えば真っ黒なパソコンのディスプレイとか、ガラス窓の端とかに映っている姿を時折見かける。男性用トイレの鏡に映っているのを見た時には、ちょっとだけ照れた。
……この人は、いったい、何をやっているのだろう?
って。
僕は別に彼女を怖いとは思っていない。どうも彼女が見えるのは僕だけらしく、僕の頭がおかしくなってしまったのだと考えると少しだけ怖い。それくらいだ。
しばらくが経つと、彼女は僕に彼女が見えている事にどうやら気が付き始めたようだった。絡まれたら(?)嫌だと思ったので、気付かない振りをしていたのだけど、やっぱり気になって目で追ってしまっていたのか、彼女は僕の視線を意識し始めたのだ。
もっとも、それで彼女がおどろおどろしく僕を呪ったり祟ったりなんて事はまったくなかった。視線が合うと、僕に対して笑顔で手を振ったりするようになったくらいだ。
少し可愛いかも、
とも思う。
そんなある日だった。飲み会で、課の中で一番美人な(少なくともそう僕は思っている)篠原さんが、僕の目の前の席に腰を下ろしたのだった。
しかも悪戯っぽい少しだけ媚びたような微笑みを浮かべて、明らかに僕に好意がある感じで僕の事を見つめて来る。しかも、
「ちょっと、ここ、いい?」
なんて事を言って座ったのだ。
“これは、ひょっとしたら、ひょっとするのか?”
などと少し期待した訳だけど、同時に僕は“こんな虫のいい話はそうそうない”とも思っていた。それで少し疑ってみて気が付いたのだ。その篠原さんの表情が、例の女幽霊にそっくりである事に。
一呼吸の間の後、
「はぁ、君か…… そんな事もできたんだな」
僕はそう言っていた。残念なような安心したような気分。すると彼女は驚いたような顔でこう訊いて来た。
「どうして分かったの?」
「なんとなく…… まぁ、こんなに良い話はある訳ないって思った事も大きかったかもしれないけど」
それを聞くと彼女は肩を竦めた。
「あ~あ。気付かないでいたら、良い思いをさせてあげようかって思っていたのに」
「なんだよ、それ?」
僕は笑う。酒を一口飲む。
彼女と話すのは初めてのはずなのに、まるでそんな気がしない。長年の友達のようにすら思える。
不思議なもんだ。
彼女は言った。
「あ、でも、気付いていても関係ないかな? この後、どうする?」
僕はそれを聞いて思わずふいてしまった。
「何、言ってるの?」
咳き込みながらそう返す。
「だって、この子としたいでしょう? あなた、オフィスでこの子の事をよく見ていたじゃない」
「いや、そりゃ、したいけど、そんな悪い事できないって」
「あら、そう? もったいない。
ここで、耳寄り情報。なんと私には、この子の記憶を残さないようにする事だってできまーす」
「ないよ」
僕は即答する。正直に告白するのなら、少しは惜しいと思っていたけど。その僕の返答に彼女は少しだけ微笑みを浮かべるとこう返す。
「それは残念ね。いい感じのところで、この子には我に返ってもらうつもりでいたのに」
「うわっ あっぶね」
「ふふん」と彼女は笑った。
「でも、ちょっとは良かったかしら。あなたがそういう選択をしてくれて」
「どうして?」
「それは、色々よ」
色々……
僕はその“色々”について少し考えてみたけど、考えない方が良い気がしたので、途中で止めた。それから彼女はオフィスでよくやるように手を軽く振ると「じゃ、私はそろそろ消えるわ」とそう言った。そしてその途端、上半身を大きく崩し、次の瞬間には驚いたような顔で辺りを見渡した。
「あら? どうして私はここにいるの?」
そう“戻って来た”篠原さんは言う。
「なんか、寝ぼけていたみたいだよ」
僕はそう言ってみた。もう少しくらいは彼女と話したかったかも、と思いつつ。
それからもその女幽霊はオフィスに出続けた。少しばかり僕に寄って来る事が多くなったような気もするけど、まぁ、多分、気の所為だろうと思う。
全体の完成度は低いですが、後味が好きなので投稿してみました。