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ヤミアカリ  作者: れみ
3/3

後編

 何から話そうか、と赤いジャージの少年は言った。

 ヤミアカリの畑に風が吹き、ほの甘い香りが漂ってくる。ミウは思わず食べたくなり、手を伸ばした。


「ヤミアカリは毒だ」


 釘を刺すように、少年は言った。


「祖父は脳腫瘍で入院していた。表向きはそういうことになってる。でも本当は、ヤミアカリのせいだ」

「ど、どういうこと」


 じゃがいもに毒が含まれているのは、ミウも知っている。芽だけでなく、食べる部分にもほんの少しだけ毒があるのだ。でも大量に摂取しない限り、命にかかわることはないと理科の時間に習った。


「頭の中に実ができる」


 少年は手前に生えている株に近づき、根元を掘った。土の中から大きないもがごろごろと現れる。


「食べると胃の中で芽を出す。身体中に蔓を伸ばして、トマトそっくりの実ができたら最後、人格を乗っ取られる」


 忌々しい思い出を掘り起こすように、少年は続ける。


「祖父は入院中、どんどん凶暴になった。毎日のように、シーツを引き裂いたり看護師に殴りかかったりした。俺たちのこともわからなくなって、本当にもう……別人だった」

「それは、病気のせいで」

「ああ、みんなそう言ったよ。でも違う。祖父は乗っ取られてた。花が咲いて実がなって、脳が破壊されたんだ」


 この人は、おじいさんの病気や死が受け入れられなくて、めちゃくちゃなことを言ってるんだ。ミウはそう思おうとした。それでも聞き流せず、話に引きずり込まれていく。


 少年の話によると、祖父は趣味で家庭菜園をやっていて、いろいろな野菜や花を育てていた。まとめて買ったじゃがいもの苗の中に、ヤミアカリが混じっていたらしい。

 ヤミアカリは驚くほど早く成長し、たくさんの実といもを付けた。そのおいしさと珍しさに魅了されて、祖父は種芋からまた苗を作った。


 ケン君と従兄の少年は、二人で祖父の家に遊びに行った。太っ腹な祖父は、苗をたくさん分けてくれた。夏休みの宿題で困っていたケン君は、それを育てて自由研究にすることにした。

 祖父の様子がおかしくなったのは、その夏の終わりだった。


「待って。じゃあ、あなたもヤミアカリを食べたんですか」

「いや、俺は食ってない。苗はもらったけど、じゃがいもなんてスーパーで買えるし、育てるのも面倒だし、結局植えなかったんだ」


 ケン君の両親も、息子の自由研究には手を出さなかった。食べたのは、おそらく祖父とケン君だけだという。


「何度も忠告したんだ。このままじゃ、お前もじいちゃんと同じになるって。あいつ食いしん坊だから、聞かなくて」

「ここでずっと育ててたんですね」

「ああ。でも、野放しにしておくわけにはいかない」


 少年は株を一本引き抜き、その隣の株も、次々に根こそぎ抜いていく。抜いても抜いても、きりがないほど生えている。ちょっとした農園のようだ。


 ケン君のことを考えた。優しい笑顔と残酷な目つきが混じり合い、どちらもうまく像を結ばない。

 あのケン君が、別人のようなケン君が、ヤミアカリのせいだとしたら、どうしてミウの前にだけ現れるのか。偶然なのか、それとも何かに呼ばれているのか。


「あの、ケン君はどうなっちゃうんですか」


 ミウはおそるおそる聞いた。少年は汗をぬぐい、ため息をつく。


「わからない。入院するだろうな。手遅れじゃなければいいんだが」

「頭が痛いって言ってましたけど」

「それはやばいな。もう花が咲いてるか、あるいは……」


 少年はぶつぶつ言いながら、株を抜き続ける。赤い実と大きないもが、山をなしていく。

 ケン君の頭蓋を突き破り、花が咲くところを想像した。目から耳から、血のように溢れてくるヤミアカリ。

 ふと、ミウはあることを思い出した。


「実のほうを食べるとどうなるんですか? おへそから芽が出たりしますか」

「食ったの?」

「はい、一つ」


 昨日、ケン君にすすめられて食べた。あの一粒だけだ。持ち帰ったほうは、干したまま手をつけていない。

 どうだろうな、と少年は難しい顔をして言った。


「祖父はやたらとよく寝るようになって、記憶が飛ぶようになったけど、それこそ薬の副作用かもしれないし」

「記憶が飛ぶんですか」

「人の顔とか、時系列とかね。でもまあ、一粒なら大丈夫だと思う」


 ミウにではなく、自分に言い聞かせるような口調だった。しばらく黙々と作業を続けた後、振り返った。


「謝って済むことじゃないけど、ごめんな。俺たちのせいで嫌な目にあわせて、本当にごめん」

「そんな」


 ミウは慌てて言った。


「話してくれてありがとうございます。でも、ちょっと寂しいな……好きだったから」


 少年は顔を上げた。まじまじとミウを見つめ、ふっと笑う。


「そういうことは本人に言えよ。退院できたらの話だけど」

「違うんです」


 ミウは考え、言葉を選んだ。初対面の少年にこんなことを話していいのだろうか。でも、この人はケン君の従兄だ。それに、ケン君本人とはもう会えないかもしれないのだ。


「ケン君が、急に変わるのが……それがいつ来るんだろう、って思いながら一緒にいるのが、好きなんです。叩かれるのも、悪口言われるのも好きじゃないけど、でも、ドキドキするんです」


 自分が呼んでいたのかもしれない、と思った。

 ケン君のスイッチを入れたのは、ヤミアカリではなく自分だ。


 そうか、と少年は言った。ヤミアカリの株はようやく、四分の一ほどが片付いた。

 投げ出された蔓と葉に、大きないもの山、そしてきらきら光る赤い実を見ていると、頭がぼんやりとしてきた。


 全部忘れてしまうのかもしれないと、ふいに思った。

 ケン君のことも、従兄の少年のことも、今日話したことも、何もかも忘れて、平然と日々を過ごしていくのかもしれない。だって自分は、ヤミアカリの実を食べたのだから。


「なくならないよ」


 少年は言った。


「ケンが助かっても、助からなくても、それは変わらない。だってミウちゃんの気持ちだろ?」

「でも私は」

「忘れたら、思い出させてやる。俺が何度でも、思い出させてやる」


 少年の声が、ケン君の声と重なった。

 少年のくっきりした輪郭と目鼻立ちが、ケン君のぽんわりした笑顔と、なぜか重なった。

 どこまでが本当なのかわからない。

 それでもいいんだ、とミウは思った。胸につかえていた欠片が、溶けて落ちていく。


 少年はジャージの袖をまくり、次の株を掘り始める。夕闇の迫る空の下、緑とでんぷんの香りがいっぱいに広がっている。


 ありがとう、とミウは言った。


 夜に飲まれていく景色のように、ミウの記憶は薄れていくのかもしれない。家までたどり着く間に、ぱらぱらと落としていくのかもしれない。

 そして、部屋の隅に赤い実が干してあるのを見つけ、不思議に思う。

 トマトは嫌いだけど、この実はなんだか……。そう思って食べてしまう。最後の一粒まで。頭の中に、白い霧が立ちこめるまで。


 記憶はどこから来て、どこへ行くんだろう。


 帰りかけたミウの背中に、少年が呼びかけた。


「また会おう」


 ミウは振り返らず、小さくうなずいた。森がざわざわと揺れ、甘い香りをさらっていった。


挿絵(By みてみん)

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