中編
いつからだっただろう。
ケン君はミウに意地悪をするようになった。
最初は、ペンケースを取って逃げたり、髪飾りを引っ張ったり、そんなたわいのないいたずらだった。
それが次第に、顔に雑巾を投げつけたり、机にマジックで落書きをしたり、三角定規の角で腕を突いたりと、エスカレートしていった。
足をかけて転ばせ、ブタが転んだ、と笑うケン君は、まるで別人のようだった。でも、心底楽しそうでもあった。
普段は、これまでと同じように気さくで優しいケン君だ。何かの折に、スイッチが入って意地悪になる。それはいつも、ミウと二人でいる時だ。休み時間、校舎の片隅、空き教室、放課後の裏庭。そして次の日には、何もなかったように笑顔で話しかけてくる。
クラスの子たちは気づいていない。仲の良い子に話しても、痴話喧嘩、と笑われる。親や先生も、難しい年頃だからね、と言うだけだ。
秘密の逢引をするように、ケン君はミウにだけ残酷な顔を見せる。
自分だけが知っている。そう思いながら、ミウはケン君の冷たい目を見上げる。
「何見てんだよ。死ね」
「あの、ヤミ……ヤミアカリ、もらっていいんだよね?」
「うるせえ、消えろ。息すんな」
赤い実は、体の下でいくつか潰れてしまっていた。いもはどれも大きくて立派で、げんこつ二つ分くらいある。ミウは腕に抱えきれるだけ拾い集めた。
「死ねっつってんだろ、ブタ」
ケン君がミウの尻を蹴飛ばす。持っていた実といもがこぼれ、転がっていく。拾おうとすると、背中に靴が飛んでくる。
「痛い!」
「黙れ、死ね。死ね死ね死ね死ね」
ミウはうなだれたまま、かすかに微笑む。この程度だ。傷やアザが残るようなことはない。だから誰も知らない。自分だけが知っている。
急いで拾い直したので、赤い実ばかり手提げに入れてしまった。大きないもに後ろ髪を引かれたが、ケン君が帰れと言うので帰った。
「これも干したほうがいいのかなあ」
トマトにしか見えないが、中身はじゃがいもだ。ミウは家に着くと、古新聞を出してきて広げ、実を並べておいた。これでポテトサラダ作って、と言ったら、親はどんな顔をするだろう。
真っ赤なポテトサラダを思い浮かべ、ミウは眠りについた。いつもよりも深く眠れたようだ。
ケン君は次の日も欠席だった。
ぶり返したんだ、とミウは思う。病み上がりで、ヤミアカリを干していたから。
心配だね、と前の席のユリが振り返り、小声で言った。ミウは黙ってうなずく。その日の授業はほとんど頭に入らなかった。まるで、空っぽの机と椅子に恋をしているようだった。
届けるものは何もないけれど、ケン君の家に行ってみよう。
こんなことを思うのは初めてだ。どうしてだかわからない。でも、心がざわついて止められなかった。
放課後、クラブを休んで帰ろうとすると、校門の前に誰かが立っていた。赤いジャージを着た、見たことのない少年だ。
あれは確か、隣市の縞猫中学のジャージだ。そう思った時、少年が動いた。
「ここじゃ何だから」
低い声でそう言うと、近寄ってきて腕をつかんだ。ミウは小さく叫び、振り払おうとした。少年は人差し指を立て、騒がないで、と言った。
「ミウちゃんだよね。ケンから話は聞いてる」
「えっ」
「俺、あいつの従兄」
濃い髪と眉に、くっきりした目鼻立ちをしている。ケン君には少しも似ていない。こんなところで待ち伏せて、声をかけてくるなんて、どう考えても怪しい。それでも、尋ねずにいられなかった。
「ケン君に何かあったんですか?」
少年はうなずき、来て、と言った。ミウは迷ったが、後に続いた。
校舎沿いの道を歩き、下校する生徒たちの笑い声から遠ざかっていく。裏門のほうへ回ると、人の気配もほとんどない。ミウは不安になってきた。
「あの、どこ行くんですか」
「じゃがいも食べた?」
少年は唐突に言った。ミウは驚き、首を横に振った。
「良かった」
学校を離れ、木立に挟まれた細い道に出る。少年は迷いのない足取りで進んでいく。
道は、森の中へ続いていた。背の高い枝が風に揺れ、急かされているような気持ちになる。木の根っこや石をよけながら、ミウは少年についていった。
辺りは次第に暗く、道は複雑になっていく。やっぱり引き返そうか、でもなんと言って切り出そう、と思っているうちに、開けた場所に出た。
陽の光が差し、緑の葉と赤い実がきらきらと輝いている。ミウは目をしばたたいた。森の中に隠された、幻の宝石を見ているようだ。
一面に広がる、トマト畑。
いや、トマトのように見えるけれど、あれはおそらく……。
「ヤミアカリですね。おじいさんの」
少年はかぶりを振った。
「祖父は死んだ」
「え?」
「このヤミアカリは、ケンが密培している」
何を言っているのだろう。
赤い実の群れと、思い詰めたような少年の顔を交互に見る。
何かが起きている。
たかがトマトで、いや、じゃがいもで、何かとんでもない事が起きている。
風が森を吹き抜けていく。少年の目が、いっそう険しくなる。
続けてください、とミウは言った。