前編
同じクラスのケン君が、風邪で学校を休んだ。
ミウは算数のプリントと給食のはちみつパンを持って、ケン君の家に向かった。
学校からの帰り道、狭い路地にそれて進むとケン君の家がある。同じ班だから、なんとなく自分が届けると言ってしまったけれど、少し緊張していた。六年生にもなると、男子の家に行くことなんてほとんどない。
ケン君とは、この頃よく話すようになった。最初は漫画やゲームの話で盛り上がった。図書室で会ったら、偶然同じ本を借りていた。日食が見たいと言ったら、雑誌の付録のフィルターを貸してくれた。雪が降った日、通学路で盛大に転んだら、ちょうど後ろにケン君がいた。大笑いするケン君を追いかけているうちに、服はすっかり乾いてしまった。
ケン君はふっくらと丸く、いつも笑顔だ。ケン君といると、胸の奥がざわざわと波打つ。好きなんじゃないの、と仲良しグループの女子に言われた。そうかもしれない。でも、それだけではない。絶対にそれだけではない。
家まで行く前に、ケン君の姿を見つけた。路地の真ん中に新聞紙を敷き、せっせと何かを並べている。地べたにひざをついて座り、上着も羽織っていない。
「何してるの」
「あ、ミウ」
ケン君は顔を上げ、嬉しそうに笑った。
「ちょうど良かった。おれも今、ミウのとこ行こうと思ってたんだ」
「え、何で?」
寝てなきゃだめじゃん、と言うつもりが、思わず聞き返した。
ケン君は新聞紙の上を指さし、ほら、と言った。ごろごろと大きなじゃがいもがたくさん、その隣には赤い宝石のようなミニトマトが並んでいる。
「じいちゃん家から届いてさ。食ってみる?」
ケン君はぷっくりした手にトマトを一つ乗せ、差し出した。
「えー。私、トマト嫌い」
「そう言うなって」
ミウはしぶしぶ指でつまみ、へたを取って食べた。ぷちゅっという歯ごたえの後に、青くさくて酸っぱい汁が広がってくるかと思ったら、全然違った。
「何これ」
ほくほくとした食感に、ほの甘い香りと粘り気。ミウは頬に手を当てた。
じゃがいもだ。茹でたじゃがいもの味がする。
「すごいだろ? じいちゃんに聞いたら、ヤミアカリっていう珍しいじゃがいもなんだってさ」
「これ、トマトじゃないの?」
「土の中にいもができて、地上に実ができる。両方じゃがいもだよ」
ミウは新聞紙の上に目をやった。何度見ても、じゃがいもの横にトマトが並んでいるようにしか見えない。これが同じものだなんて、夢か魔法のようだ。
「どうしてこんなところに並べてるの?」
「いやー、それが」
ケン君は頭をかいて笑った。
「ミウに持ってってやろうと思ったんだけど、干したほうがおいしいってじいちゃんが言ってたの思い出してさ」
「ケン君、風邪ひいてるのに」
「大したことない。頭が痛いって言ったら、親が休めってうるさいんだ」
ミウはしゃがみ、じゃがいもに見えるほうを一つ、トマトに見えるほうを一つ手に取った。顔を近づけ、香りをかいでみる。どちらも甘い、でんぷんの香りだ。
「好きなだけ持ってけよ。まだまだあるから」
ケン君がそばに立つ。ミウの胸は高鳴る。手提げに入れたプリントとパンのことを思い出す。でももう、そんなことはどうでもいい。
ケン君の影が動く。また、あれが来てしまう。
ミウは目を閉じる。じゃがいもとトマト、二つは一つ。
ヤミアカリ。病み上がり。
ケン君の気配が動く。ぷっくりとした手をミウの肩にかけ、ものすごい力で突き飛ばす。じゃがいもの山の上に倒れたミウを、尖った氷のような目で見下ろす。
「ああ、お前か。どこのブタかと思った」
あれが来てしまった。
ミウは胸を押さえる。ドキドキするのは、いつ来るか、いつ来るかと思うからだ。来てしまったらそれは終わる。