(8) 予想外の…。
『もしもし?』
「あ、芳原?」
『うん。ショウタロウ……、どうしたの?』
穏やかに尋ねられて、気持ちがすーっと静まった。
電話を通してつながっている芳原と俺。
離れているけど二人だけの場所。
「ああ、その…、チョコ、ありがとう。」
話題なんか何でもいい。
二人で話していられるのなら……なんて、気障かな。
『ああ、あれのこと? ふふ、開けてみた?』
芳原が笑ってる。
見えないけれど、声でどんなふうに笑っているか思い浮かぶ。
「うん。今、目の前に置いてある。手が込んでるなって感心してた。」
『あ、分かってくれた? そうなんだよ。絵を描くだけだけど、意外に大変なんだよね。』
「うん、そうだよな。……ありがとう。」
『良かった! 頑張った甲斐があったよ。あれ3枚目なんだもん。』
「3枚目?」
『そう。あれの前に2枚失敗したんだよ。固まる前に手で触っちゃったりしてさ。もうべとべと。「いや〜!」って。あははは!』
「そう…なんだ。悪かったな、なんか……俺のために。」
がっかりしたり、不満に思ったりしちゃいけなかったんだ。
手間も時間もかけてくれたんだから。
『いいんだよ、気にしないで。ねえ、それよりさ、何個もらったの?』
「え?」
『バレンタインのチョコ。あたしだけじゃないんでしょ?』
遠慮のない質問に思わず笑ってしまう。
そう。
これこそ芳原だ。
「全部で11個。義理の分も入れて。」
『義理って、葵以外には誰がくれるの?』
(え?)
頬が熱くなった。
鼓動も速くなって。
(芳原の分は “義理” に数えなくていいのか……?)
最初から自分を抜かしているのかも知れない。
でも、今のはもしかしたら告白かも知れないじゃないか!
「クラスの女子かな?」
胸がドキドキして、声が震えそうになる。
頭の中で期待が渦を巻き、耳は芳原の言葉を漏らさず聞こうと身構える。
『「かな」って。』
半分呆れて、半分笑った声がした。
「だって……、仲良くしてる女子なんていないし。」
言外に「芳原は特別」だとにじませてみる。
分かってくれないだろうか?
『じゃあ、全部本命チョコってことじゃない?』
「え、あ、ああ……、そうなのかな?」
(だから! 芳原はどうなんだよ!?)
俺の心の叫びは通じないらしい。
『ねえ、そういうのってどうするの?』
「え? 食べる……けど。」
『そうじゃなくて、返事。』
「あ、ああ、ええと、なんか……ほっとく。」
『えー、ひどい。』
「あ、いや、ああ、その場で待ってるとか知り合いならちゃんと言うけど、こういうのって、誰だか分からない方が多いから。」
『え、そうなの?』
「うん。直接渡されても、だいたいその場で走って行っちゃうし……。」
『告白じゃなくて、渡すことがメインになってるってこと?』
「まあ……、たぶん、そうなんじゃないか?」
『へえ……。』
(「へえ。」って……。)
「芳原はあげたことないのかよ?」
『え?』
「本命に。本気のやつを。」
からかうふりをしながら緊張してる自分に気付いている。
本当は「今朝」って言ってほしいんだ。
『あはは、ないよ。』
「ないのか……。」
予想以上の落胆。
そりゃあ、くれるときに「お返し」ってはっきり言われたけれど。
全身の力が抜けて、思わず床に寝転がってしまった。
『今まで友だちと部活仲間にしかあげたことないもん。』
「ふうん。」
なんだかかったるい。
もうどうでもいい。
どうせ俺なんか眼中にないんだから。
『だからショウタロウが初めてだよ。』
「……え?」
聞こえて来た自分の名前に意識が覚醒した。
ぱっちりと目を開けて起き上がる。
芳原の説明を聞くために姿勢をあらためて。
『特別に作ったのは初めて。やだー。そう思ったら、なんか急に恥ずかしくなっちゃったじゃん。』
「あ、あの、芳原。」
呼びかけたけど、思考がまとまらない。
心拍数がMAXまで上がってる。
スマホを持つ手が震えてきた。
『あー、もう、気にしないでね。そんなに深い意味はないんだから。まあ、イベントだしさ。この前のお礼だし。』
聞こえてくる芳原の声は、耳から耳へと抜けて行く。
心臓が胸を破るほどの勢いで打っている。
そして何かが、「今がチャンスだ!」と叫んでる。
『あ、気にしないよね? ショウタロウはチョコなんて珍しくないもんね。すごく美味しいのとかいろいろ ――― 』
「芳原。」
落ち着くために大きく息を吸い込んで、はっきりと名前を呼んだ。
芳原の声が止まったことを確認し、震えそうになる声を抑えて、少しゆっくり言葉をつむぐ。
言わなくちゃ、と思う言葉を。
「俺、芳原からもらえたことが、一番嬉しかった。」
電話の向こうで息をのむ気配がした。
「朝、駅で待っててくれたことも。2回も失敗して、やり直してくれたことも。あと……俺だけ特別……ってことも。」
『あ、あの……。』
何か言いかけた芳原の次の言葉を待ってみる。
けれど、それ以上は何も聞こえなかった。
だから今は俺が。
「俺……、その、期待してもいいかな?」
頬に血が上る。
深呼吸しても息が震える。
「あ…、今、じゃなくても…いいんだけど、いつか…その、芳原が………。」
それ以上は言えなかった。
急に自信がなくなって。
あまりにも都合のいい、自分勝手な期待のような気がして。
『あ、あのさ、ショウタロウは葵のことが好きなんじゃ……。』
早口で芳原が言った。
少し動揺しているのかも知れない。
葵ちゃんの名前が出て、俺は不思議と落ち着いた。
彼女のことを思い出として整理できた証拠なのかも知れない。
何のためらいもなく言葉が出て来た。
「葵ちゃんのことは好きだったよ。すごく。だけど、普段と違うことをやろうと思ったのは、芳原のためだった。芳原に認められたかったから。」
言いながら気付いた。
あの頃から芳原は、俺にとって特別だったんだと。
それとも本当は、もっと前からだろうか……。
「テストを頑張ろうとか、性格を偽るのをやめようとか、葵ちゃんを好きだったときには考えなかった。俺、友だちから『最近、落ち着いたな』って言われたんだぜ。それも芳原と話すようになって、俺が変われたからなんだ。芳原が俺を前に進ませてくれた。芳原が俺の特別なんだよ。」
一気に言って、大きく息をつく。
興奮している頭の隅で、こんな告白するつもりじゃなかったのに……と笑っている俺もいる。
『あの……、じゃあ、葵のことはもう……?』
ぽつんと聞こえて来た言葉。
そこに込められているのは驚き? 疑い?
それとももっとほかのもの?
「いいって言うか……、葵ちゃんと芳原のことは……別の問題って言うか……。」
自分の心の中を正確に伝える言葉が見つからない。
いくら考えても、自分にすら上手く説明できないような気がする。
でも、葵ちゃんと芳原を比較するとか、同じ基準で考えるのは無理だ。
葵ちゃんは葵ちゃん、芳原は芳原なんだから。
『葵がダメだったからあたしっていうのは……、体育祭のときみたいに……。』
(体育祭?)
一瞬の戸惑いのあと芳原と体育祭が結びついて、『借り人パン食い競争』を思い出した。
俺が葵ちゃんに断られて、芳原を呼んだことを。
「そんな。違うよ。絶対違う。葵ちゃんの代わりなんかじゃない。二番目なんかじゃないよ。今は、葵ちゃんよりも芳原のことを考えてる。芳原のことを一番たくさん。」
深呼吸 ――― 吸って。吐いて。
さあ、頑張れ。
逃げるな。
「だから、期待してもいいかな? いつか芳原が俺のことを想ってくれるかも知れないって。期待して……そばにいてもいいかな?」
沈黙 ――― 。
耳に自分の心臓の音が響く。
5秒、6秒、7秒……。
『………いいよ。』
聞こえて来た声に驚いた。
願っていたとおりの答えだったのに。
どうしてだろう?
『あたし、もしかしたら……あれ?』
もしかしたら ――― ?
その先が聞きたい。
なのに、彼女はそれ以上言ってくれなかった。
『ご、ごめん、なんか……涙が。やだ、もう、なんで? ちょっと待って、ティッシュ。ああ、ごめん、ぐすっ。』
(芳原が……泣いてる?)
俺の言葉で?
あの芳原が?
『だめだ、どうして? ひっく。ああ、もう。ショウタロウが悪いんだよ、急に驚かせるから。ぐすっ。やだもう、みっともない。』
なんだかひどく感動した。
俺も泣きたくなるくらいに。
『あのね、うっ、嬉し泣きじゃないからね。くすん。なんか、感動して。あのショウタロウが、あんな…こと、言うなんて。ひぃっく。』
「うん。うん……、分かった。」
芳原は、俺が芳原のことを想っていても嫌じゃないんだ。
そういう気持ちで俺がそばにいてもいいんだ。
そう思ったら胸がいっぱいになった。
思わず視界がにじんできて、下まぶたにたまった涙を慌てて手でゴシゴシと拭う。
たまには俺がしっかりしたところを見せなくちゃ。
「なあ? そっちの部活の休みはいつ?」
明るく、軽い調子を出して訊いてみる。
何事もなかったように。
なんでもないことのように。
『え?』
「どこか行こうぜ。映画とか……買い物とか。」
『え? 二人…で?』
泣くのは止まったようだけど、驚かれてしまった。
そういうのはまだ早かった?
「ええと、葵ちゃんと相河を誘ってもいいけど……。」
『え………。』
沈黙。
そんなにダメなのか?
そこまでは想われてないってことか……?
『……なんか、葵たちと一緒は恥ずかしいや。』
「え?」
芳原の答は、俺が考えていたのとはちょっと違っていた。
『誰かと一緒よりも二人だけの方がいいな。ショウタロウとなら気楽だし。』
俺と一緒は恥ずかしくないらしい。
でも、それを見られるのは恥ずかしいなんて……。
(可愛いとこあるじゃん。)
思わずニヤニヤしてしまう。
俺に対しては何も感じないというのが少し気にはなるけれど。
でも、俺と芳原はこれでいいんだろう。
俺たちの関係は、俺たちが居心地が良ければいいんだから。
次回、最終話です。




