82 ここが勝負どころだ!
決心が鈍らないうちに ――― 。
そう思ったけど、俺たちのテーブルには次々と誰かが話しに来て、葵のところへ行くチャンスがなかった。
でも、福根もすでに彼女のそばから離れていたから、その点だけはほっとしていた。
俺は友人たちと話しながら、頭の中で、葵に声をかけるシナリオを考えていた。
「そろそろお開きでーす!」
8時になったとき、幹事の声がかかった。
みんなが口々に「楽しかったね〜。」などと言いながら、帰り支度を始める。
慌ててトイレに行ったり、荷物をどこに置いたかと部屋を歩きまわったりする生徒も。
(よし、今だ!)
俺は少し早めに帰り支度をしておいた。
支度って言ったって、たいした荷物じゃないけど。
その小さなバッグを担いで、座敷の奥にいる葵のところに向かう。
彼女は膝立ちで布のバッグを覗き込みながら、芳原と何か話している。
みんなががやがやと動き回っていて、誰も俺のことなど見ていない。
だから簡単に ――― 。
(!?)
あと数歩、というところで、俺の前に福根が割り込んだ。
そのまま俺を邪魔するように葵の前まで歩いて行って ―― 立ち止まった。
「葵。送ってくよ。」
そのはっきりした声に、葵が驚いたように福根を見上げる。
俺たちの左右にいた女子も。
葵の隣にいた芳原は、少し微笑んで葵を見た。
(やられた!)
この周囲だけ音が消え、一瞬、俺の自信が揺らぐ。
そのとき。
――― 立候補もしてないくせに。
頭の中で藁谷の声がした。
その声に背中をたたかれたような気がする。
そして、 “ここで言わなきゃおしまいだ!” という思いが湧いてくる。
(くそっ! 負けられるか!)
すぐに体が動いた。
福根を通り越して前へ。
その勢いで葵と福根の間に割り込み、振り返って福根と対面する。
「葵を送って行くのは俺の役目だ。」
心の中で “お前の出る幕なんかねえんだよ!” と付け加える。
周囲の女子の驚きが大きくなり、その気配が座敷中に広がって行く。
みんなの動きがだんだんに止まり、誰も声を出さなくなった。
「そうなのか、葵?」
福根が、俺の横から葵に話しかける。
俺も肩越しに彼女を振り返る。
そして、願った。
( “そうだ” って言ってくれ!)
「え、ええと……。」
大きな目をぱちくりさせながら、俺と福根を見比べる葵。
驚きが大きくて、混乱しているのかも知れない。
だとしたら、もう一度ちゃんと言わなくちゃダメだ。
彼女の方に屈んで、しっかり目を見つめて。
「葵は俺が送って行く。それでいいよな?」
相変わらず驚いた表情のままだったけど、彼女は納得したように、コクコクと頷いた。
するとすかさず横から福根の声が。
「俺が近所じゃないからって、遠慮することないんだぜ。」
(遠慮だと!?)
福根を思いっきり睨み付ける。
けれど、あいつは俺を無視して、爽やかな笑顔で続けた。
「それに、いくら同じバレー部だからって、そこまで晶紀に気を遣う必要もないと思うけど?」
(馬鹿か、お前は!)
……という言葉は飲み込んだ。
(いくら何でも、好きな男に「送る」って言われたら、遠慮や気遣いなんかするか!)
福根を睨んだまま、頭の隅で、 “俺って進歩したじゃん。” なんて感心している自分が変な気がする。
「あの……。」
葵の小さい声がした。
俺が彼女に視線を戻すと同時に、周囲の視線も彼女に集まった。
「あの…、相河くんに、送ってもらいます……。」
大きな目で福根と俺を交互に見ながら、彼女が確認するように一言ずつ区切って言った。
(やった!)
俺が拳を握りしめたのと同時に、福根が隣でがっくりと頭を垂れる。
「よし。じゃあ、行こう。」
「え? あ、はい。」
俺の言葉で彼女が急いで立ち上がる。
立ったり座ったりした状態で俺たちを見ているクラスメイトたちの間を、彼女を後ろに従えて抜けて行く。
ここに着いたときとは違う、誇らしい気持ちでいっぱいになって。
座敷から出るときに、一旦振り向いて「お先に。」と声をかけると、葵も「失礼します。」と頭を下げた。
何人かがそれに応えたけど、よく確認しないまま、俺たちは外に出た。
店の外で見慣れない景色に一瞬立ち止まったあと、微かな記憶をたどって駅の方向に向かう。
少し速足で歩き続ける俺に、葵がときどき軽く走りながらついて来る。
バッグを胸に抱えて、ときどきちらりと俺を見上げて。
一つ目の角を曲がって店が見えなくなったとき、俺はようやく肩の力が抜けた。
そうなってみて初めて、自分がものすごく緊張していたことに気付いた。
「はぁ………。」
思わず大きく息を付いて、そのまま立ち止まる。
隣で立ち止まったスカートと靴が目に入り、ふと、それが本当に葵かどうか確認しなくちゃと思って顔を上げた。
すると、ふわふわのポニーテールの葵が、今曲がって来た道の方を振り返っていた。
(いた……。)
当たり前だけど、感動する。
俺の言葉に従って、彼女が一緒に来てくれたことに。
葵がこっちを向き、俺と目が合って、驚いたようにぱちりと瞬きをした。
(やっぱり葵だ。)
その反応がいかにも彼女らしくて微笑んでしまう。
彼女は俺が微笑んだ意味を図りかねたのか、曖昧な微笑みを返してくれた。
満足感でいっぱいになって、今度はゆっくりと歩き出す。
歩調を合わせてついて来る彼女に、そっと尋ねてみる。
「びっくりした…よな?」
「うん……。」
バッグを肩に掛け直しながら彼女が頷く。
「ごめん。」
「そんなこと、ないよ。」
微笑んで俺を見上げた葵にほっとする。
……と、次の瞬間、不安が胸に忍び込んできた。
(ちゃんと分かってなかったりして……。)
今の彼女の微笑みが、なんとなく無邪気すぎるような気がする。
さっきはなんとなく心許なさそうだったし。
(俺の気持ちは伝わってるのか?)
あのときに、自分が言った言葉を思い出してみる。
(「葵を送るのは俺の役目だ」っていうのと……、「葵は俺が送って行く」。それだけ……だな。)
もしも、彼女がそれをストレートに受け取っていたら?
控え目でそそっかしい葵のことだし、あのときは相当びっくりしていたから、もしかしたら……。
「あ、あのさあ、葵。」
「はい?」
可愛らしく首を傾げる彼女。
今、ここで一緒にいる意味が、葵と俺の間で違っているとしたら……?
「さっき、その、福根じゃなくて俺を選んだのは……、ええと、俺なら家が近いから迷惑がかからないと思って……とか?」
「え?」
彼女がぎょっとしたように立ち止まった。
そして。
「ち、違います。」
その表情のまま首を振る。
「相河くん、だから…です…けど。」
(よかった……。)
ほっとした。
ほっとしたあまり、言葉がすぐには出なかった。
そんな俺を見て、彼女は困ったような、情けない顔をした。
「あ、あの、もしかして、わたし、勘違いを……?」
(ああ、葵……。)
幸せがこみ上げてきた。
彼女のその言葉が、何を意味するか分かって。
「違うよ。勘違いじゃない。俺を選んでくれて嬉しいよ。」
するすると言葉が出てきて、自分でびっくりした。
でも、安心して笑顔になった葵を見たら、もっと早く言えばよかったと思った。
丸宮台までの電車の中は、新しい関係が気恥ずかしくて、なんとなく会話が少なかった。
視線を合わせるとくすくす笑ってばかりいて。
そんな感じで電車を降りたとき、今日なら手をつなげるかも……、と気付いた。
お互いに気持ちを確認したんだし。
夜で人目も少ないし。
そう思ったら、もうそれしか考えられない。
(よし!)
口で言うことを考えるとまた緊張しそうになったので、さっさと行動に出てしまおうと決める。
(外の階段を下りたところで……だな。)
でも、いきなり手を握ったら、また驚かれてしまうかも知れない。
この前みたいに立ち止まるくらいならいいけど、悲鳴をあげられたりしたら、俺が落ち込みそうだ。
どうしようかと迷いながら、改札を抜け、階段に差しかかる。
笑顔で話しているけれど、頭の中は、手をつなぐことでいっぱい。
自分がおかしなテンションになっているのが分かる。
(着いた……。)
階段の下。
一歩先に下りきった俺の少し後ろに、今まで話していた話にくすくす笑っている葵。
(ええい、迷うな!)
思い切って、無言で左手を差し出した。
驚いた顔で、俺の手と顔を見比べる葵。
それは予想通り。
でも……、次は予想とは違った。
彼女はすぐには手を取らず、少し上目づかいに、疑うようなまなざしを向けた。
(え!? まだ早かったのか!?)
弱気な俺が顔を出す。
でも、ここは平気を装った。
「どうした?」
少し迷ってから、彼女が言った。
「あ行の名前だからじゃない?」
(え?)
何を言われたのか、一瞬、分からなかった。
でもすぐに、きのうの出来事がよみがえった。
彼女は知っていたのかも知れない。
『告白レース』のことを。
だから……。
「違うよ。」
想いを込めて答える。
でも、彼女はまだ手を取ってくれない。
そして。
「間違いじゃ、ない?」
「え? なんでそんな……。」
「相河くん、言ったよ。花火の帰りに。」
「あ……。」
そういえば。
あのとき俺は、驚いている葵に「間違い」だって言い訳した。
彼女は待っていてくれたんだろうか?
あのときからずっと?
いつも、俺の近くで……?
(葵……。)
「間違いじゃないよ。」
少し困った顔で微笑んでいる彼女が愛しい。
胸の中から彼女への想いがどんどんあふれて……。
「葵のことが、ずっと好きだった。」
そのまま言葉になった。
「……じゃあいいや。」
恥ずかしそうにそう言って、彼女はやっと俺の手に自分の手を乗せてくれた。
その手を軽く引っ張ると、バランスを崩した彼女が腕にぶつかった。
ただそれだけのことが楽しくて、顔を見合わせてくすくすと笑って。
「俺さあ。」
並んで歩き出した彼女に向かって、口が勝手にしゃべりだす。
「ずっと…、何度も、言いたかったことがあったんだ。」
「……なあに?」
見上げた彼女をそっと見下ろす。
「いつも “可愛い” って思ってた。」
葵の目が真ん丸になった。
「くくくくく……。」
ひとりでに笑いが漏れてくる。
どうやら俺は、相当浮かれているらしい。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
訪ねてくださるみなさまに勇気をいただきながら、ようやく告白にたどり着くことができました。
たいへんお待たせいたしました。
第6章「言っちゃえ!」はここまでです。
次からは第7章「彼女の瞳に映るのは」です。
最終章になります。
あと少し、お付き合いくださいませ。




