80 *** 葵 : 仕方ないよね。
「お疲れさま〜。」
相河くんから離れて由衣ちゃんと宇喜多さんのところに行くと、二人がパンの袋を振りながら笑顔で迎えてくれた。
「お疲れさまでした。」
がっかりした気持ちを隠しながら、わたしも笑顔で合流。
フィールドでは次のレースが始まっていて、応援の生徒たちが盛り上がっている。
「自分が呼ばれるとは思わなかったけど、出ると結構面白いもんだなあ。」
宇喜多さんの言葉に由衣ちゃんが頷く。
「そうだよねー。あたしなんか、尾野くんはよそのチームだし、あんまりやる気なかったけど、いざ走り出したら思わず本気出しちゃったもん。あははは。」
「ああ、そうだよ。由衣ちゃんたち、すごく速くてびっくりしちゃった。パンなんか、あっという間に取っちゃったでしょ?」
「俺も感心したよ、全然迷いがなかったから。それに引き換え、葵は大変そうだったなあ。」
「あ〜、もう、わたしの話はしないで〜。」
恥ずかしいのと情けないのでそう言うと、二人は面白そうに笑った。
わたしもその場に相応しい表情をして見せるけど、本当は落ち込んでいてそれどころじゃない。
見せた表情の何倍も憂うつな気分。
(あんまり期待し過ぎるから……。)
相河くんと尾野くんがわたしの名前を呼んだとき、「もしかしたら。」って思ってしまった。
よく考えたら、尾野くんはともかく、相河くんがみんなの前で告白なんてするわけないのに。
いいえ。
みんなの前だろうがどこだろうが、相河くんにはそんなつもりはまったく無いんだから。
自分の勝手な想像で、勝手にがっかりしてるだけ。
そんなことにならないように気を付けようって思っていたのに。
「じゃあな。」
「うん。またね。」
宇喜多さんに手を振って、由衣ちゃんと一緒に応援席に戻りながら、戻ってからのことを考えてみる。
2人にご指名されたことを、みんなに冷やかされるのは覚悟しなくちゃならないかな。
(まあ、誰にもわたしの気持ちがバレなかったのは、不幸中の幸だよね。)
あのとき、「告白かも!?」と思って勝手に舞い上がっていたわたしを、みんなは迷っているのだと勘違いしてくれた。
だから周りの人たちは “自分のチーム” を選べと叫んでいて、みんなの目には、わたしがそれに従ったのだと映ったはず。
「ねえ、葵?」
「ん、なあに?」
呼ばれて由衣ちゃんを見上げると、なんだかクスクス笑ってる。
そして、そっと顔を寄せて。
「ねえ、告白された?」
「なっ、なんで!? されないよ!」
あんまり驚いて、声をひそめることも思い付かないほどだった。
なのに、由衣ちゃんは楽しそうにクスクス笑ったまま。
(なんで〜〜〜〜〜!?)
どこをどう見たら、そういう質問になるのか全然分からない!
相河くんは『あ行で始まる名前』だから、わたしを選んだだけなのに!
「それを言うなら由衣ちゃんでしょ? 『あ行』じゃないのにご指名されたんだから。」
ちょっとふくれて言い返したわたしに、由衣ちゃんが今度は「あはは」と笑って指摘する。
「何言ってんの? あたしは葵の代わりだよ? 葵がいなくなっちゃったから呼ばれただけだもん。」
「……だけど、べつに由衣ちゃんじゃなくたって良かったんじゃない?」
少し余裕が戻って来たので、しつこく反撃してみる。
言いながら、その通りだという気がしてきた。
わたしのところに尾野くんが来るのはいつものことだけど、だからって、すぐに由衣ちゃんをご指名するなんて。
「たぶん、最初に目に入ったのがあたしだったんだよ。葵のすぐそばにいたから。」
「そうかなあ? それだけってことはないと思うけど。」
もともと由衣ちゃんと尾野くんはお似合いじゃないかと思っていたし、レース中の二人の姿は、とても息が合っているように見えた。
今回のことで上手く行ったら、わたしは嬉しいけど。
「まあ、あるとすれば背が高いってことかな。」
「……背?」
「うん。尾野くん、何が何でも一番になりたかったみたいよ。出てったらすぐに『一番取るぞ!』って言われて、一気に駆けだしたから。」
「ああ……、そうなんだ……。」
(違うのか……。)
やっぱり無理なのかな。
まあ、夏休みが明けてからも、特別に話が弾んでる感じはしなかったけどね。
「そんなに気にするなんて、葵、怪しいなあ。」
「え?」
見上げると、由衣ちゃんは意味ありげな顔をしている。
「もしかして、本心では尾野くんを選びたかったとか?」
「やっ、やだっ、違う! 違うよ!」
(何てことを言うの〜!)
「そうなの? あんまりしつこいから、焼きもち焼いてるんじゃないかと思ったんだけど。」
「ち、違うよ。ホントに。」
「なーんだ、残念! うふふふふ。」
こういうことって本当に、簡単には進まないものなんだな……。
「葵〜! やっぱり尾野くん、葵のところに来たね〜♪」
応援席に戻ったら、やっぱりクラスの女の子たちに冷やかされた。
「あはは、まあね〜。」
少し立ち直って来たので、笑顔を作るのもさっきほど辛くない。
ほっとしたことに、尾野くんの話題は由衣ちゃんに向かって行った。
「あー、でも、葵じゃなければ由衣だなんて! びっくりしたよ。」
「そうそう。尾野くん、ほとんど迷わなかったじゃない?」
「ホントにね! 葵が行っちゃったと思ったら、『芳原、来い!』だもんねー。」
「そう! あんまりきっぱりしてて、なんだか羨ましくなっちゃったよ〜。」
(そうなのか……。)
みんなの言葉にそっと微笑む。
由衣ちゃんはああ言ったけど、やっぱり二人は上手く行くような気がする。
……と思ったのに、由衣ちゃんは顔をしかめた。
もう、愛想笑いをする気もないらしい。
「やめてよ、もう! あたしはあの人には興味ないよ。向こうだってちょうど目に入って、あたしなら一等賞を狙えると思ったんでしょ。」
この様子だと、本当に由衣ちゃんは尾野くんには興味がないんだな……。
「ああ、本当に速かったよね。葵と相河くんを、あっという間に抜いちゃってさあ。」
「葵たちは身長差があって、あれはあれで面白かったけどね〜。」
(ああ、またわたしの話だ。)
もう思い出したくない。
失敗ばかりして、みっともなかったわたしの姿なんか。
それに、期待した挙げ句に何でもなかったなんて……。
「あははは、そうだった、そうだった! しかも、葵はロープで転んだりするし!」
「ああ、そうだよね! あのときは葵がとうとう尾野くんに決めたのかと思って、『おおっ!』って思ったのに。」
「あ、あれは単なる事故で……。」
「分かってるけど……あ、次の選手が来たよ!」
「きゃ〜、次は何?」
周りにいたみんなが応援席のトラック側に寄って行く。
やっと解放されて、一気に疲れが出たような気がする。
もう、誰にも “ご指名” なんてされたくない。
「期末の英語で90点以上取ったヤツいるか〜〜!!」
「あ、俺、俺! 92点です!」
「あ、あたし95点!」
「お〜、すげえ!」
賑やかな声に、気付いたら笑顔になっていた。
テストの点数なんて普段は言い合ったりしないけど、今日ばかりは誰もそんなことを気にしないみたい。
「早く行け!」
「大きい方、大きい方! 点数じゃなくて!」
「そうだ。お前だ、お前!」
出て行ったのは、バレー部の1年生だった。
ひょろっと背の高い姿が、男子の先輩と手をつないで遠ざかって行く。
隣にいる由衣ちゃんが、笑いながらわたしの肩をポンポンと叩いてる。
(やっぱり楽しい……。)
周りで応援している声も、一生懸命走る姿も。
(落ち込んでたりしたら、もったいないな。)
今日は体育祭。
年に一度のお祭なんだもの。
(よく考えたら、相河くんと手をつないだし、おんぶもしてもらったしね。)
いい思い出だ。
あんなこと、普段ではあり得ない。
ドキドキし過ぎちゃったし、そのあとがっかりしたとしても。
(まあ、あんなもんだよね? わたしなんだから。)
なんだか気が晴れてきた。
文化祭から始まった九重祭も、今日で終わり。
高校2年生の今日は、本当に今日だけ。
楽しまなくちゃ、もったいない。
(うん。そうだよね!)
「葵。そのパン、食う?」
「え?」
声をかけてきたのは福根くんだった。
パンと言われて、手に持っていた袋を思い出す。
ちゃんと見たら餡パンだ。
「ううん、食べないよ。まだお腹空いてないもん。」
よく考えたら邪魔だ。
たぶん、もう出番はないけれど。
「じゃあ、俺にちょうだい。昼メシだけじゃ足りなくて。」
「あ、そうなの? これでよければ、どうぞ。」
「サンキュー。お、つぶ餡だ。ラッキー♪」
(つぶ餡が好きなんだ……。)
嬉しそうにパンの袋を開ける福根くんを見ながら思い出した。
相河くんも、つぶ餡が好きだってことを。
鯛焼きを買うときは、いつもつぶ餡ばっかりで……。
(こんなことでも思い出しちゃうんだなあ……。)
餡パンをほおばる福根くんをぼんやりと見てしまい、驚かれて焦った。




