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彼女の瞳に映るのは  作者: 虹色
第六章 言っちゃえ!
79/97

79  あれ?


(俺を選んでくれたんだ!)


幸せを噛みしめながら、葵の手を取ってパンに向かって走る。

小さい彼女を連れていると全速力とはいかないけれど、それすらも嬉しい。

もう一度、彼女と手をつないでいるという事実を確認したくて、右へと視線を向ける……と。


(ん?)


すごい勢いで、尾野が隣を駆け抜けて行った。


(え? 尾野?)


驚いている間に、尾野の黄色い鉢巻とショートカットの背の高い女子の緑の鉢巻きがひらひらと遠ざかる。


(芳原か!)


パンの下に到着すると、芳原はまったくためらいを見せずに尾野の背中によじ登った。

俺たちがそこに着いたときには、すでにパンを手にした芳原と尾野がゴールに向かって走り出すところだった。


(速い……。)


「おー、葵〜。」


「あ、宇喜多さん。」


「葵、早く。」


白チームの選手が連れてきた宇喜多と和やかにあいさつを交わしそうになる葵を急かす。

中腰になって背中を向けると、彼女が俺の両肩に手をかけて「えいっ!」っとジャンプして………ずるずると落ちてしまった。


(応援席から笑われてる気がする……。)


「相河、しゃがんでやれよ。」


頭の上から宇喜多の声が。

あの様子だと、やっぱり笑っているらしい。


「あ、ああ、ごめん。」


今度はしゃがんで背中を向けると、葵が「ええと。」と言いながら肩に手をかける。

足をどうしたらいいのか迷っているらしい。


「俺の手に乗れ。」


「あ、はい。」


後ろに回した手に葵の靴が乗ったのを確認して立ち上がると、肩にかかった手に力が入り、「うわ、高い。」とつぶやいたのが聞こえた。

隣では宇喜多たちが手をつないで走り出し、新たに到着した赤チームが「急げ!」と声を掛け合っている。


「取れたよ!」


という声と共に、葵が背中から飛び降りた。


「行こう。」


「うん。」


手をつなぎながら振り向くと、赤チームの選手が揺れるパンに苦戦していた。

前では白チームがゴールするところ。


(とりあえず3位だ。)


葵と視線を交わして走る。

先にゴールした生徒たちがゲラゲラ笑いながら話しているところに俺たちも到着。


「は〜〜〜〜〜〜!」


「つ、疲れた……。」


大きく息を付いた俺の隣で、パンの袋を握り締めた葵が腰をかがめて両手をひざについている。


「黄色チーム、3位でーす!」


元気な声を出して、審査係が葵に駆け寄って来る。


「すみませーん、お名前は?」


「え? あ、藍川葵です。」


彼女が答えている間に4位の赤チームがゴールインし、スピーカーから「ただ今のカードの内容は『あ行で始まる名前の生徒』でした〜。」とアナウンスが流れた。

アナウンスが済むまで待っていた審査係が葵に笑いかけて言う。


「というわけで、ありがとうございました〜。もう戻っていいですよ〜。」


「あ、はい。」


葵もすっきりした表情で微笑み返す。


(あ!)


……と思ったときには、もう遅かった。

俺と葵の間に審査係が立っていた。


「はい、走り終わった選手はあちらの着順の旗の後ろに並んでくださいね!」


「え、あ、ああ……。」


(俺にはまだやらなくちゃならないことがあるのに!)


葵を連れてきたそもそもの目的を達成していない。

このままだと、俺が条件をクリアするためだけに彼女を指名したと思われてしまう。


「あ、葵!」


審査係の横から葵を呼ぶ。

彼女は顔を上げてにっこり笑いかけてくれた。

それに向かって足を踏み出そうとしたとき。


(……え?)


葵に “バイバイ” と手を振られてしまった。

そして、さっさと芳原と宇喜多のところへ……。


(葵!?)


3人で楽しそうに笑っているところには行くことができず、俺は心の中で彼女の名前を叫ぶだけ。

あんな思いで決心してスタートしたのに、こんな結末が待っていたなんて……。


「ほら、あっちだぜ。」


後ろから肩をたたかれた。

振り向くと、尾野が不機嫌な顔で立っている。

ほんの何秒か前まで、宇喜多たちと笑ってたくせに。


(せっかくこいつに勝ったと思ったのに……。)


がっかりしていることを悟られたくなくて、歩きながら軽く睨み付ける。

そんな俺を尾野が不審そうに見て、それから立ち止まって言った。


「お前、何も言わなかったの?」


(う……。)


あまりにストレートに訊かれてムカッと来た。


「そんな暇、なかっただろ。」


低い声で言い返す。

視線を逸らしてしまったことに悔しい思いをしながら。


「馬鹿だなあ。」


(なんでお前に馬鹿呼ばわりされなくちゃならないんだ!)


言葉にできないまま睨み返した俺に背を向けて、尾野が歩き出す。

仕方なくそれについて行く俺。

着順の列の後ろでもう一度立ち止まった尾野が、呆れたように俺を見た。


「相河は律儀すぎるんだよ。俺だったら、走ってる間に言っちゃうけど?」


「あ。」


その手があったか! ……なんて、今さら思っても遅い。

そんな俺を、尾野が「ふふん。」と馬鹿にした顔で笑った。

そして、もう一言。


「ま、それがお前のいいところなんだろうけど。」


一瞬、尾野の顔が淋しそうに見えたのは、見間違いだろうか。


「お前こそ、なんで芳原なんだよ?」


尾野がそんな顔をしたと思うのが嫌だった。

それに、自分の馬鹿正直さに呆れていることを悟られるのはもっと嫌だ。

だから、条件に当てはまらない芳原を連れて来たことを、冷やかしを込めて言ってみる。

それに尾野は、余裕たっぷりの表情で応じた。


「1位になるために決まってるだろ? あのままお前に負けたら、格好つかねーからな。」


あの場でそこまで決断したのかと感心してる間に、尾野は「んじゃ。」と言って、1位の旗の列に並んだ。

俺は3位の列に並びながら、自分にはそこまでできただろうかと考えてみる。


(ショックでぼんやりしてた可能性が高いな……。)


誰かを連れ出さなくちゃと焦って、そこで、カードにあった条件を思い出しても上手く言えないとか、脱力して走れないとか。

なのに尾野は、その場で1位になることを狙って、背の高い芳原を選んだ。カードの条件は無視して。


(……あ、そうか。)


よく考えたら、尾野はカードを見ていないみたいだった。

要するに、あいつは葵がダメなら、あとは誰でもよかったんだ。

芳原は葵といつも一緒にいるから、きっとあそこでもすぐ目に付く場所にいたに違いない。


(そうだ。でも、葵は俺を選んでくれたんだから。)


あの一瞬は、ダメかと思った。

彼女が最初に尾野の名前を呼んだとき。

でも、あれは尾野を断るためで、彼女は俺を……。


「あー、また被ったのか?」


後ろで声がした。

進行中のレースに目を向けると、赤チームの応援席の前に2人の男子選手がいる。

そこに応援席から出て来た女子が、白チームの選手に何か言いながら、赤チームの選手と手をつないで走り出した。


「やっぱり、自分のチームを選ぶよなあ?」


「当然だろ。」


(自分のチーム……?)


その言葉で気付いた。

俺が勘違いをしている可能性が高いってことに。


(葵が俺を選んだのは、同じチームだから……か?)


そうだ。

そうかも知れない。

いや。

それに間違いないような気がしてきた。


自分が選ばれたことで有頂天になっていたけど、走る前に、そのことも有利に働くと思っていたんだった。

尾野はたぶん、それは想定済みで……。


(つまり……。)


俺の立場は何も変わってないってことだ。

周りから見れば、普通にレースをこなしただけ。

俺の気持ちは伝わらなかったし、葵の気持ちも分からないまま。


(何だったんだ……。)


一気に力が抜ける。


あんなに緊張したのに。

一大決心だったのに。


(なんかもう……疲れた。)


葵への告白は仕切り直さなくちゃならない。

だけど、これからしばらくは、そんな気力が湧いて来ない気がする。


(ああ、でも一つだけ。)


尾野が葵に告白するのは阻止した。

それだけは確かだと思う。

尾野がこのレースを利用して告白するつもりだったのは間違いない。

あの行動は、それ以外に説明がつかないから。


(まあ……今はそれで良しとしよう。)


そう考えたら、少しはマシな気分になった。







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