77 決心! …したのに。
(なんだよ、あれ……。)
トラックの外側にある応援席で、心穏やかでいられなくなっている俺。
その原因は、フィールドの中に座っている葵と福根の姿だ。
(あんなに何度も見つめ合ったりして……。)
入場したときからそうだった。
打ち合わせでもしていたのか、真面目な顔で話していて。
そうかと思うと笑い合ったり、福根が肩をたたいたり。
今日になってから、『大タイヤ転がし』は男女ペアでタイヤを転がすと聞いて、エントリーしなかったことを心から後悔した。
出ていれば、葵と組めた可能性が高かったのに。
だって、順番を決めるときには、名前の順で並べることが手っ取り早くて普通なんだから。
(なのに、順番が違うだろうが!)
そう。
あのメンバーで名前の順なら、福根は須田のあとになるはずだ。
背の高さ順なら最後だ。
葵とペアになっているなんておかしい。
絶対に仕組んだに違いない!
(あ、また!)
福根の話に、葵が楽しそうに笑ってる。
それを見ている福根の嬉しそうな顔!
日焼けした顔に白い歯が、今は一層爽やかに見える。
(悔しーーー!)
俺は今日は、葵と1対1では話せていない。
朝、彼女が乗る電車に間に合わなかったから。
そのうえ、あれを離れた場所から見ていることしかできないなんて!
「ねえねえねえ、あのままゴールまで行けるかな!?」
隣にいた地葉にバンバンと肩をたたかれてハッとした。
周囲のクラスメイトたちも、タイヤを転がしている選手に笑顔で声援を送っている。
「行けるんじゃないか?」
自分も同じように笑顔を作る。
でも、視線の先は選手ではなく、フィールドの中にいる葵と福根だ。
(あ、まただ。)
あの場所にいたら、話す相手は限られているんだから仕方ない。
でも、そう割り切ることができない。
これじゃあ、尾野のことを焼きもち焼きだなんて笑っていられない。
(こんなことになるなら、葵との仲の良さをクラスでアピールしておけばよかった…。)
自分の気持ちを知られたくなくて、友人たちといるときも、彼女の話題は持ち出さなかった。
部活の話をしているときも。
そそっかしい彼女には面白いエピソードがいろいろあるけれど、それで注目が集まったりしても困るという気もしたし。
(そうやって大事に守ってきたのに!)
横から出てきた福根なんかに、葵を取られてたまるもんか!
(そうだ。取り返しに行こう。)
葵が退場してきたところで、福根なんか捨てさせてみせる!
「ちょっとごめん。」
興奮気味の生徒をかき分けて外側へ。
入退場門の方へ歩きながら、どうやって呼び止めようかと考える。
名前を呼べば、彼女はきっと笑顔で俺のところに来てくれるだろうけど……。
「う……。」
そう思ったら、その場面が目に浮かんできた。
今日は学校指定の白い体操着と水色のハーフパンツ姿の葵が、俺の声に振り返って、嬉しそうに駆け寄って来る……。
(そうだよな!)
浮かびかけたニヤニヤ笑いは急いで消したけど、頭の中の景色は妙なリアル感をともなっていて、簡単には消えない。
俺の前にやってきた葵が、にこにこと俺を見上げている。
その目には、俺に対する信頼と愛情が浮かんでいて……。
(福根なんかといるよりも、俺の方が嬉しいに決まってるよな!)
「おい。」
「あ。」
どれほどぼんやりしていたんだろう?
下を向いて歩いていたせいで、立ち止まっていた誰かにぶつかりそうになった。
「あ、ごめ……尾野か。」
目の前で、不機嫌な顔で俺を睨んでいる尾野。
葵に向ける顔とはえらい違いだ。
「あいつ、何だよ?」
ぞんざいな口ぶりで、尾野がフィールドの方を視線で示す。
「ああ、福根だよ。サッカー部の。」
「んなこと知ってるよ。」
低い声で凄んでみせる尾野。
本気で怒ってるのかも。
「なんであいつが、あんなに葵ちゃんと仲良くしてんだよ?」
(俺だって同じ気持ちなのに!)
「……それ、俺のせいなのか?」
泣き言なんか言うわけにはいかず、ここでも虚勢を張るしかない。
そんな俺を、尾野がますます睨み付ける。
「当たり前だろ? 同じクラスのお前がガードしなくてどうするんだ!」
我慢できなくなった尾野が、通路の端に寄りながら、小声ながらも声を荒げた。
それにつられて俺も。
「仕方ないだろ! 文化祭の準備のあいだに仲良くなってたんだから!」
まあ、弁解というよりも、半分はやっぱり泣き言だ。
「文化祭の準備って言ったって、同じ教室にいるんだから、ちゃんと見てろよ。」
「俺だって警戒してたさ! だけどあいつ、今まで葵のことなんか話題にしたことなかったんだぜ? 俺だって気付いたのはおとといなんだから。」
「だから、ちゃんと見てろって言ってんだよ。」
「もう遅い。」
…と言ったところで思い出した。
「悪い。俺、今から行くところが。」
「何?」
「いや、ちょっと。」
(お前とは行きたくないんだよ!)
そのままごまかそうと思ったのに、葵たちの様子が気になってフィールドの方を見たのは失敗だった。
ちょうど選手の退場が始まったところだったから、尾野はピンと来たらしい。
「俺も行く。」
そう言ってさっさと向きを変え、入退場門の方へ走り出す。
「あ、待て、こいつ。」
俺も走って追う。
けれど、ぶらぶらしている生徒がたくさんいて、ダッシュで走るのは無理だった。
しかも、門に近付いたら、次の競技に出る生徒と戻って来た生徒が入り混じってごった返している。
(葵〜〜〜。どこだ〜〜〜?)
生徒と土埃の中、小柄な彼女の姿を探す。
少し離れたところで尾野も同じように見回している。
(お、福根だ。)
背が高い福根は簡単に見つかった。
でも、その周囲に葵の姿はない。
(一緒じゃないんだ。)
心の中で、「ざまあみろ。」と拍手。
俺が一緒にいたら、葵は絶対に俺の隣から離れないはずだ! ……たぶん。……だといいけど。
そのとき、次の競技に出る生徒たちが門から出て行き、あたりが急に空いた。
そのスペースの先に目に入ったのは葵と芳原……と、宇喜多。
(宇喜多?)
いつの間に来たんだろう?
偶然なのか? 俺たちと同じ目的か?
3人でなごやかに笑いながら話し込んでいる姿に力が抜ける……。
「葵ちゃーん!」
尾野はすかさず走って行った。
でも、俺はすぐには動けなかった。
なんだか空しくなってしまって。
(俺はいつまでこんなことをやってるんだ?)
葵のことを好きだと自覚したのは夏になる前だ。…そう、梅雨よりも前だった。
今はもう9月の終わり。秋になる。
彼女に気持ちを伝えるには時期が早いとかなんとか理由をつけてきたけど、そんなの、本当は言い訳に過ぎない。
断られるのが怖いだけだ。
なのに、言わなければ言わないで、こうやってハラハラしたり、イライラしたりしている。
そのうえ、尾野や宇喜多だって手強いのに、新しいライバルまで登場する始末。
福根だけの話じゃない。うちの1年や陸上部の船山とかいうヤツだって危険なんだ。
(このままじゃ、ダメだ。)
前に進まなくちゃ。
もう “様子を見る” 期間は終わりにしよう。
彼女に「好きだ」って言う。
(……とすると、アレかな?)
この期に及んでちょっと情けないけど、何かきっかけがないと言い出しづらい。
だから、 “あれ” で。
俺が出場する『借り人パン食い競争』、別名『告白レース』。
「よーい、ドン!」で走り出せば、勢いで行ける気がする。
走って行って、「葵!」って叫んで、一緒にゴールをしたら「好きだ。」って言う。
(うん。完璧。)
難しいことなんか、何もない。
(葵。待っててくれ。)
決心したら、なんとなく気分がすっきりした。
……けれど。
決意を固めて迎えた選手の集合。
藁谷たちと一緒に集合場所に向かいながら、だんだん自信がなくなってくる。。
頭の中でシミュレーションを繰り返して計画は万全なのに、心臓がバクバクして、膝から力が抜けそうだ。
「学年別に男子、女子の順に並んでくださーい。」
体育祭委員がメガホンで叫ぶ。
俺は2組の男の後ろ、6組の男の先頭だ。
「人数を確認しまーす。隣の人と列を合わせてくださーい。」
前からざわざわと列が動き、俺も落ち着いたふりをしながら左右を確認して ――― 。
「う。」
「よう。」
隣に黄色い鉢巻の尾野がいた。
(そう言えば、出るって言ってたっけ。)
自分のことで精いっぱいで忘れてた。
まさか、一緒に走る破目になるとは思わなかったし。
自分の計画を考えると、頭がクラクラしてくる。
「相河、勝負!」
俺に指を突き付けて、ニヤリと笑う尾野。
「お、おう。」
(もしかして、同じことを考えてるのか……?)
尾野が『告白レース』のことを知っているのか分からない。
単に葵にいいところを見せたいだけかも知れないし……。
体をほぐすふりをしながら、そっと尾野の様子を窺ってみる。
でも、不敵な表情で微笑むあいつの心の中まで見通す力は俺にはなかった。




