75 耳より情報
「明日は体育祭か〜。」
文化祭が終了した翌日は、文化祭の片付けと、体育祭の準備の日。
九重祭委員と体育祭で役割がある生徒以外は、教室の掃除と劇に使ったものの処分に精を出している。
「劇、結構面白かったなあ。」
「すげーウケたし。」
俺は大道具係に混じって、段ボール製のカボチャの馬車を解体している。
もちろん、葵の近くにいるためだ。
なのに彼女は、誰かに呼ばれてどこかに行ってしまった。
(まあ、福根は俺の隣で作業してるから安心だけど。)
おとといから、俺は福根を警戒し始めた。
劇の前に葵と話していた様子も怪しかったけど、俺が確信を持ったのは、俺に化粧をしていたときだ。
まるで俺がその場にいないみたいに ――― 俺の顔に色を塗ってるのに! ――― やたらと楽しそうに、「何やってんだよ〜。」なんて、馴れ馴れしくからかったりして。
俺はクラスでは葵に好意を持っていることを隠しているけど、あれは絶対に、俺に宣戦布告をしていたんだと思う!
(まったく! 俺が目を離していた隙に!)
葵は、クラスでは特別に仲がいい男はいなかった。
口を利いていたのだって、ほとんど俺と藁谷だけのようなものだ。
授業以外で言葉を交わすのは、俺か藁谷が葵と話しているときに、たまたま一緒にいるヤツだけ。
要するに今までは、彼女と話をするときは、俺か藁谷が一緒にいることが条件だったようなものなのだ。
それに、おとなしい彼女に注目する男が少なかったのも事実。
一応、俺はクラスの付き合いの中で、誰がどの女子に注目しているのかは把握しているつもりだったし。
(安心してたのに……。)
まさか、文化祭の準備がきっかけになるとは思わなかった。
宇喜多のことだって不安だって言うのに!
(どうして俺は、ちっとも葵との仲が進まないんだ!?)
思わず手に力が入った。
ビッという音を立てて、段ボールのカボチャの馬車が破れる。
(まあ、ここのところ、積極的に動けなかったから……。)
“積極的” という言葉で思い出した。
一つだけ、積極的に動いたことがあったから。
(ちっちゃくて柔らかかったー……。)
思わず顔がにやけてしまう。
おととい、劇が終わった直後のこと。
舞台袖の暗い中で、クラスの全員が興奮状態で、お互いに抱き合いながら体をバタバタたたき合っていたとき。
どさくさに紛れて葵を抱き締めることに成功した。
最初は出演した男同士でやっていたんだけど、気付いたら目の前に葵がいたから。
迷ったのは、一瞬よりも短い時間。……というか、ほとんど迷わなかったって言う方が正しい。
暗くてごった返していたし、周りも同じような展開だし、“勢いでやっちゃいました〜” 的な言い訳が十分に通じそうだったし。
実際、俺もテンションが上がってたんだと思うけど。
何かわけの分からない声を発しながらガバッといったら、思ったよりも細くて小さくて焦った。
彼女は「ひゃあ!」みたいな声で驚いていた。
たぶん、俺が横から抱きついたから、余計にびっくりしたんだと思う。
すぐに離れたから ―― さすがにいつまでも抱いていたら、意味が違ってくる ―― もしかしたら俺だってことが分からなかったかも。
(分かるように抱き付けばよかったかな……。)
今さらこんなことを考えても遅いけど。
でも、あの勢いなら「好きだ」って言ってしまうこともできたかも知れない。
そうすれば、今ごろ焼きもちなんか焼いていなかったはずだ。
……落ち込んで、それどころじゃないって可能性もあるか。
(焼きもちか……。)
俺はそういうところを他人に悟られたくない性質だ。
格好良く見られたい、という気持ちが人一倍強い。
要するに、見栄っ張りなんだ。
だから、葵のことを好きだということもクラスでは隠しているし、焼きもちを焼いているなんて、絶対に見破られたくないと思ってしまう。
(そうだよ、あのときだって。)
控室に戻ってから化粧を落としてたとき。
大道具を抱えて戻って来た彼女は、すぐに俺の様子を見に来てくれた。
たぶん、福根と一緒にやった化粧がやり過ぎだと思って気にしてくれてたんだと思う。
俺が適当に顔をこすっているのを笑いながら、残ったところをそっと拭いてくれた。
彼女に世話を焼かれるのが本当は嬉しかった。
くすぐったくて、ドキドキして。
でも、それを他人に気付かれるのが嫌で、「大丈夫だよ。」なんて強がったりして……。
「ふぅ……。」
思わずため息が出た。
(告る勇気が出ないのも、そのせいなんだよな……。)
告白して断られたときのことを思うと、どうしても決心がつかない。
周囲に知られたら格好悪いし、葵に憐みの目で見られるのも嫌だ。
「葵、段ボールしばるの上手いな。」
ぼんやりしていた俺の耳に、福根の声が聞こえた。
「葵」という言葉に、一気に神経がピリピリする。
「そう? 前の学校で、古紙回収係をやったことがあるからかな?」
「俺がやると、いつもゆるゆるになっちゃうんだよなー。」
こっそり後ろを振り向くと、葵がいつの間にか帰っていて、にこにこしながら段ボールを束ねていた。
もちろん、笑顔は話している福根に向けられている。
(戻ったときに、俺のところに来てくれなかったんだ……。)
なんだかひどく落ち込んでしまう。
彼女が教室で俺に近付いて来ないのは、今日始まったことではないのに。
カボチャの馬車もさっさと解体して彼女のところに持って行こうと気合いを入れる。
とにかくこれ以上、葵と福根が仲良くなるのを黙って見ているわけにはいかない。
「破いてないで、畳んじゃえば?」
かさばる馬車にてこずっているのを見かねたらしく、木村が手を貸してくれた。
はずせるところははずしながら、体重をかけて段ボールを適当な大きさに折り畳んでいく。
全部がまとめられるくらいになり、さあ葵のところへ……と思ったら、木村が紐を持ってきてくれた。
「あ……、悪いな。」
木村の気の利き具合が残念だ。
「へへ、いいよ。……そういえば、お前、明日は何に出るんだっけ?」
段ボールに紐をまわし、抑えたり引っ張ったりしながら木村が尋ねた。
「ああ、『借り人パン食い競争』……っていうんだっけ? それ。」
あとは男子全員の騎馬戦だ。
「お、『借り人』? もしかして、告りたい相手でもいるんだったりして?」
「え!?」
ニヤニヤしながら言われて、ものすごくびっくりした。
さっきから後悔していることを見抜かれたのかと思って。
けれど、話の流れが意味不明だ。
あの競技と告白に、どんな関係があるって言うんだ?
「なんだ。お前、知らないの?」
黙って見返していた俺を木村が笑う。
それから顔を近付けて、小声で説明してくれた。
「あれって、別名『告白レース』って言うんだぜ。」
「誰が?」
「いや、誰だかは知らねーよ。俺は去年、女子から聞いた。」
「へえ。」
女子ならそういう情報は大量に持っていそうだ。
「ほら、あれって、指定された条件の生徒を連れ出すだろ? そのときに、選手に名前を呼ばれたら断れないじゃん?」
「ああ。」
その通りだ。
4チームの選手が「よーい、ドン!」でフィールドの中央まで走り、そこに用意してある封筒を開く。
封筒の中には4人に同じ条件が書いてあって、それぞれがその条件に合う生徒を応援席に探しに行く。
そのときに “指名” という方法がある。
そしてその “指名” には、選手に名前を呼ばれたら、断ると減点になる、というルールが付いている。
逆に、一緒に走った生徒には、違うチームでもアシスト点がもらえる。
もちろん、条件に当てはまる生徒が知り合いにいなければ、自分のチームの前で「○○の人!」と叫べば、誰かが出てきてくれる。
でも、去年見た感じでは、名前を呼んだ方が早そうだった。
「それって、呼ばれても出て行かない生徒がいると時間がかかるからじゃないのか?」
「ああ、ルールの意味はそうなんだろうけど。」
木村は一度言葉を切って、よいしょ、と段ボールの紐を結んだ。
それからまた、顔を寄せて囁く。
「それを利用して、好きな相手を連れ出す生徒がいるんだって。」
「え? でも、指定された条件は?」
「それに関係なくやるってところがミソなんだよ。自分のチームの得点を犠牲にしてまでってことでさ。」
「へえ。」
「まあ、条件クリアの点が入らなくても順位点は入るから、たいした犠牲じゃないよな。で、ゴールして条件が違うってことが相手にも分かった時点で告るってわけ。」
「はあ……、そうなのか……。」
「それにほら、手をつないで走れるだろ?」
「ああ、確かに。」
(しかも、パンを取るときにはおぶって……となると。)
自分が葵をおぶっている姿が目に浮かぶ。
不安定な姿勢で、怖がって俺の肩にしがみつく彼女……可愛い。
(まるで、そのためにある競技みたいじゃないか!)
幸せな想像に思わず緩みかけた顔を、急いで真面目に戻す。
それに気付いたのか気付かなかったのか、木村がニヤニヤしながら俺に言った。
「相河もチャンスだぜ〜♪」
「そうか?」
あまり興味がなさそうな顔で返事をしたけど、頭の中にはすでに葵と手をつないで走っている自分がいる。
走りながら顔を見合わせて、くすくす笑ってみたりして。
(いいよな〜♪)
こんなことを聞いたら、それ以外のことなんか考えられない。
(って言っても……。)
クラス全員の前で……、いや、体育祭だから全校生徒だ、その前でそれをやるのは、ものすごく勇気がいる気がする。
だからこそ、相手に自分の想いの強さが伝わるのかも知れないけど。
(1年も見てるんだぞ?)
ゴールしたあとで、告って断られたらどうしたらいい?
部活のときに、1年にそれを説明しなくちゃならなくなったりしたら……。
(決心がつかない……。)
俺ってホントに情けないな……。




