74 *** 葵 : 宇喜多さんと尾野くん
『この仮説が正しいとすると、犯人は彼女以外には考えられない……。』
暗い講堂の中に、舞台にいる宇喜多さんの声が響いてくる。
部活で聞き慣れた声だけど、今はまったく違う雰囲気をまとっている。
今日は文化祭2日目。
午後に始まった宇喜多さんのクラスの劇を、いつも一緒に帰るみんなで見に来た。
『宇喜多先輩、でも、彼女には動機がありません!』
この劇は、学校で起きた窃盗事件を生徒会が解決するというストーリー。
制服は全部自前だし、出演者は全員、名前をそのまま使っている。
それぞれの生徒が登場するたびに客席からは笑い声や掛け声がかかって楽しい。
「やっぱり行矢くんの方が格好良かったよね?」
左隣の席から菜月ちゃんが囁く。
「そりゃあ、王子様だもん。あの衣装も似合ってて、凛々しかったよ。」
「だよね!」
わたしたちの会話が聞こえているのかいないのか、菜月ちゃんの向こうに座った藁谷くんは前を向いたまま。
舞台に視線を戻すと、宇喜多さんが退場するところだった。
舞台の袖に入る直前、客席から「宇喜多くーん!」と女の子の声がかかる。
(やっぱり……。)
思わず微笑んでしまう。
宇喜多さんのメガネ姿はとても似合っている。
もともとの真面目な性格に、鋭い雰囲気が加わった感じ。
それに、キャストの中では声は一番だと思う。
低めのよく通る声のきれいな発音が、優秀な生徒会長の役にピッタリ。
宇喜多さんの最初のセリフのあと、客席が少しざわめいたほどだった。
(あんなに心配していたけど、さすが宇喜多さんだよね。)
お友達として、すごく誇らしい気分。
文化祭が近付くにつれて、宇喜多さんは不安でいっぱいになっていった。
生徒会長の役は出番が多くて、しかも、監督が演劇部の副部長だったこともあって、要求が厳しかったらしい。
みんなで帰るときも、落ち込んでいたり、妙にテンションが高かったり、気の毒なほどで。
きのうの夜は、とうとうパニックになって電話をかけてきた。
わたしは話を聞いて、「明日になれば終わりだよ。」と言ってあげることしかできなかったけれど。
そして、今はあんなに立派に役を演じていて、女の子たちにため息をつかせている。
菜月ちゃんが、藁谷くんの格好良さをわたしに確認したくなるほどに。
「ふふ……。」
藁谷くんの王子様姿を思い出したら、うちのクラスの劇のことも思い出してしまった。
とにかく、面白かった。
ただその一言に尽きる。
うちのクラスの狙いはそれだから、お客様が笑ってくれたってことで、劇は大成功といえる。
女装した男の子だけじゃなく、なぜか男役の男の子のことも、舞台に出て行くたびにお客様が笑った。
でも、一番笑われたのは、やっぱり継母と二人の姉。
これはもちろん計画通りなのだけど、あのメイクはちょっと気の毒だったかな、と、わたしは思っている。
“派手で下品に” という指示で、とにかく濃く ――― 青いアイシャドウにピンクのチーク、真っ赤な口紅 ――― と思っていた。
でも、一緒にやっていた福根くんが悪乗りして、目の周りにまつ毛を描き、チークをまん丸に塗り、口は特大サイズにしてしまった。
もとの顔なんか、まったく分からないくらいに。
それを見た妹と継母のメイクをしていた子たちも、「そのくらいインパクトがないと。」と大笑いしながら、同じようにした。
おかげでシンデレラの美しさの際立ったことと言ったら……。
そんな顔にされても何も言わなかった相河くんは、男らしかったな、と思う。
メイクをすると言われたときは動揺した顔をしていたけど、いざとなったら何も言わずにじっとしていた。
舞台に出るときも堂々としていたし。
……ほんとうは自棄気味だったのかもしれないけど。
福根くんを止められなかったお詫びのつもりで、メイクを落とすときには優しくしてあげたんだけど……、相河くんは気付かなかったみたい。
右側の2つ向こうの席にそっと目をやる。
間に尾野くんがいるし、薄暗くて、相河くんがどんな表情をしているのかは見えない。
舞台に集中しているのか、寝てしまったのか、こっちを気にしてくれる気配もないし。
(わたしが何をしようと、どうでもいいんだね、やっぱり。)
心配していたワルツは全員が上手に踊れていて、舞台の袖で見ていたみんなが大喜びだった。
でも、その上手さが逆にお客様には可笑しかったみたいで、客席がおおいに盛り上がった。
最後のあいさつが終わって引っ込んでから、監督のさっちゃんと助監督の真子ちゃんは泣いてしまった。
そのほかのみんなも興奮状態で、「よかったね!」なんて叫びながら背中をたたき合って。
びっくりしたことに、わたしにも抱きついてきた人がいた。
一瞬だったし、クラスの31人が薄暗いところでごった返していて、さらにわたしは大道具を片付けるために慌てていたから、恥ずかしがる暇もなく、誰だかもよく分からないままだったんだけど……。
もしかしたら相河くんだったかも、って思ってる。
それは単なる希望なのかな。
でも……、そうだったらほっとする。
少なくとも嫌われてはいないって思えるから。
もちろん、あれに深い意味はないってことは分かってる。
周り中が大騒ぎだったし。
それでも、相河くんだったかも知れないって考えるとドキドキする。
(そうは言っても、あんまりわたしには興味ないみたいだもんね……。)
こんなわたしじゃ仕方ない。
相河くんは、あの美加さんと一緒にいたんだもの。
一度は “上手く行くかも” っていうほどの関係で。
(まあ、 “文化祭の思い出” ってところかな。)
ほっ…、と小さなため息が出た。
「ねえ、あの人……。」
後ろの席から女子の囁き声が聞こえた。
舞台に視線を戻すと、宇喜多さんが出てきたところ。
ほかの場所でも、女の子たちが周囲の人と囁き合っているのが見える。
(文化祭が終わったら、宇喜多さんは人気が出ちゃうかもね。)
次々に女の子に言い寄られたりしたら、宇喜多さんはいったいどんな顔をするんだろう?
もしかして、うちの試合に応援団が来たりして?
「ね ――― 」
菜月ちゃんに宇喜多さんのことを言いかけたけれど、やめた。
“藁谷くんが一番!” の菜月ちゃんに、ほかの男の子を褒める話題は意味がない。
「ねえ?」
反対側の尾野くんに、そっと声をかける。
「ん〜?」
身をかがめてくれたところに、小声で。
「宇喜多さん、すごいね。出てくるたびに、女の子たちがひそひそ言ってる。」
「ん……、まあ、うん。」
「もしかしたら、今度の試合には応援団が来るかも知れないと思わない?」
「宇喜多を見に?」
「そう。だって、格好いいもんね?」
「………。」
(あ。)
返事がないと思ったら、尾野くんは知らん顔をして舞台の方を見ていた。
(あらら……。)
ちょっと失敗。
尾野くんは自分も褒められたい人だから。
それに、なぜか最近、宇喜多さんを特別にライバル視している。
「尾野くんは別格だよ?」
「べつに無理にフォローしなくてもいいけど。」
表情を変えずにつぶやく。
こんなふうに拗ねていても、尾野くんの機嫌を直すのはそれほど難しいことじゃない。
「無理じゃないよ。うちのクラスでも、尾野くんは人気があるよ。」
「………葵ちゃんは?」
これにこだわるところも、尾野くんの徹底しているところ。
わたしのファンだということを、あくまでも貫こうとする。
でもこれは、尾野くんならではの “ごっこ遊び” みたいなものだ。
軽い性格を装って、優しいことを隠していることも同じ。
見た目が格好良くて目立つ尾野くんは、むやみに女子に近付かれることを警戒しているんだと思う。
そういう防波堤代わりに、わたしとの仲の良さはちょうどいいというわけ。
「尾野くんは格好いいと思ってるよ。」
そう言うと、尾野くんは探るようにわたしを見た。
「……見た目だけだろ?」
外見を褒められただけでは不満らしい。
(こういうところって、ちょっと可愛いよね。)
女の子たちが知ったら、ますます人気が高まりそう。
周囲が静かになったので、声をひそめようと口元に手を添えて身を乗り出すと、尾野くんがもう一度身をかがめてくれた。
そこに、心を込めた一言を。
「尾野くんは優しいでしょ? 見た目だけじゃないよ。」
効果てきめん。
たちまち不機嫌な顔をやめて、照れくさそうに微笑んでくれた。
尾野くんは、褒めてあげるとちゃんと喜んでくれるところがいい。
だから、褒め甲斐がある。
もちろん、わたしが褒めるのはお世辞じゃない。
お友達をお世辞で褒めるのは失礼な気がするし、そもそも、わたしはお世辞なんて上手く言えない。
最後にもう一言、
「だから自信を持ってね。」
と付け加えた。
すると、尾野くんはなんとなく微妙な顔をした。
ときどきそんな顔をされることがあるんだけど……、わたしの褒め方が下手なのかも知れない。




