73 九重祭文化部門
前期の期末テストが終わり、あっという間に九重祭の日になった。
それまでの間、劇の練習、ワルツの練習、衣装合わせ、と、次から次へと忙しい日が続いた。
俺は葵ともっと仲良くなりたいと思いながら、それは後回しにするしかなかった。
でも、本当はそれはものすごく不安だった。
なぜなら、テストが終わって部活が再開したら、葵と宇喜多が妙に仲良くなっていたから。
もともと信頼関係は厚そうだったけど、尾野もこっそりと俺に言ってきたくらいだから、俺の勘違いじゃない。
そして宇喜多本人も、ときどき俺を見て、得意気に笑ったりするんだから。
原因は宇喜多の誕生日だということで、俺と尾野の意見は一致している。
宇喜多は自分の誕生日を、ものすごく有効に使ったのだ。
ただ、葵の様子だと、宇喜多と付き合ってるわけじゃないらしい。
そこまでは行っていないけど、彼女にとって、宇喜多は特別に仲のいい……友達、なのだ。
俺は帰りに丸宮台で話しながら、さり気なく宇喜多の話題を出してみている。
彼女は特に恥ずかしがる様子もなくて、二人の関係は友達以上にはなっていないのだと、それを見ると思う。
葵のことに焦りながらも、一番心を占めていたのは劇のことだった。
大変だったのは、やっぱりワルツだ。
踊る場面は2つあって、一度目はシンデレラが出てくる前に藁谷と、二度目は客役の餅田とだ。
とにかく “早く終わってくれ” と祈りながら、心を無にしてやり切るしかない。
転んだら転んだで、笑いがとれていいだろう。
衣装の方は、思っていたほどひどくなかった。
頭にけばけばしい飾りを付けるから、カツラはかぶらなくていいと言われた。
ドレスは、Tシャツに派手なヒラヒラやリボンを付けたものと、ウエストがゴムの長いスカートに同じような飾りを付けた組み合わせ。
色は全体的にピンク色。俺の妹役は黄色だ。
スカートの下にトレパンを履いてもいいと言われたので、ものすごく気が楽になった。
「あ〜、スカート踏むな!」
「俺の台本どこだ!?」
「誰よ、大道具で出口ふさいだのは!」
九重祭の文化祭1日目。
俺たちの劇は午前中の2つ目。
今は、劇を行う講堂の控室で準備の真っ最中。
俺は着替えを済ませて、おとなしく部屋の隅の椅子に座っている。
隣には藁谷ほか、着替えの終わった出演者がずらりと並んでいる。
着替えたらおとなしく待っていろと、監督の仲野に言われているから。
(なんか、不公平な気がする。)
隣の藁谷を見ると、何度も思ってしまう。
王子役の藁谷の衣装は、俺が考えていたのとは違った。
カボチャみたいなパンツと白いタイツなのかと思っていたのに、模様のついた紺色の長い上着にスパッツとロングブーツという、結構男前な格好だった。
シンデレラと王子だけは、演劇部の衣装を借りて来たらしい。
そりゃあ、シンデレラとお互いに一目惚れなんだから、格好悪くちゃ都合が悪いとは思うけど、適当に作られた俺の衣装とは雲泥の差だ。
(あーあ。)
ここであれこれ考えていても仕方がないので、葵を見ていることにする。
制服姿のままの彼女は、大道具係の仲間たちと、最後の確認をしているところ。
真剣な顔で頷いているところは、いつものとおり落ち着いて見える。
(あのぱっちりした目。ふっくらしたほっぺただって、可愛いよな〜♪)
毎日見ていてもちっとも飽きない。
打ち合わせが済んだらしく、大道具係が散って行った。
葵は部屋の中を見回して、一人で隅っこに歩いて行く。
(こっちに来て話し相手になってくれればいいのに。)
ちょっと不満だ。
……と。
壁に寄り掛かった葵のところに、同じ大道具係の福根が近付いて行く。
(なんだよ……?)
福根はサッカー部でキーパーをやっている。
俺と同じくらいの背丈で、外の部活だから日に焼けて真っ黒だ。
くっきりした眉に切れ長な目で、笑うと白い歯が眩しいような爽やかさがある。
明るくて気安い性格だから俺も親しくしているし、夏休みに一緒に遊びに行ったメンバーの一人だ。
部活が無い日には一緒に帰ったりもしてるけど、今まで葵のことを話題にしたことはなかった。
(大道具係でしゃべっているところは見かけてたけど……。)
葵からも、福根の名前が出たことはなかった。
でも、そう言えば、福根は彼女のことを「葵」と呼ぶ男の一人だ。
今、並んで壁に寄り掛かっている姿は、和やかで違和感がない。
葵が気後れする様子もなく、笑顔で話している。
隣に並んだ福根は、いつもより控え目な照れたような顔をしていて……。
(そういうことなのか?)
胸の中に闘争心が湧きあがる。
(葵! 俺のことも思い出してくれよ!)
嫉妬でいっぱいの叫び。
でも、彼女には聞こえない。
「全員着替えた? 1、2、3、4…… 」
仲野が来て、並んでいる俺たちを数えはじめた。
人数が揃っているのを確認すると、振り向いて大きな声で言った。
「ねえ! メイクするから、手が空いてる人手伝って!」
(メイク!?)
葵と福根のことなんか、気にしてる場合じゃなかった。
びっくりして藁谷を見たら、その向こうにいる出演者も全員が驚いた顔をしてキョロキョロしている。
誰も、化粧をするとは思っていなかったのだ。
「きゃ〜、やりたい〜!」
「あたしも〜!」
黄色い声を上げて、女子が集まって来る。
期待に満ちた目で見られて、なんだか生贄になったような気分。
嫌だと叫びたいところだけど、この女子たちに向かってそんなことをしても無駄だということはとっくに分かっている。
諦めて、されるがままになっているしかないのだ。
(せめて葵ならいいのに……。)
目の前の女子の中には彼女はいない。
おとなしい葵は、こういうときに出ては来られないから。
向こうの端から仲野が手際よく担当の女子を割り振って行く。
隣の藁谷の前だけは、すでに季坂が笑顔で立っているけれど。
(くそっ。藁谷はこういうときは得だよな。)
彼女がいれば、ちゃーんと彼女にやってもらえるんだから。
「継母と姉二人は派手で下品な感じにね。」
継母役の前で、仲野が指示を出している声が聞こえた。
(俺も派手で下品なのか……。)
ため息をついていると、季坂が俺を見た。
そして、楽しそうに「うふふふ♪」と笑う。
きっと俺の面白い顔を想像して笑ってるんだ。
……と思ったら。
「葵! 葵もおいでよ!」
振り向いて葵に手招きをした。
それでもためらう彼女を無理に引っ張って来る。
(もしかして……?)
期待に胸が躍る。
藁谷がちらりと俺を見たのが分かって、ひどく照れくさい気分になった。
「ほらほら。相河くんを面白い顔にできるチャンスなんて、二度とないんだから。」
連れて来られた葵が俺の前に立ち、少し困った顔でそっと俺を見る。
その途端 ――― 。
(ダメな気がする!)
パニックに陥った。
あんな顔で目の前にいられたら、とても落ち着いてなんかいられない。
もうすでに汗が噴き出してくるのに、もっと近くでなんて!
いったいどんな顔をしてればいいんだ!?
しかも、周りで見物しているヤツもいっぱいいるし!
(せめて個室ならいいのに〜〜〜〜!!)
焦りまくってる俺の前で、葵がメイクの道具を季坂と確認している。
自分の心臓の音がガンガン響いてきて、周りの音がよく聞こえない。
落ち着くために下を向いたら、こめかみから汗がたれてきた。
(気持ち悪がられたらどうしよう!?)
汗臭いかもしれないし!
触りたくないとか思われたら!?
「あれ? 暑い?」
気付いたら、葵が顔を覗き込んでいた。
目をぱっちりと見開いて。
「あ、うん、ちょっと。」
俺が頷くと、彼女は床に落ちていた台本を拾ってくれた。
「じゃあ、これであおいでいてね。ええと、ティッシュは……あ、あった。」
今度はどこかからティッシュを何枚も持ってきてそばの椅子に置いた。
それから。
「ええと……失礼します。」
一礼するとちょっと屈んで、いきなり俺の前髪をあげた。
(ぎゃーーーーーー!)
声は出なかった。
息もできなかった。
目だけはとにかくつぶった。
ティッシュで汗を拭かれているだけなのに、心臓はすでにトップスピードに。
(俺、肌きれいだったっけ!?)
(ひげを剃って来た方が良かったのか!?)
(キスされちゃったりして?)
(俺、格好いい?)
体は硬直状態で、頭は変な働き方をしている。
葵が離れたらしい気配を感じてそっと目を開けると、前に彼女はいなかった。
その隙に、思い切り息を吐き出す。
何度か荒い息をしていると、戻って来た葵が、今度は刷毛を持ってこっちを向いた。
「アイシャドウだって。目をつぶっててくれる?」
言われたとおり目を閉じると、覚悟ができたせいか少し落ち着いた。
「少し上を向いてくれる?」
「ん。」
まぶたにごそごそと刷毛が動いていると思っていたら、右の頬にそっと手が。
(葵の手…だよな?)
柔らかい感触が気持ち良くて、もうちょっと顔をすりつけたい。
(平常心、平常心……。)
まるで念仏を唱えているみたいだ。
ようやく手が離れて、何も感じなくなったので、ほっとして目を開けてみた………ら。
「あ。」
「!」
目の前に葵のびっくりした顔。
上手く出来たかどうか、確認していたらしい。
(唇が。)
いつもは俺が彼女を見下ろしていたけど、俺が椅子に座っている今は、立って屈んでいる彼女の方が上。
小さいけど柔らかそうな唇がすぐそばに……。
(触ってみたい!)
右手が上がりかけた瞬間、彼女が身を引き ――― 。
「葵、俺もやってみたい。いい?」
突然、横から声がして、思わずビクッとしてしまった。
同時に、視界の外側から福根が登場。
「あ、福根くん。うん、どうぞ。」
くすくす笑いながら、葵は福根に場所を譲ってしまう。
(残念だけど……、まあいいか。)
みんなの前で、これ以上葵に触られるのは恥ずかしい。
福根なら落ち着いていられるだろう。
どうせ、誰がやっても “派手で下品” にされるのは決まっているんだから。
ところが。
「ああ、葵も一緒にやってくれないと。俺、化粧のことなんか分かんないし。」
「あ、そう? でも、わたしも詳しいわけじゃないけど……。」
「いいから、一緒にやろうぜ。」
そう言いながら、福根は彼女の背中に手をかけて、隣に立つように促した。
戸惑うように福根を見上げた葵と、その視線を受けて微笑む福根……。
(この野郎〜〜〜〜!)
俺の前でそんなことをするなんて!
それは俺に対する挑戦か!?
「晶紀、目をつぶってろ。」
ニヤリとしながら俺に言った福根に、「それはどっちの意味だ!」と問い返したい。
けれど、葵の前でそんなことはできず……。
(葵〜。福根よりも俺の方が仲良しだよな〜?)
言われたとおり目を閉じて、二人の楽しそうな会話を聞いていることしかできなかった。




