7 友人たち
「相河くん! おはよう!」
始業式から一日空けた次の登校日、学校のある椿ケ丘駅の改札口で、榎元美加に呼び止められた。
彼女は春休みまで一緒に遊んでいた仲間の一人だ。
「よう。」
軽く手を挙げると、榎元がうちの学校の生徒をかき分けて隣に来て並ぶ。
ちょっといい気分。
榎元は一緒にいた女子2人のうち、フリーだった方。
顔が小さくて、テニスで鍛えたすらりとした体型で、モデルみたいだと言われていた。結構美人だし。
地味なセーラー服も、彼女が着ているとなんとなくお洒落に見える。
笑い上戸で、休み時間にはいつも教室に彼女の笑い声が響いていた。
クラス、いや学年の中でも、男子に人気のある女子だった。
そんな子が自分と並んで歩いているということで、周囲の男たちに優越感を抱いてしまう。
と言っても、俺たちは特別な仲ではないんだけど。
「何組だっけ?」
おととい、帰ってから確認しようと思ったのに忘れていた。
部活終了時のミーティングで、縞田先輩から正式に藍川葵がマネージャーになると発表があって、それで……。
「1組だよ。4階。階が違うからなかなか会えないよね?」
こちらを向いて微笑む榎元の肩にストレートの髪がサラサラと流れる。
「うん、そうだな。」
(藍川の髪は、モコモコしていて重そうだったな。)
返事をしながら、今日も目の前に座っているはずの藍川の髪を思い出した。
彼女のことは、呼びにくいけれど「藍川」と呼ぶことに決めて、心の中で何度も練習してきた。
(夏になったら暑そうだ。羊みたい。)
頭の中に、羊の毛を刈る映像が浮かぶ。
(彼女も夏になったら、髪を思いっきり切るんだったりして。)
「フッ……。」
自分の想像に、思わず笑ってしまった。
それを榎元にすかさず見咎められる。
「なあに? どうしたの?」
「いや、なんでもない。」
「だめ! 面白いことなら教えてよ。」
ちょっと怒って命令するような言い方を榎元はよくする。
もちろん、本当に怒っているわけじゃないことは誰にでも分かる。
でも、こんなふうに言われると、みんな断れないのだ。
「うん、ああ、ちょっと…羊の毛を刈るところを思い出しただけ。」
「羊の毛? ああ! 羊を転がすみたいにして、あっという間にやっちゃうあれ? あははは、確かに面白いよね!」
「ああ、まあ……。」
(そんなに笑い続けるほど面白いか?)
そう思っても、榎元に合わせて笑っている自分がいるわけで……。
(なんだろう?)
今まで感じたことのない違和感に戸惑う。
「ねえ、相河くん?」
「なに?」
ようやく笑うのをやめてくれた榎元にほっとした。
「今度、バレー部の試合、見に行ってもいいかな?」
「試合?」
「うん。クラス替えで別々になっちゃって、なかなか顔を見られないでしょう?」
(ああ、そうか。)
榎元はきっと淋しいんだ。
試合の応援を口実にして、あのメンバーで集まって騒ぎたいんだろう。
「おう、いいぞ。応援団作って、賑やかに頼むよ。」
「うん、任せて! おっきな旗でも作って行こうかな? でも、相河くんがベンチに座りっぱなしだと行く意味がないなあ。」
「応援が来るなら、絶対に出られるように頑張っちゃうよ、俺。」
「ホント? 楽しみ〜!」
元気に笑う榎元を見てほっとする。
今までの仲間が淋しい思いをしているなんて、やっぱり嫌だから。
教室に着いたら、今日も藍川はもう自分の席に座っていた。
でも今朝は一人ではなく、机の横にショートカットに赤いフレームのメガネをかけた女子が来て話している。
確か、藁谷の近くの席に座っていた気がする。
「あ、おはようございます。」
藍川が教室に入った俺に気付いて、先にあいさつをしてくれた。
それまで机の上に置いていた手を膝に置き直して、丁寧に頭を下げて。
すると、彼女を見たメガネ女子も、少し首を傾けるように柔らかく頭を下げた。
(う。)
思わず一歩下がりかける。
今まで、クラスメイト達からこんなに丁寧なあいさつをされたことなんかない。
「あ、うん、おはよう。」
なんだかドキドキしてしまう。
俺が壁際を通り抜ける頃には、もう彼女たちは自分たちの話に戻っていたけれど。
(なんか……別世界……?)
バッグから荷物を出しながら、チラチラと前の二人を観察。
メガネ女子は少し高めの細い声で、控え目な笑い方が大人っぽい印象。
賢そうな広いおでこに、涼しげな目もと。
色白できれいな肌をしている。
美人系だけど、赤いメガネが彼女に親しみやすさをプラスしていると思う。
おとなしい藍川と二人で話している様子は、俺が今まで一緒にいたメンバーたちとはまったく違う。
周りに何かを主張することもなく、自分たちがただ楽しくおしゃべりをしているだけ。
思い出してみると、俺たちは教室の中で自己主張し過ぎていたような気がする。
今朝、駅で榎元に話しかけられたときみたいに、ちょっと得意な気分で。
(なんだろう? 和むっていうか……。)
二人は静かで、ただ楽しそう。
なのに、その場所の空気が暖かいような気がする。
近くにいると、眠いような、ずーっとぼんやりしていたいような気分になる。
「あ、おっはよう!」
季坂だ。
その後ろから藁谷も。
藍川は、季坂には小さく手を振りながら「おはよう。」と言い、藁谷には俺にしたのと同じように頭を下げた。
(仲がいい相手には違うんだ。)
季坂がバッグを置きながら二人に加わると、その場の空気に活気が加わった。
藁谷は俺に軽く頷いて、窓際の自分の席へと歩いて行く。
その背中を見ながら思った。
(俺は藁谷と同じ扱いか……。)
なんとなくがっかりしている俺がいる。
(最初にしゃべったのになあ……。)
べつに、 “友達第一号” なんて主張したいわけじゃないけど……。
「おはよう、葵ちゃん!」
(うわ、尾野!?)
一年間一緒にバレーをやってきた俺よりも、おととい知り合ったばかりの藍川が先なんだな。
まあ、藍川は入り口の前にいるけどな。
「あ。おはようございます。」
(お。俺と同じだ。残念だな、尾野。)
そう思ってハッとした。
(べつに張り合ってるわけじゃないけどさ……。)
言い訳めいたことを考えている自分に、なんとなく落ち着かない。
そんな俺には一言も掛けないまま、尾野は女子三人に加わって話し始めている。
メガネ女子のことは知っていたらしく、尾野が「よしはら」と呼んでいるのが聞こえた。
(何だよ……。)
目の前の楽しげな風景に、拗ねたような気分になった。
今までならこういうときに、自分から仲間に加わることができたのに……。
「相河。」
薄暗くなって名前を呼ばれたと思ったら、いつの間にか藁谷が隣に立っている。
「よう。座れば。」
俺の隣の席は遅刻常習犯の木村だ。
もちろん、今日もまだ来ていない。
「俺、今日からお前のこと、『晶紀』って呼ぶから。」
座りながら、藁谷が言った。
「え、なんで急に?」
同じクラスになって、前よりも親しくなった証拠なのか?
俺も藁谷のことを「行矢」って呼んだ方がいいのか?
ファーストネームで呼ばれるのなんて、幼稚園以来じゃないだろうか?
「ほら、そっちと名前が被ってるから。」
疑問でいっぱいの俺の前で、藁谷はそう言いながら、ちらりと藍川を見た。
(ああ。)
理由は単純明快。
要するに、尾野や季坂と同じだ。
「ふうん、分かった。べつにいいけど……、なんで俺の方を変えるんだ? 俺のことは呼び慣れてるのに?」
だから、尾野も季坂も先輩たちも、藍川の方をファーストネームで呼ぶことにしたのに。
「俺には菜月がいるから。」
(うわ。格好良すぎるぜ……。)
照れもせず、当然のように言い切った藁谷にちょっと嫉妬してしまった。
季坂一人だけが特別なのだと行動で示している潔い格好良さに。
そこまでできる相手がいることに。
「いいなあ、藁谷は。」
「何が?」
「ちゃんと彼女がいて。」
ふて腐れた気分で言うと、藁谷は笑った。
「何だよ。自分だって、よく女子とふざけてるくせに。お前、女子に人気があるじゃないか。」
「あんなの……。」
(何の意味もない。)
急に気付いた。
今まで思ったこともなかったのに。
あんなの、お互いにその場その場で面白く過ごしているだけなんだ。
俺だって、あいつらだって、相手が本当はどんなことを思ったり願ったりしているのか、深く考えたことなんてなかったんだから。