67 *** 葵 : 一人で
「はあ……。」
これで何度目のため息だろう?
もう1時間以上経つのに、机の上のノートには、たった3行の式が書いてあるだけ。
「ふぅ……。」
両肘をついて、あごをその上に乗せてみる。
机に置いた腕時計の秒針がカチカチと動いているのを、ただなんとなく見つめてしまう。
時計は5時55分。
今日は部活を休んでしまった。
朝、宇喜多さんに気持ちを告げられてから、2時間目くらいまでは、頭がぼんやりしているだけだった。
何かを考えることなんてできなくて、あの出来事を、何度も何度もたどっていた。
そしてようやく、あれは自分の勘違いなどではなく、間違いなく起こったことなのだと信じる気になった。
それからは……混乱している。
驚きが一番大きい。
それから感謝の気持ちと、疑いの気持ちと、自分を責める気持ち。
そのほかにもごちゃごちゃと。
宇喜多さんの優しさは、その気持ちから出た優しさだったの?
わたしはそれを受け取ってはいけなかったの?
わたしの態度が宇喜多さんのその気持ちを育てたの?
いいえ、もしかしたら、宇喜多さんは自分の気持ちを勘違いしているのかも知れない。
たまたま一番近い女子がわたしだったから……とか。
クラスのお友達と一緒にいる間も、そのことがずっと頭から離れなくて、どうしたらいいのか分からなかった。
由衣ちゃんか菜月ちゃんに相談しようかと思ったけれど、そう考えただけで泣きそうになってしまって、無理だと思った。
それに、相談したって、お返事はわたしが自分で決めなくちゃならないのは変わらない。
そう。
他人に相談して解決するようなことではないはず。
だけど……。
(相河くん……。)
由衣ちゃんたちに相談しないと決めてから、今度は相河くんに心の中で呼びかけている。
女子同士で話しているときも、授業中も。
何度も。ずっと。
相河くんならわたしの気持ちを分かって、助けてくれる ――― 。
勝手にそんな思いが湧いてきて……。
(そう。勝手なんだよ。)
今まで心配してもらったからって、こんなことまで助けてもらおうなんて。
これはわたしと宇喜多さんの問題で、相河くんには関係のないこと。
なのに。
(相河くん……。)
そばにいてほしい。
「大丈夫だよ。」って言ってほしい。
でも、わたしが言えたのは、
「今日は体調が悪いから、部活を休みたいんだけど……。」
だけ。
それを言いながら、「気付いて!」って心の中で訴えていて……。
(相河くん……。)
相河くんは、心配そうな顔で「一人で帰れるのか?」と訊いてくれた。
そう言われた途端に「どうしたらいいのか分からない。」って、言いそうになってしまった……。
「はぁ……。」
こうやって考えていると、もう一つのことが大きな意味を持って、わたしに迫って来る。
もう一つのこと ――― 。
わたしの、相河くんに対する気持ち。
夏休みの間、ずっと迷っていた。
考えてみたり、考えるのをやめようとしてみたり、わたしの気持ちはまるでぐちゃぐちゃで。
会えたり、お話ししていたりすると、ドキドキしたり緊張したりして、好きなのかも知れない、と思う。
でも、それはお友達とどう違うのかって考えると、それほど大きな差があるようには思えない。
ワルツの練習で相河くんがうちに来たときも、初めは緊張したけれど、途中からは全然気にならなくなってしまった。
調子に乗ってくすぐって、意地悪なんかができるくらい。
まるで小学生の友達同士みたいな気分で。
でも、今みたいなときに、頭に浮かんでくるのは相河くんで……。
(いつからなんだろう……?)
最初は縞田先輩のことが好きだった。
あの気持ちに間違いはない。
先輩が引退するときも、会えなくなると思うと悲しくて。
そして、相河くんはその間もそばにいてくれた。
転校生のわたしに話しかけてくれて、いつも気にかけてくれて、心配してくれて。
一緒にいる時間が長いから、一緒の思い出もたくさんある。
気兼ねしないで話せる男の子の一人で……。
(気兼ねしないで話せる……か。)
わたしにとって、それはバレー部の4人のこと。
宇喜多さんも、尾野くんも、藁谷くんも、相河くんも、同じ……だと思っていた。
でも、いつの間にか違っていた。
何かのときに思い浮かべるのは相河くんだった。
けれど、確信がない。
それはたぶん、相河くんが近過ぎるから。
教室でも部活でも一緒で、帰りも一緒で。
ただ単に、親友……みたいな存在なのかも知れない、と思ってしまう。
男の子の親友がいたって、おかしくないもの。
(男の子の親友……。)
そんなふうに考えると、心に浮かびあがって来るのは宇喜多さんだ。
美加さんのことを話して以来、深刻な相談をしたことはないけれど、困ったときに誰に話すかって訊かれたら、「宇喜多さん」って答えると思う。
それくらい信頼している。
それに、真面目で親切なところは尊敬もしている。
だから、わたしを好きだと言ってくれたことは、とても光栄だと思っている。
けれど……。
わたしの宇喜多さんに対する気持ちは “恋” とは違う……と思う。
はっきり言い切れないのは、嫌じゃないから。
例えば、今朝言われたように、一緒にお昼を食べに行ったり、二人でお出かけしたら、楽しいんじゃないかと思う。
それに、宇喜多さんとなら、ずっと長く続くんじゃないかな、なんて。
でも、それをほかの人に伝えることを思うとき、どうしても違和感を感じてしまう。
ほかの人たちが見る “彼氏・彼女” とは違う気がする。
そして、そこには相河くんをまっすぐに見ることができないわたしがいる。
後ろめたい気持ちでいっぱいになって……。
(やっぱり、ここで出てくるのも相河くんなんだ……。)
やっぱり特別なのかな。
わたしの特別は相河くん?
(そうなのかも知れない……。)
だとしたら……。
わたし、宇喜多さんをお断りしなくちゃならない。
そうしたら、どうなるの?
今までみたいに仲良しでいられるの?
それとも、もうお友達ではなくなっちゃうの?
いいえ、それよりも、わたしが宇喜多さんを傷付けることになる。
真面目で優しい宇喜多さんを。
(そんなの嫌だ。)
だからと言って、お受けすることもできない。
それはウソをつくことだし、それに……、それに……。
(相河くん……。助けて。)
どうしたらいいのか分からない。
このまま逃げ出してしまいたい。




