65 予想外の攻撃
「ねえ? ちょっと練習してみない?」
葵がそう言ったのは、1時40分を過ぎたころ。
季坂から、藁谷の乗った電車が椿ヶ丘まで来ていると連絡が来たあと。
電車は時間調整で止まりながら動いているようで、あと5駅だけど、どのくらい時間がかかるのかは分からない。
「え?」
ダンスの練習をしに来たのは間違いない。
間違いないけど、一人でやるのは嫌だ。
藁谷がいれば、みっともなくても少しは我慢できるけど。
「真子ちゃんにもらった紙は持ってるんでしょう?」
ダイニングテーブルの向かい側から少し身を乗り出した葵が微笑む。
「うん、まあ。」
ワルツのステップの足あとと、注意書きが書いてある紙。
持ってきたけど、一人でやるのは嫌だ。
「やりたくない?」
今度は首を傾げてじっと見つめる。
(そんな可愛い顔で言われても……。)
まあ、それほど嫌っていうわけじゃないけど……。
「菜月ちゃんと藁谷くんの前でやるよりも、わたしだけしかいない今の方がよくない?」
「あ……。」
言われてみれば、そうかも知れない。
今のうちに完璧になってしまえば、あの二人の前では踊らなくて済むかも。
「わたしも手伝うから。ね?」
(「手伝う」………。)
今日までに何度も思い浮かべた “葵と二人で踊る” シーンがよみがえる。
手を取り合って踊って、目が合って、見つめ合って……。
「じゃあ……、やってもいいかな。」
そう答えると、葵が嬉しそうににっこりした。
(もしかしたら、葵も同じことを考えてるのかも……?)
またしても勝手な思い込み?
でも、電車が遅れたことに感謝!!
「1……だろ? で、2……と。」
「で、3はこの辺じゃない? あ、違う違う、こっちの足だよ。」
「え? どうやって?」
思い切って練習を始めてみた。
ところがこれが、ものすごく難しい! 木曜日にさんざんやったはずなのに。
もらった紙には、4回分の「1、2、3」の足の運びが書きこまれている。
それを二人で覗き込み、俺があたふたしているそのそばで、葵が中腰になって床と俺の足を見比べる。
(新しい靴下を履いてきてよかった……。)
とりあえず頭に浮かんだのはそんなこと。
それほどステップは意味不明だ。
それに……。
「ほら、この足はこっち向きでしょう?」
隣で紙を覗き込んでいる葵が近い!
触れそうで触れない、絶妙な位置にいる。
腕に体温を感じるような気がするし、ふわふわした髪の端っこが触ってるかもー…、みたいな。
(ああ…、気になる!)
練習の紙にはちっとも集中できない。
「さあ、やってみて。」
「うん……。」
よろけたふりをして抱きついたらどうか、なんて、くだらないことばかり思い浮かぶ。
でなければ、思い切って、「好きだ」って言っちゃうか。
そうすれば堂々と……。
(ダメだよな……。)
これから藁谷たちが来るのに、気まずくなっていたりしたらどうしようもない。
“気まずく” どころか、俺だけ帰らなくちゃいけなくなるかも。
っていうか、こんなことばっかり考えてる俺ってどうなんだ?
俺が「1……、2……、」とやる横で、彼女が足元を見ながら「そうそう。」とか「上手!」なんて褒めるようになったのは、3回目くらいから。
5回目になると、彼女は少し離れて立ち、俺の「1…、2…、3…」に合わせて頷いていた。
「上手、上手〜。」
6回目が終わったところで、葵が笑顔で拍手。
「じゃあ、これで終わり ――― 」
「次は姿勢だね。」
ほっとしている俺に、葵がきっぱりと言った。
「……え?」
「真子ちゃんが言ってたじゃない? 『足元を見ないで、姿勢良く。』って。」
「あ、ああ……。」
「さあ、腕を上げてみて。」
(そんな〜〜〜!)
足の動きができたら終わりじゃないのか?
「ええと、今はこれで……。」
「え? せっかく時間があるんだもの、やろうよ。」
やけに張り切っている葵。
もしかしたら俺よりも熱心なくらいかも。
「『やろうよ。』って、やるのは俺だけだよな?」
思わずふて腐れた気分になって反論すると、彼女は無邪気な顔で俺を見上げた。
「え? わたしもちゃんと練習に付き合ってない?」
「見てるだけだろ。」
そう言った途端、彼女がとてもショックを受けたような顔をした。
「相河くんはそう思ってたんだ……。」
握り締めた片手を胸に当てて、彼女が俺に言った。
その姿に、何か自分が大きな間違いを犯したような気がして不安になった。
「え? あの……?」
「わたしがバレー部のマネージャーやってるときも、相河くんは、わたしが “見てるだけだ” って……。」
(まずい!!)
すうっと血の気が引いた。
「そうだよね…。べつに練習に参加してるわけじゃないし、邪魔にならないようにしてるのが精一杯で……。」
「あああ、葵、ごめん! 違うよ、そんなこと思ってないって!」
今度は汗が噴き出してくる。
「でも、本当のことだよ。人数が少ないときに、代わりに入ることもできないし……。」
「い、いや、そんなことない。いいんだよ、葵はそれで。いつも玉拾いやってくれたり、一緒に声出してくれたりするじゃないか。俺たち誰も、葵が見てるだけだなんて思ってないよ。」
「だけど……、相河くんは……。」
(ど、どうしよう!?)
まさか泣いちゃうなんてこと、ないよな!?
「ホントにごめん! 俺、ちょっと面倒になって言っちゃっただけなんだよ。」
「でも……。」
「俺さ、その、何か言う前にちゃんと考えなくちゃって、しょっちゅう思ってるんだけど、なかなか治らなくて。本当に、本当に、ごめん!」
手を合わせて拝むように頭を下げる。
でも、彼女はさっきの場所に立ったまま、何も言ってくれない。
(許してもらえなかったらどうしたらいいんだ……?)
拝んだままの姿で、ますます不安が大きくなる。
いつまでも何も言わない彼女をこっそりと窺うと。
(……?)
葵は顔を横に向けていた。
胸に当てていた手を、今は口元に当てて。
そして、その横顔は……。
(まさか……、笑ってるのか……?)
と思ったら、彼女がこっちを見た。
目が合うと、にこっといたずらを見つかった子どものように微笑んで。
「葵……。」
脱力しながら起き上がる。
その俺に、彼女が2歩近づいた。
立ったのは俺のすぐ前。
つま先がほんの何センチかしか離れていない距離で、両手を後ろに組んで、首を傾げながら俺を見上げて。
「びっくりした?」
「……した。」
怒った顔をしたいのに、手の届く場所で可愛らしく尋ねる彼女に心が乱れる。
親密な距離にクラクラする。
抱き締めて「好きだ。」って言ったら、彼女はどんな反応をするんだろう?
けれど、そんな気持ちを悟られるわけにはいかなくて、俺ができるのはちょっと拗ねたふりだけ。
笑わない俺に、彼女が機嫌を取るように話しかける。
「じゃあ、またあとでにしよっか?」
「……あとで?」
「菜月ちゃんたちが来てから。」
「………。」
まあ、どっちにしても、やるんだよな?
だったら二人だけの方がいい……よな?
「……今、でもいいけど。」
ぼそぼそと答えると、葵は芝居がかった様子で両手を組み合わせてにっこりした。
「わあ、本当? じゃあ、一緒にやろうね!」
「くふっ……。」
(笑わないつもりだったのに……。)
だって、あまりにも可愛過ぎる。
それに和んでる俺も俺だけど。
「はい、手を上げて。」
(!!)
気付いたときには、葵に両手首をつかまれていた。
こんな距離でこんな状態じゃ……。
「ええと、この辺? ほら、相河くん、思い出して。」
「え、あ、ああ。」
(まったく思い出せない!!)
葵の手の温かさが気になる。
力を入れられないし、心臓がまたスピードを上げた。
……と思ったのも束の間、彼女は手を離した。
残念と安堵の入り混じった気持ちで俺が必死で思い出そうと手の位置にトライしている間に、彼女は横の方に回っていく。
彼女が視界からはずれたので、心臓はどうにか落ち着きを取り戻してくれた。
「ふふっ、それじゃあ幽霊みたいだよ。」
横からコメントが。
「え?」
「手が。」
言われてみると、確かに「うらめしや〜」みたいだ。
(ええと、こんな感じか?)
角度を調整しながら形を整える。
「あと、ここ。」
「ひぇ〜〜〜っ!」
思わず変な声が出た!
一旦落ち着いた心臓が、今度は爆発するほどの勢いで動き出す。
(腰をなでられた!?)
「な、な、なに!?」
葵はいつの間にか後ろに回っていた。
振り向いて見たら、盛大にくすくす笑いをしている。
「ご、ごめん……。くすぐったかった……? ふふふふ……。」
「く…、くすぐったいも何も……。」
(すごい触り方だったけど!?)
ベルトの上のあたりをすーっと……。
「び、びっくりするだろ!?」
さわられたあたりを自分で押さえる。
そうでもしないと落ち着きそうにない。
「だって、うふふ…、へっぴり腰で、おじさんっぽいんだもん。」
彼女は笑いが止まらない。
俺の反応は確かに面白かったかもしれないけど!
(二人きりのところで、男に気安く触っちゃダメなんだぞ!)
誘惑してると思われても、文句は言えないと思う!
「もう……、絶対にダメ!」
「はい。ごめんなさい。…ふふ。」
しおらしく謝っているけど、笑っている様子を見ると安心できない。
隙を見せたら、また何かされるかも……と思った途端。
「ここもダメ?」
「ひ、やっ、やめっ!」
今度はわき腹に!
「ば、馬鹿、葵、ダメっ!」
「はーい。あははははは!」
「笑ってる場合じゃないぞ!」
「ふっ、く……、はい。」
笑いを止めようとしている彼女は、俺が怒ってる意味が全然分かっていないと思う。
(はあ……。)
俺はこんなに手を出すのを我慢してるのに……。
「もう一回だけ。」
「ひや〜〜〜〜!!」
(また腰を!!)
いつの間に後ろに回ったんだ!?
「葵!!」
「あはははは、ごめんなさ〜い。」
俺の驚き方がよっぽど面白いらしい。
葵は腹を抱えて笑っている。
(藁谷……、早く来てくれ……。)
まさか、こんなことを願う気分になるとは思わなかった……。




