63 *** 葵 : わたしだけ?
9月5日、日曜日の午後1時15分。
今日は、うちでワルツの練習とお夕食会。
お母さんは5時ごろ帰ると言って、午前中から出かけている。
始まりは1時半の約束だけど、相河くんが準備を手伝ってくれると言ってくれて、少し早めに来る予定。
(そろそろ……?)
廊下に掛けてある姿見で、もう一度全身をチェック。
白地に青で模様が入った長めのワンピースに、こげ茶色の半袖カーディガン。
いつもと同じ髪型だけど、透き通ったビーズの飾りゴムで留めてみた。
(ちょっとお洒落過ぎるかな……?)
自分の家にいるのに、これでは変だろうか?
でも、さすがに普段着ではダメだよね。
菜月ちゃんだって、ちゃんとした服で来るだろうから。
それに、やっぱり少しは可愛く見せたい。
いつも制服と体操着ばっかりなんだから。
<13:17>
鏡を見ているうちに時計が進む。
落ち着かない気分で、前からだけじゃなく、横、後ろ、と、鏡に映してみる。
(ワンピースと靴下は合ってるかな? カーディガンが曲がってない?)
自分ではとりあえず平気かな、と思う。
でも、ほかの人が見たらどうなんだろう?
ファッション雑誌に出てる女子高生らしさみたいなものはないし……。
(あ〜ん、もういいや!)
それよりも、相河くんは、今どのへん?
もう、すぐ前の道にいたりして。
今からトイレに入るとか、ダメだよね?
チャイムが鳴ったときに出られないと困るもの。
落ち着かなくて、じっとしていられない。
菜月ちゃんたちは何時ごろ到着するんだろう?
さっき、電車が事故で遅れてるって連絡が来たけど……。
それまで、相河くんと二人だなんて。
(どうしよう?)
なんだか緊張してきた!
上手にお話しができないかも。
だって、いつもと違うんだもの。
いつもは通学の途中で当たり前だから……。
(それだって、結構がんばってるのに……。)
そう。
がんばってる。
緊張していることに気付かれないように。
最近 ――― 夏休みの後半から、相河くんと話すときにはいつも。
だって、なんだか変なんだもの。
妙に調子よくペラペラしゃべったり、なんだかやたらと可笑しかったり、そうかと思うと、急にドキドキしたりして。
そんな自分に気付くと落ち込むんだけど、止まらなくて。
変になってることに気付かれませんように、って祈ってばっかり。
木曜日の夜に電話したときも、やっぱりドキドキして大変だった。
あんな提案をしたお母さんを恨みたくなってしまうほど。
だけど、お休みの日に相河くんと会うっていうのは楽しい気がして……。
そんな状態だから、バレー部のみんなが一緒にいるとほっとする。
みんなでいるときには相河くんと話すのも平気だし、離れていることもできるし。
(べつに、話したくないわけじゃないけど……。)
話したくないわけじゃない。
本当は、逆。
なのに、話せるときは緊張する。
そして……ときどき物足りない。
そう。
前と同じじゃない。
“物足りない” という気分に、何となく不安になる。
そんなことを考えたらいけないような気がするから。
だって……。
「ピーンポーン♪」
(来たっ!)
急いでインターフォンの前に行くと、液晶画面に相河くんの姿。
「は…、はい。」
(やっぱり緊張する〜!)
『ええと……。』
「あの、今、開けますから。」
ロックを解除して、相河くんが画面から消えるのを見守る。
もう一度廊下の姿見で服装をチェック。
それから玄関のドアを少しだけ開けて、隙間から外の廊下を窺って。
(隣の人が見たら、変だよね……。)
そう思っても、気になって引っ込めない。
ここは3階で、エレベーターはすぐに到着するはずだし。
(来た!)
と思ったら、ドアを開けていた。
いつの間にか手なんか振っちゃってるし……。
(やだ〜。見てたのがバレちゃう〜。)
恥ずかしい。
みっともない。
だけど……、だけど……。
(なんか……、どうしよう? 嬉しい。)
大股で近付いてくる相河くん。
髪を切ったのかな? きのうよりも凛々しく見える。
きれいな水色のポロシャツはボタンダウンで、少しきちんとした感じ。
細めのストレートジーンズは、制服のときよりも脚が長く見えて……。
(緊張する〜〜〜〜〜!)
胸がドキドキしてきた。
とてつもなくドジなことをやりそう!
「……よ。」
相河くんが手を上げてあいさつ。
いつもと同じように微笑んで、リラックスした様子で。
わたしは頷くのがやっとなのに。
「あの、どうぞ。」
(顔が上げられない!)
視線を合わせなくても変じゃないように、相河くんに先に入ってもらって、ドアに鍵をかける。
それから急いでスリッパを出して。
(それから? ええと……。)
「…いらっしゃまいせ。」
ゆっくり頭を下げてみる。
「あ、ああ、どうも。」
と、相河くんの少し慌てた声が聞こえた。
その途端、気付いた。
お辞儀をしたら、顔を上げたところで相手の顔を見ないと変な気がする。
(だよね…?)
うん、そうだよ。
ずっと目を合わせないなんて、なんだか不幸なことがあったみたいだもの。
(仕方ない。思い切って!)
起き上がると同時に、思い切ってにっこり笑って見上げてみた。
すると、相河くんも微笑んで……。
(わ。)
なんだかますます緊張しちゃう!
だって、この笑顔って… “わたしに” ってことだよね?
話が面白いとか……じゃなくて。
(どうしよう!?)
心臓がバクバクしてきた!
そうだ。
とにかくお部屋にご案内しなくちゃ。
まずは、やるべきことをやればいいんだよね。
「ええと、どうぞ。こっちです。」
廊下を歩きながら、もう一度姿見でチェック。
見苦しくはないと思う。
でも……。
(相河くんにはどうってことなかったみたいだね……。)
何の反応もなかった。
ちょっとがっかり。
まあ、仕方ないけど。
とにかくやるべきことをやろう。
最初にソファの移動を手伝ってもらって、一休みして、菜月ちゃんたちが来たらワルツの練習。
(……あ。)
菜月ちゃんたちは遅れるって、相河くんにも言わなくちゃ。
それまで二人だけど……。
(嫌な顔されたらどうしよう!?)
そうだよね?
恥ずかしいとか言ってる場合じゃないよ。
相河くんは、嫌かも知れない。
でも、言わないわけにはいかないし……。
「あの、さっき、菜月ちゃんから連絡があったの。」
半分振り向いて歩きながら、どうにかきちんと言えた。
「季坂から?」
「そう。少し遅くなるって。」
「……え?」
「電車が事故で遅れてるらしいの。ほら、藁谷くんを駅で待ってるから。」
「あ、ああ……。」
「でも、動いてることは動いてるから、ちゃんと来られるって。」
「そうか……。」
(……で、終わり?)
それ以外の反応はなし?
嫌な顔はされなくてほっとしたけど……、緊張するとか、慌てるとかも、無し?
(なんか……。)
なんとなく悔しい。
わたしだけが心配したり、緊張したりしてるみたいで。
服も褒めてくれないし。
(ああ、そうか。)
わたしのことは子ども扱いだもんね。
面白い話をしたり、一緒にアイスを食べたりする、単なるお友達。
だから、どんな服を着ていようが、二人きりで過ごそうが、何でもないってこと。
突き当たりのガラスを嵌め込んだドアを開けるとリビングだ。
開けると冷房の効いた爽やかな空気が出迎えてくれた。
「ここなの。どうぞ。」
とびきりの笑顔を作って相河くんを見上げる。
(もう、何でもない。)
だって、相河くんは、わたしのことなんか何とも思っていないんだもの。
だから、わたしが一人で緊張している必要なんかない。
(ふん。)
緊張する必要もないし……、遠慮する必要もないんだから。




