62 やりたくなかったけど…。
(……?)
夜、風呂からあがって部屋に戻ると、スマホに不在着信とメールの表示が出ていた。
2年生になってから、電話やメールはそれほど多くない。
なのに、同じ時間に両方が来たということは。
(緊急の用事? 誰だ?)
首に掛けたタオルで髪を拭きながら、なんとなく不安になる。
急いで発信元を見ると……。
(葵?)
電話もメールも彼女だった。
電話が通じなかったからメールをくれたんだろう。
録音メッセージはない。
(どうした? 何か困って……?)
葵から電話がかかってくるのは初めてのこと。メールはもらったことがあるけれど。
考えてみると、彼女の家は女性2人の家族だ。
泥棒が入ったとか、家の様子が変だとか、お母さんが病気だとか、怖いことがあったんだとしたら。
それで、家が近い俺に連絡を……。
(大丈夫なのか!?)
一気に不安が大きくなる。
ドキドキしながら、急いでメールを開くとそこには……。
『お時間が空いたときに、電話してもらえますか? 葵』
(何も分からない……。)
用件が何も書いてない。
これなら留守電に入れておいてくれてもよかったのに。
そんなところも、彼女らしいけど。
(とにかく電話だ!)
通話ボタンに触れながら、やっぱり不安がおさまらない。
とりあえず、今すぐに危険があるわけではないんだろうか?
でも、彼女はいつもいろんなことを遠慮する。
こんなのんびりしたメールを送って来てはいるけど、本当は……?
(1回……、2回…… )
コール音がいやにゆっくりに思える……。
『あの、はい、葵です。』
(出た!)
「ああ、葵? 大丈夫か? 何かあったのか?」
『え? あの、あ、いいえ、何かあったわけでは……。』
(よかった……。)
気付いたら、部屋に入ったときのまま立ちっぱなしだった。
ほっとして脱力しながら床に座り、ベッドに寄り掛かる。
『やだ、ごめんなさい。びっくりさせてしまって……。』
電話の向こうでは、葵が俺の誤解に気付いたらしい。
何度も謝る声が聞こえる。
「はは、いいよ、何でもないんだったら。俺が勝手に心配しただけなんだから。」
『そんな…、ごめんなさい。わたし、本当に気が利かなくて……。』
「いいって。でも、どうした? 電話なんて珍しいけど?」
俺はいつでも大歓迎なんだけどね。
『あ、うん。ええとね、今度の日曜日なんだけど……空いてる、かな?』
(え!?)
休日の都合を訊かれてる?
彼女の方から?
俺に?
しかも、このためらいがちな様子。
(空いてたら……。)
空いてたら、何を?
「ああ、うん。空いてるけど。」
声がひっくり返りそうになったのを、どうにかこらえて答えた。
心臓が、さっきまでの2倍くらいの速さで打っている。
『本当? よかった。』
嬉しそうな声。
しかも、『よかった。』って……。
(慌てるな。喜ぶのはまだ早いぞ。)
でも、どんなに自分に言い聞かせても、期待はもうとっくに膨らんでしまった。
鼻息が荒くなりそうになって、密かに胸に力を込める。
今の電話は感度がいいから……。
『ええと、その、うちに来ないかなー、と思って……。』
(家にご招待!? いきなり!?)
日曜日ってことは、お母さんがいる日だよな?
お母さんに紹介してくれるのか!?
特別な友達として!?
いや、もしかして……。
実は葵の “好きな人” っていう設定だったりして!?
(いや〜、もう!!)
俺っていつの間にそういう存在になったんだ?
やっぱり夏休み中に、たくさん話したりしたからかな?
いや、最後の日の寄り途が良かったのかも。
そういうことなら、はっきり言ってくれればいいのに。
そんな、遠回しにお母さんに紹介するなんて!
まあ、恥ずかしいのは分かるけどさ。
(宇喜多、尾野、ごめん!)
「え、ええと、いいのかな?」
気を付けろ。
あんまり喜んでるのがはっきり分かったら格好悪い。
そんなことでがっかりさせるわけにはいかない。
でも。
(くーーー………。)
なんだか笑い出しそうだ。
嬉しくて顔が……。
『うん。さっき、菜月ちゃんと藁谷くんは大丈夫って、お返事もらったし。』
「あ、季坂と藁谷……も?」
『うん、そうだよ。』
「あ、ああ、そう…なんだ。」
みっともない。
恥ずかしいのは俺だ!
何、勝手に盛り上がってんだ!
『うちのお母さんにね、今日のダンスの練習のことを話したの。』
「ああ……、あれを……。」
さぞかし笑ったことだろうな……。
『でね、ほら、来週までに覚えてくるようにって言われてたでしょう?』
「ああ、うん。」
『だったら、うちで練習したらどう、って、お母さんが言ってるの。』
「え? 葵の家、広いのか?」
『ううん。普通の広さだと思うけど、うちね、引っ越したばっかりであんまり物がないの。リビングのソファとかを端に寄せれば、ステップの練習くらいはできるんじゃないかな。』
「へえ。」
『それに、藁谷くんと相河くんが来れば、男役と女役がそろうわけでしょう? ステップを覚えたら、試しに二人で踊ってみてもいいし。』
葵の前で藁谷と抱き合って踊る!?
とんでもない!
「あ、まあ、それは…まだいいかな。」
『そう? 見てみたいのに。ふふ。』
せっかくなら葵と踊りたいんだけど……。
『あとね、お母さんは用事で出かけるんだけど、夕方には帰るから、一緒にお夕飯をどうですか? って言ってます。』
「え? いいのか?」
『うん。いつも二人だけだから、たまには大勢で食べるのもいいねって。たいしたご馳走はできないと思うけど。』
「じゃあ…、ご馳走になろうかな。あ、いや、手伝うから。」
『え、本当に? そういえば、相河くんって器用そうだよね?』
「ああ、餃子を包むのは上手いぞ。小学生のころからやってるから。」
『そうなんだー? すごいねえ。』
葵が電話の向こうで笑ってる。
特に意味のない会話だけど、話していると、心が通じ合っているような気がしてくる。
まるで、俺の隣に座って、寄り掛かられているような……。
電話を切ったあとも、同じ姿勢のまま、しばらく余韻に浸っていた。
たった今耳にした彼女の言葉が次々と浮かんできて、俺の心はふわふわと幸せの空気の中を漂いっぱなし。
俺を特別に思ってくれたわけじゃなかったけど、何と言っても、葵の家に招待されたんだし!
(少し早めに行っちゃおうかな……。)
藁谷たちが到着する前に。
「家具を寄せる手伝いをする」とか何とか、理由は適当に付けて。
で、二人で……。
(たとえば……。)
葵がダンスのステップを真似ようとするだろ?
で、俺が「こうだよ。」なんて教える。
腰の向きとか……いや、触っちゃダメだよな。
そのうち葵が上手になったら、俺が向かい合ってその手をすっと取る。
もちろん、葵はびっくりする。
そこで、そうだな……「俺も男役をやってみたいから。」とか?
どうだ!
(行けるんじゃないか?)
男のステップが分からなくても、なんとかなるだろう。
ぎこちなくワルツを踊る葵と俺。
膝がぶつかったり、足を踏みそうになったりして、くすくす笑って。
でも、何かのはずみで目が合って、ハッとして、そのまま見つめ合う………。
(うわ〜! あぶね〜〜〜!!)
なんだかじっとしていられない気分。
ただの想像なのに、実際に起こっているみたいにドキドキする。
落ち着かなくて、ベッドから枕をとって力いっぱい抱き締めてみた。
枕がこんなに頼りになるものだとは思わなかった……。
(そんな近くで見つめ合っちゃダメだろ! しかも、手を握ってんだぞ!)
もう終わりにしようと思う想像の中で、葵が恥ずかしそうに下を向く。
そして俺は………。
(……あ、止まった。)
次にどういう行動に出たらいいのかよく分からない。
いや、 “よく分からない” んじゃなくて、想像でもそれ以上は躊躇してしまうのだ。
頭の中では俺がおろおろしているうちに、「ピンポーン♪」と音がして、藁谷と季坂が到着した。
(まあ……、こんなもんだよな。)
ふっと体の力が抜けた。
いくら何でも、そんなに都合良く運ぶはずがない。
(でも……。)
せっかく近いんだから、少し早めに行くっていうのは実行してもいいかもな。




