61 夏休みが明けて
夏休みが明けて一週間が過ぎた。
俺たちの毎日は、すっかり通常モードに戻っている。
勉強と部活。……プラス、恋。
夏休みの最終日に葵を寄り途に誘ってから、俺はなんとなく、彼女と上手く行くんじゃないかという気分になっている。
だって、彼女は俺といるとき、とても楽しそうに見える。
俺を見上げる瞳がキラキラしているような気がする。
だから……。
でも、そう思っているのは、尾野や宇喜多も同じじゃないかと思う。
実際、バレー部みんなでいるときは、俺は密かに焼きもちばかり焼いているくらいだし。
葵の隣にいる率が高いのは、何と言っても要領のいい尾野だ。
甘えたり冗談を言ったりして、かなり積極的なアプローチを試みている。
言葉だけじゃなくて、腕や肩でちょっと押してみたり、何ていうか……上手い。
そういうことをされても、葵は明るく笑っている。
気付かないのか、気付いてて知らんぷりなのか、それとも尾野だから許しているのか。
いや、もしかしたら彼女も尾野のことが好きで、心の中では待っているのかも。
なにしろ、尾野はイケメンだ。
……なんて思うと、穏やかな気持ちではいられない。
宇喜多は相変わらず表面上は淡々としている。
でも、葵が新しいポロシャツを着ていたときにはいち早く気付いて褒めていたし、いつの間にかまたDVDを貸していた。
(ちなみに、葵が好きなのは古いホラー映画だそうだ。)
そして、葵は宇喜多と話すときが一番自然で落ち着いて見える。芳原といるときみたいに。
やっぱり、信頼度という点では、彼女にとっては宇喜多が一番なんじゃないかな。
ただ、俺は2度ばかり宇喜多の邪魔をすることに成功している。
努力の甲斐あって、朝、葵と同じ電車に乗れるようになったから。さすがに毎日は無理だけど。
椿ヶ丘で会った宇喜多のポーカーフェイスが崩れて、一瞬不機嫌な目つきをするのを見るのは楽しかった。
こんなふうに、夏休みが明けてすでに一週間。
新たな憂うつの種が増えた……。
「絶対にできる気がしない。」
「だよな……。」
部活が終わった帰り道で、藁谷と俺の愚痴が続く。
「そんなことないって。まだ始めたばっかりだもん。練習すれば、ちゃんとできるようになるよ。」
藁谷と並んだ季坂が明るく励ましてくれている。
でも、後ろでは尾野と宇喜多が絶対にニヤニヤしていると思う。
半歩遅れてついてくる葵は……やっぱりちょっと笑っている。
「いや、無理だ。だいたい男同士でくっついてなんて、気色悪いし。」
「え? じゃあ、相河くんは女子とだったらやるの?」
季坂の突っ込みに言葉が詰まった。
(女子だって、相手限定に決まってるだろ……。)
話題は文化祭の劇の中で踊る社交ダンスのこと。
今日のLHRで、ダンス部で助監督の地葉が研究してきたワルツのステップをさんざんやらされたのだ。
初回の今日は、男女役それぞれが自分の足の運びを練習させられた。
王子役の藁谷とシンデレラ役の水崎、姉役の俺と須田、舞踏会の客役の4人(男役3、女役1)が、「1、2、3」の掛け声に合わせて、教室中をよろよろと歩きまわった。
見ているクラスメイトたちは笑うし、地葉はだんだん怖くなるし、足元ばかり見ているから目が回るし、本当に大変だった。
そのうえ、来週までにステップを覚えて来いという。
覚えたって、今度は男と抱き合って踊るのだ。
そんなことのために練習する気分になんて、なるもんじゃない。
「本番では30秒くらいって言ってたよね?」
「そうらしいけど……。」
それが2回もあるんだから。
その中に、あの「1、2、3」が何回あるんだ?
しかも、女役の俺は、ドレスを着なくちゃならないんだぞ!
「いつか役に立つかも知れないじゃないか。」
後ろから宇喜多の声がした。
慰めようとしてるんだか、からかってるんだか、宇喜多の表情はやっぱり分からない。
「だめなんだよ、宇喜多さん。相河くんは女役だもん。将来、あれを使うことはないと思う。」
「そのとおり! まったくの無駄!」
葵の言葉に心から頷く。
「俺だってねえよ。」
前で藁谷がブツブツと言った。
そこにすかさず季坂の声。
「あ、ねえねえ、じゃあ、あたしも覚えるから、そのうちどこかで踊ろうよ?」
「え、 “どこか” って……。」
「ん〜、よく分かんないけど、豪華客船とか?」
「菜月ちゃん、それ、新婚旅行の話?」
「きゃ〜♪ かもね〜。」
女の子二人が楽しそうに笑い、尾野と宇喜多がニヤニヤする中、藁谷と俺は憂うつなため息をつくことしかできなかった。
「宇喜多さんのクラスは練習進んでるの?」
葵が宇喜多に話しかける。
このメンバーでいるときに、葵が話しかける回数が一番多いのは宇喜多だ。
「え、まあ……どうにか。」
「フッ……。」
宇喜多が言い淀んだのを見て、思わず笑ってしまった。
8組の劇は学園もので、宇喜多は勉強もスポーツも得意で女子に人気のある生徒会長の役なのだ。
知り合いからの情報では、何人かの女子の強力な推薦で決まったらしい。
制服に黒縁のメガネをかけると聞いて、俺たちはみんな納得した。
でも、本人は恥ずかしいらしくて、その話題にはあまり触れたがらない。
女装でワルツの俺に比べたら、全然マシなのに。
「葵の大道具は?」
宇喜多がさっさと話題を変える。
「今は設計図みたいなものを描いてるところ。なるべく段ボールで済むようにって考えてるんだけど、少しは木で作らないとダメなものもありそう。」
「そうなのか。葵は釘を打つときに、金槌で指をたたいたりしそうだよな。」
「うわーん、宇喜多さんまでそんなこと言うなんて〜。」
(なんか、ちょっと甘えてる感じ……?)
葵は俺にはあんな言い方しない気がする。
やっぱり宇喜多に対する態度は、俺たちとは違うんじゃないだろうか。
それとも、これは単なる焼きもちか?
「葵ちゃん、そんなことはできるヤツに任せておけばいいんだよ。」
尾野がすかさず会話に割り込んでいる。
ってことは、やっぱり尾野も同じように感じたのかも。
(今月は宇喜多の誕生日があるんだよな……。)
たしか、期末試験のあたりだった気がする。
そうだとすると、部活がないから、放課後にどこかに行くっていうのも有りなのか。
後ろで話している宇喜多をそっと振り返ってみる。
葵を間にはさんで、尾野の軽い攻撃を余裕有りげに笑顔で受け流している姿。
4月に比べると笑うことが増えたし、以前より柔らかい印象になっているのは間違いない。
クラスの劇に出ることになったのも、たぶんそのせいだ。
そういうこと全部、前に尾野が指摘したように、葵と出会ったことで起こった変化なんだと俺も思う。
葵が宇喜多のことを信じて、頼るから。
優しい笑顔でそばにいるから。
葵は宇喜多にとって、本当に特別な存在なんだ。
(何を頼むんだ、宇喜多?)
毎日一緒の時間を過ごしている “仲間” から、一歩進むチャンスにもなる誕生日。
もしかしたら邪魔をするべきなのかも知れない。
でも、それが逆効果ってこともあり得る。
葵に俺の行動がフェアじゃないって思われるのは嫌だ。
(そうか……。)
葵が相手を選ぶときには、俺たちを比較して選ぶわけじゃないのかも知れない。
俺だって、葵とほかの女子を比べてみたわけじゃない。
彼女と俺たちそれぞれの関係の中で、 “好き” っていう気持ちが育ってくるんだ。
(だとしたら。)
やるべきことは “邪魔” じゃない。
葵に認めてもらうことだ。
(でもそれって……どうやって? 何を?)
とりあえず今は……ダンスなのか?




