60 夏休みの思い出
「あ〜、帰ったら宿題だぜ〜。」
電車の中で隣に立っている水崎が情けない声で言った。
「晶紀、お前、全部終わったって本当かよ?」
「うん。きのうでやり切った。」
「いいな〜。ああ、8月いっぱいは夏休みだったらいいのに……。」
水崎のため息に苦笑しながら、その向こうの車両に視線を移す。
そっちには、葵がクラスの女子たちと一緒に乗っているはずだ。
見えない葵を思いながら、こっそりと、俺もため息。
今日は8月25日、夏休み最後の日。
明日からは、もう授業が始まる。
夏休み最後の2日間、文化祭の劇の練習をやると召集がかかった。
休み前に渡されていた台本の読み合わせをすると言う。
部活がある生徒もいるから全員がそろうわけじゃないけど、役を割り当てられている俺は出ないわけにはいかない。
ということで、今日は午前中の部活のあと、午後からそれに出ていたのだ。
(こんなはずじゃなかったのに……。)
夏休み中に、葵ともう少し仲良くなりたいと思っていた。
部活で会うし、家も近いから、理由はいくらでも付けられるって思っていた。
でも、7月中はなんとなく言い出せないまま過ぎ、8月に入ったら、花火大会の帰りに手を握ってしまったことが原因で言えなくなってしまった。
あのあと何日かは、彼女はなんとなくおどおどして、まともに俺の顔を見てくれなかったのだ。
(普通に戻ってくれたからよかったけど……。)
あれから、不用心に「二人で」なんて誘ったりしたら、今度はどんなことになるかと思うと、ますます言い出せなくなってしまった。
まあ、うっかり手なんか握った俺が悪いんだけど……。
部活のついでなら、それなりにたくさん楽しんだ。
午前中の練習の日に帰りに昼飯を食べたり、寄り道して甘いものや冷たいものを食べたりしたし。
でも、それは全部 “みんなで” だ!
尾野も宇喜多も藁谷も、ときには1年生やほかの部のヤツも一緒。
合宿の帰りに丸宮台で二人で会ったけど、あれは偶然だ。
一緒に過ごすために時間を作ったわけじゃない。
尾野と宇喜多は、お土産を届けるという名目で葵の家に行った。
結果的にはあれは2人が一緒になったけど、尾野と宇喜多それぞれが、葵のために時間を作ろうとしたということには間違いない。
俺の “ついで” とは意味が違うのだ。
(今日が最後のチャンスだったのに……。)
練習の日程表を見ながらじっくり検討したのは今月の半ば。
葵はお祖母さんの家に泊まりに行き、俺は家族旅行があって、会えない日が続いたころ。……一応、今回はメールを欠かさなかった。
日程表では、8月23日に新メンバーになって初めての公式戦があり、その前はずっと午前・午後とも練習が入っている。
最後の2日間 ―― きのうと今日 ―― は半日だけど、きのうは午後の練習だったから、午前中では落ち着かない。
だから今日と決めたのに、劇の練習が入ってしまった。
(劇の練習なんて、学校が始まってからでも良さそうなのに。)
連絡が来たのは先週の水曜日。
葵を誘いたいと思いながら言えずにいた俺も情けないけど、さすがにショックだった。
とは言え、今日の昼にはちょっと期待したんだ。
部室で、藁谷と葵と俺の3人で昼飯を食べたとき。
尾野が帰って、季坂は午後の部活。
劇の練習なら、部活ほど遅くまでやらないはずだから、葵と二人で帰れるはずだって。
でも、甘かった。…というか、忘れていた。
クラスの用事のときは、葵は女子同士で帰ってしまうのだ。
……というわけで、今はこうやって隣の車両をこっそり窺ってるわけだけど。
(丸宮台で降りたときが最後のチャンスだ。)
もう、 “ついで” でも何でもいい。
葵との <夏休みの思い出> が欲しい。
二人で!
『次は〜丸宮台〜。』
(よし。)
心の中で気合いを入れた。
ホームに降りると、ひとつ後ろの車両から葵も降りたのを視界の隅で確認した。
出発する電車の窓から女子たちに見られても怪しくないように、バッグの中の何かを探すふりをしながら、葵が歩いてくるのを待つ。
彼女が近付いたタイミングを見計らって顔を上げ、まるで今気が付いたように笑ってみせる。
「お疲れさま。」
葵がいつもの笑顔で言った。
自然な態度で声をかけてもらえてほっとしながらも、もう少し嬉しそうだったらいいのにな、なんて贅沢なことを考えてみたりする。
「うん。」
これしか言えない俺ってどうなんだ? と反省しつつ、彼女と並んで歩き出す。
でも、重要なのはここからだ。何に誘うか。
なにしろ丸宮台は地味な駅で、駅の周辺にはスマイルストアとコンビニが1軒、あとは酒屋や薬局などの小さい店があるだけ。
ファミレスもファーストフードもない。
(コンビニで何か買って…なんて、普段とちっとも変わりない気がするけど……。)
それ以外に思い付かない。
まあ、最近はコンビニでもデザートが充実してるから、それなりに思い出にはなるのかな。
「あ、あのさ。」
改札口への階段を上りながら心を決めて声をかける。
いざとなったら心臓がドッキンドッキンと、大きな音を立て始めた。
さっきまではなんともなかったのに。
彼女が「なあに?」と言うように俺を見上げる。
「え、ええと、…いつもより、だいぶ早いな。」
(そこからかよ!?)
自分でツッコミを入れてしまった。
いくらなんでも控え目過ぎる!
もう少し尾野の図々しさを見習いたい……。
「うん、そうだね。」
俺の気持ちを知らずに、にこにこと答える葵。
その表情に勇気をもらう。
(行ける行ける。頑張れ、俺!)
「あの、ちょっと ――― 」
「これなら宿題がなんとか間に合いそう。よかった♪」
「え? 宿題……?」
びっくりしている俺のうしろから、改札口を抜けてくる葵。
「お、終わって……ないんだ……?」
「うん。」
女子って口では「まだ〜。」なんて言ってても、結構計画的にやってるのかと思ったけど……。
「いっぱいあるのか……?」
「苦手な世界史が2枚しかできてないの。なんだか時間ばっかりかかっちゃって。」
「ああ……。」
世界史は穴埋め中心のプリントが、両面で5枚あったはず。
教科書や資料集を当たりながらやると、確かに時間はかかる。
「……俺のを写す? あとで届けてもいいけど。」
断られると予想しつつも、なんとか時間を作ってほしくて言ってみる。
この階段を下りたら、いつものサヨナラの場所だ。
「え、いいよ、そんな。なんとか自分でやれるから。」
「そうだよなー、あははは……。」
(やっぱり……。)
がっかりだ。
これじゃあ、寄り道なんて言い出せない。
「あーあ。」
やけくそ気味になって、思わず残念な気持ちを声に出してしまった。
当て付けっぽいけど、「俺の気持ちにちょっとは気付いてくれたっていいのに。」なんて拗ねた気分になって。
「どうしたの?」
無邪気に尋ねる葵が恨めしい。
「べつに。」
ふて腐れてるって分かってる。
宿題が終わってないことだって、普通の高校生にはよくあることだって分かってる。
だけど。
「相河くん……?」
(あ。)
葵の声が勢いを失くしたことに気付いた。
慌てて彼女を見ると、困った顔をして俺を見ていた。
「あ、いや、ごめん。」
(やっぱりダメだ。)
彼女を困らせるようなことはしたくない。
葵にはいつも笑顔でいてほしい。
「あの……。」
不安な様子で、俺に何を言ったらいいのかと迷っている葵。
俺が不機嫌になった理由が分からないから。
俺もどう言ったらいいのか分からないまま階段を下りきって、二人で顔を見合わせる。
いつもならここで「じゃあ。」と言って別れるけれど、葵は困った顔のまま、迷うように俺を見ている。
(こういうときに……。)
抱き締めることができたら、と思う。
言葉では足りないことを伝えられるのに。
“悪いのは俺なんだ、ごめん。だから、葵は安心してていいんだよ” と。
「あ、あの、いや、いいんだ。」
やっと声を出すことができて、声が出たら笑顔も作れた。
「ちょっと、何か食ってかないかなーって、思っただけだから。」
俺を見つめていた葵が目を丸くした。
あんまり驚いた様子をされて、落ち着いていた心臓がまた乱れ始める。
「え、ええと、ほら、何か、冷たいもの、か、甘いもの? ま、まあ、この辺じゃあ、あんまりないけど、今日でその、夏休み終わりだし。」
(もう少しちゃんと言えないのかよ!?)
しどろもどろ過ぎる!
ちゃんと意味が通じないかも知れない。
それに、こんな状態じゃ、俺の気持ちがバレそうだ。
(いや、気付いてもらえたらラッキーか? ああ、だけどそれはそれで恥ずかしい気もするし……。)
なんて思っているうちに、俺を見ていた彼女がパチリと瞬きをした。
それを合図にしたように、急に視線を合わせていられなくなって、斜め下に視線を移してしまった。
(うわ。こんなことしたら、やっぱりバレる……。)
「ええと、食べたい、な。」
(え?)
聞こえた言葉の意味が、すぐには分からなかった。
急いで頭の中で再生し……。
「あ、ホントに?」
顔を上げると、葵の笑顔があった。
パッと視線が合った途端、今度視線をはずしたのは彼女。
その反応に、背中をくすぐられたような気がして……。
「あの、今日で夏休み最後だし……ね?」
控え目に微笑みながら、そっと視線を上げる彼女。
今までとは微妙に違うような気がするのは、俺の勝手な期待なのか……?
「じゃあ……行こう。」
「うん。」
コンビニに向かって歩き出しながら、今なら手をつないでもいいような気がした。
でも、もちろん思っただけで、俺にはそこまでの勇気は出なかった。
ここまでお読みくださってありがとうございます。
第4章「忙しい夏」はここまでです。
次から、第5章「変化」に入ります。
うまく変化すると良いのですが…。




