57 花火大会
「結構な人出になりそうだなあ。」
横崎駅の中央通路で宇喜多を待ちながら、尾野が言った。
「そうだな。」
前を行き交う人たちの中には、浴衣姿がちらほら見える。
俺たちの後ろでも、浴衣を着た葵と芳原が楽しげにしゃべっている。
8月3日の今日は、ここから2駅目の水本町で、大規模な花火大会がある。
周辺によく知られた観光地だし、打ち上げる花火の数も多いから、混むだろうと予想はしていた。
家族の話でも、開始時間になる前に、立ち止まる場所などなくなってしまうほどだという。
だから、7時半開始ではあるけれど、ここで4時に待ち合わせをしている。
今日のメンバーは尾野と宇喜多と俺、そして、葵と芳原。
藁谷と季坂は別行動だ。
どうしてこういうことになったのかというと、夏休みだからだ。
夏休み中の部活は、基本的に半日単位。
午前中が8時半から12時半、暑い時間帯を避けて、午後が2時半から6時半。
これを、体育館を半分ずつ使って、男女のバスケ部とバレー部のローテーションで日程を組む。
そうすると、俺たちと男子バスケ部が同じ時間帯になる日が、普段よりも少なくなる。
そのせいで、藁谷と季坂は会えない日も多くなる。
まあ、会えない日がそれほどたくさんあるわけじゃないんだけど、そんなことを季坂がちょこっと言ったことがあった。
そうしたら、葵が二人に遠慮して、「花火大会は二人で行ったら?」と言ったのだ。
そう言われて、季坂は乗り気になった。
でもそこで、葵が女子一人になってしまうことに気付いて、季坂は簡単に「うん。」とは言えなかった。
葵は「大丈夫だよ」と言っていたけど、心細そうであることは、なんとなく表情に出ていた。
電車の中で押し問答している二人を見ながら、俺も迷っていた。
そのとき、解決方法を提案したのは尾野だった。
「芳原でも誘ってみれば?」
と。
俺は、正直言って、びっくりした。
尾野と芳原が、それほど気兼ねのない仲だとは思っていなかったから。
葵をはさんで一緒にいるところはよく見るけど、尾野と芳原が積極的に会話をしているところは見たことがない。
それに、芳原が来たら、葵は芳原とばかり仲良くして、俺たちはおまけみたいになってしまうと思ったから。
季坂と葵の間では、芳原が来るなら大丈夫だという方向で話が進み始めた。
その間に、尾野はニヤニヤしながら、こっそりと俺に言った。
「芳原と宇喜多をくっつけちゃおうと思って。」
俺は驚きながらも感心した。
確かに、芳原と宇喜多はお似合いかも知れない。
落ち着いた、真面目な雰囲気が共通しているし。
「宇喜多って、俺たちが言ったから、葵ちゃんのことを好きみたいな気になってるけど、本当は違うかも知れないじゃん?」
尾野にそう言われると、そんな気もしてきた。
なんにせよ、ライバルが一人減るならありがたい。
たとえ、俺たちにあまり慣れていない芳原のために、葵が芳原につきっきりになってしまうとしても。
…というわけで、葵が誘った芳原が来ることになり、季坂と藁谷は二人で行くことになったのだ。
(それにしても……。)
葵の浴衣姿は、すごくいい。
彼女の浴衣は紺地に草花とホタルの模様がついていて、帯は金に近い黄色。手には丸っこいきんちゃく袋を提げている。
うしろでまとめた髪はビーズのついた髪飾りで留めてあって、毛先がふわふわと散っている。
紺の浴衣とまとめ髪のせいか、いつもよりもぐっと大人っぽくて、いくら見ていても飽きない。
一方の芳原は、可愛らしい雰囲気だ。
水色の浴衣にはピンクや白の花やうちわの模様が入っている。
帯は赤。
小さいカゴ型のバッグを持ち、ショートカットの髪にシャラシャラと音がする髪飾りを付けている。
いつもの赤いフレームのメガネは、浴衣姿にも似合っていた。
制服のときのクールな印象が消えて、背が高いことも手伝って、可愛い系のモデルみたいにも見える。
さっきから、彼女をチラチラと見ながら通り過ぎる人が何人もいる。
「これなら宇喜多が気に入る可能性ありだろ?」
尾野がこっそりと囁いた。
俺も大いに望みがあると思った。
「あ、来たよ。」
後ろから葵の声がした。
彼女の視線の方向から、足早に宇喜多がやって来る。
白とグレーの太めのボーダー柄のTシャツの上に白いシャツを羽織り、ブルージーンズにスニーカーを履いている。
丈の短いパンツを履いてきた尾野と俺に比べると、かなりきちんとして見える。
「暑くないのか?」
尾野が足元を見て尋ねると、宇喜多は
「蚊に刺されるんじゃないかと思って。」
と、真面目な顔で答えた。
それを聞いたら、なんとなく脚がかゆいような気がしてきた。
葵の前で脛をボリボリかいている姿なんて、みっともなくて嫌だ。
虫よけスプレーを持ってくればよかった。
「由衣ちゃん。8組の宇喜多雷斗さんです。」
葵が笑顔で紹介すると、芳原と宇喜多がそれぞれ名乗りながら頭を下げる。
それから簡単に自己紹介をして、和やかに笑い合った。
(おお……。)
結構いい感じだ。
二人ともにこにこしているし、話が途切れない。
俺と芳原だと、ああは行かない。
「じゃあ、行こうぜ。」
尾野が機嫌良く声をかける。
自分の計画が上手く行きそうだから、きっと嬉しいんだろう。
花火は音も大きさも圧巻だった!
でも、人混みはもっと大変だった!!
早めに出かけた俺たちは、途中で軽食を食べたり、小物の店をのぞいたりしながらのんびり行った。
せっかくの浴衣姿だからと、何枚か写真も撮った。
海際の公園に着いたのは、開始まで1時間以上ある6時過ぎ。
でも、すでに花火見物の人たちがいっぱいいた。
見るのに良さそうな場所はもう埋まっていて、空いているのは通路ばかり。
公園の端の方まで行って、ようやく立ち止まれる場所を見付けることができた。
背が低い葵は、前に男の人がいて見えないんじゃないかと思った。
でも、それは問題なかった。
近くで見る打ち上げ花火は、本当に頭の上に見えるから。
花火は低い「ボン。」という音のあとに空に上っていく小さな光が見えて、パッと光が散るとほぼ同時に、腹に響くような「ド―――ン!」という音がする。
はかなく消えて行く光を惜しんで、誰もが最後まで空を見上げている。
その “間” と期待感、色と音、そういうものすべてをひっくるめて “花火” なんだと思った。
俺たちの周囲も、いつの間にか人でいっぱいになっていた。
宇喜多と尾野と俺の3人が、葵と芳原を守るように後ろに立っているけれど、足をずらすのもやっとという状態。
花火の音と交通整理のメガホンの声で、ほとんど話はできない。
でも、ときどき葵は振り返って、俺たちに微笑みかけてくれた。
最後の花火が終わり、終了が告げられたとき、俺は葵の手を取って歩きたい気分になっていた。
駅の方向に動き出した人波の中でも、すぐ後ろにいる彼女の声を聞きながらずっと。
花火を見ているときは、途中から、「好きだよ。」と囁きたくて仕方なかったし。
それはたぶん、花火の効果なんだと思う。
花火には何か、余分なものを洗い流すはたらきがあるような気がする。
自分の気持ちに素直になって、シンプルにそれを表現すればいい、なんて、簡単に思えて。
でも、今はそれは無理だ。
こんなふうにグループで来ている場所では。
( ――― あ、そうだ。)
うっかりしていた。
葵は方向音痴なんだった。
(これって、使えるんじゃないか?)
希望が小さい打ち上げ花火みたいに、ぽんと花開く。
人混みで迷子にならないように、という口実があれば、手をつなぐくらいできそうだ。
葵は俺の右後ろ。隣の宇喜多の後ろだ。
葵の右側に芳原がいて、その前が尾野。
このポジションなら、葵と俺が手をつなぐことも可能だ!
「葵。」
振り向きながら声をかける。
彼女が「なあに?」というように俺を見る。
「迷子になるなよ。」
葵が「うん。」と笑顔で頷く。
続けて俺が、「よかったら」と言おうとしたその瞬間。
(!?)
自分が見たものに目を疑った。
葵が宇喜多のジーンズの後ろのベルト通しに、左手の指を引っ掛けている。
(宇喜多!?)
思わず鋭く宇喜多を見ると、気配を感じたらしい宇喜多がこっちを向いた。
視線で「なんだよ、それは!?」と問い詰めると、宇喜多が目を伏せる。
恥ずかしげに。
でも、少し得意気に。
「どこかにつかまってもいいよ、って言っただけだよ……。」
控え目なのに、的を射抜いているその言葉!
(くっそーーーーー!!)
また出遅れた!
俺と宇喜多の様子に気付いて、尾野がこっちを見た。
俺が視線で後ろを示すと、尾野が振り返って目を剥いた。
俺たちの無言のやり取りなど知らずに、葵はもう片方の手を芳原と組んで、楽しそうに話しながら歩いている。
芳原と宇喜多をくっつけるという尾野の計画は、簡単には上手く行きそうにない。




